私は一昨日、ノンフィクション作家の佐野眞一(さの・しんいち)氏の最新作の『津波と原発』(講談社)を、
精読したひとりである。
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2170388&x=B
☆【講談社BOOK倶楽部】<==《 佐野眞一・著作『津波と原発』 》☆
本書は本の帯に内容紹介されている通り、
《 日本の近代化とは、高度成長とは何だったか?
三陸大津波と福島原発事故が炙り出す、
日本人の精神
東日本大震災にノンフィクション界の巨人が挑む
三陸に住んでいたゴールデン街の名物オカマの消息
日本共産党元幹部の「津波博士」はどこへ?
正力松太郎・天皇・原発のトライアングル
江戸時代、飢饉で荒廃した地は、陸軍の飛行場を経て、
堤康次郎が土地を買収し、福島原発となった――
『東電OL殺人事件』で東京電力の実相を暴き、
『巨怪伝』では原発を日本に導入した正力松太郎を活写した佐野眞一が、
3・11の真実を描く! 》
このように解説されている。
本書の序文として、『重みも深みもない言葉』と題して、
氏の本書の動機、そしてノンフィクション作家として使命を、まさに渾身で表現されている。
氏が大病後のおもわしくない体調で、あえて本書を書く動機として、
《・・
石原(注・石原慎太郎)や高村(注・高村薫)に限らず、
今回の大災害を論評する連中の言葉には、
被害者たちの沈黙に匹滴するだけの重みも深みもなかった。
事実をして語らしめるのでなく、言葉を空疎に操るだけのこうしたテレビ向きの評論家は、
世の中の騒ぎが少し落ち着いたらきょろきょろとあたりを見渡して、
きっと際限ないおしゃべりを始めるに違いない。
それ以上に我慢ならなかったのは、
地震直後の関係者の誠実さのかけらもない態度だった。
原発事故を起こした東京電力の釈明会見はまるで他人事のようだったし、
計画停電実施の理由を説明する東電職員の言葉にもまったく説得力がなかった。
(略)
被災地に出掛ける気になったもう一つの理由として、
これほどの大災害を前にして現地を見ずに感想だけを述べるのは、
ノンフィクション作家の資格がないと思ったからである。
被害者はあまりにも激甚な被害に「言葉を失った」。
その沈黙を伝えるには、”大文字”の論評ではなく、
ディテールを丹念に積み上げて”小文字”で語るノンフィクションしかない。
(略)
何も先入観ももたない精神の中にこそ、
小説でも書けない物語が向こうから飛び込んできてくれる。
それが私のノンフィクションの持論であり、いつもの流儀である。
・・》
注)本書の11~13ページから引用。
原文にあえて改行を多くした。
私は佐野眞一氏の著作から、いつも強く感じることは、下記の通りである。
ダイエーの創業者の中内功(なかうち・いさお)氏を描いた、
『カリスマ-中内功とダイエーの「戦後」 』を『日経ビジネス』に連載中、
中内から事実無根として提訴されたが、後に訴えを取り下げらたりした。
注)功・・あて字(正確には、右辺は「刀」であるが、私も変換できなかった)
その後、『東電OL殺人事件』に於いては、
《被告人の無罪説を大胆に展開し彼の不法滞在の罪でさえ擁護する一方で、
被害者のエリート会社員に対しては、先祖代々の系譜から丸裸にし、
売春していた事を公に書くなどの内容が物議を醸した・・》
したりしてきた。
しかしながら、氏が被告人の無罪説を確証するために、
執拗までに懇切丁寧に取材をした思いは、ひとりの映画の脚本家に思いを馳せられる。
脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)氏であるが、
映画の『真昼の暗黒』(1956年=昭和31年)の脚本にあたり、
取材記録を読んだのを重ねあわしたりすることもある・・。
もとよりこの映画は、八海事件で逮捕された青年を冤罪で無罪である、
と確信した製作者、監督、そして脚本家が、
裁判中にも関わらず無罪を確証するために橋本忍(はしもと・しのぶ)氏が、
徹底的に検証をして、脚本にされて映画化された作品である。
その後、1968(昭和43年)に最高裁で、無罪の判決となった。
その上、佐野眞一氏は被害者のエリート会社員に対して、
誰しも人の心の奥に秘そむ深淵まで描きあげたことに、
私は深く心を揺り動かされたのである。
そして当事者の心の深淵を明確にする手法として、
その何代かまで遡(さかのぼ)り、生きた系図を見るように、
生い立ちから成人、その後の軌跡まで時代背景を克明にした上で、明確にし、
当事者の影響を受けた環境はもとより、軌跡はもとより、生活状況、そして心まで明晰される。
こうしたことに圧倒的な思いを、描かれる文章、行間から感じられ、
現世の突出したノンフィクション作家である。
今回の本書も”生きている人”の発露された言葉が、数多くの人たちから明確に描かれている。
たとえば、『嗚咽する”定置網の帝王”』、『日本共産党元文化部長・山下文雄』などは、
当事者の深い心情が圧倒的に思いで伝わってくる・・。
そして、氏の作品の特質として、今回は『原発』もひとつのテーマなので、
なぜ原発が日本にもたらされて、どのように問題を残しながら利用発展してきたか、
時代背景を克明にした上で、多くの人の言動を明確にし、思惑、野望を明晰に表現している。
詳細については、ご興味のある方は、本書を読んで頂きたい。
特に原発の関係する諸兄諸姉はもとより、
少なくとも政治家と自認する諸兄諸姉も”生きた知識”として、読んで頂きたい。
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精読したひとりである。
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☆【講談社BOOK倶楽部】<==《 佐野眞一・著作『津波と原発』 》☆
本書は本の帯に内容紹介されている通り、
《 日本の近代化とは、高度成長とは何だったか?
