私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
政治にも疎(うと)い身であるが、つたない私でも政治の政局が激動した時、
ときおり開いて読む本がある。
何かしら肝要の政権与党の民主党の内部で、権力闘争が激しく露呈した上、
野党の自民、公明、たちあがれ日本の3党が提出した菅内閣不信任決議案に、
一部の民主党の議員諸兄諸姉が同調する、と朝のニュースで知ったりした。
もとより東日本大震災、福島原発に寄る国難の時、
多くの国民の心情を無視したかのような状況に、困ったなぁ、と私は苦笑したりした・・。
何より国政が不安定となり、悪化すれば更に日本の混迷期となるので、
無力な私は憂(うれ)いているのである。
こうした時、私の書棚から一冊の本を取り出して、開いたりしている。
水木 楊(みずき・よう)・著の『2025年 日本の死』(文藝春秋)であり、
1994(平成6)年2月に発刊された単行本である。
この本の帯には、
《 あと30年で日本という国家は消滅する
迫真の近未来シミュレーション 》
と大きく掲げられている。
著作者の水木 楊(みずき・よう)氏は、1937年(昭和2年)生まれで、
日本経済新聞社で各部署を歴任し、この本を発表された当時は、取締役・論説主幹である。
私は氏の著作の本は、1990(平成2)年頃から3冊ぐらい愛読していた身なので、
この本も発売日に購入し、精読したひとりである。
『2025年 日本の死』の概要は、1995(平成7)年頃からの日本の状況を予測し、
社会動向を織り交(ま)ぜて政治の基軸がないまま、
党利党略ばかり不安定期な時期となり、長い混迷期となった後、
やがて国際社会からも取り残され、悲惨な衰退となる、30年間を明示している。
私は今回のような政局の昏迷を深めた時、ときおり私が開き、
幾度も読んできた一冊の本であり、
著作者が少なくとも1994(平成6)年以前に予測されて綴られているが、
昨今の状況でも決して色あせず、数多くのことが近似しているので、
何かと私は教示を受けている。
政権与党の民主党、野党の自民党、公明党・・、国家議員の諸兄諸姉はもとより、
国民の多くが読んで頂きたい、と思っている。
何よりも国政の不安定の末、混迷を深めて、日本が衰退するのは、
一番困り果てるのは、国民ひとりひとりであることは、いうまでもないことである。
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ときおり開いて読む本がある。
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野党の自民、公明、たちあがれ日本の3党が提出した菅内閣不信任決議案に、
一部の民主党の議員諸兄諸姉が同調する、と朝のニュースで知ったりした。
もとより東日本大震災、福島原発に寄る国難の時、
多くの国民の心情を無視したかのような状況に、困ったなぁ、と私は苦笑したりした・・。
何より国政が不安定となり、悪化すれば更に日本の混迷期となるので、
無力な私は憂(うれ)いているのである。
こうした時、私の書棚から一冊の本を取り出して、開いたりしている。
水木 楊(みずき・よう)・著の『2025年 日本の死』(文藝春秋)であり、
1994(平成6)年2月に発刊された単行本である。
この本の帯には、
《 あと30年で日本という国家は消滅する
迫真の近未来シミュレーション 》
と大きく掲げられている。
著作者の水木 楊(みずき・よう)氏は、1937年(昭和2年)生まれで、
日本経済新聞社で各部署を歴任し、この本を発表された当時は、取締役・論説主幹である。
私は氏の著作の本は、1990(平成2)年頃から3冊ぐらい愛読していた身なので、
この本も発売日に購入し、精読したひとりである。
『2025年 日本の死』の概要は、1995(平成7)年頃からの日本の状況を予測し、
社会動向を織り交(ま)ぜて政治の基軸がないまま、
党利党略ばかり不安定期な時期となり、長い混迷期となった後、
やがて国際社会からも取り残され、悲惨な衰退となる、30年間を明示している。
私は今回のような政局の昏迷を深めた時、ときおり私が開き、
幾度も読んできた一冊の本であり、
著作者が少なくとも1994(平成6)年以前に予測されて綴られているが、
昨今の状況でも決して色あせず、数多くのことが近似しているので、
何かと私は教示を受けている。
政権与党の民主党、野党の自民党、公明党・・、国家議員の諸兄諸姉はもとより、
国民の多くが読んで頂きたい、と思っている。
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一番困り果てるのは、国民ひとりひとりであることは、いうまでもないことである。
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