私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨日の日中のひととき、品川の駅前にある『品川プンリスホテル』で打ち合わせをしたりした。
私は指定時間に間に合うように自宅の近くに走行している路線バスで、
最寄りの駅のひとつの小田急線の『成城学園前』駅前に行き、
そして小田急線で『新宿』駅に到着した後、
山手線に乗り換えて『品川』駅で下り立ったのは午後1時過ぎであった。
そして駅前に聳え立つ『品川プンリスホテル』のメインタワーにあるロビーを目指して、
人出の多い中、確か20年ぶりかしら、と思いながら歩いたりした。
私は遠い昔、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
映画の脚本家になりたくて大学を中退し、アルバイトをしながら映画青年の真似事をした。
その後、養成所の講師の知人から、同じ創作をするのだったら小説を書きなさい、
とアドバイスを受けた後、契約社員などをしながら文学青年の真似事をし、
新人の純文学の小説コンクールの最終候補作の6作品の寸前で、3度ばかり落選したりしていた。
こうした落胆していた時、30代に普通の家庭が築けるの、妻子を養っていけるの、
と素朴な叱咤を叔父さんから、やんわりと言われ、
根拠のない自信にばかりの私はうろたえ、はかなくも挫折した。
やむえなくサラリーマンになる為に、あてどない心情の時、
たまたま本屋の店頭でビジネス情報誌として名高い『週間 ダイヤモンド』に於いて、
付録として『三週間でわかるコンピューター』と題された小冊が付いていた。
購入して読んだが、数学、物理などの理工関係にも弱い私は、無念ながら理解出来ない方が多く、
ただ漠然として、これからの企業ではコンピューターの活用は必要不可欠で伸長する、
と理解していた程度であった。
この後、私はコンピューターの専門学校のソフトコースを1年間学んだ上、
ある程度の企業に中途入社しょうと思った。
こうした中で、石原慎太郎さんが名誉学院長されているあるコンピューター専門学校に、
1969〈昭和44〉年4月に入学した。
確か最初は飯田橋駅の付近の老朽したビルが校舎であったが、
数が月後に代々木駅の近くの新築されたビルが校舎となった。
こうした中でソフトコースの同期の生徒は、
高校を卒業したばかり理工方面に優秀な若い男女が圧倒的に多く、
わずかながら大卒、或いは企業に入られた後に退社したりした方もいて、
私は遅れた24歳の青年であったが、年齢こそ違え同級生のよしみから交遊も重ねたりした。
そして科学計算向きのフォートラン、事務計算向きのコボル等のプログラムを実習したりしたりし、
汎用の小型コンピュータを稼動させて、テスト処理を行ったり、
或いはシステム概要、特に苦手な微分・積分などの授業を受けたりした。
私は映画の脚本とか小説などの創作者向きと思った文科系の身であったので、
人生やり直しと思い、苦手なコンピュータ分野であったが、
企業に中途入社する為に、何らかの技量が不可欠と思いながら、あえて学んだのである。
やがて1970〈昭和45〉年の3月に、私たち生徒はソフトコースを卒業して、
それぞれ企業に就職して行った・・。
その後の私は、同級生だった人たちが、どうような進路を歩まれたか、
そしてお世話になった先生にも連絡をしなかったので、音信不通となった。
今年の初夏、この中のひとりの講師から電話を頂き、私たち同級生の幾人かのその後の歩みを私は知ったりした。
その後に有志で懇親会を開こうとなり、やがて私たち生徒の中で、
優れた機敏能力のある女性を中核に、私たち3人の男性が賛同し、
今回、クラス会のような40年ぶりの集会する為の打ち合わせで待ち合わせたりした。
もとより40年の歳月が流れる中、就職して結婚されて、社会の第一線から退職され、
私のように69歳で年金生活、若い方でも63歳となっているので、
お孫さんにも恵まれている方も多いと思われる世代となっている。
そして日本の各地で住まわれて、日々を生活されている。
このようなことを配慮しながら、私たちは3時間ばかり、クラス会の招集を打ち合わせをした。
そして優れた機敏能力のある女性を幹事として、私たち男性3名が助成として散会した。
やがて私は『品川プンリスホテル』のメインタワーを後にして。
人出の多い中を歩いたりしたが、都心には、私は齢を重ねるたびに、疲れを感じて苦手となっている。
こうした根底には、このサイトで過ぎし日の6月4日に於いて、
『都心にあこがれ、そして長年苦楽を共にした私は、定年後は遥か遠い存在となり・・。』と題して、
投稿している。
お時間がある方はお読み頂き、ご笑話を願えれば幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/d/20130604
☆【 夢逢人かりそめ草紙 】2013年6月4日
>===『 都心にあこがれ、そして長年苦楽を共にした私は、定年後は遥か遠い存在となり・・。』☆
