東京郊外の調布市に住む私は、
この付近の1部の地域では、お盆の日である。
家内と私の実家に行き、外出する長兄と玄関先で立ち話しした。
この後、仏前にお線香を挙げた後、
義姉と世間話をしていた時、叔母が来宅した。
そして私の少年期まで何かと叔母に世話になったので、
この頃の時代の話を私はしたりした。
長兄宅を辞した後、曇り空の中、家内とお墓参りに行く。
そして生前の母が好きだったお花とお線香、お米を持ち、お寺に着いた。
境内は広く、大きな樹木が数多くある上、
平日だったので、尚一層に静寂だった。
そして外気は、暑さを樹木がさえぎっているので、幾分涼しげだった・・。
ときおり、蝉の声が境内と墓地の間の大きな樹木から聞こえる程度だった。
お墓参りは生者の慰めと知っているが、亡くなった父と母、そして祖父に守られ、
こうして私は生きてこられてきたのであるので、
私は感謝の一心で、ときおりお墓参りをしている。
生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、
私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。
お墓に行き、墓石を水で清め、お花を挿して、お米を備えた。
そして、お線香を奉げる。
お参りをすると、母のおもかげがよぎっていった。
私の場合は、父が私の小学校の2年の時、
その数ヵ月後に祖父も死去されたので、
何かと母の存在が多かった。
このためか、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
言葉づかいが想いだされる。
晴れ間になり、お線香の煙が芳香を残して、
青空の中、立ち昇りながら消えていった・・。
その後、水屋の周辺の大木の樹木の中、
蝉の鳴き声が響きかせながら、盛大に聴こえてきた・・。

この付近の1部の地域では、お盆の日である。
家内と私の実家に行き、外出する長兄と玄関先で立ち話しした。
この後、仏前にお線香を挙げた後、
義姉と世間話をしていた時、叔母が来宅した。
そして私の少年期まで何かと叔母に世話になったので、
この頃の時代の話を私はしたりした。
長兄宅を辞した後、曇り空の中、家内とお墓参りに行く。
そして生前の母が好きだったお花とお線香、お米を持ち、お寺に着いた。
境内は広く、大きな樹木が数多くある上、
平日だったので、尚一層に静寂だった。
そして外気は、暑さを樹木がさえぎっているので、幾分涼しげだった・・。
ときおり、蝉の声が境内と墓地の間の大きな樹木から聞こえる程度だった。
お墓参りは生者の慰めと知っているが、亡くなった父と母、そして祖父に守られ、
こうして私は生きてこられてきたのであるので、
私は感謝の一心で、ときおりお墓参りをしている。
生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、
私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。
お墓に行き、墓石を水で清め、お花を挿して、お米を備えた。
そして、お線香を奉げる。
お参りをすると、母のおもかげがよぎっていった。
私の場合は、父が私の小学校の2年の時、
その数ヵ月後に祖父も死去されたので、
何かと母の存在が多かった。
このためか、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
言葉づかいが想いだされる。
晴れ間になり、お線香の煙が芳香を残して、
青空の中、立ち昇りながら消えていった・・。
その後、水屋の周辺の大木の樹木の中、
蝉の鳴き声が響きかせながら、盛大に聴こえてきた・・。
