夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『書くことの孤独と不安』、古き新聞記事のひとつにあり、創作者をめざす人々に教訓と覚悟・・・。

2011-06-19 21:42:45 | 定年後の思い
私は新聞記事などで、感銘を受けた記事に関しては、茶色の整理箱に入れる習慣があり、
先ほど、たまたま開いて、一番奥底にあった記事のひとつを読んだりしていた。

そして、これから創作者をめざす人々に、
教訓と覚悟、そして自戒を提示させる名文である、と私は改めて深く感じたりした・・。

2005年8月19日の読売新聞の夕刊に掲載されていた記事であり、
文化部の鵜飼哲夫・記者が綴られている記事で、
『書くことの孤独と不安』と題している。

無断であるが、創作者をめざす人々に学んで頂きたく、あえて転記させて頂く。

《・・
「夫婦で小説を書くなんて、地獄だなあ」
若き日の吉村 昭さんと津村節子さんに、
痛ましそうな表情でそう言ったのは、作家の八木義徳である。

学習院の文藝部時代に知り合い、結婚した二人が、
いずれも作家として芽が出ず、
津村さんが
「書いても書いても波が消し去る砂絵のようにあてどない努力」を
していると感じていたころだった。

吉村さんは、芥川賞を4回落選。
津村さんは、3度直木賞を落ち、
1965年、2度目のノミネートで夫の取れなかった芥川賞を
37歳で受賞する。

夫婦の葛藤がいかなるものだったか。
吉村さんの著作『私の文学漂流』などでいくらか知っていたが、
このほど完結した『津村節子自選作品集』(岩波書店、全6巻)の
最終巻に収録された書下ろし『私の文学的歩み~遙かな光』を読み、
そのすざまじさに改めて息をのんだ。

1961年、津村さんの書く少女小説で、
なんとか生活ができるようになった時、吉村さんが勤めをやめ、
作家専業になった。
未熟児で生まれた娘を抱え、不安はあったが、
津村さんは
<彼の焦慮は、私のものでもあり、反対はできなかった>
と書いている。

しかし、それでも芽が出ぬ夫は2年後、
「俺は君の厄介になるのに疲れた」と、
再び働くと言い出す。

これに対して津村さんは
<疲れたのは、こちらのほうだ、と私は言いたかった。
「女房に稼がせて、悠々と自分の書きたい物を書いている俺を、
腹立たしく思っているのだろう」
彼は私の心の中を見通していて、反論できなかった。
軀の中を、野分が吹き抜けて行く様な気がした>
と書いている。

津村さんの芥川賞の翌年、
吉村さんは太宰治賞を受け、その後は読売文学賞など数々の賞に輝き、
二人は今、芸術院会員である。

しかしこの文章は、功成り名遂げた作家の安隠な回想ではない。
津村さんは、今も無名時代のように、書くことへの不安があるのだ。
<私はよく夜中にうなされてうめき声を出すらしく、
吉村に起こされる。
遙か海面に光が見えている深い海の中にいるような気持ちは、
今も続いている>
と記している。

松本清張も、晩年まで自作の出来を気にし、編集者に、
「面白い?」
と何度も聞く作家だった。

その清張を師と仰ぐ宮部みゆきさんも
「一作、一作ゼロからの出発ですから、不安なんです」
と語る。

書くことの孤独を思う。
それが文章を鍛えていくのだろう。
孤独の深さの中で、彼等が探り当てる日本語は、
読者の心を揺さぶる。
・・》
以上が全文である。

これから創作者をめざす人々には、
これ以上の教訓と覚悟、そして自戒はないと思われる。

私は、創作者もさることながら、
たとえ野球選手の一流バッターでも、
春先になると、昨年まで三割を打てていたのだが、
今年はちゃんと打てるのだろうか、とそのバッターの心境を私は思いめぐらす・・。

私は、若き日々に文学青年の真似事をして、挫折した私は、
改めて、このようなことを深く感じている・・。

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齢ばかり重ねた私は、この2週間ばかり彷徨(さまよい)ながら過ごし、独り微苦笑を重ねて・・。

2011-06-19 11:07:52 | 定年後の思い
私は定年退職後、私は念願の年金生活を始めて、
日常は買物、散策などの時、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしているので、一日が終るのが早い、と溜息をついたりすることが多い。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。


このような生活をしているが、何故かしら、この2週間は落ち着きを失い、過ごしている。

過日の3日、我が家は遅ればせがら、テレビを『地上デジタル』に対応させた。
私が昨年の秋に魅了されたテレビの改定版の新商品3D機能の50型、
これに対応したハードディスクのあるブルーレイ・レコーダを購入した。