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昨日の日中のひととき、品川の駅前にある『品川プンリスホテル』で打ち合わせをしたりした。
私は指定時間に間に合うように自宅の近くに走行している路線バスで、
最寄りの駅のひとつの小田急線の『成城学園前』駅前に行き、
そして小田急線で『新宿』駅に到着した後、
山手線に乗り換えて『品川』駅で下り立ったのは午後1時過ぎであった。
そして駅前に聳え立つ『品川プンリスホテル』のメインタワーにあるロビーを目指して、
人出の多い中、確か20年ぶりかしら、と思いながら歩いたりした。
私は遠い昔、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
映画の脚本家になりたくて大学を中退し、アルバイトをしながら映画青年の真似事をした。
その後、養成所の講師の知人から、同じ創作をするのだったら小説を書きなさい、
とアドバイスを受けた後、契約社員などをしながら文学青年の真似事をし、
新人の純文学の小説コンクールの最終候補作の6作品の寸前で、3度ばかり落選したりしていた。
こうした落胆していた時、30代に普通の家庭が築けるの、妻子を養っていけるの、
と素朴な叱咤を叔父さんから、やんわりと言われ、
根拠のない自信にばかりの私はうろたえ、はかなくも挫折した。
やむえなくサラリーマンになる為に、あてどない心情の時、
たまたま本屋の店頭でビジネス情報誌として名高い『週間 ダイヤモンド』に於いて、
付録として『三週間でわかるコンピューター』と題された小冊が付いていた。
購入して読んだが、数学、物理などの理工関係にも弱い私は、無念ながら理解出来ない方が多く、
ただ漠然として、これからの企業ではコンピューターの活用は必要不可欠で伸長する、
と理解していた程度であった。
この後、私はコンピューターの専門学校のソフトコースを1年間学んだ上、
ある程度の企業に中途入社しょうと思った。
こうした中で、石原慎太郎さんが名誉学院長されているあるコンピューター専門学校に、
1969〈昭和44〉年4月に入学した。
確か最初は飯田橋駅の付近の老朽したビルが校舎であったが、
数が月後に代々木駅の近くの新築されたビルが校舎となった。
こうした中でソフトコースの同期の生徒は、
高校を卒業したばかり理工方面に優秀な若い男女が圧倒的に多く、
わずかながら大卒、或いは企業に入られた後に退社したりした方もいて、
私は遅れた24歳の青年であったが、年齢こそ違え同級生のよしみから交遊も重ねたりした。
そして科学計算向きのフォートラン、事務計算向きのコボル等のプログラムを実習したりしたりし、
汎用の小型コンピュータを稼動させて、テスト処理を行ったり、
或いはシステム概要、特に苦手な微分・積分などの授業を受けたりした。
私は映画の脚本とか小説などの創作者向きと思った文科系の身であったので、
人生やり直しと思い、苦手なコンピュータ分野であったが、
企業に中途入社する為に、何らかの技量が不可欠と思いながら、あえて学んだのである。
やがて1970〈昭和45〉年の3月に、私たち生徒はソフトコースを卒業して、
それぞれ企業に就職して行った・・。
その後の私は、同級生だった人たちが、どうような進路を歩まれたか、
そしてお世話になった先生にも連絡をしなかったので、音信不通となった。
今年の初夏、この中のひとりの講師から電話を頂き、私たち同級生の幾人かのその後の歩みを私は知ったりした。
その後に有志で懇親会を開こうとなり、やがて私たち生徒の中で、
優れた機敏能力のある女性を中核に、私たち3人の男性が賛同し、
今回、クラス会のような40年ぶりの集会する為の打ち合わせで待ち合わせたりした。
もとより40年の歳月が流れる中、就職して結婚されて、社会の第一線から退職され、
私のように69歳で年金生活、若い方でも63歳となっているので、
お孫さんにも恵まれている方も多いと思われる世代となっている。
そして日本の各地で住まわれて、日々を生活されている。
このようなことを配慮しながら、私たちは3時間ばかり、クラス会の招集を打ち合わせをした。
そして優れた機敏能力のある女性を幹事として、私たち男性3名が助成として散会した。
やがて私は『品川プンリスホテル』のメインタワーを後にして。
人出の多い中を歩いたりしたが、都心には、私は齢を重ねるたびに、疲れを感じて苦手となっている。
こうした根底には、このサイトで過ぎし日の6月4日に於いて、
『都心にあこがれ、そして長年苦楽を共にした私は、定年後は遥か遠い存在となり・・。』と題して、
投稿している。
お時間がある方はお読み頂き、ご笑話を願えれば幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/d/20130604
☆【 夢逢人かりそめ草紙 】2013年6月4日
>===『 都心にあこがれ、そして長年苦楽を共にした私は、定年後は遥か遠い存在となり・・。』☆
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