夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京の郊外は、初秋から秋に・・♪

2008-09-27 20:47:55 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、昨夜に強い風が吹き、
私は玄関の軒下で煙草を喫っていたのであるが、
何かしら寒いくらいであった。

今朝、目覚めると、庭のテラスでパジャマ姿でいたが、
少し肌寒く居間に引き上げたのである、

そして、天気予報を観ていたら、
朝の6時は17度で、日中は爽やかな1日で、昼下りは22度前後、
夜の6時過ぎには19度前後が予測されます、と報じていた。

私はTシャツの半袖を肌着代わりとし、
薄めのスポーツ・シャツの長袖を羽織ったのである。


初秋らしい天気が2週間ばかり過ぎ、
中秋の名月も過ぎれば、
突然に秋のような空気につつまれて、
私は少し戸惑ったりしたのである。

そして、数日前まで樹の下で休息していたのであるが、
朝の陽射しを直接に受けていた方が心地良いので、
微苦笑したりし、秋到来を感じたのである。



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齢を重ねると、深化するか、或いは退廃か・・♪

2008-09-27 09:36:25 | 定年後の思い
私は恥ずかしながら、満64歳の誕生日を迎えた。

私は民間会社に35年ばかり勤め定年退職後、
残された人生の日々を自身の趣味で過ごしたく、
年金生活とした。

数多くの人たちと同様に多忙だった現役時代であったので、
せめて人生の後半戦ぐらいは、読書と散策などをし、
ときには国内旅行で各地の四季折々の情景に心を寄せれば、
本望かしらと思っていた。

そして、私の何よりの望みは、こうした日常生活をし、
心の発露として散文を綴ることである。

幸い退職後まもなくして、ブログの世界を知り、
四つばかりのサイトに書き散らかしてきた。


私の根底には、退職後の1年を過ぎた頃、
作家・城山三郎氏の『無所属の時間に生きる』の随筆集を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を教訓としている。

【・・

人生の持ち時間に大差はない。
問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、
あえて挑むとか、打って出ることも、
肝要となろう。

・・】


年金生活の4年生の身であるが、
果たして振り返った時、私自身は深化したか、
或いは身体の衰えに甘えて、退廃したか解からない。

私は先ほど、自身の過去に綴った投稿文を読み返していたりしたが、
この人生に微笑みをと、微苦笑するしかないのである。




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