私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨日の20日の朝、いつものように購読している読売新聞の朝刊を開くと、
《 首都直下地震 「死者2万3000人」
最悪想定 経済被害は約95兆円
中央防災会議 報告 》
トップページの見出しとして掲げられ、寝ぼけまなこの私は、正気となり、記事を精読した・・。
この記事の詳細は、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されているので、
添付させて頂く。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131219-OYT1T00980.htm
☆【YOMIURI ONLINE】==>『社会』==>『首都直下地震で死者2万3千人…中央防災会議 』☆
このように首都直下地震が発生した場合、首都圏の甚大な大災害を読み、
東京郊外の調布市に住み私は、どうしたらよいのか、無力の私は動揺したりした。
この後、14面を視たりすると、
《 生き延びる備え
家庭備蓄 一週間分
一人分 21食と水21リットル 》
と見出しされ、私は驚きながら、記事を精読してしまった・・。
この記事の詳細も、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されているので、
添付させて頂く。
http://www.yomiuri.co.jp/science/feature/20131220-OYT8T00358.htm
☆【YOMIURI ONLINE】==>『科学』==>『首都直下地震』==>『生き延びる備え』☆
この記事を読んだ私は、《・・「最低でも3日分、可能な限り1週間分」の備蓄を求めている。
飲料水は1人1日あたり3リットル必要で、1週間分は21リットルになる。
家族全員の備蓄となると、飲料水だけでかなりの量となる・・》と学び、
私は1週間分の水21リットルだと、2リットルのペットボトルで10本強で、
我が家は二人なので、少なくとも21本になるのか、
まして簡易トイレか、と驚きながら戸惑ったりした。
私たち夫婦は東京郊外の調布市に住み、結婚前後の5年間を除き、
調布市の片隅で世田谷区と狛江市に隣接した地域に63年ばかり過ごしている。
そして古惚けた築後35年の一軒屋に、家内と2人だけで住んでいるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
我が家は防災全般に関しては、恥ずかしながら確固たる対策をしていない。
ただ、漠然と思いながら、東京湾からは40キロ以上離れた地域であるので、津波からは対象外だし、
豪雨による付近の野川の洪水による床下浸水も、高台の住宅街であるので、心配はしていない。
しかし地震については、どのような対策をとったら、と思案したりしてきた・・。
こうした地震については、私たち夫婦が考え始めたのは、
一昨年の2011年3月11日の観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、大津波が発生して壊滅的な大惨事となった時からであった。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の諸国まで注視された。
そして、私さえも恐れていた周辺の一時避難、その上に農作物、畜産、水産、農地、牧草地、森林、
水の汚染などに影響をもたらした。
こうした中で、私はテレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに身体はもとより心まで震(ふる)えた・・。
この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。
そして特に、行方不明となられた方のせめてご遺体だけは、ご遺族のお手元に、と思ったりしてきた。
この時の東日本大震災の時の我が家は、
大きく揺れ、こんなことこの世にあっていいの、と震度5度ぐらい、その後の直後の余震に、
私たち夫婦は居間で立ちすくんでいた。
そして本棚から10数冊の本が床に落ちたぐらいであったが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。
懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。
この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。
我が家から7分ぐらい歩けば、NTT東日本の研修センターがある。
この場所が、私の住む地域の避難所と公表されている。
そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合い、買い求めたりした。
その後、旅行用の肩掛け、或いは斜め掛けでもできるバックを居間の片隅に置いてある。
この当時、何かしら新聞で、たとえ避難所に行けたとしても、
緊急救援食料は3日間を過ぎた後と知り、私たち夫婦は3日間は自助努力で対処しなければならない、
と学んだりしてきたが、今回は一週間分の水と食べ物が必要、と知り戸惑ったのであった。
こうした緊急時に、いざ避難所に行く時に、最低限に持って行こう、と互いに決めている。
私が20数年前に買い求めた軽く廉(やす)いナイロン製のバックで、
押し入れの中で休眠していたのを、取りだし、再活用とした。
この中身は、電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯、電池、タオルを4枚、スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒用として)4枚、
板チョコレートを4枚、食事代わりのラスク6袋、ペットボトル500mlが2本、
百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円。
そして私のメガネの予備、タバコ、
脇サイドには『調布市防災マップ』が入っているだけである。
無念ながら携帯電話は私たちは互いに使えないので、この程度ぐらいと思っている。
あとは、非常食として、乾パン6袋、ラスクの缶詰12個を購入した程度が、我が家の現状である。
このように過ごしてきた間に、昨年の2012年1月22日に於いて、
『マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生する』という試算を、
東京大学地震研究所の研究チームがまとめられて、公表された。
私はこの公表されたその内容を新聞などで知り、
優(すぐ)れた英知結晶である東京大地震研究所のグループの方たちの予測を真剣に受け止めた。
しかしながら、巨大地震が発生しても、高齢者の私はその時はその時に対処すればよく、
