夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『浴衣で城下町散策いかが、女性向け観光プラン』、私は微笑みながら、やがて苦笑し・・。

2011-06-20 20:07:49 | 定年後の思い
私は先ほど、ネットでニュースを見ようと、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
左側の上段に、若き女性の浴衣姿の写真が掲載されていたので、
齢ばかり重ねた66歳の私でも、瞬時に魅了さ、思わずクリックした・・。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110620-OYT1T00249.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==『浴衣で城下町散策いかが、女性向け観光プラン』☆


私はこの企画をされた方に好感し、
多くの女性の方に、浴衣を召して旅先の街中を散策してほしい、
と思ったりしたのである。


こうした思いのひとつとして、私たち夫婦が城崎温泉で外湯めぐりをして、
散策している時、若き女性の4人の方のささやかな思いでがあった・・。

2007年の6月中旬に、私たち夫婦は、
ある旅行会社の周遊観光ツアーで山陰地方を2泊3日の小旅行に参加した時、
思いでのひとつである。

この小旅行に私はブログの投稿文を綴って、この中の城崎温泉については、
下記のように記載している。

【・・

   第3章  香(かお)りある城崎温泉

陽が高い3時半過ぎに城崎温泉に近づくと、
円山川の水量の多さに私は驚いていた。

私は城崎温泉は初めてであり、
小説家・志賀直哉の『城の崎にて』を若き日々に読んだりしていたが、
内に綴られたことは忘れたが、きのさき、じょうがさき、などと混同している・・。

感覚的なイメージとしては、歌人・吉井 勇が京の祇園で詠まれた、


  かにかくに 祇園はこひし
           寝るときも 枕の下を 水のなかるる


と著名な歌に、どうした想いか分からないが、重ね合わしている・・。


街中の『喜楽』の一室に通されたが、昔からある旅館のたたずまいであった。
畳の井草(いぐさ)の香りが匂い落ち着いた和室で、
和花の名前が部屋名として名付けられていた。

4時過ぎに、私たち夫婦は浴衣と下駄、そして扇子を持ちながら、外湯めぐりに街の中に出た。
日中の熱気が残る中、扇子で扇(あお)ぎながら、街中の店先を眺めたりした・・。

店先の椅子で地ビールを呑める処で、
私はビール、家内は特性あるアイスクリームを頂いた。
この街は、外湯めぐりと称され、
外湯の七箇所がそれぞれ特色ある湯処となっているので、
私達と同様に、浴衣と下駄、草履姿が多く、宿泊している旅館により、浴衣が差異があり、
特に女性の華やいだ浴衣に好感し、私は眺めたりした。

その後、外湯に一軒に入浴後、
家内を外湯の前のベンチで待ったいた時、
花菖蒲(ハナショウブ)の咲いた一角で20代の4人の女性が
お互いに記念撮影をしたりしていた。

そして、この中のひとりが私にシャッターを押して、
と言うしぐさで近寄ってきた。

私はシャツターを押した後、
華やいだ浴衣もさることながら、3人の方は黒髪で、ひとりの方は淡い茶髪であったりし、
携帯電話を持ち合わせていない若き女性の4人に好感を増した・・。

