総合月刊雑誌の10月号『文藝春秋』、『中央公論』が発売日なので、
私は駅前に散策がてら川沿いの遊歩道を歩き、
11時過ぎに出かけたのである。
秋晴れの中、空気も乾燥し、川風が吹いていたので、
少し汗ばむ程度で、心身心地良かったのである・・。
駅前の本屋で、2冊の総合月刊誌を見つめていた時、
特集としては、遙かに今月号も『中央公論』に、
私個人としては関心が優(まさ)っていたのである。
ここ数ヶ月の特集のひとつで、
8月号は『高齢者は本当に弱者なのか』、
先月の9月号は『満州国と戦後日本の光と影』、
そして今月の10月号として、『大不況時代到来』と題し、
副題に『あなたは生き残れるのか』と明示してあった。
この後、季刊秋号として『文藝春秋 SPECIAL』があり、
『素晴らしき日本語の世界』と明記されていたので、
心の中は小躍りし、購入したのである。
こうして、好きに雑誌を3冊買い求めた後、
スーパーで買物をし、
帰路として、再び川沿いの遊歩道を歩いた。
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、
私の散策の好きなひとつのコースでもある。
木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、
少し休息をした・・。
この時に、どうした思いが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、
ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたのである。
この遊歩道で、独りで歩き、
桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったのである。
10年先か数10年先か判からないが、
いずれいつの日にか、命は絶えるのであるが、
亡くなる時は、こうした思いもあることは確かである。
私は駅前に散策がてら川沿いの遊歩道を歩き、
11時過ぎに出かけたのである。
秋晴れの中、空気も乾燥し、川風が吹いていたので、
少し汗ばむ程度で、心身心地良かったのである・・。
駅前の本屋で、2冊の総合月刊誌を見つめていた時、
特集としては、遙かに今月号も『中央公論』に、
私個人としては関心が優(まさ)っていたのである。
ここ数ヶ月の特集のひとつで、
8月号は『高齢者は本当に弱者なのか』、
先月の9月号は『満州国と戦後日本の光と影』、
そして今月の10月号として、『大不況時代到来』と題し、
副題に『あなたは生き残れるのか』と明示してあった。
この後、季刊秋号として『文藝春秋 SPECIAL』があり、
『素晴らしき日本語の世界』と明記されていたので、
心の中は小躍りし、購入したのである。
こうして、好きに雑誌を3冊買い求めた後、
スーパーで買物をし、
帰路として、再び川沿いの遊歩道を歩いた。
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、
私の散策の好きなひとつのコースでもある。
木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、
少し休息をした・・。
この時に、どうした思いが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、
ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたのである。
この遊歩道で、独りで歩き、
桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったのである。
10年先か数10年先か判からないが、
いずれいつの日にか、命は絶えるのであるが、
亡くなる時は、こうした思いもあることは確かである。
![ブログランキング・にほんブログ村へ](http://www.blogmura.com/img/www88_31.gif)