私は作家・嵐山光三郎氏の作品に関しては、料理、温泉の随筆を読み、
ここ10数年は『西行と清盛』、『文人悪食』、『追悼の達人』、『悪党芭蕉』、
『死ぬための教養』、『人妻魂』、『編集者諸君!』、『おはよう! ヨシ子さん』
の順で読んできた。
特に『追悼の達人』を読んでいた時は、深く感銘させら、
これ以降は店頭で見かけた時は、無条件で購入し、読むことにしている。
こういた意味合いから、このサイトに於いても、
嵐山光三郎氏に関しても数多く綴ったりしているが、
過日、遅ればせながら駅前の本屋で、氏の『不良定年』(ちくま文庫)を見かけ、
ここ数日読んだりしている。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4480424113.html
あとがきに明記されているが、
《本書は2005年2月、新溝社より刊行された。》と表記されていたので、
『悪党芭蕉』の作品で読売文学賞したあとの一冊でもある。
本書は氏が大学卒業後、平凡社に入社された後、人一倍奮闘され上、
34歳で『別冊太陽』の編集長として実績が認められ、
その後は平凡社としては社はじまって以来の若さであったが、
勇猛果敢な桁外れに優秀な方であったので、
社長の強力な抜擢より、36歳で月刊教養雑誌の『太陽』の編集長となった方でもある。
そして、発行部数を伸ばしていたが
不運にも社の肝要な経営基盤の百科辞典が低迷し、45歳以上の希望退職が掲示された時、
氏は38歳の若さで、自(みずか)ら退社してしまうのである。
この後は、新興の出版社に携わり、編集をしたり、
自身で書かれたりし、やがて作者として精力的に数多くの作品を発表された方で、
65歳過ぎた時、この本書が発表されている。
私は本書を読み終えた後は、もとより氏の半生記と私は受け留めたのである。
私は氏の『太陽』の編集長を歴任された方は書物などで知っていたが、
なぜお辞めになったかは無知であったので、
この本書から初めて理解できたのである。
氏のこうした作者として活躍した時の心の発露として、
特にサラリーマンの定年退職後の諸兄に『不良定年としての生きる信条』を提示しているのである・・。
《・・
私の世代(引用者・注、氏は1942年生まれ)は、みんな不良少年だった。
(略)
そして就職れば、汗水流して働いて、
結婚すれば給料をまるごと妻にとりあげられて、ドレイ的な生活をつづけてきた。
ほとんどの男がドレイ志願者なのである。
給料がふえれば、妻にほめてもらえることだけが嬉しいのに、
妻は、それを当然のように受けとり、
「あなたの老後のため」という名目で貯金をして
女学校時代の友人と温泉旅行へ出かける。
困ったことに、妻がそういう贅沢をすることが「夫としての力量」と思いこみ、
妻が金を使うほど仕事に精を出す。
そのうち、子が「海外旅行に行きたい」といえば、
「おう。行ってきなさい」とポケットマネーをポンと出し、
父親は場末の安い居酒屋で飲む一杯の焼酎に、幸福感を得る。
(略)
定年後、さて、いままでのドレイ的奉仕のいくばくかを感謝されて、
妻子がお父さんへやさしくしてくれると考えるのは、まったくの幻想である。
妻子は、定年を迎えたお父さんがぼけると、
「いままで家庭をかえりみずに好き勝手にやってきたむくいがきた」
と判断して、冷遇する。
「家族のため」と思うのは、自分が家族に甘えたいための勘違いにすぎない。
(略)
死ねばいくばくかの生命保険が支払われるから、
墓に骨を埋まれてから、「いいお父さんだったわねえ」と供養される。
死んでから「いいお父さんだった」っていわれても、仕方がないじゃないの。
せめて生きているうちにそういうことを態度で示してほしかった。
このような事態を避けるために、男は定年後も金を稼がなくてはいけない。
無理せずに小銭を稼ぎ、自分の酒の飲み代ぐらいは使える身となるべきだ。
そのためには、妻からの自立が不可欠となる。
・・》
注)本書のページ20~22までの一部を引用し、あえて改行も多くした。
この後は、料理、下着の洗濯ぐらいは自身で・・
そして数日ぐらいは蒸発して、やがて無断外出を妻が黙認するようになる・・。
この後は自在の生活となり、定年後の不良生活を満喫するに当たっては、
百か条を掲げているが、私は秘かにうなずきがここでは書けないのである。
この百か条に関しては、購読者の特権と思い、ご配慮を願いたいのである。
さて、私はわかがまで身勝手なひとりであるが、
氏の言動には、この本書を読んでも圧倒されることが多いのである・・。
たとえば氏が5月の連休あけに潮来にアヤメを観賞するのであるが、
川面の風が寒くなり、船内にあった掛けぶとんをかけると、熱燗の酒を飲みたくなる。
そして佐原に出て、家には3時間ばかりで帰宅することができるが、
佐原へ行くと酒が飲みたく佐原の商人宿に宿泊する。
その後は成田空港の近くであったので、突然にハワイのホノルル向かい、
3泊した後は、帰路はビジネスクラスで成田空港に戻った。
そして、新宿まで電車で直行した後、三軒ばかりバーを廻り、深夜の一時過ぎになるとタクシーで帰宅する。
そして自宅の風呂に入った後は、深夜のテレビを見ながら、缶ビールを飲んで一息する・・。
このように氏は圧倒的な言動のある方で、何よりに奇抜な行動をされる方でもある。
私は本書を民間会社の定年退職を数年後に迎える方たちで、
成人された子供が数人いて、奥様が元気な方に、
特に一読を願いたい、と秘かに思ったりしているのである。
