前回に続き、読売新聞の朝刊の文化面に於いて、
【太宰と清張 生誕100年】が掲載され、
この記事に準じた内容が読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で、
一日遅れで掲載されていたので、転載させて頂き、
私は読みながら感じ、思いを馳せたことを記載する。
《・・
【太宰と清張 生誕100年】(下)更新され続ける作家像
見え隠れする「私」
作家には、作者の分身を作品に登場させるタイプと、
自分の影を消すタイプがいる。
<風景にもすれ違う人にも目を奪われず、自分の姿を絶えず意識しながら歩いてゆく人だった>
と、妻の津島美知子が回想した太宰は前者だ。
モントリオール映画祭最優秀監督賞に輝いた根岸吉太郎監督の「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」、
来年公開の「人間失格」には、太宰の分身・苦悩の人がいる。
推理小説から古代史まで徹底取材し、歴史と社会の闇を追った清張はもとより後者だ。
「半生の記」のあとがきで
<いわゆる私小説というのは私の体質には合わない>と書いている。
しかし、そう簡単にも割り切れない。
太宰は1939年に結婚した後、
他人の日記をもとに「女生徒」「正義と微笑」などを創作した。
今秋公開の「パンドラの匣」(冨永昌敬監督)の原作も、「木村庄助日誌」をもとにした作品で、
結核療養所に入った少年の、死と背中合わせながら希望を失わない生活が生き生きと描かれる。
これまで脚光を浴びなかった1編だ。
冨永監督は中学生のころ「人間失格」など晩年の長編を読んで
「すぐ死にそうなことを書いて、たいして面白くないな」と思った。
ところが井伏鱒二作品をモチーフに長編デビュー作「パビリオン山椒魚」(2006年)を撮る際、
井伏と太宰の師弟関係を知り、
「黄村先生言行録」など太宰の中期作品の軽さと明るさに触れて「太宰を誤解していた」
ことに気付いた。
「キャラクターのキャッチーで、つかみやすいところは映画向き」という。
「演じてみたいと俳優をその気にさせる」
一方で、清張の私小説的側面に光を当てる動きも出てきた。
先月完結した「松本清張傑作選」(全6巻、新潮社)で、
直木賞作家の宮部みゆきさんが「月」「父系の指」「泥炭地」など12編を選んだ1冊。
副題は「戦い続けた男の素顔」だ。
苦労を重ねた父、学歴を克服しようと努力しても不遇だった下積み時代……。
<逃れられない宿命の悲しみと、つかみ得ない幸福への憧憬>(宮部さんの解説)などのテーマが通底し、
人間・清張の素顔がのぞく。
では、なぜ太宰のように苦悩する「私」を書かなかったか。
無名のサラリーマン、悪党や悪女、歴史上の人物などを作品ごとに登場させたのは
「自分のことを書くなら、それを虚構に発展させたい」
という小説観もあっただろう。
加えて宮部さんは
「清張には、自分も含めて一人の人間の存在は、小さく儚いものに過ぎないという断念、諦念があったからではないか」
と語る。
その断念、諦念こそ「圧殺される弱者を見過ごしにできない<追求者><告発者>松本清張の原動力にもなった」。
圧殺される弱者も、戦い続ける男も、実は清張自身だった。
そんな「私小説的作品であっても、ラストのどんでん返しでアッと言わせるのが清張の魅力」(宮部さん)とも言い添える。
太宰と清張。1909年に生まれた2人の作家像は、今もなお更新され続けている。
(おわり)
(2009年9月9日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に対し、あえて改行などを多くした。
私は恥ずかしながら、宮部みゆきの小説は読んだことのない身であるが、
松本清張の作品としての確かな慧眼に思わず敬意をしたのである。
《・・
逃れられない宿命の悲しみと、つかみ得ない幸福への憧憬・・
清張には、自分も含めて一人の人間の存在は、小さく儚いものに過ぎないという断念、諦念があったからではないか・・
その断念、諦念こそ「圧殺される弱者を見過ごしにできない<追求者><告発者>松本清張の原動力にもなった。
・・》
私は数多くの読者と同様に、松本清張の発表した作品は半分ぐらいは読んできたと思うが、
いつも感じさせられるのは、まぎれもなく宮部みゆきの発言されたことである。
私は感じるだけで、的確に表現された宮部みゆきの批評眼は、優れた批評家でもある。
いずれにしても、太宰治、松本清張の両氏は、
各出版社で生誕100年称してイベントのように掲げられているが、
特に若い人に両氏の遺された作品の数々を読み、心の洗濯をされれば、
と齢を重ねた私は余計なことを思ったりしている。
そして、どの小説に於いても、少なくとも必ず一行は学ぶことがある、
と拙(つたな)い読書歴まもなく50年の私は確信している。
尚、私の綴った作家名は敬称を省略させて頂きました。
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【太宰と清張 生誕100年】が掲載され、
