夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

佐渡・秋津温泉滞在記 最終

2008-08-08 18:46:00 | 定年後の思い
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佐渡・秋津温泉滞在記 《下》 【2008.8.3.~8.6.】 

2008-08-08 09:28:46 | 
   第四章  地酒と海の幸

私は年金生活の身であるが、恥ずかしながら呑兵衛のひとりである。
旅行先で酒造場所に寄ったりすると、試飲のそれぞれの日本酒を頂くと、
結果としては4合瓶を2本買い求めてしまうのである。

或いは観光ホテル内の売店で、日本酒コーナーで4合瓶を1本か2本を買い求め、
部屋で呑むことも多い。

最初の夕食の時も迷ったのである。
家内達と夕食の時、とりあえずビールで乾杯した後、
蟹(カニ)が1杯お膳にあったので、
仲居さんにお酒の辛口と申しれた。

300mlの小振りの『北雪』の純米酒であり、
東京でも、佐渡の地酒としては有名よ、と私は仲居さんに軽口を云ったりしていた。

http://www.sake-hokusetsu.com/home/

私は滞在の3日間の夕食の際、
この『北雪』の純米酒を友としながら、蟹(カニ)、エビ、ブリ、イカ、牡蠣(カキ)等を賞味し、
私としては無知な地魚を絶賛したり、
コンブ、ワカメも誉(ほ)めたりしたのである。

そして、2日目の晩、サザエが2つお盆に載って折、
私が好物と知ってか、家内達の分も頂き、
私はサザエずくしだね、と6個ばかり食べながら、
戯れたりしたのである。


最初の夕食が終わった後、
何気なし売店で『北雪』の300mlの5本セットを見かけ、
呑み比べ、と優しく明示されていたので、
私は小躍りした・・。

たった3000円で『北雪』の名高い大吟醸から生酒まで揃い、
お買い得ね、と心の中で思い、買い求めたのである。

こうした日本酒のセット物は、旅先で見かけた時、
私は根はケチだから、殆ど買い求めたりしていた。

私は夕食の前、深夜に目覚めた時に秘かな小振りな瓶を冷蔵庫から取り出し、
この『北雪』を友としたのである。

尚、さすがに日中は煎茶、ビールを頂いている。



    第五章  秘境外海府

家内達は新潟交通佐渡の周遊観光コースで『佐渡物語』で、
日中はトキの里、佐渡金山等の観光めぐりをするが、
私は『秘境外海府めぐり』の周遊観光に参加した。

http://www1.sphere.ne.jp/sado-bus/course.html

両津港を9時半前に中型バスで出て、
外海府海岸を北上し、最北端の弾埼灯台から内海府海岸を南下するコースである。


素朴な海岸にある片辺地域にある『夕鶴の里』で、
60代のご婦人より民話を三つばかり語り部を拝聴した。

http://www.jtb.co.jp/kokunai/Mesh.aspx?mesh=150804

この後、切り立った道、或いは海岸に近い路を観光バスは走ったが、
昭和30年代に日本の各地で数多く観られた情景が車窓から散見でき、
日本の心のふるさとのような光景が拡がっていた。

そして、海岸に突き出た巨大な岩が亀の形に似ている『大野亀』を眺め、
昼食をビールを呑みながら頂いた後、ゆるやかな起伏のある丘陵を散策した。
5月から6月の頃には、野花が一面咲き乱れる、
と教えて貰ったりした。


この後、切り立った道をバスは通過したが、
ひと昔、この周辺に住まわれた方たちの一部で、
貧しい余り、やむえず乳児を菰(こも)包み、
泣く泣く高台の細道から海に落とした、
とバス・ガイドさんから教えを受けたのである。

こうした悲劇の悲しみに打ちしがれた親が、
せめて亡き児を供養する為に、荒れた海岸の一辺に、
小石を積み上げて、弔(とむら)ったのが『賽の河原』となった、
と私は教示された。