外湯めぐりをしながら、浴衣と草履で街中を散策する時ぐらいは、
せめて日常の携帯電話を持たないで歩いて欲しい、
と思っていたからである。

このことは情緒、情感であり、少なくとも文化の問題と確信している。


夕食後、夜の街を散策し、射的などの遊技場で戯れ、
外湯で入浴し、地ビールの香りと味を甘受け、
浴衣姿の人々を眺めたりした。

その後、家内と散策したら、前から先ほどの4人の女性と偶然に逢い、
若き女性たちは私たちに黙礼をした。

私はほんのひとときであったが、日本の文化も健在であった、
と微笑みながら、黙礼をした。

夜のとばり、街の中を歩く下駄を音を聴きながら、
私は眠りに付いた。
・・】

このような浴衣姿の若き女性のグループに好感したこともあったので、
ささやかな思いとして、こうした情感を蘇(よみがえ)ったりしたのである。

今回、若き女性たちの浴衣姿の写真の一葉を拝見したが、
なぜかしらひとりの女性の髪が金髪に染められていて、私は困惑しながら、苦笑させられたのである。

そして黒髪の美しさを知らなく、ご自分を粗末にした若き女性に、
幼年期の『はしか』と同様かしら、苦笑したのである。


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読書に限りなく魅了されている私、本屋、古本屋などで購入するが、電子書籍には無縁であり・・。

2011-06-20 15:26:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
遅ればせながら高校生になってから、突然に読書に目覚めて、
定年後の今でも、読書が第一趣味となっている。

昨今は、小説を読むことは少なくなり、
随筆(エッセイ)、ノンフェクション、近現代史などの本が圧倒的に多いが、
ときには映画、音楽の専門誌も買い求めたりすることもあり、
つたないなりに乱読をしたりしている。

こうした本は、殆どが駅前の本屋で買い求めたり、
或いは古本屋で偶然に魅せられて購入してきた本である。

私は民家、美術など3万円を超える豪華な本だけは、
やむなく図書館で年に一度ぐらい拝見するぐらいで、
通常の本に関しては、若き20歳の前後は、たとえ一食抜いて、お金をためて購入したりし、
その後も読みたい本は、家計の中で優先として購入し、手元に置きたい習性がある。


こうして50年ばかり過ごしているが、具体的に購入する時は、
新聞、総合月刊誌の出版社の新刊本の案内広告を見たり、
或いは本屋、古本屋の陳列棚で、偶然に見かけたりして買い求めたりしている。

一番に困るのは、ある日、突然に魅せられた作品を読み、
この著作者の過去の作品を読みたい場合は、
ここ10数年、本の流通の速度が余りにも速く、駅前の本屋などには皆無となっている。


少なくとも20年数年の頃であったならば、
本屋で注文して、二週間過ぎた頃に手に入れることが風潮であったが、
昨今、『Amazon』などのネットで本を買い求める人たちがいると知り、
遅ればせながら先程、ある作家を検索したら、驚いたのである。

大半の刊行された本が羅列し表示されて折、
本屋の新刊本、旧刊本、そして古本屋でも中々見かけることの出来ない本もあり、
まぎれなく『Amazon』などは、本の集約されたセンターかしら、
と思いながら、その作家の出荷できる本の一覧表を見ていたのである。

これだったならば、もとより本屋で取り寄せの注文で2週間も待たず、
或いは古本屋で探し求める必要はない、と感じたりした。

そして、時代の流れかしら、と思いながら、
本屋で偶然に見かけ購入してきた心の高揚感が失われることもあるが、
しばらくは本屋とネツト購入の二刀流も良い、と思ったりした・・。


しかしながら、私のような本の愛好者が、
こうしたことを利用すると、ますます街の本屋が衰退し、
何よりも本屋で陳列棚で見かける楽しみもなくなるので断念した。
そして私は従来通り、本屋で取り寄せの注文をしている。

ここ30数年、コンビニが全国の各地に進出し、荒利の多い雑誌も店内で並び、
街の従来からの本屋が壊滅的となり、
やがて大型チェーン店の支店しか存続できなくなったことは、
多くの都市部の街中の実態でもある。

私は街中の商店街で、たとえスーパー、コンビニがあっても、
本屋、文房具店、喫茶店、軽食店、居酒屋、理髪店(散髪屋)、美容院など店は、
文化のひとつである、と確信しているひとりである。


尚、昨今に於いて、電子書籍が盛んな話題となっているが、
少なくとも文藝作品に関しては、本は手に取り活字を読み、
著作者の伝えたいことを受け止めながら、
そして行間から著作者の思いを馳せながら深める、
こうした習性が50年ばかりとなっているので、私には論外である。


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