作家・三浦朱門の最新作のエッセイ『老年のぜいたく』(青萠堂)を、
昨日、本屋で偶然に見かけ、購読した。
http://www.seihoudo.com/zeitaku.html
☆【青萠堂ホームページ】<== 三浦朱門(みうら・しゅもん)氏の著作『老年のぜいたく』☆
私は三浦朱門氏の作品は殆ど読んでいなく、
ただ『第三の新人』グループの作家のひとりであることぐらいは知っている。
もとより1953年から1955年頃にかけて文壇に登場した純文学の新人小説家を、
第一次戦後派作家・第二次戦後派作家に続く世代として、『第三の新人』と評論家・山本健吉が命名された。
そして小島信夫(1915年、生まれ)、島尾敏雄(1917年)、小沼丹(1918年)、近藤啓太郎(1920年)、
安岡章太郎(1920年)、阿川弘之(1920年)、庄野潤三(1921年)、遠藤周作(1923年)、
吉行淳之介(1924年)、三浦朱門(1926年)、曽野綾子(1931年)等の作家がいる。
私は東京オリンピックが開催された1964年に、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事を4年ばかりした時、
『第三の新人』の作家としては、特に阿川弘之、庄野潤三、遠藤周作、各氏の作品に圧倒的に魅了させられ、
精読したひとりである。
映画・文学青年の真似事を挫折し、これ以降サラリーマンを35年ばかり務めている間も、
この3氏などの作品は愛読者として読んだりしてきた。
三浦朱門氏の作品に関しては、筑摩書房が日本文学のシリーズとして、
『筑摩現代文学大系』の81巻で三浦朱門、三浦哲郎、立原正秋の三氏が収録され、
確か1980年に読んだ記憶がある。
そして三浦朱門、曽野綾子、遠藤周作の三氏に寄る『まず微笑』(PHP文庫、1988年)を最近読んだりしたが、
この作品集の原題は『愛のあけぼの』(読売新聞社、1976年)と記載されている。
ここ10年ぐらいは、氏のエッセイを月刊総合雑誌の『文藝春秋』、
季刊雑誌『文藝春秋SPECIAL』などで読んだりしている。
このように私は、三浦朱門氏の小説、エッセイは、わずかに読んだ程度である。
本書は氏の優(すぐ)れたユーモアを根底に、氏のこれまでの人生の軌跡をくまなく発露され、
そして今日の85歳の心情を綴られたエッセイである。
タイトルに掲げられた『老年のぜいたく』は、
《・・
ゼイタクというのは、物と人を思うさまに使える、といったことでなく、
日常生活の生き方、つまり一切の行動の行き方、つまり一切の行動が自由であり、
一瞬、一瞬を充足して生きることができる、といったことであろう。
老人にはそんな生活が期待できるであろうか。
できる。
・・》
注)本書の11ページ。
原文にあえて改行を多くした。
このような命題を掲げて、具体的な言動を余すところなく発露される。
私は圧倒的に魅せられた箇所は、
《・・
結婚生活を主とする第二の人生の領域が、第一の人生のそれを圧倒するに及んで、
結婚は第二の人生の中心になる。
その意味で配偶者は生涯の伴侶なのである。
結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。
包み紙を問題にして離婚する人は気の毒というより仕方がない。
・・》
注)本書の21ページ。
原文にあえて改行を多くした。
特にこの中のたった一行、
《 結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。》
私は66歳の身であるが、5分ばかり心の中でどよめき、うなった人生のまぎれない哲学である。
こうしたことを初めとして、数多く紹介したいが、後は本書をお読み願いたい。
尚、本書は大人の諸兄諸姉にお読み頂きたく、
特に40歳以上の方たちには、たとえ睡眠時間を削ってでも、
これからの確かな人生の教科書のひとつ、と私は確信を深めている。
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私は三浦朱門氏の作品は殆ど読んでいなく、
ただ『第三の新人』グループの作家のひとりであることぐらいは知っている。
もとより1953年から1955年頃にかけて文壇に登場した純文学の新人小説家を、
第一次戦後派作家・第二次戦後派作家に続く世代として、『第三の新人』と評論家・山本健吉が命名された。
そして小島信夫(1915年、生まれ)、島尾敏雄(1917年)、小沼丹(1918年)、近藤啓太郎(1920年)、
安岡章太郎(1920年)、阿川弘之(1920年)、庄野潤三(1921年)、遠藤周作(1923年)、
吉行淳之介(1924年)、三浦朱門(1926年)、曽野綾子(1931年)等の作家がいる。
私は東京オリンピックが開催された1964年に、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事を4年ばかりした時、
『第三の新人』の作家としては、特に阿川弘之、庄野潤三、遠藤周作、各氏の作品に圧倒的に魅了させられ、
精読したひとりである。
映画・文学青年の真似事を挫折し、これ以降サラリーマンを35年ばかり務めている間も、
この3氏などの作品は愛読者として読んだりしてきた。
三浦朱門氏の作品に関しては、筑摩書房が日本文学のシリーズとして、
『筑摩現代文学大系』の81巻で三浦朱門、三浦哲郎、立原正秋の三氏が収録され、
確か1980年に読んだ記憶がある。
そして三浦朱門、曽野綾子、遠藤周作の三氏に寄る『まず微笑』(PHP文庫、1988年)を最近読んだりしたが、
この作品集の原題は『愛のあけぼの』(読売新聞社、1976年)と記載されている。
ここ10年ぐらいは、氏のエッセイを月刊総合雑誌の『文藝春秋』、
季刊雑誌『文藝春秋SPECIAL』などで読んだりしている。
このように私は、三浦朱門氏の小説、エッセイは、わずかに読んだ程度である。
本書は氏の優(すぐ)れたユーモアを根底に、氏のこれまでの人生の軌跡をくまなく発露され、
そして今日の85歳の心情を綴られたエッセイである。
タイトルに掲げられた『老年のぜいたく』は、
《・・
ゼイタクというのは、物と人を思うさまに使える、といったことでなく、
日常生活の生き方、つまり一切の行動の行き方、つまり一切の行動が自由であり、
一瞬、一瞬を充足して生きることができる、といったことであろう。
老人にはそんな生活が期待できるであろうか。
できる。
・・》
注)本書の11ページ。
原文にあえて改行を多くした。
このような命題を掲げて、具体的な言動を余すところなく発露される。
私は圧倒的に魅せられた箇所は、
《・・
結婚生活を主とする第二の人生の領域が、第一の人生のそれを圧倒するに及んで、
結婚は第二の人生の中心になる。
その意味で配偶者は生涯の伴侶なのである。
結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。
包み紙を問題にして離婚する人は気の毒というより仕方がない。
・・》
注)本書の21ページ。
原文にあえて改行を多くした。
特にこの中のたった一行、
《 結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。》
私は66歳の身であるが、5分ばかり心の中でどよめき、うなった人生のまぎれない哲学である。
こうしたことを初めとして、数多く紹介したいが、後は本書をお読み願いたい。
尚、本書は大人の諸兄諸姉にお読み頂きたく、
特に40歳以上の方たちには、たとえ睡眠時間を削ってでも、
これからの確かな人生の教科書のひとつ、と私は確信を深めている。
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