夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『薪ストーブ』の想いで・・♪

2008-09-20 18:36:43 | 現役サラリーマン時代の想いで
先ほど、ネットでニュースを検索していた時、
北海道の函館で、薪ストーブを製造されるニュースを見て、
私は何かしら懐かしい心情となった。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080919-OYT1T00825.htm

私の母が10年前に死去された後、翌年の年始は、喪中となり、
家内はそれまで毎年御節料理を造っていたが、
親族の新年会も20数年ぶりに取り止めとなり、
私達夫婦は初めての年末年始の旅行に出かけたのである。

秋田県の山奥にある秋の宮温泉郷にある稲住温泉に3泊4日で滞在した。
何かしら開放感があり少し華(はな)やかな北海道、東北の著名な温泉地は、
亡き母との歳月の思いを重ねるには相応しくないと思い、
山奥の素朴な温泉地としたのである。


稲住温泉の周辺は山里の情景で、雪が舞い降り中、
狭い県道、市道の雪道を散策したりした。
付近にある町営スキー場は、ゴンドラなどもなく、
リフトが2本観られる素朴なスキー場であった。

スキー場の外れにある蕎麦屋さんに入り、
昼食代わりに山菜そばを頂こうと、
入店したのであるが、お客は私達夫婦だけで、
こじんまりと店内の中央に薪ストーブのあり、
私達は冷え切った身体であったので、思わず近づき、
暖をとったのである。


私は東京郊外の住宅街に住む身であり、
とても家の中の一角に薪ストーブを置けるような場所もなければ、
薪の補給を配慮すれば、贅沢な暖房具となっているのである。

私の幼年期は、今住んでいる処からは程近く、
田畑は広がり、雑木林があり、祖父と父が中心となり、
農家を営んでいた。
家の中の一面は土間となり、この外れに竈(かまど)が三つばかり有り、
ご飯を炊いたり、煮炊きをしたり、
或いは七輪の炭火を利用していた。

板敷きの居間は、囲炉裏であったが、殆ど炭火で、
家族一同は暖をとっていたのである。


薪は宅地と畑の境界線にある防風林として欅(けやき)などを植えて折、
間隔が狭まった木を毎年数本切り倒していた。

樹高は少なくとも30メートルがあり、主木の直径は50センチ程度は最低限あり、
これを30センチ間隔で輪切りにした後、
鉈(なた)で薪割りをし、日当たりの良い所で乾燥をさしていた。

そして、枝葉は竈で薪を燃やす前に使用していたので、
適度に束ねて、納戸の外れに積み上げられていた。


薪ストーブの中、薪が燃えるのを眺めていたら、
こうした幼年期の竈(かまど)の情景が甦(よみがえ)り、
『お姉さん・・お酒・・2本・・お願い・・』
と私は60代の店番の女性に云った。

そして、薪ストーブで暖を取りながら、昼のひととき、お酒をゆっくりと呑もうと思い、
家内は少し微苦笑した後は、
殆ど人気のない外気の雪降る情景に見惚(みと)れていた。



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早朝まで、『世阿弥芸術論集』を読み・・♪

2008-09-20 09:33:20 | 読書、小説・随筆
一昨日より読み始めていた瀬戸内寂聴・著の『秘花』(新潮社)を真夜中に読了後、
しばらくぼんやりとしていた・・。

http://www.shinchosha.co.jp/book/311222/

そして、玄関の軒下で煙草を喫いながら、
台風13号で私の住む地域は大雨、雷、洪水注意報が出されていたが、
雨が激しく降る程度である。


私は世阿弥の生涯を描いた瀬戸内寂聴・著の『秘花』を思い浮べたりした後、
ネットでこの本に関するサイトを調べたりした。

新潮社の『波』の2007年5月号に於き、
【瀬戸内寂聴『秘花』刊行記念対談】として、
著作者の瀬戸内寂聴は、小説家・川上弘美との対談が掲載されて折、
読了しながら著作者のこの作品の思いを、
改めて学んだりした。

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/311222.html


この後、私は本棚から、『世阿弥芸術論集』を取り出して、
パラパラと開き、拾い読みをしたのであった。

私は東京オリンピック頃に世阿弥に興味し、
文庫本で『風姿花伝』などを読んだりした後、
昭和51年10月の初めに『新潮日本古典集成』(新潮社)で、
第4回配本として、この『世阿弥芸術論集』を入手とし、
愛読していた本であった。

『風姿花伝』はもとより、『至花道』、『花鏡』、『九位』、『申楽談儀式』が収録されて折、
私なりの世阿弥への思いを重ねたりしていた。

このような思索をしていた時、早朝の4時過ぎとなり、
私はときおり物狂いのような熱中する自身に微苦笑しながら、
寝室に行き布団にもぐったのである。

そして激しい雨脚の音を聴きながら、眠りについた・・。


目覚めると、台風は房総半島の先端の銚子市の海上の彼方を過ぎた、
と知りながら、私の住む街は急激に天候が回復し、
こうして綴っていると青空になってきたのである。


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