私は昨日の午後より、瀬戸内寂聴・著の『秘花』(新潮社)を読み始めて、
本日のひとときも読み、第四章の数ページで、小用の為にやむえず中断している。
私は民間会社を定年退職後、年金生活の身で、もとより能の素養がないが、
中世で能の大成者と知られいる世阿弥に興味を持ったのは、
東京オリンピックの頃からであった。
8月の初旬に3泊4日で、佐渡島に滞在旅行をする前、
瀬戸内寂聴・著の『秘花』を遅ればせながら本屋で購入したが、
あえて私なりの流刑となった世阿弥の佐渡の時代を思いを馳せたく、
未読としていたのである。
私は東京オリンピックの開催された頃、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしていた。
この当時の頃、瀬戸内晴美の『夏の終り』を読み終えて、
友人らに絶賛したりし、初期の作品の『女子大生・曲愛玲』、
『花芯』などの短編小説集を読み耽ったりしていた。
この後、『女徳』などで大衆文学を精力的に発表された後は、
私は瀬戸内晴美の小説から離れた。
私が25歳から民間会社に中途入社した後、
『美は乱調にあり』を本屋の店頭で見かけたが、
タイトルの命名に魅了されたが、
購入する意志はなかったのである。
その後は、瀬戸内晴美は仏門に入った、と月刊総合雑誌などで知り、
私は有数の小説家なのにどうした心境なのか、
と思ったりしていた。
そして、のちに晴美から寂聴と改名され、
私は少し寂しさを隠し切れなかったのである。
私は平成16年の晩秋に民間会社を定年退職をし、年金生活に入った頃は、
瀬戸内寂聴ご自身は、既に20年近く法話などされて、賞賛された人となり、
稀(ま)れな著名人となっていた。
私の年金生活は、身過ぎ世過ぎの日常であるが、
小説、随筆、現代史、歴史書などを読む時間を優先としているので、
本屋に寄ったり、ときおり古本屋を訪ねたりすることが多いのである。
数年前、本屋の店頭で、
水上 勉との対談集『文章修行』(岩波書店)を見かけ、購入し、
両氏の純文学の深い思いに、思わず涙を流したのである。
その後、石原慎太郎との往復書簡の『人生への恋文』(文春文庫)を読み終え、
瀬戸内寂聴の人生の軌跡を改めて知った上、日常の思いも知り、
数多くの人生の機敏を学んだのである。
ただ、このお方の真摯な数多く発表された中期、後期、そして近年作の小説は、
私は本の愛好家のひとりとし、無念ながら未読となっている。
尚、このお方の真摯な『秘花』を拝読を終えた後は、
単なる感想文でなく、大人の評論を掲載する予定である。
本日のひとときも読み、第四章の数ページで、小用の為にやむえず中断している。
私は民間会社を定年退職後、年金生活の身で、もとより能の素養がないが、
中世で能の大成者と知られいる世阿弥に興味を持ったのは、
東京オリンピックの頃からであった。
8月の初旬に3泊4日で、佐渡島に滞在旅行をする前、
瀬戸内寂聴・著の『秘花』を遅ればせながら本屋で購入したが、
あえて私なりの流刑となった世阿弥の佐渡の時代を思いを馳せたく、
未読としていたのである。
私は東京オリンピックの開催された頃、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしていた。
この当時の頃、瀬戸内晴美の『夏の終り』を読み終えて、
友人らに絶賛したりし、初期の作品の『女子大生・曲愛玲』、
『花芯』などの短編小説集を読み耽ったりしていた。
この後、『女徳』などで大衆文学を精力的に発表された後は、
私は瀬戸内晴美の小説から離れた。
私が25歳から民間会社に中途入社した後、
『美は乱調にあり』を本屋の店頭で見かけたが、
タイトルの命名に魅了されたが、
購入する意志はなかったのである。
その後は、瀬戸内晴美は仏門に入った、と月刊総合雑誌などで知り、
私は有数の小説家なのにどうした心境なのか、
と思ったりしていた。
そして、のちに晴美から寂聴と改名され、
私は少し寂しさを隠し切れなかったのである。
私は平成16年の晩秋に民間会社を定年退職をし、年金生活に入った頃は、
瀬戸内寂聴ご自身は、既に20年近く法話などされて、賞賛された人となり、
稀(ま)れな著名人となっていた。
私の年金生活は、身過ぎ世過ぎの日常であるが、
小説、随筆、現代史、歴史書などを読む時間を優先としているので、
本屋に寄ったり、ときおり古本屋を訪ねたりすることが多いのである。
数年前、本屋の店頭で、
水上 勉との対談集『文章修行』(岩波書店)を見かけ、購入し、
両氏の純文学の深い思いに、思わず涙を流したのである。
その後、石原慎太郎との往復書簡の『人生への恋文』(文春文庫)を読み終え、
瀬戸内寂聴の人生の軌跡を改めて知った上、日常の思いも知り、
数多くの人生の機敏を学んだのである。
ただ、このお方の真摯な数多く発表された中期、後期、そして近年作の小説は、
私は本の愛好家のひとりとし、無念ながら未読となっている。
尚、このお方の真摯な『秘花』を拝読を終えた後は、
単なる感想文でなく、大人の評論を掲載する予定である。