三陸大津波と福島原発事故が炙り出す、
日本人の精神
東日本大震災にノンフィクション界の巨人が挑む
三陸に住んでいたゴールデン街の名物オカマの消息
日本共産党元幹部の「津波博士」はどこへ?
正力松太郎・天皇・原発のトライアングル
江戸時代、飢饉で荒廃した地は、陸軍の飛行場を経て、
堤康次郎が土地を買収し、福島原発となった――
『東電OL殺人事件』で東京電力の実相を暴き、
『巨怪伝』では原発を日本に導入した正力松太郎を活写した佐野眞一が、
3・11の真実を描く! 》
このように解説されている。
本書の序文として、『重みも深みもない言葉』と題して、
氏の本書の動機、そしてノンフィクション作家として使命を、まさに渾身で表現されている。
氏が大病後のおもわしくない体調で、あえて本書を書く動機として、
《・・
石原(注・石原慎太郎)や高村(注・高村薫)に限らず、
今回の大災害を論評する連中の言葉には、
被害者たちの沈黙に匹滴するだけの重みも深みもなかった。
事実をして語らしめるのでなく、言葉を空疎に操るだけのこうしたテレビ向きの評論家は、
世の中の騒ぎが少し落ち着いたらきょろきょろとあたりを見渡して、
きっと際限ないおしゃべりを始めるに違いない。
それ以上に我慢ならなかったのは、
地震直後の関係者の誠実さのかけらもない態度だった。
原発事故を起こした東京電力の釈明会見はまるで他人事のようだったし、
計画停電実施の理由を説明する東電職員の言葉にもまったく説得力がなかった。
(略)
被災地に出掛ける気になったもう一つの理由として、
これほどの大災害を前にして現地を見ずに感想だけを述べるのは、
ノンフィクション作家の資格がないと思ったからである。
被害者はあまりにも激甚な被害に「言葉を失った」。
その沈黙を伝えるには、”大文字”の論評ではなく、
ディテールを丹念に積み上げて”小文字”で語るノンフィクションしかない。
(略)
何も先入観ももたない精神の中にこそ、
小説でも書けない物語が向こうから飛び込んできてくれる。
それが私のノンフィクションの持論であり、いつもの流儀である。
・・》
注)本書の11~13ページから引用。
原文にあえて改行を多くした。
私は佐野眞一氏の著作から、いつも強く感じることは、下記の通りである。
ダイエーの創業者の中内功(なかうち・いさお)氏を描いた、
『カリスマ-中内功とダイエーの「戦後」 』を『日経ビジネス』に連載中、
中内から事実無根として提訴されたが、後に訴えを取り下げらたりした。
注)功・・あて字(正確には、右辺は「刀」であるが、私も変換できなかった)
その後、『東電OL殺人事件』に於いては、
《被告人の無罪説を大胆に展開し彼の不法滞在の罪でさえ擁護する一方で、
被害者のエリート会社員に対しては、先祖代々の系譜から丸裸にし、
売春していた事を公に書くなどの内容が物議を醸した・・》
したりしてきた。
しかしながら、氏が被告人の無罪説を確証するために、
執拗までに懇切丁寧に取材をした思いは、ひとりの映画の脚本家に思いを馳せられる。
脚本家の橋本忍(はしもと・しのぶ)氏であるが、
映画の『真昼の暗黒』(1956年=昭和31年)の脚本にあたり、
取材記録を読んだのを重ねあわしたりすることもある・・。
もとよりこの映画は、八海事件で逮捕された青年を冤罪で無罪である、
と確信した製作者、監督、そして脚本家が、
裁判中にも関わらず無罪を確証するために橋本忍(はしもと・しのぶ)氏が、
徹底的に検証をして、脚本にされて映画化された作品である。
その後、1968(昭和43年)に最高裁で、無罪の判決となった。
その上、佐野眞一氏は被害者のエリート会社員に対して、
誰しも人の心の奥に秘そむ深淵まで描きあげたことに、
私は深く心を揺り動かされたのである。
そして当事者の心の深淵を明確にする手法として、
その何代かまで遡(さかのぼ)り、生きた系図を見るように、
生い立ちから成人、その後の軌跡まで時代背景を克明にした上で、明確にし、
当事者の影響を受けた環境はもとより、軌跡はもとより、生活状況、そして心まで明晰される。
こうしたことに圧倒的な思いを、描かれる文章、行間から感じられ、
現世の突出したノンフィクション作家である。
今回の本書も”生きている人”の発露された言葉が、数多くの人たちから明確に描かれている。
たとえば、『嗚咽する”定置網の帝王”』、『日本共産党元文化部長・山下文雄』などは、
当事者の深い心情が圧倒的に思いで伝わってくる・・。
そして、氏の作品の特質として、今回は『原発』もひとつのテーマなので、
なぜ原発が日本にもたらされて、どのように問題を残しながら利用発展してきたか、
時代背景を克明にした上で、多くの人の言動を明確にし、思惑、野望を明晰に表現している。
詳細については、ご興味のある方は、本書を読んで頂きたい。
特に原発の関係する諸兄諸姉はもとより、
少なくとも政治家と自認する諸兄諸姉も”生きた知識”として、読んで頂きたい。
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