夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活の今、秘かに『お気に入り』で愛し続けているサイトは・・。

2009-09-16 20:20:00 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
自宅でインターネットを開通させたので、定年退職の数ヶ月前であった。

私はコンビュータのネットに関する参考書を購入して、
Webの世界の若葉マークとなり、ネットで魅せられたのを『お気に入り』に登録したりするが、
半年か一年も過ぎると、殆どが飽きて、『お気に入り』から削除するのが圧倒的に多いのである。

このように退職後の丸5年を秋に迎えようとしているが、
私が秘かに愛し続けているサイトがあり、自身としては稀(まれ)なケースとなっている。

ある歌の歌詞を知りたくて、色々と検索して偶然に知ったサイトであるが、
ときおり学び、心の洗濯かしら、と心の中で歓声したりしている。

【 なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡 】
と題されたサイトで、数多くの名曲の歌詞が掲載されている。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html

私は曲名が解かってて、歌詞を忘れたりすると、『50音順索引』を利用し、
歌詞の内容を思い出したり、或いは初めてこの歌詞の最後まで知り、こうした詞だったの、と教示さりたりしている。

そして、曲名が不明であるが、確かこの歌の、歌いだしは・・
このような場合は、『歌い出し索引』にお世話になっている。

私は歌は現役時代も人前で唄うカラオケは苦手で、やむえなく唄ったりしてきたが、
退職後の今は鼻歌を人影の少ない遊歩道や家の中で唄ったり、心の中で唄うことが多いのである。


そして小学生の時代などの時は、このサイトで、
一昨年の10月19日に於いては、
【 私の小学生時代の愛唱歌・・♪ 】と題して、
恥ずかしげに投稿していたのたので、あえて再掲載をする。

【・・
私が小学校に入学したのは、昭和26年の春だった。
東京の郊外の調布市であるが、この頃は田畑、雑木林が圧倒的に多く、緑豊かな町村であった。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた3男坊で、
祖父と父は女の子を期待していたらしく、私は幼児なりに何となく感じていたのか、
いじけた可愛げのない子の上、無口であった。

兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿を頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、
と担任の女の先生がため息まじりに云われたりしていた。


音楽の授業は、先生がオルガンを弾いて、
生徒の我々全員が『春の小川』、『夕やけこやけ』等を唄っていた。

学期末の頃に、ひとりの生徒が教室の1番前にある黒板の近くで、
先生のオルガンの伴奏に合わせて、唄うことが定例であった。
私は人前で他愛ないおしゃべりをすることが苦手であったので、
私の順番になると、ドキドキし、出来たら逃げ出したかった。

結果として、通信簿『2』であった。

私が下校で独りぼっちで歩いて帰る時、
或いは家の留守番をしている時は、

♪笛にうかれて 逆立ちすれば
 山が見えます ふるさとの
 わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし

【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十  】

私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。

そして、私が気分が良い時は、
私は街の子、田舎の子・・、
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。

小学校の後年になると、映画の【ビルマの竪琴】で『埴生の宿』、
【二等兵物語】』で『ふるさと』を知り、
これこそ私が望んでいた音楽だ、と感銘を受けたりした。

しかし、この名曲の2曲は人前で唄うことはなく、
クラスの仲間からは、私を『三原山』とあだ名を付けていた。
普段無口の癖、ときたま怒り出すので、活火山の由来だった。


私が小学5年になる頃、小学校の音楽室にピアノが導入されて、
何かしら女の子達はピアノに触れることが、羨望の的となっていた。

我が家でも妹の2人が小学5年、3年で私が中学1年になったばかりの時、
妹達は先生にほめられた、と母は聞いて、有頂天になり、無理してピアノを購入した。

小学校の音楽の成績は、兄2人と妹2人は通信簿『5』であり、
何故かしら私だけが『2』の劣等性であった。


私が25歳を過ぎた時、企業に中途入社し、たまたまレコード部門に配置されて数年後、
妹のひとりが母の前で、
『お兄ちゃんがレコード会社で・・
家にいる時はモーツァルトを聴いているなんて・・想像できる・・
信じられないわ・・』
と云ったらしく、私は苦笑していた。


今の兄妹は、日常は音楽から遠ざかった普通の人々で、
日常生活で最も音楽をこよなく愛聴しているのは私だけである。

尚、母が苦労して購入したピアノは、10数年後、埃を被り、中古業者に引き取られた。

・・】

このように投稿したりしているが、どなたも同じと思われるが、
その時代に街に流れていた歌の流行(はやり)歌と共に、その当時の自身が蘇(よみがえっ)りするので、
私の微苦笑することが多いのである。




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ときには、早起き元気な年金生活のわが身となり・・!?

2009-09-16 05:48:38 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
早朝目覚め、時計を見たら4時過ぎであり、玄関庭に下り立ち、
煙草を喫いながらぼんやりとしている。
東京の郊外は、この時節の日の出は5時半過ぎであるので、
まだ薄暗いのである。


昨日の朝9時過ぎに、私は庭に下り立ち、樹木の剪定、草むしりをした。
過日、途中で体力の限界を感じて、中断したので、今回はこの続きとしたのである。
曇り空の中であり、一時間した頃、わずかにポッリの雨が降ったが、
この後は予測されたように陽射しがない曇り空の22度前後で、
わずかに汗ばむ程であった。

久々に5月以来に家の裏側を手入れをしたが、濃い青色の小さな花を数多く咲かせる露草(ツユクサ)、
そして可憐なピンクの小花が咲く秋海棠(シュウカイドウ)が群生しており、
人知れずひっそりと咲くのに、わが身のようかしら、微苦笑をしたりした。

この後は、主庭に専念し、ある程度は終ったので、
家の中で家内が居るので、声をかけたら、午後の4時少し前であった。

私は昨今、体力の衰えを感じているので、こうした庭の手入れなどは、
昼食に何かを食べると疲れを増すので、
居間の片隅に、大き目の茶碗に四つばかり煎茶を淹れたのをお盆の上に置いているが、
或いはペットボトルの煎茶を置いて置く習性となっている。

手入れを一時間ぐらいすると疲れを覚えるので、
テラスに置いてある簡易椅子に腰かけて、煙草を喫いながら、この煎茶を飲み、5分ばかり休憩をする。
まるでハイキングのペースようだ、と苦笑をしたりする。


風呂に入った後は、このサイトに一筆啓上を認(したた)め、
夕食は早めの6時半過ぎにしながら、家内とこれからの旅行のことなどを話し合ったりした。

11時過ぎに眠くなったので、寝室に行き、
布団にもぐり、読み落とした『文藝春秋』を一時間ばかり読んでいるうちに、
眠りこんだのである。

今朝、ぼんやりと思ったのであるが、
現役の最期は出向となった時は、勤務地が少しばかり遠方であったので、
朝は起床は4時45分の定刻なり、帰宅は早くても夜の9時過ぎの勤務体制を思い出し、
苦笑したりしたのである。

読売新聞の朝刊が配達されていないこの時、ときには早朝に投稿するのは一年に数回かしら、
と思ったりしている。




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