夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我家の年金生活の午後のひとときは・・♪

2008-09-25 17:53:57 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であり、
午後の2時過ぎ頃からは、居間の17畳ばかりの片隅に、
移動式の簡易ソファ・ベットに横たわる多い。

私は本を1時間前後読み、そして昼寝を1時弱したりしている。

夏季の時節は、暑さに苦手な私はエアコンの冷気をこよなく愛していたが、
ここ数日はガラス戸を開けて、網戸越しに外気を取り入れ、
秋色の微風が通り過ぎ、心身心地良く身をまかせているのである。

昼食後、私は台所へお運びさんの役割を終え、
家内は皿洗いなどをし、庭の外れにある洗濯物を取り込む4時頃まで、
安息のひとときとなる。


家内は居間の外れに、バスタオルの厚いタオルを2枚敷いて、
床に横たわっている。
家内はソファの椅子席は苦手であるので、
当初、私は夏の布団と枕を持ち運ぼうとしたが、
こうした方が気持ちが良いから、
と云っているのである。

そして、本棚が6冊ばかり雑誌を取り出して枕代わりし、
ときには寝息をしたりしている。


4時過ぎに、お互いに起き上がり、整理をするが、
家内の仮枕の雑誌を見ると、私はいつも微苦笑するのである。

月間総合雑誌の『中央公論』、『文藝春秋』であり、
日本広しといえ、この雑誌を枕代わりにしているのは家内ぐらい、
と思っているのである。


このような午後のひととき、5月の下旬頃から10月の中旬頃まで、
1週間で4日前後、午後のひととき過ごしたりしている。

これ以外の季節は、寝室で暖かな布団で横たわっている。

昨日は、夜の11時過ぎに眠くなり、
どうしてなの、と思ったりしたが、
昼寝をしていないことに気付き、独りで微苦笑したりする時もある。



ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋色になり、簾(すだれ)に別れを告げ・・♪

2008-09-25 10:16:03 | 定年後の思い
東京の郊外も、彼岸の入りをした頃から、
日中の陽射しも夏季のような暑さも感じられず、
風も肌に心地良く、初秋の草花が多く観られ、
秋色に染められている・・。


家内は昨日と今朝、我が家の室内に掛けていた簾(すだれ)を取り外し、
カーテンなどに替えている。
私は家内の助手となり、余り役立つことなく、
ウロウロと動き回っているのが、多いのである。


我家は毎年6月初旬の頃から、
簾を収納棚から取り出して、各部屋に掛けている。

洋室であったら、雨戸、網戸、ガラス戸、そしてカーテンを外して簾とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾としている。

朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾にして、風を通したりしている。

私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
ソファーに座り庭を眺めたりする時、ほのかな暗さがあり、
樹木、草花が涼しげに観えるのである。

このように夏季の強い陽射しを避けて、毎年過ごしている。


この頃の私の心情は、このサイトでも綴ったことがある。

【・・
先程、朝の庭を眺めていた時、ひとつの句が甦(よみがえ)ってきた・・。


世の中を 美しと見し 簾かな

     作者・上野 泰


この句は、長谷川 櫂・氏に導かれて知ったひとつである。

氏の解説に寄れば、下記のように綴られている。

陽はさえぎるが風を通す簾は、蒸し暑い日本の夏には重宝なもの。
王朝の昔、高貴な女性の中には、そのかげで一生を送る人もいた。
簾を透(とお)すと何もかも涼しげに見える。
古き世も人も過ぎ去り、今は簾だけが風に揺れている。


詠(よ)まれた俳人は、大正7年に生を受け、
昭和48年に亡くなわれた人であるが、
私は昭和のよき情感をとおして、
遥か彼方の古人の人たちへの愛惜を感じたりしている。

私は庭の樹木、初夏の草花を眺めながら、
とりとめなく千年前の女人のしぐさに思いを馳(は)せたりしている。
・・】


私は簾が外され、カーテン越しに秋の陽射しを受けながら綴っているが、
ほの暗いの中、女人が去っていた、
と幻想も重ね、そして愛惜を秘めながら、
秋の歌を心の中で唄っている。




ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする