夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

政権与党の民主党、2年9カ月の歳月を返して、と政治にも疎(うと)い私は呟き・・。

2012-05-30 23:24:26 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
恥ずかしながら政治にも疎(うと)く無力な高齢者のひとりであるが、
野田首相は消費増税関連法案を巡って小沢一郎・民主党元代表との会談する、
と過日に読売新聞などから学んでいた・・。

結果として、本日ネットの読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
《・・
野田首相によると、会談では首相がまず、小沢氏に対し、消費増税関連法案の成立に協力を要請したのに対し、
小沢氏は、増税への国民の理解を得るためとして、
〈1〉行政・地域主権改革、
〈2〉社会保障の理念を示す、
〈3〉経済の再生――の3点を挙げ、現段階での消費税引き上げに「賛成できない」との立場を示したという。

(2012年5月30日13時26分 読売新聞)
・・》
そしてNHKテレビのニュースを視聴していたら、
小沢一郎・民主党元代表は、民主党の党内で決議された消費増税関連法案は、
途中からは橋折って決議されたようなものだから・・
このような意味合いの言葉を発言されていた。

私は民主党は、肝要の政権与党であり、
このような党内の決議さえ不満をもたらす小沢一郎・民主党元代表の言動にしても、
これでは国民の多くは何を信頼したらよいの、と感じたのである。

もとより民主党は2009(平成21)年8月30日の衆議選を得て、
念願の政権交代となり、そして9月16日に鳩山首相の基で政権が発足した。
そして鳩山首相でありながら、実質の功績者で最大の実力者でもある小沢一郎・幹事長であることは、
国民の多くは認識されていただろう。

そして鳩山首相は園児のような言動で自民党の政権時代より益々混迷を深め
やむなく管首相の時代となったが、党内の権力闘争で、唐突な言動が多く、
もとより肝要な閣僚の方たちに戸惑いをさせたりしてきた。
その後、野田首相となっているが、益々党内の権力闘争が激しさを増している、
と私は感じている。

こうした状況は誰よりも把握されているのが、小沢一郎・民主党元代表であり、
氏が今回国民の前で公言された上記の3つは、なぜ党内で政権発足以来、
討議して方向づけをされなかったのだろうか、と国家的な時間の浪費と感じ大いに不満がある。

今回の消費増税関連法案の党内決議でも、益々混迷を深めることが予測でき、
肝要の政権与党の資格がないと感じ、
民主党の政権発足以来2年9カ月の歳月を返して、と無力な私でも呟き、溜息を重ねている。


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亡きZARDの坂井泉水さん、私なりのささやかな想いは・・。

2012-05-30 15:57:47 | 定年後の思い
午前のひととき、私は居間にある音楽棚から、
何を聴こうかと少しばかり迷った後、一枚のCDを取りだした・・。

ポップス・グループのZARDのベスト盤の一枚であった。

昼下り、私は庭のテラスに下り立ち、樹木のたわわな葉が微風を受け、少し揺れていることを眺めてたりしていると、
ぼんやりとZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水(さかい・いずみ)さんのことに思いを馳せた・・。。

私は坂井泉水さんの突然亡くなわれたことを知ったのは、
確か私たち夫婦と家内の母と三人で温泉滞在していた伊豆半島の下田にある観光ホテルで、
2007(平成19)年5月28日の昼下り、ロビーにあるテレビのニュースであった。

そして私は少し動揺しながら、突然の訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚(おぼ)えたが、
1990年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんに、
『大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・』
と心の中で呟(つぶや)きなから冥福を祈ったりした。


私はこのお方には、残念ながらお会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時代もあった。

1993(平成5)年の晩春、私は音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と事実上統合なった結果、
初めて音楽プロデューサーの長戸大幸(なかと・だいこう)氏の率いるビーイング系のZARDを知った。

これより少し前の時代として、新田和長(にった・かずなが)氏の率いるファンハウスが、
女性ボーカルとしては岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などで全盛期でもあった。

私は恥ずかしながら楽譜も読めなく、楽器もさわれない身であり、
音楽を制作に携わる部署でなく、つたない感性を頼りに音楽を聴く素人(シロウト)のような立場であったが、
ZARDの坂井泉水さんの透明感ある甘い若き女性の歌声、
若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じたりした。

その上、ジャケットを拝見した限りであったが、恥ずかしいことを告白すれば、
さわやかな顔立ち、確かセミ・ロングより少し長めのヘヤースタイルで、
そして胸元がまぶしく、私は瞬時に魅せられた・・。

そして『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングルCDが大ヒットとなり、
アルバムとしては、前年の『HOLD ME』に続いて、『揺れる想い』が直ちにミリオンとなり、
この年の女性ボーカルとしては、頂点を極(きわ)めた。

この後、ビーイングはビーグラム社として完全独立され、
私の務めていた会社から離れていったが、数年後まで私なりにアルバムを買い続けたりした。


結果としは、私は50歳前後の1993(平成5)年に、『負けないで』を初めて聴き、
その後、音楽業界としてはCDの売上げは1998(平成10)年でピークとなった。

この前後から業界の各社はリストラ烈風となり、
私も出向となり、初め頃の1999(平成10)年の初春、
私なりに失墜感の中、ZARDの二枚目のベスト盤を購入した・・。

そして豪華なジャケットを眺めながら、
音楽業界は1990年の前半の時代は違法なダウンロードもなく、
その後の携帯電話が普及される前であり、正規の音楽配信されこともなかった時代であり、
純粋に各社が切磋琢磨してCDの売上げを中核に、業績を争(あらそ)えた幸福な時代だった、
と懐かしげに思い浮かべたりした。


坂井泉水さんの突然亡くなわれた後、
数ヵ月後に追悼盤のアルバムの二枚が発売されて、
音楽情報誌として名高い『オリコン』のランキングの1位、2位となったのを知った。


私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
平素は自宅から近い野川の遊歩道を散策することが多いが、
坂井泉水さんが亡くなわれた前の2006(平成18)年の6月初旬に、
偶然に坂井泉水さんを見かけたような錯覚を感じたりした・・。

27度前後の初夏の陽気の中、私は夏用の長袖のスポーツ・シャツ、ストレッチ・パンズ、
足元はウォーキング・シューズであった。

遊歩道が狭まった時、前方から若い女性が帽子を深くかぶり、
黒のTシャツを召し、ポシエットをななめ掛けして、急ぎ足のウォーキングで近寄ってきた。

私は道を避(よ)け、若い女性が通り過ぎるの待った。
この若い女性は、少し微笑んで、目礼をして通り過ぎた。

綺麗な顔立ち・・容姿も素敵・・と私は心の中で呟(つぶや)きながら、好感したりした。
そしてZARDの坂井泉水さんのデビューしてまもない時の顔立ちに似ている、
と遠ざかって行く後姿を見て、思ったりした。

この後、私はぼんやりと、

♪揺れる想い 体じゅう感じて
 君と歩き続けたい in your dream

【 『揺れる想い』 作詞・坂井泉水、作曲・織田哲郎、編曲・明石昌夫、唄・坂井泉水 】

と思わず心の中で口ずさんだりした。

その後、まもなくと、俺も齢を取った、と微苦笑させられたのである。

このようにささやかな思いがあり、
ときおり67歳の年金生活の私でも、ZARDのアルバムの5枚を聴いたりしている・・。

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