私が悩んでいることは、居間にある映画棚にあるビデオテープのことである。

私は2004年の秋に定年退職した後は、
ゆっくりと映画作品、ノンフィクション作品を鑑賞しようと、
50代の半(なか)ばの頃から、ビデオ販売店で盛んにVCT、DVDを買い求めたり、
或いは『NHK-BS』、5年ぐらい加入した『WOWOW』で、
録画したりしていた結果、専用棚に於いて1000本前後の作品となってしまったのである。

このビテオテープを観るには、
従来から愛用しているビデオテープ・レコーダーを再生専用と配置したが、
これからビデオテープ作品をブルーレイにコーピーして保管するか、
思案しているのである・・。


過ぎし12日、パソコン用の外付けのハードディスクの購入に家電の量販店に行った時、
何気なしにパソコンの新製品の販売コーナーに行き、
洗濯機と同様に耐久商品と確信している家内でも、パソコン買い改めたら、と稀(まれ)な進言もあり、
『ウィンドウズ・セブン』のパソコンを購入することになった。

このパソコンが28日に配達されるので、
私が愛用しているパソコンは『ウィンドウズ XP』であるが、
私はパソコンに関しては、独学で学んできたりしたので、
ときには基本が解からないこともあり、戸惑ったりしながら、苦笑する時もあったりする。

今回、新たなるOSの『ウィンドウズ 7』に際して、
マニアル本を開き、ここは従来の『ウィンドウズ XP』と変っている、と心の中で呟(つぶや)いて、
学び初めたりしている・・。


そして私は愛煙家のひとりであり、煙草(たばこ)をこよなく愛して45年は遥かに超えている。
何故かしら私の脳裏には、煙草が波長に良く、自動車でたとえるならばエンジン・オイルのような役割で、
私には秘かな心身のビタミン剤となっている。

今回の北日本大震災で、煙草(たばこ)の製造主力福島工場も被災となり、
わが愛する『チェリー』の銘柄は、製造中止となり、困惑しているのである。

私は『チェリー』を40年ぐらい愛してきたが、
やむなく煙草販売のする販売店の方と談笑しながら、日本製、外国製のそれぞれの煙草を喫ったりして、
今後の愛煙する銘柄を探し求めているのが、ここ一ヶ月の出来事のひとつである。

私は『定年迷子』には無縁で年金生活を過ごしてきたが、
はからずも『煙草迷子』になるとは、予期しなかったことであり、
苦笑しながら、どの銘柄にすれば私の心身と合致するの、
とため息をすることもある。


このように私は、ここ2週間ぐらいは、平素のペースが崩れている。

昨年まではこの季節になると、下記のように過ごしてきた・・。

雨降る中、紫陽花(アジサイ)、杜若(カキツバタ)と同様に、
下草として植えている雪ノ下(ユキノシタ)が白い花を咲かせる。

この雪ノ下の白い花は、幾つかのかんざしを合わせたかのような可憐な容姿で、
葉は緑色、黄緑色といったように幼い葉は萌黄色の色合いを見せながら、
微風に揺れながらも凛(りん)した気品をたたえている。

主庭の外れに半夏生(ハンゲショウ)を10数本植えているが、
黄緑色した葉の中で、わずか先端の数枚の葉は化粧をしたように白く染めあげられたし、
ほのかな妖艶と感じ受けとめている。

庭の樹木のたわわな葉は、淡い緑色や深緑となり雨粒でしっとりと濡れ、
地表は黒土となり、清々(すがすが)しい情景になる。


我が家では、無念ながら紫陽花(アジサイ)はないので、
買物、散策の時、川沿いの遊歩道の一角、小公園などに立ち寄り、享受したりしている。

淡い紫色、透きとおる青色の色合いが私の好みであり、
小雨が降ったり時、散策の折、偶然に見かけると、
傘を差しながらも、見惚(みと)れてしまい、しばらく独りでたたずんでいる。

この時節、忘れてならない菖蒲の一種の杜若(カキツバタ)は、
底知れぬ美の極致と、思いを寄せたりする。

この梅雨の時節、私なりの散策をしながら、
歴然とした美を享受を受け、齢を重ねるたびに心は深まったりしている。

そして雨の降りしきる中、煙(けむ)るような木立の情景に見惚(みと)れたり、
ここ6年ばかり梅雨の時節は、私なりに秘かに心を寄せている。


この後、少しぼんやりと、水無月に相応しい茶花を思ったりした。
薊(アザミ)、杜若(カキツバタ)、がく紫陽花(ガクアジサイ)等は、
特に魅了される。
そして初夏になると、夏椿(ナツツバキ)、宗旦木槿(ソウタンムクゲ)に待ち焦がれる。

このように私は、この『梅雨』の季節を過ごすことが、平年の習性となっている。


今年はこの季節・・齢ばかり重ねた私は、このように彷徨(さまよい)ながら過ごし、
独り微苦笑をしたりしている。


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