私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
自宅でインターネットを開通させたので、定年退職の数ヶ月前であった。
私はコンビュータのネットに関する参考書を購入して、
Webの世界の若葉マークとなり、ネットで魅せられたのを『お気に入り』に登録したりするが、
半年か一年も過ぎると、殆どが飽きて、『お気に入り』から削除するのが圧倒的に多いのである。
このように退職後の丸5年を秋に迎えようとしているが、
私が秘かに愛し続けているサイトがあり、自身としては稀(まれ)なケースとなっている。
ある歌の歌詞を知りたくて、色々と検索して偶然に知ったサイトであるが、
ときおり学び、心の洗濯かしら、と心の中で歓声したりしている。
【 なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡 】
と題されたサイトで、数多くの名曲の歌詞が掲載されている。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
私は曲名が解かってて、歌詞を忘れたりすると、『50音順索引』を利用し、
歌詞の内容を思い出したり、或いは初めてこの歌詞の最後まで知り、こうした詞だったの、と教示さりたりしている。
そして、曲名が不明であるが、確かこの歌の、歌いだしは・・
このような場合は、『歌い出し索引』にお世話になっている。
私は歌は現役時代も人前で唄うカラオケは苦手で、やむえなく唄ったりしてきたが、
退職後の今は鼻歌を人影の少ない遊歩道や家の中で唄ったり、心の中で唄うことが多いのである。
そして小学生の時代などの時は、このサイトで、
一昨年の10月19日に於いては、
【 私の小学生時代の愛唱歌・・♪ 】と題して、
恥ずかしげに投稿していたのたので、あえて再掲載をする。
【・・
私が小学校に入学したのは、昭和26年の春だった。
東京の郊外の調布市であるが、この頃は田畑、雑木林が圧倒的に多く、緑豊かな町村であった。
私は長兄、次兄に続いて生を受けた3男坊で、
祖父と父は女の子を期待していたらしく、私は幼児なりに何となく感じていたのか、
いじけた可愛げのない子の上、無口であった。
兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿を頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、
と担任の女の先生がため息まじりに云われたりしていた。
音楽の授業は、先生がオルガンを弾いて、
生徒の我々全員が『春の小川』、『夕やけこやけ』等を唄っていた。
学期末の頃に、ひとりの生徒が教室の1番前にある黒板の近くで、
先生のオルガンの伴奏に合わせて、唄うことが定例であった。
私は人前で他愛ないおしゃべりをすることが苦手であったので、
私の順番になると、ドキドキし、出来たら逃げ出したかった。
結果として、通信簿『2』であった。
私が下校で独りぼっちで歩いて帰る時、
或いは家の留守番をしている時は、
♪笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十 】
私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。
そして、私が気分が良い時は、
私は街の子、田舎の子・・、
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。
小学校の後年になると、映画の【ビルマの竪琴】で『埴生の宿』、
【二等兵物語】』で『ふるさと』を知り、
これこそ私が望んでいた音楽だ、と感銘を受けたりした。
しかし、この名曲の2曲は人前で唄うことはなく、
クラスの仲間からは、私を『三原山』とあだ名を付けていた。
普段無口の癖、ときたま怒り出すので、活火山の由来だった。
私が小学5年になる頃、小学校の音楽室にピアノが導入されて、
何かしら女の子達はピアノに触れることが、羨望の的となっていた。
我が家でも妹の2人が小学5年、3年で私が中学1年になったばかりの時、
妹達は先生にほめられた、と母は聞いて、有頂天になり、無理してピアノを購入した。
小学校の音楽の成績は、兄2人と妹2人は通信簿『5』であり、
何故かしら私だけが『2』の劣等性であった。
私が25歳を過ぎた時、企業に中途入社し、たまたまレコード部門に配置されて数年後、
妹のひとりが母の前で、
『お兄ちゃんがレコード会社で・・
家にいる時はモーツァルトを聴いているなんて・・想像できる・・
信じられないわ・・』
と云ったらしく、私は苦笑していた。
今の兄妹は、日常は音楽から遠ざかった普通の人々で、
日常生活で最も音楽をこよなく愛聴しているのは私だけである。
尚、母が苦労して購入したピアノは、10数年後、埃を被り、中古業者に引き取られた。
・・】
このように投稿したりしているが、どなたも同じと思われるが、
その時代に街に流れていた歌の流行(はやり)歌と共に、その当時の自身が蘇(よみがえっ)りするので、
私の微苦笑することが多いのである。
