夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

6月19日の日曜日は、『父の日』に際して、少なくとも感謝を込めて、ねぎらいの言葉を・・。

2011-06-11 22:48:39 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ一週間、新聞の折込チラシの中で、デパート、スーパーなどの多くは、
来る19日の日曜日の『父の日』に際して、贈り物の商品が掲載されている。

私達夫婦は子供に恵まれなかったので、こうした贈り物に関して、
微苦笑しながら、見たりする時する時もある。


先ほど、ネットでも、ささやかな感謝の贈り物のニュースとして掲載され、
私は微笑みながら読んだりした。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110611-OYT1T00637.htm
☆【YOMIURI ONLINE】《 「父の日」健闘!スーパークールビズが追い風 》☆


私の父は、私の小学2年の時に病死され、
家内の父は、私のサラリーマン定年退職の直前に他界されたので、
私共の家族は、『父の日』には無縁となった。

こうしたことで、私は父親の資格もく、語る資格もないが、
何かしら父親が存命している、ご愛息(あいそく)・ご愛嬢(あいじょう)に、
切にお願いをしたいことがある・・。


子供の立場として、男の子の場合は幾つになっても『母』を優先に感謝し、
『父』は何かと二の次になることが多いと思われる。

特に成人した頃からは、父親が現役で奮闘している場合は、
何かとライバル視する傾向が多く、素直な親子の心情のふるまいや会話ができなく、
父が高齢者になり、しぐさが衰えたり、或いは死去されて、
初めて父親が家庭を守る為に、孤軍奮闘してきた長年の言動に感銘をする、
と私は友人らから聞いたりしている。


女の子の場合も『母』を日頃から何かと重視しがちであり、
父親からすれば、自身の妻よりも遥かにご自分の娘がこの世界で一番可愛い、
と多くの知人から聞いている。

こうした心情、情念もさることながら、
未成年、成人した子供を問わず、たとえプレゼントする品がなくとも、
『お父さんのお陰で・・』と何かしら感謝の言葉を、
父親に労(ねぎら)いの一言を切に願っている。


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この一粒の錠剤を服用すれば、睡眠時間はわずか一時間に圧縮され、心身も満足される薬は、と妄想して・・。

2011-06-11 14:42:24 | 定年後の思い
私は定年退職後、私は念願の年金生活を始めて、
日常は買物、散策などの時、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしているので、一日が終るのが早い、と溜息をついたりすることが多い。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。

このような生活をしているが、私は血液型がB型のためか、
ときには、この世の中の常識から、はなはだ逸脱することも妄想することもある・・。


先ほど、ぼんやりと霧雨の降る小庭にある樹木を眺めたりしていた時、
古今東西、長き歴史から、人類の殆どの人たちが、7時間前後の睡眠時間を要してきたが、
ビタミン剤のような錠剤で、たった一錠を服用すれば、
わずか一時間で充分に脳裏も心身も満足する、薬は出来ないかしら、と妄想を重ねた・・。

このような桁外れの錠剤が商品化が出来たならば、
人類史上に於いて画期的なことなので、
まちがいなくノーベル賞の三つぐらいは、受賞対象にに選出される、
と確信を深めたりしている。

もとより一日は24時間である、と天上の神々から定められているので、
たとえローマ帝国時代のユリウス・カエサル、
ここ数百年に於いては、一時期ヨーロッパを制覇したナポレオン皇帝、
或いは中国人民共和国の毛沢東主席、
アメリカのケネディ大統領・・古今東西の偉人も、
この鉄則に采配されて、それぞれの時間をやりくりしてきたのである。

たった一時間で睡眠が満足する錠剤が開発されたならば、
世界の歴史は大幅に変貌したかしら、と私は微笑んだりした・・。


ときおり私は、このような馬鹿げたことを発想する悪い癖があり、
少しボケが増してきたか、とも思ったりしている。


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若尾文子さんは、つたない私の人生で、初めて『ときめき』を感じた女性であり・・。

