夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

松田聖子ちゃんの『風立ちぬ』を心の中で唄いだし・・♪

2009-09-20 21:37:52 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
朝の8時過ぎに、やわらかな秋の陽射しを照らす主庭のテラスに下り立った・・。

ここ数日は朝の6時は18度前後、昼下がりは26度前後、夕暮れの6時は23度前後で、
晴れ時々曇りが多い恵まれた初秋を迎え、世間ではシルバー・ウィークとなっているので、
天上の気候の神々が現役の諸兄姉の働いて下さる方たちへの
何よりの贈り物かしらと感じたりしている。

このように思いながら、風に身をまかせ、煙草を喫ったりしていた。
庭の片隅の花壇を眺めれば、薄紫色のサフランと黄色のクロッカスの小花が群生し咲いているのであるが、
微風に揺れていた・・。

私はどうした思いか解からないが、心の中で、

♪風立ちぬ 今は秋
 今日から私は 心の旅人

【『風立ちぬ』 歌詞・松本 隆 作曲・大瀧詠一 歌・松田聖子】


唄いだしたのである・・。

私は我に返り、聖子ちゃんかょ、と呟いたりしていた。


私が思わず心の中で唄った松田聖子ちゃんの『風立ちぬ』が街に流れていたのは、
昭和56年(1981年)の秋であり、この後の曲は『赤いスィートピー』もヒットされ、
私はあるレコード会社に勤めて、歌に直接かかわる制作畑でなく、情報畑でそれなりに孤軍奮闘していた頃で、
他社の松田聖子ちゃんの曲も何気なしに聴いていたのである。

私にとっては苦手な松田聖子ちゃんであるが、確かにヒット曲を連発し、
発売元のソニーはマーケット・リサーチはもとより、資金源、人材、組織力のある会社、そして肝要のスタッフの起用、
と認めたりした上で、たぐい稀(まれ)な才能と努力を重ねられた歌い手の相乗効果である。


このように聖子ちゃんの数々の唄声を聴いたりしていた。


私は定年退職後、年金生活を過ごしている今、
ときおり昔の歌がふいに蘇(よみが)り、あんな苦手な聖子ちゃんの歌も懐かしく、
心の中で唄ったりするので、苦笑することが多いのである。

10時過ぎた頃、私はいつものように最寄のスーパーに買物にでかけたのであるが、
川の橋を渡る時に、両側の岸辺は遊歩道がある。
そして、休日の日なのでいつもより人出が多く、しばらく眺めたりしていた。
初秋の陽射しの中で家族連れで歩かれたり、自転車で幼児を伴った若きご夫婦の姿も数多く見られたのであるが、
何かしら笑顔の表情が多く、安息のひとときかしら、
と私はこの人生の微笑みを頂いたのである。

ときおり風を受けたしていると、

♪風立ちぬ 今は秋
 今日から私は 心の旅人
  
【『風立ちぬ』 歌詞・松本 隆 作曲・大瀧詠一 歌・松田聖子】

と心の中で唄ってしまい、私は独り微笑をしながら、スーパーに足取り軽く向ったのである。



http://www.youtube.com/watch?v=bV_JgmcoEP0
【『風立ちぬ』 歌詞・松本 隆 作曲・大瀧詠一 歌・松田聖子】




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過ぎ去りし、定年後の私の9月19日の思いは・・♪  【下】

2009-09-20 13:10:56 | 定年後の思い
私の定年退職後の昨年の2008年の9月19日、そして一昨年の2007の9月19日の投稿文を再掲載して、
この頃の思いに馳せたりしている。

