私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり.
今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、『卯月』の4月のカレンダーにさよならすると、
新たな『皐月』の5月のカレンダーを見ながら、ようこ~そ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
過ぎ去った4月は、春の明るい陽射しの光につつまれ中、白玉椿、花桃、そして櫻花を観たりし、
樹木は芽吹き、萌黄色から黄緑色、やがて新緑色に染められる情景に見惚(みと)れてきたので、
私の心は、『卯月』よりも『清浄明潔』という言葉を思い重ねたりした・・。
2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活となった私は平素の買い物担当となっているが、
確か10日前頃に最寄りのスーパーで『柏餅(かしわもち)』を見かけたので、
つぶあん、こしあん、よもぎのつぶあん、みそあんの4種類を小躍(こおど)りしながら買い求めたりした。
帰路、野川の橋で立ち止まり、下方の川沿いの黄色い帯のように長く続いている菜の花、
そして並ぶように白と薄紫の大根の花のような白と薄紫色の花色が帯状になっているのを眺めたりした。
初夏のような陽気で、川風が心地よく、
♪甍(いらか)の波と雲の波、
重なる波の中空(なかぞら)を、
【『鯉のぼり』作詞、作曲・不詳 文部省唱歌 】
と柏餅を買い求めたせいか単細胞の私は、心の中で唄ったりした。
帰宅後、家内に手渡した後、煎茶を飲みながら頂いたのであるが、
『あなたぁ・・もう少し上等なの・・なかったの』
と家内に嫌な顔をされて、私は少し困ったりした。
私はつぶあんが3つ入ったワンパックが、たった350円で廉(やす)く、
味はどうかしら、と思いながら、いろいろな味を賞味したく4パックを購入したのであったが、
中学生の時から茶事を習ってきた家内には、程度の問題らしかった・・。
『駅前に出た時に和菓子屋か・・旅先の和菓子屋で・・今度、買い求めようねぇ』
と私は家内を慰めるように言いながら苦笑した。
そして私は昼食代わりに12個ばかりの柏餅を半分ほど食べ、
残りは翌日の朝まで家内が間食として食べて、当面の問題は解消したのである。
5月を迎えて今、『皐月』と明言とされているが、
現在の40日ばかり遅れた旧暦に相応しい言葉なので、幼年期に農家の児として育った私は、
『花菖蒲』の5月だ、と勝手に命名したりした。
私はこの季節を迎えると、何かと気になるのは、
菖蒲(あやめ)、花菖蒲(はなしょうぶ)、そして杜若(かきつばた)の花である・・。
私の幼年期には、田んぼの外れに咲いていた花菖蒲を見て、
これこそ何よりも気品を秘めた高貴な花と思ったりしてきた。
しかしながら、20歳過ぎても、菖蒲、花菖蒲とよく間違えることがあった。
その後、秘かに菖蒲は乾燥地で育って、新芽が赤味を帯びているし、
花菖蒲は、やや水湿地に育ち、新芽が緑色と覚えたりした・・。
そして杜若は、水湿地に育ち、葉先が垂れている、と判断したりしている。
私の拙(つたな)い記憶によれば、
遠い昔、私が35歳の5月の下旬の頃、家内と明治神宮を散策している時、
小雨降る中の花菖蒲が最も深く心に残っている。
いつの日だったか忘れてしまったが、何かの本を読んでいた時、『花言葉』が掲載されていたので、
私は机の引き出しあるメモ帳代わりとなっているカレンダーに、
少しボケてきたので、書き込んだりしていた。
菖蒲は、よき便り、
花菖蒲は、優雅な心、
杜若は、幸運は必ず来る、
と明記されていたので、齢ばかり重ねた私でも、更に恵みの日々が訪れる月かしら、
と悦びながら解釈したりしている。
そして躑躅(ツツジ)、皐月(さつき)の花はもとより、
鉄線の優美な花、華やかな牡丹(ぼたん)の花や芍薬(しゃくやく)の花も愛(め)でる時節の到来、
と私は微笑んだりしている。