この記事に準じた内容が読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で、
一日遅れで掲載されていたので、転載させて頂き、
私は読みながら感じ、思いを馳せたことを記載する。
《・・
【太宰と清張 生誕100年】(下)更新され続ける作家像
見え隠れする「私」
作家には、作者の分身を作品に登場させるタイプと、
自分の影を消すタイプがいる。
<風景にもすれ違う人にも目を奪われず、自分の姿を絶えず意識しながら歩いてゆく人だった>
と、妻の津島美知子が回想した太宰は前者だ。
モントリオール映画祭最優秀監督賞に輝いた根岸吉太郎監督の「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」、
来年公開の「人間失格」には、太宰の分身・苦悩の人がいる。
推理小説から古代史まで徹底取材し、歴史と社会の闇を追った清張はもとより後者だ。
「半生の記」のあとがきで
<いわゆる私小説というのは私の体質には合わない>と書いている。
しかし、そう簡単にも割り切れない。
太宰は1939年に結婚した後、
他人の日記をもとに「女生徒」「正義と微笑」などを創作した。
今秋公開の「パンドラの匣」(冨永昌敬監督)の原作も、「木村庄助日誌」をもとにした作品で、
結核療養所に入った少年の、死と背中合わせながら希望を失わない生活が生き生きと描かれる。
これまで脚光を浴びなかった1編だ。
冨永監督は中学生のころ「人間失格」など晩年の長編を読んで
「すぐ死にそうなことを書いて、たいして面白くないな」と思った。
ところが井伏鱒二作品をモチーフに長編デビュー作「パビリオン山椒魚」(2006年)を撮る際、
井伏と太宰の師弟関係を知り、
「黄村先生言行録」など太宰の中期作品の軽さと明るさに触れて「太宰を誤解していた」
ことに気付いた。
「キャラクターのキャッチーで、つかみやすいところは映画向き」という。
「演じてみたいと俳優をその気にさせる」
一方で、清張の私小説的側面に光を当てる動きも出てきた。
先月完結した「松本清張傑作選」(全6巻、新潮社)で、
直木賞作家の宮部みゆきさんが「月」「父系の指」「泥炭地」など12編を選んだ1冊。
副題は「戦い続けた男の素顔」だ。
苦労を重ねた父、学歴を克服しようと努力しても不遇だった下積み時代……。
<逃れられない宿命の悲しみと、つかみ得ない幸福への憧憬>(宮部さんの解説)などのテーマが通底し、
人間・清張の素顔がのぞく。
では、なぜ太宰のように苦悩する「私」を書かなかったか。
無名のサラリーマン、悪党や悪女、歴史上の人物などを作品ごとに登場させたのは
「自分のことを書くなら、それを虚構に発展させたい」
という小説観もあっただろう。
加えて宮部さんは
「清張には、自分も含めて一人の人間の存在は、小さく儚いものに過ぎないという断念、諦念があったからではないか」
と語る。
その断念、諦念こそ「圧殺される弱者を見過ごしにできない<追求者><告発者>松本清張の原動力にもなった」。
圧殺される弱者も、戦い続ける男も、実は清張自身だった。
そんな「私小説的作品であっても、ラストのどんでん返しでアッと言わせるのが清張の魅力」(宮部さん)とも言い添える。
太宰と清張。1909年に生まれた2人の作家像は、今もなお更新され続けている。
(おわり)
(2009年9月9日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文に対し、あえて改行などを多くした。
私は恥ずかしながら、宮部みゆきの小説は読んだことのない身であるが、
松本清張の作品としての確かな慧眼に思わず敬意をしたのである。
《・・
逃れられない宿命の悲しみと、つかみ得ない幸福への憧憬・・
清張には、自分も含めて一人の人間の存在は、小さく儚いものに過ぎないという断念、諦念があったからではないか・・
その断念、諦念こそ「圧殺される弱者を見過ごしにできない<追求者><告発者>松本清張の原動力にもなった。
・・》
私は数多くの読者と同様に、松本清張の発表した作品は半分ぐらいは読んできたと思うが、
いつも感じさせられるのは、まぎれもなく宮部みゆきの発言されたことである。
私は感じるだけで、的確に表現された宮部みゆきの批評眼は、優れた批評家でもある。
いずれにしても、太宰治、松本清張の両氏は、
各出版社で生誕100年称してイベントのように掲げられているが、
特に若い人に両氏の遺された作品の数々を読み、心の洗濯をされれば、
と齢を重ねた私は余計なことを思ったりしている。
そして、どの小説に於いても、少なくとも必ず一行は学ぶことがある、
と拙(つたな)い読書歴まもなく50年の私は確信している。
尚、私の綴った作家名は敬称を省略させて頂きました。
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