a href="http://www.blogmura.com/">
自宅でインターネットを開通させたので、定年退職の数ヶ月前であった。
私はコンビュータのネットに関する参考書を購入して、
Webの世界の若葉マークとなり、ネットで魅せられたのを『お気に入り』に登録したりするが、
半年か一年も過ぎると、殆どが飽きて、『お気に入り』から削除するのが圧倒的に多いのである。
このように退職後の丸5年を秋に迎えようとしているが、
私が秘かに愛し続けているサイトがあり、自身としては稀(まれ)なケースとなっている。
ある歌の歌詞を知りたくて、色々と検索して偶然に知ったサイトであるが、
ときおり学び、心の洗濯かしら、と心の中で歓声したりしている。
【 なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡 】
と題されたサイトで、数多くの名曲の歌詞が掲載されている。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
私は曲名が解かってて、歌詞を忘れたりすると、『50音順索引』を利用し、
歌詞の内容を思い出したり、或いは初めてこの歌詞の最後まで知り、こうした詞だったの、と教示さりたりしている。
そして、曲名が不明であるが、確かこの歌の、歌いだしは・・
このような場合は、『歌い出し索引』にお世話になっている。
私は歌は現役時代も人前で唄うカラオケは苦手で、やむえなく唄ったりしてきたが、
退職後の今は鼻歌を人影の少ない遊歩道や家の中で唄ったり、心の中で唄うことが多いのである。
そして小学生の時代などの時は、このサイトで、
一昨年の10月19日に於いては、
【 私の小学生時代の愛唱歌・・♪ 】と題して、
恥ずかしげに投稿していたのたので、あえて再掲載をする。
【・・
私が小学校に入学したのは、昭和26年の春だった。
東京の郊外の調布市であるが、この頃は田畑、雑木林が圧倒的に多く、緑豊かな町村であった。
私は長兄、次兄に続いて生を受けた3男坊で、
祖父と父は女の子を期待していたらしく、私は幼児なりに何となく感じていたのか、
いじけた可愛げのない子の上、無口であった。
兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿を頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、
と担任の女の先生がため息まじりに云われたりしていた。
音楽の授業は、先生がオルガンを弾いて、
生徒の我々全員が『春の小川』、『夕やけこやけ』等を唄っていた。
学期末の頃に、ひとりの生徒が教室の1番前にある黒板の近くで、
先生のオルガンの伴奏に合わせて、唄うことが定例であった。
私は人前で他愛ないおしゃべりをすることが苦手であったので、
私の順番になると、ドキドキし、出来たら逃げ出したかった。
結果として、通信簿『2』であった。
私が下校で独りぼっちで歩いて帰る時、
或いは家の留守番をしている時は、
♪笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十 】
私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。
そして、私が気分が良い時は、
私は街の子、田舎の子・・、
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。
小学校の後年になると、映画の【ビルマの竪琴】で『埴生の宿』、
【二等兵物語】』で『ふるさと』を知り、
これこそ私が望んでいた音楽だ、と感銘を受けたりした。
しかし、この名曲の2曲は人前で唄うことはなく、
クラスの仲間からは、私を『三原山』とあだ名を付けていた。
普段無口の癖、ときたま怒り出すので、活火山の由来だった。
私が小学5年になる頃、小学校の音楽室にピアノが導入されて、
何かしら女の子達はピアノに触れることが、羨望の的となっていた。
我が家でも妹の2人が小学5年、3年で私が中学1年になったばかりの時、
妹達は先生にほめられた、と母は聞いて、有頂天になり、無理してピアノを購入した。
小学校の音楽の成績は、兄2人と妹2人は通信簿『5』であり、
何故かしら私だけが『2』の劣等性であった。
私が25歳を過ぎた時、企業に中途入社し、たまたまレコード部門に配置されて数年後、
妹のひとりが母の前で、
『お兄ちゃんがレコード会社で・・
家にいる時はモーツァルトを聴いているなんて・・想像できる・・
信じられないわ・・』
と云ったらしく、私は苦笑していた。
今の兄妹は、日常は音楽から遠ざかった普通の人々で、
日常生活で最も音楽をこよなく愛聴しているのは私だけである。
尚、母が苦労して購入したピアノは、10数年後、埃を被り、中古業者に引き取られた。
・・】
このように投稿したりしているが、どなたも同じと思われるが、
その時代に街に流れていた歌の流行(はやり)歌と共に、その当時の自身が蘇(よみがえっ)りするので、
私の微苦笑することが多いのである。
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