夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

伊豆の網代(あじろ)にて【12.5.21.~5.25.】  第四章  過ぎ去り日々の思いを家内と語り合えば

2012-05-27 15:13:33 | 
宿泊している『湯の宿 平鶴』の朝食は8時、そして夕食は夕暮れの6時であった。

この地の今頃は、日の出が4時半過ぎで、日の入りは夕食を頂いている最中(さなか)の6時半過ぎで、
私たちは何かと食事時間に合わせるように滞在の期間を過ごした。

殆ど日の出前に起床し、ぼんやりと朝焼けの情景を窓辺に近くにある椅子に座りながら、見たりした。
左側の外れに里山が海岸に接して、大きな樹木に定期便のように小鳥が飛来し、鳴き声が聴こえ、
下方に干潮の時は波打ち際から20メートルぐらいの浜辺となり、
そして浜辺となった所に幾重かの岩が群島のように見えたりした。

その後に満潮の波時は、浜辺が海水で消え去り、寄せては返す波間となり、
岩の群島に波が押し寄せて砕け散っていた・・。

前方の500メートルぐらい先には、海上越しに多賀の街並み、かすかに海岸沿いの道路が観え、
そして上方の里山の中腹の樹木の中、ときおり伊東線の電車が観えたりした。
里山の頂上までには森の中に、わずかながら人家が点在していた。

海上には、ときおり漁船が観えたりした。

そして前方の少し右側の海辺の近くには、大きなリゾートマンションのような建物が三軒あり、
目を右側に動かせば赤根崎にある建物が観え、その先には赤根崎を通して大きな熱海の市街がかすかに観えたりした。
右側の遥か彼方には、真鶴半島も観えたりした。

こうした情景を私たちは見たりし、部屋の窓辺の近くに寄せては返す波を見惚(みと)れて眺めたりした。
まじかに海岸の横から眺めていたので、
改めて干潮に現れた浜辺、或いは満潮の波が押し寄せる無限なような波間となっていた。


食事処は大きな100畳ぐらいの一室で、海辺にせり出すような180度の広い展望となり、
こうした中で、ゆったりと座卓が配置され、
磯料理の刺身、焼き物、煮ものを中核に美味しく頂いた。
そして最後の夕食の時に、
『あわびの踊り焼き・・長年旅を重ねてきたけれど、四日毎晩頂くのは初めてだょ』
と私は家内に微笑みながら小声で言ったりした。

日中の大半は、着いた日には街並みを散策した以外、窓辺から観える情景に見惚れながら、
過ごした異例の滞在となった。

彼方に見える赤根崎にある建物を見たりすると私は家内に、
思い馳せるように言葉をかけた・・。

確か1983(昭和58)年の夏、私が勤めている会社が、
管理体制の総合見直しのひとつとして、コンピュータ処理の委託を廃止し、
自社で開発、運営を首脳陣から命じられた私は、
この後、一年間は死ぬ物狂いで奮闘し、何とか1984(昭和59)年の初夏、
軌道に乗せたが運営上に課題を残していた。

こうした中で、夏季休暇を迎えていた・・。
私は前日に月末の定期処理を終らせようとしていたが、ハードディスクの容量不足を避ける為に、
やむなく磁気テープで置き換えて処理をしていたが、
夜の8時でも終らないのである。
この当時のハードディスク装置は、中小業からすれば甚(はなは)だ高価で、
程ほど増設して貰ったが、これ以上は見送ったりしていた時であった。

この後、私はビルの外壁の非常階段の踊り場で煙草を喫ったりしていた。
六本木のこのビルの8階からは、防衛庁(現在はミッドタウン)の灯りは暗くなり、非常灯が光を帯び、
彼方の明治神宮球場で花火が盛大に揚げられ、夜空を彩っていたので、私は苦笑した。

結果として、深夜の3時過ぎに私は退社し、タクシーで帰宅した。
そして、夏季休暇も半分程しか取れなかったので、
近場の熱海の外れにある赤根崎のリゾート・ホテルに2泊3日で予約していた。

そして数時間ばかり寝て起きたのであるが、
徹夜になったり、深夜まで・・連日の過酷な勤務時間が続いたいたので、
朦朧としていた。

そして10時過ぎに、私たち夫婦は自宅を出て、新宿駅に行った。
この後、寿司屋でビールを呑みながら、寿司を頂き、昼食代わりとし、
新宿駅より小田原駅まで特急のロマンスカーで乗り、
JRの小田原駅から下田行きの『踊り子』に乗り、熱海駅で下車した後、
宿泊地の赤根崎リゾートホテルにタクシーで向った。