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ここ10数年は『西行と清盛』、『文人悪食』、『追悼の達人』、『悪党芭蕉』、
『死ぬための教養』、『人妻魂』、『編集者諸君!』、『おはよう! ヨシ子さん』
の順で読んできた。
特に『追悼の達人』を読んでいた時は、深く感銘させら、
これ以降は店頭で見かけた時は、無条件で購入し、読むことにしている。
こういた意味合いから、このサイトに於いても、
嵐山光三郎氏に関しても数多く綴ったりしているが、
過日、遅ればせながら駅前の本屋で、氏の『不良定年』(ちくま文庫)を見かけ、
ここ数日読んだりしている。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4480424113.html
あとがきに明記されているが、
《本書は2005年2月、新溝社より刊行された。》と表記されていたので、
『悪党芭蕉』の作品で読売文学賞したあとの一冊でもある。
本書は氏が大学卒業後、平凡社に入社された後、人一倍奮闘され上、
34歳で『別冊太陽』の編集長として実績が認められ、
その後は平凡社としては社はじまって以来の若さであったが、
勇猛果敢な桁外れに優秀な方であったので、
社長の強力な抜擢より、36歳で月刊教養雑誌の『太陽』の編集長となった方でもある。
そして、発行部数を伸ばしていたが
不運にも社の肝要な経営基盤の百科辞典が低迷し、45歳以上の希望退職が掲示された時、
氏は38歳の若さで、自(みずか)ら退社してしまうのである。
この後は、新興の出版社に携わり、編集をしたり、
自身で書かれたりし、やがて作者として精力的に数多くの作品を発表された方で、
65歳過ぎた時、この本書が発表されている。
私は本書を読み終えた後は、もとより氏の半生記と私は受け留めたのである。
私は氏の『太陽』の編集長を歴任された方は書物などで知っていたが、
なぜお辞めになったかは無知であったので、
この本書から初めて理解できたのである。
氏のこうした作者として活躍した時の心の発露として、
特にサラリーマンの定年退職後の諸兄に『不良定年としての生きる信条』を提示しているのである・・。
《・・
私の世代(引用者・注、氏は1942年生まれ)は、みんな不良少年だった。
(略)
そして就職れば、汗水流して働いて、
結婚すれば給料をまるごと妻にとりあげられて、ドレイ的な生活をつづけてきた。
ほとんどの男がドレイ志願者なのである。
給料がふえれば、妻にほめてもらえることだけが嬉しいのに、
妻は、それを当然のように受けとり、
「あなたの老後のため」という名目で貯金をして
女学校時代の友人と温泉旅行へ出かける。
困ったことに、妻がそういう贅沢をすることが「夫としての力量」と思いこみ、
妻が金を使うほど仕事に精を出す。
そのうち、子が「海外旅行に行きたい」といえば、
「おう。行ってきなさい」とポケットマネーをポンと出し、
父親は場末の安い居酒屋で飲む一杯の焼酎に、幸福感を得る。
(略)
定年後、さて、いままでのドレイ的奉仕のいくばくかを感謝されて、
妻子がお父さんへやさしくしてくれると考えるのは、まったくの幻想である。
妻子は、定年を迎えたお父さんがぼけると、
「いままで家庭をかえりみずに好き勝手にやってきたむくいがきた」
と判断して、冷遇する。
「家族のため」と思うのは、自分が家族に甘えたいための勘違いにすぎない。
(略)
死ねばいくばくかの生命保険が支払われるから、
墓に骨を埋まれてから、「いいお父さんだったわねえ」と供養される。
死んでから「いいお父さんだった」っていわれても、仕方がないじゃないの。
せめて生きているうちにそういうことを態度で示してほしかった。
このような事態を避けるために、男は定年後も金を稼がなくてはいけない。
無理せずに小銭を稼ぎ、自分の酒の飲み代ぐらいは使える身となるべきだ。
そのためには、妻からの自立が不可欠となる。
・・》
注)本書のページ20~22までの一部を引用し、あえて改行も多くした。
この後は、料理、下着の洗濯ぐらいは自身で・・
そして数日ぐらいは蒸発して、やがて無断外出を妻が黙認するようになる・・。
この後は自在の生活となり、定年後の不良生活を満喫するに当たっては、
百か条を掲げているが、私は秘かにうなずきがここでは書けないのである。
この百か条に関しては、購読者の特権と思い、ご配慮を願いたいのである。
さて、私はわかがまで身勝手なひとりであるが、
氏の言動には、この本書を読んでも圧倒されることが多いのである・・。
たとえば氏が5月の連休あけに潮来にアヤメを観賞するのであるが、
川面の風が寒くなり、船内にあった掛けぶとんをかけると、熱燗の酒を飲みたくなる。
そして佐原に出て、家には3時間ばかりで帰宅することができるが、
佐原へ行くと酒が飲みたく佐原の商人宿に宿泊する。
その後は成田空港の近くであったので、突然にハワイのホノルル向かい、
3泊した後は、帰路はビジネスクラスで成田空港に戻った。
そして、新宿まで電車で直行した後、三軒ばかりバーを廻り、深夜の一時過ぎになるとタクシーで帰宅する。
そして自宅の風呂に入った後は、深夜のテレビを見ながら、缶ビールを飲んで一息する・・。
このように氏は圧倒的な言動のある方で、何よりに奇抜な行動をされる方でもある。
私は本書を民間会社の定年退職を数年後に迎える方たちで、
成人された子供が数人いて、奥様が元気な方に、
特に一読を願いたい、と秘かに思ったりしているのである。
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