2011-06-11 09:30:26 | 定年後の思い
昨今、家内はNHKの朝の連続ドラマ『おひさま』を毎回のように視聴している。
居間にあるテレビで観ているので、
居間の中央の窓辺に私の机があり、私は新聞を読んだり、パソコンに触れたりしているので、
このドラマの声が聴こえてしまう・・。

いつの日だったか忘れてしまったが、
艶(つや)やかな特有の声が聴こえてきたので、
『わかお・あやこ・・さんかしら・・?』
と私は感じ、ドラマの終了後に、家内に訊(たず)ねた・・。

このドラマでナレーション、そして戦争前後がドラマの中心で進行し、
この中のヒロインを当時を回想する形で現代のヒロインを演じている、
と家内は私に教えてくれた。

この時以来、何故かしら私は若尾文子さんに気になり、
微苦笑したりした。

そして、このドラマの若尾文子さんを観た時、
私は少年期の頃を思いだされた・・。


私は東京の郊外の調布市で、1944(昭和19)年の秋に農家の三男坊として生を受けた。

祖父、父は、長兄、そして次兄が生まれ、三番目は女の子を期待していたらしく、
三番目も男の子かと戸惑っていたと思われる。
そして私の数年後に妹が生まれたので、
幼児の私は、何となくいじけた可愛いげのない児であった。

私のおぼろげな記憶をたどれば、
私が最初に映画を観たのは、1951(昭和26)年の春に小学校の入学前、『長崎の鐘』だった、
と思い返している・・。

この頃は、ラジオからこの主題歌が流れていて、
私の幼児なりに、物悲しさを感じ、涙を浮かべたりしていた。

近所のお寺の境内で、隅にスクリーンが張られ、
夜のひとときを上映してくれた。
私は母に連れられ、近所の方達と共に立ちすくんで観た。
この頃は娯楽が少なく、こうした映画を無料で観られるのは、
稀(まれ)であったので、盛会だったと記憶に残っている。

帰宅の途中、母に手を引かれて歩いていた時、
夜空の銀河の天の川が綺麗であり、
年を重ねた66歳の今の私でも、あのような満天の煌(きらめ)いた星空は一期一会であった。

これ以前に観た映像作品は、祖父が自宅で近所の人達を集めて、
幻灯機で『母をたずねて三千里』を観たのが、幼児なりに記憶があった。

私が小学校の4年頃になると、
映画館に独りで行き、東映の時代劇の3本立ちをたびたび通いはじめた・・。
『里見八犬伝』、『笛吹童子』、『紅孔雀』等であった。

母より100円を頂き、映画の入場料が子供40円で、電車の往復は10円であり、
帰路の街の中華店でラーメンが35円だったので、たびたび食べたりした。
そして、映画館の売店で残りの15円で都こんぶ等を買えたりした。

この映画館は翌週になると大映映画を二本立てで上映していたので、
予告編も上映されていた。

山本富士子、京 マチ子は私にとっては、大人の人すぎて興味がなかったが、
何故かしら若尾文子、川上康子、八潮悠子を観たりすると、
都会の綺麗なお姉さんと感じたり、まばゆい文化にふれて、
子供心にため息をしたり、ドキドキしたりした・・。

そして特に若尾文子には、色っぽい女の人、
と私の人生で最初にときめいた人である。

このような映画に熱中しはじめ、
中学、高校も相変わらず映画館に通いつめ、
やがて私は大学を中退し、映画青年の真似事まで一時的に過ごしたりした。


余談であるが、私の女性の魅了される容姿は、絣(かすり)を召した人、
或いはワンピース、ツーピース、ブラウスとスカートの洋装、
このような秘かなこだわりが、この若尾文子、川上康子、八潮悠子さんを観た頃から私は芽生え、
昨今でも、変らない思いでいることは確かである。


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