そして、2006年、2005年にどのような思いで過ごしていたか、
今回もあえて再掲載をする。


2006年9月19日の朝に、
【 初秋のひととき・・♪ 】と題して、投稿している。

【・・
東京の郊外は、秋雨前線の影響でここ10日ばかりは雨が多く、
ときたま薄日が射すような日が続いている。

今朝は早朝から、朝の陽射しが差し込んで、雨上がりの庭を照らしている。

日中は晴れ時々曇り、明日は快晴と予測され、
いずれも28度前後の晩夏の名残りのような日を迎える。

そして週末になると、雨時々曇りが予報されている。

古人達は暑さ寒さは彼岸まで、と云っていたが、
一雨ごとに秋に向っていく樹木、草花、そして微風を受ければ、
心までが実感できる。

日本列島に多くの災害を与えた台風は、
北海道の付近の日本海の海上を北上しているが、
この付近にお住まいの方達に災害が少なければ・・と思って、初秋の空を見詰めている、

・・】

この年は台風の襲来が多かったのかしら、と思いを馳せたりしたが、
今から三年前のことは無念ながら忘れ去っているのが本音である。



そして同じ9月19日の昼前に、
【 子供を怒るとき・・♪ 】と題して、投稿している。

【・・
昨今、子供を虐待し、最悪の場合は死に至らしめる、と不幸なニュースを読んだりしている。
ここまでは極端なケースでなく、子供のいたずらなどに対して、
親としての対処方法である。

私達の時代はどのようだったのかしら、思い返している・・。

私は昭和26年の春、小学校に入学した身であるので、
その頃の時代を思い浮かべていただければ幸いである。

長兄、次兄に続いて私が生を受け、私の下に妹が生まれた。

私が3歳前後の幼児の時、初めての女の子に家族はひととき溺愛した。
三男坊の私は、私をかまってくれない空気を幼児なりに、察して素直さが失われた。

夕食時、妹がスプーンを使ってご飯を食べていた。
『俺も・・匙(さじ)で食べたい・・』
と私は母に言った。

傍にいたいた父が、私の襟をつかみ、食事処から裏玄関に連れて行き、
私は外に放り出された。

私は泣きながら、暗くなった母屋の周辺を歩き廻った。

1時間すると、母が裏玄関から入れてくれた。

私の幼年期は、いじけた可愛げのない子供であり、
いたずらをした時、親の言うことがきけない、そして挨拶ができない時など、
父は小学2年の冬に死去されたが、亡くなる半年前までの幼年期はよく怒られた。
母屋の前の庭の外れにある蔵に、放り込まれたりした。

私が成人した頃は、東京オリンピックの開催の時代、
近所の若き奥さんと立ち話をした。
『うちの上の女の子・・言うこときかなかったから・・
和室の押入れに1時間位・・入れたわ・・』
と私に言った。

最近、マンションに住まわれる奥さんと話をしたりする。
『うちの子・・空のお風呂場に入れてしまうの・・』
と私に言った。

私が庭先に下り立つと、ときおり遠くから女の子の泣き声が聴こえたりする。
『ママ・・もうしないから・・』
と泣き声まじりで訴えたりしている。

子供のしつけは、学校の先生ではなく、両親と思っている。

私は子供に恵まれなかったが、果たして子供がいたならば、
どのようなしつけをしたのか、苦笑せざるを得ないでいる。

・・】

子供を育てる時、過度なしつけ、或いは虐待のような社会ニュースを視聴し、
憂いながら、果たして私の幼年期には程ほどのしつけが、
両親とか近所の小父さん、小母さんからも健全な精神で行われたりしていた。
こうした思いを重ねて投稿していたのである。



