総合月刊雑誌の今月号の『文藝春秋』(10日発売)を午後のひととき、
読んだりしていたのである・・。
特集のひとつで、【北京五輪 日中大論争】と題され、
副題として、「異形の大国」中国に問う、と明示され、
日中の有力論客の7時間に及ぶ闘論の記事であった。
日本側として、ジャーナリストの櫻井よしこ、評論家の田久保忠衛の両氏、
中国側は清華大学教授の劉江永、中国人民大学・国際関係学院副院長の金燦栄の両氏であった。
私は少しボケた年金生活の4年生の身であるが、
政治・外交・軍事・経済などに疎(うと)い日本国民のひとりであるが、
この中の討論を読みながら、
中国の有数な論客でも、これだけ明確に発言されたのには、
驚いたのである・・。
無断であるが、記事の1部を引用させて頂きます。
【・・
田久保忠衛
(略)
・・中国を観察するときに、経済面と軍事面を区分するのは当然でしょう。
金燦栄
ただ、中国と西側諸国との将来の協力を考えたときに、
戦略ゲームを弄するのは得策ではありません。
先ほどのチベット問題もそうです。
現在の国際社会において、
自分で自分のことを決断できる国は、
米国と中国だけですから。
櫻井よしこ
大変な自信ですね。
・・・(略)
】
注)敬称略。原文より、改行を多くした。
私は中国人民大学・国際関係学院副院長の要職に就かれている金燦栄氏の発言に、
国際間の国力を明言されたのに、驚き、そしてため息をしたのである。
そして、私は過日8月9日に於いて、
『13億人の熱気を感じて・・。』と題した、
私の投稿文を読み返したのである。
・・
昨夜、夜の9時過ぎから、『北京五輪』の開会式の実況中継をNHKで視聴した。
私は年金生活の少しボケた4年生の身であるが、
コメントのような形で、感じたことを綴ってみることにした。
祭典の初めに紙、墨字による文字と絵、印刷、航海などの絵巻物のような美麗なシーンを観て、
かって中国の明の時代に思いを馳せたのである・・。
この頃の明王朝は、ヨーロッパの各国より遥かに凌駕していた。
紙はもとより、印刷に寄る大量の書物があり、数多くの図書館が存在していた。
明王朝の最盛期には、軍事力に寄る周辺各国の異民族の宗教、文化、習慣を束ね、
圧倒的な海軍に寄りアフリカの沖まで航路し、制覇した。
そして海上貿易で巨額な収益をもたらしていたのである。
この頃は、世界の諸国の中で、
圧倒的な軍事・外交・経済の超大国として、
明王朝は存在していたのである。
やがて清の時代になと、イギリスからアヘン戦争を仕掛けられ、
その後は世界の列国から侵略などによる剥奪され、
中国の長い歴史上からしても屈辱の長い期間となった。
今日の中国は、軍事・経済の超大国への道を国家の理念とし、
今回のスポーツの祭典のひとつ『五輪』としても、
大国の威信をかけて、実現させた。
世界各国の首脳陣を招き、
鳥の巣と称される9万人が収容される国家体育場で、
国家主席が高らかに開催宣言を発せられると、
会場に居る中国の民衆の熱気はもとより、13億人の民の熱気を私は感じられたのである。
果たして、五輪後はどのように中国は変貌するのかしら、
と思ったりしたのである。
(略)
・・・
以上、過日の投稿文の大半であるが、
私は改めて、やはり中国は・・と
無力な私は呟(つぶや)いたりしたのである。
読んだりしていたのである・・。
特集のひとつで、【北京五輪 日中大論争】と題され、
副題として、「異形の大国」中国に問う、と明示され、
日中の有力論客の7時間に及ぶ闘論の記事であった。
日本側として、ジャーナリストの櫻井よしこ、評論家の田久保忠衛の両氏、
中国側は清華大学教授の劉江永、中国人民大学・国際関係学院副院長の金燦栄の両氏であった。
私は少しボケた年金生活の4年生の身であるが、
政治・外交・軍事・経済などに疎(うと)い日本国民のひとりであるが、
この中の討論を読みながら、
中国の有数な論客でも、これだけ明確に発言されたのには、
驚いたのである・・。
無断であるが、記事の1部を引用させて頂きます。
【・・
田久保忠衛
(略)
・・中国を観察するときに、経済面と軍事面を区分するのは当然でしょう。
金燦栄
ただ、中国と西側諸国との将来の協力を考えたときに、
戦略ゲームを弄するのは得策ではありません。
先ほどのチベット問題もそうです。
現在の国際社会において、
自分で自分のことを決断できる国は、
米国と中国だけですから。
櫻井よしこ
大変な自信ですね。
・・・(略)
】
注)敬称略。原文より、改行を多くした。
私は中国人民大学・国際関係学院副院長の要職に就かれている金燦栄氏の発言に、
国際間の国力を明言されたのに、驚き、そしてため息をしたのである。
そして、私は過日8月9日に於いて、
『13億人の熱気を感じて・・。』と題した、
私の投稿文を読み返したのである。
・・
昨夜、夜の9時過ぎから、『北京五輪』の開会式の実況中継をNHKで視聴した。
私は年金生活の少しボケた4年生の身であるが、
コメントのような形で、感じたことを綴ってみることにした。
祭典の初めに紙、墨字による文字と絵、印刷、航海などの絵巻物のような美麗なシーンを観て、
かって中国の明の時代に思いを馳せたのである・・。
この頃の明王朝は、ヨーロッパの各国より遥かに凌駕していた。
紙はもとより、印刷に寄る大量の書物があり、数多くの図書館が存在していた。
明王朝の最盛期には、軍事力に寄る周辺各国の異民族の宗教、文化、習慣を束ね、
圧倒的な海軍に寄りアフリカの沖まで航路し、制覇した。
そして海上貿易で巨額な収益をもたらしていたのである。
この頃は、世界の諸国の中で、
圧倒的な軍事・外交・経済の超大国として、
明王朝は存在していたのである。
やがて清の時代になと、イギリスからアヘン戦争を仕掛けられ、
その後は世界の列国から侵略などによる剥奪され、
中国の長い歴史上からしても屈辱の長い期間となった。
今日の中国は、軍事・経済の超大国への道を国家の理念とし、
今回のスポーツの祭典のひとつ『五輪』としても、
大国の威信をかけて、実現させた。
世界各国の首脳陣を招き、
鳥の巣と称される9万人が収容される国家体育場で、
国家主席が高らかに開催宣言を発せられると、
会場に居る中国の民衆の熱気はもとより、13億人の民の熱気を私は感じられたのである。
果たして、五輪後はどのように中国は変貌するのかしら、
と思ったりしたのである。
(略)
・・・
以上、過日の投稿文の大半であるが、
私は改めて、やはり中国は・・と
無力な私は呟(つぶや)いたりしたのである。