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今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、『卯月』の4月のカレンダーにさよならすると、
新たな『皐月』の5月のカレンダーを見ながら、ようこ~そ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
過ぎ去った4月は、春の明るい陽射しの光につつまれ中、白玉椿、花桃、そして櫻花を観たりし、
樹木は芽吹き、萌黄色から黄緑色、やがて新緑色に染められる情景に見惚(みと)れてきたので、
私の心は、『卯月』よりも『清浄明潔』という言葉を思い重ねたりした・・。
2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活となった私は平素の買い物担当となっているが、
確か10日前頃に最寄りのスーパーで『柏餅(かしわもち)』を見かけたので、
つぶあん、こしあん、よもぎのつぶあん、みそあんの4種類を小躍(こおど)りしながら買い求めたりした。
帰路、野川の橋で立ち止まり、下方の川沿いの黄色い帯のように長く続いている菜の花、
そして並ぶように白と薄紫の大根の花のような白と薄紫色の花色が帯状になっているのを眺めたりした。
初夏のような陽気で、川風が心地よく、
♪甍(いらか)の波と雲の波、
重なる波の中空(なかぞら)を、
【『鯉のぼり』作詞、作曲・不詳 文部省唱歌 】
と柏餅を買い求めたせいか単細胞の私は、心の中で唄ったりした。
帰宅後、家内に手渡した後、煎茶を飲みながら頂いたのであるが、
『あなたぁ・・もう少し上等なの・・なかったの』
と家内に嫌な顔をされて、私は少し困ったりした。
私はつぶあんが3つ入ったワンパックが、たった350円で廉(やす)く、
味はどうかしら、と思いながら、いろいろな味を賞味したく4パックを購入したのであったが、
中学生の時から茶事を習ってきた家内には、程度の問題らしかった・・。
『駅前に出た時に和菓子屋か・・旅先の和菓子屋で・・今度、買い求めようねぇ』
と私は家内を慰めるように言いながら苦笑した。
そして私は昼食代わりに12個ばかりの柏餅を半分ほど食べ、
残りは翌日の朝まで家内が間食として食べて、当面の問題は解消したのである。
5月を迎えて今、『皐月』と明言とされているが、
現在の40日ばかり遅れた旧暦に相応しい言葉なので、幼年期に農家の児として育った私は、
『花菖蒲』の5月だ、と勝手に命名したりした。
私はこの季節を迎えると、何かと気になるのは、
菖蒲(あやめ)、花菖蒲(はなしょうぶ)、そして杜若(かきつばた)の花である・・。
私の幼年期には、田んぼの外れに咲いていた花菖蒲を見て、
これこそ何よりも気品を秘めた高貴な花と思ったりしてきた。
しかしながら、20歳過ぎても、菖蒲、花菖蒲とよく間違えることがあった。
その後、秘かに菖蒲は乾燥地で育って、新芽が赤味を帯びているし、
花菖蒲は、やや水湿地に育ち、新芽が緑色と覚えたりした・・。
そして杜若は、水湿地に育ち、葉先が垂れている、と判断したりしている。
私の拙(つたな)い記憶によれば、
遠い昔、私が35歳の5月の下旬の頃、家内と明治神宮を散策している時、
小雨降る中の花菖蒲が最も深く心に残っている。
いつの日だったか忘れてしまったが、何かの本を読んでいた時、『花言葉』が掲載されていたので、
私は机の引き出しあるメモ帳代わりとなっているカレンダーに、
少しボケてきたので、書き込んだりしていた。
菖蒲は、よき便り、
花菖蒲は、優雅な心、
杜若は、幸運は必ず来る、
と明記されていたので、齢ばかり重ねた私でも、更に恵みの日々が訪れる月かしら、
と悦びながら解釈したりしている。
そして躑躅(ツツジ)、皐月(さつき)の花はもとより、
鉄線の優美な花、華やかな牡丹(ぼたん)の花や芍薬(しゃくやく)の花も愛(め)でる時節の到来、
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