2005年9月19日の朝7時過ぎに、
【 秋晴れの日・・♪ 】と題して、ほんのわずかで投稿している。

【・・
本日も秋晴れの一日が始まる。

庭の手入れに日中は最適と思え、これから草むしりと枝の剪定をする。

・・】



そして同じ9月19日の昼過ぎに、
【 鈴虫の憩いの場所・・♪ 】と題して、投稿している。

【・・
午前中、玄関庭の手入れをした。

草むしりと枝の剪定をしたが、草むしりの一部は残した・・。

鈴虫の憩いの場所を確保したつもりである。

朝のひととき、秋の夜長に欠かせないからである。

今はけだるいので、この後に本を読み、昼寝をする。

・・】



そして同じ9月19日の夜の10時過ぎに、
【 秋の宵には・・♪ 】と題して、投稿している。

【・・
秋晴れの日が、東京の郊外では続いている。

やはり朝夕は涼しくなり、日本酒も冷酒とお燗もすることなく、常温のまま呑める時季となった。

月を眺め、物思いにふけるに相応しい夜になります。

・・】

この年(2005)の頃は、私がブログの世界を知り半年を過ぎた頃である。
この中のひとつ【goo簡単ホームページ】に投稿するのが、
何よりの楽しみであった。
この日は午前中に庭の手入れをする前後、そして夜・・短く三回ばかり投稿していた。
恥ずかしいことを告白すると、この【goo簡単ホームページ】に於いては、
私はベスト30位前後であったので、
この日もこのランキングを意識して投稿したのが本音であった。


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過ぎ去りし、定年後の私の9月19日の思いは・・♪  【上】

2009-09-20 06:24:52 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
昨日の午前中は年に一度の健康診断を総合病院で受診後、
帰宅して、遅い昼食後を頂いた後は梯久美子・著の『昭和の遺書 ~55人の魂の記録~』(文春新書)を読んだりしていた。

夜の9時過ぎに玄関の軒下で夜風に身をゆだねて、
煙草を喫ったりしていると、花梨(カリン)の実がゴルフボールより大きめがたわわになって、
夜風を受けて揺れていた。

私は毎年少しばかり剪定をしたり、周辺を草むしりする程度であるが、
今年は台風の影響もなく、百ぐらい実っているので微苦笑をしたのである。

この花梨の樹木は、私が実家の近くに家を建てたのは昭和53年の春であり、
その年の入梅の時季に公園の外れにあった園芸店で、
白い花が咲く梔子(クチナシ)の樹と一緒に購入したのである。

共に幼木で、数年後に少しばかり成長したので、梔子(クチナシ)の樹と花梨(カリン)の樹も移植したのであるが、
梔子(クチナシ)の樹は深植えせいか失敗し、花梨(カリン)の樹だけは驚くほどに成長し、
ときには大幅に剪定をしたりしてきた。

この花梨の実は、晩秋の勤労感謝の日の前後に、香ばしい匂いの黄色く大きな実をもいで、
ご近所の方が、できたら、と言われ差し上げたり、
我が家では蜂蜜入り、家内の母に砂糖漬けを要望されているので、家内が台所で数日かけて作ったりしている。

私は何にもしないのに百ぐらいなっている実を眺め、
これだったならば収穫の時は半分ぐらいは採れるかしら、と思ったりしたのであるが、
たんたんと毎年実の成る果樹に何かしら圧倒される思いで居間に戻ったのである。


この後、私はこの時節、定年後の生活はどのように過ごしてきたのか、
と漠然と思いながら、このサイトを開いたりした・・。



昨年の9月19日の朝には、
【 この1週間、台風13号に惑(まど)わされ・・。 】
と題して、投稿をしていた。

【・・
東京郊外に住む私は、年金生活をして4年生となり、
NHKのニュースと天気予報は、殆ど毎日視聴している。

1週間前頃から沖縄諸島に台風13号の影響で、暴風と知ったが、
お住まいになられる方は被災は最小限にと思い、天気予報を視聴していた。

この後、ゆったりと停滞もしながら、北上しているのである。

私は身勝手ながら、これは困った、という思いであった。

台風はこの時節は毎年到来するが、
できうれば日本列島の海上を3、4日で通過し、陸地には程々の雨をもたらし、
漁業関係者、海上保安に携わる方たちは海上警報に注視し、
通過を願うのが、私の思いである。

関東地方の南部に於いても、
この1週間は台風13号と北上の強い偏西風の影響で、
快晴の1日を除き、小雨が降ったり、止んだりしている日々であった。

私は傘を差しながら、買物と散策をした後、
殆ど読書をしていることが平素より多くなっている。

そして、テレビを視聴しながら、
台風13号で被災された地域、お住まいの方たちには、
大変お気の毒です、早く平常の生活に戻れますように、しか言葉が出ない無力な身である。
・・】