この当時の赤根崎リゾートホテルとは、現代はリゾートマンションに大きく変貌したが、
外観は余り変らないと思われる。

この当時は、ホテルの建物の前にゆったりとした庭園があり、
その先は海上を一望できる景観が良い処であった。
そして利用される方は、家族連れで来て、主人は付近のゴルフ場でプレーをし、
若き奥様たちは、幼い子供に海辺の児童プールと海辺を楽しんだり、
若き男女はホテルに隣接したプールでゆっくりと過ごせる方が多いかしら、と私は感じたりした。

そしてロビーなども広く、レストランも数々あり、
食事をしながら、ゆったりと海上の景観も良く、
私たち夫婦はビールを呑みながら、イタリアンとかフランス料理を頂いたりした。

こうした間の2日目の時、私は休暇前は睡眠不足であったので、よく寝ていた。
昼下りのひととき、庭園にある茶室で茶事があるので、
支配人から家内が誘われ、私も末席としてお供した。

家内は茶事を中学生の頃から習っていたので、
私は結婚してから色々と和事に関しては、家内から影響を受けたりしていた。
茶花、花入、茶碗、掛け軸などを知り、四季の移ろいも改めて知りはじめた・・。

結婚して、3年後に家を建てた時、
多額な借入となったが、若さの心の勢いとして、家屋の中で茶室まで設けた。

私は茶事に関しては無知であったが、
免許状の昇進と共に、礼金も重なる暗黙のような約束事を知った時は、
不思議な世界と思ったりしていた。

そして無知な私でも、この茶室の掛け軸、花入、茶花も簡素で、
素朴な茶碗で抹茶を頂いたりしたが、感銘を受けたのである。

茶室から庭園に出で、家内と散策した時、
『野に咲く花のような茶事であったね・・』
と私は家内に言ったりしたので、家内は微笑んでいた・・。

庭園は夏の光を受けていたが、
外れにある松林の中に入ると、海上からの風が吹き、肌には心地よかった。

古人の利休が、花は野にあるように、という明言は私なりに知っていたが、
私はこの時以来、人生信条として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしている。

このように赤根崎に滞在した夏の旅は、私にとっては今でも心の片隅に鮮明に残っている。

こうした思いで話題にしたり、その前に下田の郊外の弓ヶ浜を訪れた話や、
或いは家内の両親と伊豆高原の海岸沿いの遊歩道を歩いた後に伊東の観光ホテルに宿泊した思いで話し、
私は思い重ねるように家内と語り合ったりした・・。


こうした時を過ごしたり、館内の売店で日本酒を買い求めて、
窓辺の近くにある椅子に座り、情景を観ながら吞んだりした。
或いは館内の自動販売機から、ビールを購入して吞んだりし、持参の本を読んだり、
露天風呂が恋しくなり、浴室に向ったりした。

                           《つづく》
                           
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伊豆の網代(あじろ)にて【12.5.21.~5.25.】  第三章  海に浮かぶ露天風呂

2012-05-27 08:59:23 | 
宿泊している『湯の宿 平鶴』の正面の隣接した処は、熱海から伊東の主要国道があり、
自動車、観光バスなどが頻繁に走って折、
この国道の一角に、この宿の大きな看板がある。

記憶に間違いがなければ、《 海に浮かぶ露天風呂 日帰り入浴 磯料理 》、
と明記され、たとえば下田とか伊東などから都心に帰路される方たちに、
この当館に寄り、海に浮かぶ露天風呂に入った後、数多くの磯料理を賞味して、ひとときをごゆっくりと過ごして下さい、
と私は瞬時に感じた・・。

まさに当館は、海に浮かぶ露天風呂、そしてゆったりとした食事処で磯料理、
このふたつに集約されるといっても過言でない、と私は実感させられた。
たまたま宿泊した私は、このことに部屋からの圧倒的な美景を追記する。

さて、風呂の話題であるが、当館は海岸沿いにあり、普通と大き目の大浴場があり、
いずれも隣接に海上にせり出している露天風呂がふたつある。

この露天風呂からの景観は、私たちの部屋より低い角度の海面から周辺を視(み)ることができる。

海辺に建つ当館は、左側の外れに里山が海岸に接して、干潮の時は波打ち際から20メートルぐらいの浜辺となり、
そして浜辺となった所に幾重かの岩が群島のように見えたりした。

その後に満潮の波時は、浜辺が海水で消え去り、寄せては返す波間となり、
岩の群島に波が押し寄せて砕け散っていた・・。

前方の500メートルぐらい先には、海上越しに多賀の街並み、かすかに海岸沿いの道路が観え、
そして上方の里山の中腹の樹木の中、ときおり伊東線の電車が観えたりした。
里山の頂上までには森の中に、わずかながら人家が点在していた。