海岸沿いの路を歩くと、小さな洞窟の奥に石仏が鎮座され、
周囲に数多く小石が積み上げられいた。
荒れた波の時は、積み上げられた小石が波にさらわれそうになるが、
何とか奥に鎮座されている石仏に守られて今日に至っている・・。

そして昨今では、佐渡の各地で、
我が子を病気などで不幸にして亡くなわれた親は、
この賽の河原に我が子を弔(とむら)う為に、小石を積み上げられる方たちもいる、
と聴いたりしたのである。

このような哀切きわまりない話を聴いたりし、
私なりに胸が熱くなったりした・・。


弾埼灯台は、半島の先端に位置しているので、
日露戦争の頃に大砲などの軍事設備となった、
とガイドさんから聴いたりしたが、
現在の無人の灯台でのどかな情景となっていた。

内海府の街並みは、魚業に携わる家並み、
海岸には港、そして防波堤が観られ、
ゆったりとした景観と感じたのである・・。

しかし昨年の風の強い時、海も荒れ、多くの防波堤が壊された、
と聞いたりすると、改めて自然災害のもたらす怖さを思ったりした。


私は佐渡に関しては、余りにも知らないことが多すぎるが、
ほんのわずか学んだことを秘め、宿泊先に戻ったのである。




   最終章 旅の終りはリクライング・シート

最終日、私たち三人もお世話になった観光ホテルを10時過ぎに、
観光バスに乗車して離れた。

小木港に向かい、『たらい舟』のオプションもあったが、
私達は興味がなく、小木港のターミナル・ビルのレストランで、
ゆっくりと昼食の時間としたのである。

お刺身の舟盛り、イカ・ソーメンなどビールを呑みながら、
私は頂いたりした。

私は家内達が旅先の思いでを語っているのを聴きながら、
佐渡歴史伝説館、宿泊した観光ホテルのロビーに展示された『無名異焼』の数々を思い返していた・・。
もとより素人の独断と偏見であるが、
金山などから出土される赤土の焼き物であるが、
感覚的に魅了されることがなかったのである。

呑兵衛の私は、備前、萩などの弐合徳利、ぐい呑みを40代のなかばで、
住宅ローンをあるサラリーマンの身としては、
少し気負って買い求めてきた品を愛用している。

そして、茶事を嗜(たしな)んでいる家内からは、
貴方も駄物が好きねぇ、と軽蔑されるかのような、
手軽に買える5千円前後の廉い品を数多く買い求め、使用しているのである。

このような拙(つたな)い私としては、
『無名異焼』の選評の資格はないが、感覚的に合わないのである。


家内達は、宿泊した観光ホテルの夕食に出された『おけさ柿』のシャーベット状を話していた・・。

『あれは婦女子の食べ物であるが、
呑兵衛の僕だって・・それなりに美味しかったよ・・
翌日の冷やされたトマトも美味しかったよ・・』
と私は家内の母に割り込んだりした。

『そうよねぇ・・あなたは珍しく・・
朝のバイキングの時・・
佐渡の牛乳は美味しいよ・・飲んでいましたもの・・』
と家内は笑いながら、私に云ったりした。

『佐渡牛の鉄板焼も美味しかったよ・・』
と私は家内たちに微笑みながら、云ったりした。

この後、昼の1時前にフェリーの大型客船は小木港を出航し、
私たち3人は、一等船室のフル・リクライング・シートに身を寄せた。

ときおり、私はサンデッキにたたずみ、右舷は潮風を受けながら、夏の燦燦とした陽射しを浴び、
遠い海原を眺めながら、煙草を喫ったりした。

そして、わずか3泊4日ばかりの佐渡の旅先での出来事を思い返したりした。

私は微苦笑しながらも、
それなりに深い思いでの数々を心に残っていることに、
改めて気付かされたりした。

後は直江津港で下船後、観光バスで長野駅に行き、
退屈で窮屈な新幹線で東京駅に戻るだけであった。

            (終り)



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