この投稿を読みながら、今年は今の時点に於いては、
私の住む街は台風の影響は少なく、雨が数日降った程度である。


そして、同じ昨年の9月19日の夕方には、
【 40数年ぶりに、瀬戸内寂聴の小説を読みだし・・♪ 】
と題して、投稿をしていた。

【・・
私は昨日の午後より、瀬戸内寂聴・著の『秘花』(新潮社)を読み始めて、
本日のひとときも読み、第四章の数ページで、小用の為にやむえず中断している。

私は民間会社を定年退職後、年金生活の身で、もとより能の素養がないが、
中世で能の大成者と知られいる世阿弥に興味を持ったのは、
東京オリンピックの頃からであった。


8月の初旬に3泊4日で、佐渡島に滞在旅行をする前、
瀬戸内寂聴・著の『秘花』を遅ればせながら本屋で購入したが、
あえて私なりの流刑となった世阿弥の佐渡の時代を思いを馳せたく、
未読としていたのである。


私は東京オリンピックの開催された頃、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしていた。

この当時の頃、瀬戸内晴美の『夏の終り』を読み終えて、
友人らに絶賛したりし、初期の作品の『女子大生・曲愛玲』、
『花芯』などの短編小説集を読み耽ったりしていた。

この後、『女徳』などで大衆文学を精力的に発表された後は、
私は瀬戸内晴美の小説から離れた。

私が25歳から民間会社に中途入社した後、
『美は乱調にあり』を本屋の店頭で見かけたが、
タイトルの命名に魅了されたが、購入する意志はなかったのである。

その後は、瀬戸内晴美は仏門に入った、と月刊総合雑誌などで知り、
私は有数の小説家なのにどうした心境なのか、
と思ったりしていた。
そして、のちに晴美から寂聴と改名され、
私は少し寂しさを隠し切れなかったのである。


私は平成16年の晩秋に民間会社を定年退職をし、年金生活に入った頃は、
瀬戸内寂聴ご自身は、既に20年近く法話などされて、賞賛された人となり、
稀(ま)れな著名人となっていた。

私の年金生活は、身過ぎ世過ぎの日常であるが、
小説、随筆、現代史、歴史書などを読む時間を優先としているので、
本屋に寄ったり、ときおり古本屋を訪ねたりすることが多いのである。

数年前、本屋の店頭で、
水上 勉との対談集『文章修行』(岩波書店)を見かけ、購入し、
両氏の純文学の深い思いに、思わず涙を流したのである。

その後、石原慎太郎との往復書簡の『人生への恋文』(文春文庫)を読み終え、
瀬戸内寂聴の人生の軌跡を改めて知った上、日常の思いも知り、
数多くの人生の機敏を学んだのである。


ただ、このお方の真摯な数多く発表された中期、後期、そして近年作の小説は、
私は本の愛好家のひとりとし、無念ながら未読となっている。

尚、このお方の真摯な『秘花』を拝読を終えた後は、
単なる感想文でなく、大人の評論を掲載する予定である。

・・】


確かに昨年の8月の初旬に3泊4日で、佐渡島に滞在旅行したが、
世阿弥の佐渡の時代を思いを馳せながら、
瀬戸内寂聴・著の『秘花』の作品を重ねていた時期だった、
と私は独りで苦笑したりしたのである。