そして前方の少し右側の海辺の近くには、大きなリゾートマンションのような建物が三軒あり、
目を右側に動かせば赤根崎にある建物が観え、その先には赤根崎を通して大きな街がかすかに観え、
その後に熱海の市街と解った。
そして右側の遥か彼方には、真鶴半島も観えたりした。

このような情景を私は少なくとも朝の6時前後、夕暮れのひとときに、
この露天風呂に入り、海面の波間越しに景観に見惚れ、身も心も満喫させられた・・。


そして風の強い日の夕暮れに入った時、長方形の露天風呂に先客がふたり入っていた。
海岸側、中央部分に入浴していたのであるが、海上側は空いていたので私は身をゆだねた。
まもなく大波が押し寄せ、波打ちブロックを遥かに超えて、風が伴ってきたので、
私の頭上にシャワーのごとく海水のしぶきをあびた・・。

私は気分爽快となり、五分ぐらいで三度ばかり浴び、
ときにはこの場所こそ最上の貴賓席のようだ、と心の中で叫んだりした。

このような心情の根底には、一昨年の2010〈平成22〉年の若葉の季節、北東北を周遊していた時、
青森県の日本海に面した黄金崎(こがねざき)にある観光ホテル『不老ふ死(ふろうふし)温泉』に3連泊し、
この観光ホテルの波打ち際にある露天風呂に、私たちは圧倒的に魅せられたのである。

その後の12月中旬、やはり北東北を周遊し、旅の終りとし、
この『不老ふ死温泉』に再訪して3連泊したりした。

この12月中旬の時の私の露天風呂の心象を記載する。

到着した翌朝は、ときおり風が強く吹く曇り空で、午前10時過ぎに私は露天風呂に向かった。
露天風呂の出入り口の本館まで行き、
海岸の施設の歩道を百メートルぐらい海岸線まじかにある露天風呂に到着するのであるが、
浴衣の下はパンズ一枚だけ、左手にバスタオルとタオルを入れたビニール袋を提げた姿で歩きはじめた・・。

ゆるい下りの歩道で、強く風が吹き、浴衣の裾(すそ)は捲(まく)れ上がり、
私は右手ですそを押さえて、
『やめ~て・・少し風・・穏やかにねぇ・・お願いいたしますょ・・』
と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして露天風呂の簡素な更衣棚に浴衣とパンズをビニール袋に入れたが、
このビニール袋が風を受けて、たなびいているのである・・。

私は露天風呂に身体をゆだねて、波打ち際の波、そして押し寄せてくる波間、
ときおり私は立ち上がり、彼方の日本海を眺めたりしていると、風が冷たく感じ、
露天風呂に身体を沈めるように深く湯に入ったりした。
その上、ときおり波しぶき受け、私は笑いながら、波しぶきを浴びていた。

このような天候であったので、もとより私だけの貸切風呂となったりし、
帰路、本館の露天風呂の出入り口のいるホテルのスタッフの方から、
悪天候なのに健気に入浴される齢を重ねた男性もいる、と思われたと私は感じ、
この方から微笑まれた。
私は苦笑しながら、宿泊している新館の部屋に戻ったりした。

翌日は、冬晴れとなり、私は昨日の容姿で、露天風呂をめざした。
ときおり微風が吹く程度で、穏やかな快晴の中、散歩するみたいに海岸線までの歩道を歩いた。
そして、誰もいない露天風呂に心身ゆだねて入ったり、
押し寄せる波、そして遥か彼方のフェリー船が日本海を北上するのを見たりした。

そして露天風呂から上がり、岩場の上で立ち、
海上の冬晴れの陽射しに向かい、全身素肌を数分程さらしたりしたが、
寒さを感じることなく、むしろ快適な心情となったりした。


このような体験があり、家内も私に負けじと波しぶきを悦ぶひとりなので、
私は当館で波しぶきを浴びて良かったよ、と部屋に戻った後、
家内に報告したりした。
そして平素なかなか叶わぬことであり、私もお風呂に入ってくるわ、
と家内はいそいそと湯支度をしたりしていた。

露天風呂の魅力は、だれしも感じると思われるが、
私は山里、海辺で、その地の四季折々の情景を眺め、その中で湯に身も心もゆだねて、
満喫することである。
ときには雪の舞い降る時もあり、のどかな春麗の時もあり、朱色や黄色に染められた錦繍の時もあり、
或いは風や雨も伴うこともあるが、少しばかり自然のおりなす情景に心身をゆだねるのである。

今回の露天風呂は、初夏に向う中、大半は天候に恵まれて、
おだやかな波間を眺めて入浴し、たった一度だけ強風の中で波しぶきを浴び、
このことは自然のおりなす現象であることは記するまでもないことである。

                           《つづく》
                           
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