一昨年(2007)の9月19日には、
【 私の定年退職後の現実は・・♪  】
と題して、投稿をしていた。

【・・
10月を迎えると、私は民間会社を定年退職後、丸3年となる。

ときおり、退職前の時期で予測したこと、
そして現実に過ごしてきた生活を振り返ったりすることもある・・。

現役時代は、時間が勝負、と思っていた。
ある程度の年収を得れば、責務と権限が伴うので、
定例業務は素早く終わらせ、改善策を色々と思考し、具進したりしていた。

これらに伴い、与えられる業務量は増したので、睡眠時間を削り、
ときには徹夜をいとわないで、勤務していたりした。

どなたでも同じと思われるが、会社の駒(こま)のひとつ、と空(むな)しさと感じたこともあり、
或いは達成感の喜びもあったりしてきた。

そして、自分の敵は自分である、という思いで、長年勤務をしてきた。

こうした理由もあり、定年退職の数年前から、
せめて退職後は、自分の好きなことで、時を過ごしたい、と切実に思ったわけである。


退職後の無職の年金生活は予定通りであった・・。
昭和19年に生を受けた私は、
満62歳を過ぎる2年間は報酬比例部分としてほぼ満額の6割弱で、
現在は満額を頂き、生活の基盤としている。

我が家は生活の諸経費は満額となった年金でまかない、
旅行費、思いがけない経費は多少の貯金を取り崩して生活している。

これらは退職前の想定どおりでにあり、
年金生活で時間が自由の身であるが、それなりに自身の趣味の世界で忙しいのである。

国内旅行は私達夫婦の共通の趣味であり、四季折々、各地を訪(おとず)れている。
私が予想外としては、家内が祭り好きなので、地方の祭りを観たりしている。
そして温泉滞在は3泊4日程度は予期していたが、
これ以上の滞在が多い時もあったりしている。

旅行はあくまで非日常生活なので、
月の大半を過ごしている肝要な日常生活に於いて、
予測していたことと差異があり、微苦笑をしたりしている。

私は文章を綴ることが好きなので、
電子メール、或いはホームページを開設する予定であったが、
退職後まもない時に、ブログの世界を知り、これ以上最適なことはないと思い、
ほぼ毎日投稿し、生きがいのひとつとなっている。

買物と庭の手入れは、家内との約束で実行しているが、
買物と散策などで、平日の日中の時間を知り、社会を知る上で、いろいろと教示させられた。

庭の手入れに関しては、退職前の構想として、
樹木、草花の春夏秋冬のそれなりのイメージがあったが、手抜きが多いのが実態である。

映画鑑賞はビデオ・テープ、DVDの保管棚から居間で観よう思っていたが、
ときおり観る映画は圧倒的に1960年代前後が多いので、苦笑している。

音楽はカセット、CD、DVD等で視聴しているが、
何故かしら敗戦後から2000年の頃までの曲を聴くことが多い。

テレビを視聴するのは、ニュース、天気予報ぐらいであり、
ときたまドキュメンタリーの番組を観る程度である。

読書に関しては、新聞をゆっくりと精読するのは予定通りであったが、
興味ある小説、随筆、歴史書、現代史などを高校性以来読み続けている。

散策、買物の折、本屋に寄ることが多く、新刊本、文庫本、雑誌を問わず購入したり、
ときには古本屋に寄ったり、或いは所有している本を再読したりしている。

著作者の導きで、私のつたないなり思考でその世界に思いを馳(は)せたりするのが好きなので、
日中のひととき、或いは夜、布団にもぐり寝付くまで活字文化にふれるのである。


何より日常生活で教えられたのは、
玄関庭、主庭の四季折々の陽射しのうつろいであった。

平日の静寂なひととき、朝方、昼下り、夕暮れ、と移ろう情景に、
私は独り見つめて享受している。

・・】

この時は、定年退職後の3年を迎える寸前であり、
私はまもなく丸5年となるが、こうした思いは余り変わらない。
数多くのサラリーマンと同様に多忙な現役時代を過ごしてきたのであるので、
《・・何より日常生活で教えられたのは、
玄関庭、主庭の四季折々の陽射しのうつろいであった。

平日の静寂なひととき、朝方、昼下り、夕暮れ、と移ろう情景に、
私は独り見つめて享受している。》
こうした思いを深めている。

そして、ともすれば年金生活は自由な時間となり、だらけた時を過ごすのは、
残された人生を粗末にするので、と自戒をしたりしている。

                              《つづく》





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