何よりも肝要の平素の日常生活をたんたんと過ごし、残された人生を過ごせれば、
よいと私たち夫婦は思っている。
昨日の昼下がり、この避難袋のバックを私は久々に点検し、
ペットボトル、タバコを最新の物と取り換えたりした。
この時、板チョコレートを4枚が不明で、家内に訊(き)いたりした。
『XXちゃんさぁ・・この避難袋の中にある板チョコレート・・見つからないょ』
と私は家内に言ったりした。
『そこにある板チョコ・・一週間前の頃、甘い物がなかったから・・食べてしまったわ』
と家内は微笑みながら私に言った。
『非常用なのに・・明日(あした)の買い物の時、買ってくるょ』
と私は苦笑しながら家内に言ったりした。
このように我が家の避難袋の中身は、いい加減となっているので、私は微苦笑したりしている。
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昨日の20日の朝、いつものように購読している読売新聞の朝刊を開くと、
《 首都直下地震 「死者2万3000人」
最悪想定 経済被害は約95兆円
中央防災会議 報告 》
トップページの見出しとして掲げられ、寝ぼけまなこの私は、正気となり、記事を精読した・・。
この記事の詳細は、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されているので、
添付させて頂く。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131219-OYT1T00980.htm
☆【YOMIURI ONLINE】==>『社会』==>『首都直下地震で死者2万3千人…中央防災会議 』☆
このように首都直下地震が発生した場合、首都圏の甚大な大災害を読み、
東京郊外の調布市に住み私は、どうしたらよいのか、無力の私は動揺したりした。
この後、14面を視たりすると、
《 生き延びる備え
家庭備蓄 一週間分
一人分 21食と水21リットル 》
と見出しされ、私は驚きながら、記事を精読してしまった・・。
この記事の詳細も、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されているので、
添付させて頂く。
http://www.yomiuri.co.jp/science/feature/20131220-OYT8T00358.htm
☆【YOMIURI ONLINE】==>『科学』==>『首都直下地震』==>『生き延びる備え』☆
この記事を読んだ私は、《・・「最低でも3日分、可能な限り1週間分」の備蓄を求めている。
飲料水は1人1日あたり3リットル必要で、1週間分は21リットルになる。
家族全員の備蓄となると、飲料水だけでかなりの量となる・・》と学び、
私は1週間分の水21リットルだと、2リットルのペットボトルで10本強で、
我が家は二人なので、少なくとも21本になるのか、
まして簡易トイレか、と驚きながら戸惑ったりした。
私たち夫婦は東京郊外の調布市に住み、結婚前後の5年間を除き、
調布市の片隅で世田谷区と狛江市に隣接した地域に63年ばかり過ごしている。
そして古惚けた築後35年の一軒屋に、家内と2人だけで住んでいるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
我が家は防災全般に関しては、恥ずかしながら確固たる対策をしていない。
ただ、漠然と思いながら、東京湾からは40キロ以上離れた地域であるので、津波からは対象外だし、
豪雨による付近の野川の洪水による床下浸水も、高台の住宅街であるので、心配はしていない。
しかし地震については、どのような対策をとったら、と思案したりしてきた・・。
こうした地震については、私たち夫婦が考え始めたのは、
一昨年の2011年3月11日の観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、大津波が発生して壊滅的な大惨事となった時からであった。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の諸国まで注視された。
そして、私さえも恐れていた周辺の一時避難、その上に農作物、畜産、水産、農地、牧草地、森林、
水の汚染などに影響をもたらした。
こうした中で、私はテレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに身体はもとより心まで震(ふる)えた・・。
この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。
そして特に、行方不明となられた方のせめてご遺体だけは、ご遺族のお手元に、と思ったりしてきた。
この時の東日本大震災の時の我が家は、
大きく揺れ、こんなことこの世にあっていいの、と震度5度ぐらい、その後の直後の余震に、
私たち夫婦は居間で立ちすくんでいた。
そして本棚から10数冊の本が床に落ちたぐらいであったが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。
懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。
この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。
我が家から7分ぐらい歩けば、NTT東日本の研修センターがある。
この場所が、私の住む地域の避難所と公表されている。
そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合い、買い求めたりした。
その後、旅行用の肩掛け、或いは斜め掛けでもできるバックを居間の片隅に置いてある。
この当時、何かしら新聞で、たとえ避難所に行けたとしても、
緊急救援食料は3日間を過ぎた後と知り、私たち夫婦は3日間は自助努力で対処しなければならない、
と学んだりしてきたが、今回は一週間分の水と食べ物が必要、と知り戸惑ったのであった。
こうした緊急時に、いざ避難所に行く時に、最低限に持って行こう、と互いに決めている。
私が20数年前に買い求めた軽く廉(やす)いナイロン製のバックで、
押し入れの中で休眠していたのを、取りだし、再活用とした。
この中身は、電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯、電池、タオルを4枚、スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒用として)4枚、
板チョコレートを4枚、食事代わりのラスク6袋、ペットボトル500mlが2本、
百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円。
そして私のメガネの予備、タバコ、
脇サイドには『調布市防災マップ』が入っているだけである。
無念ながら携帯電話は私たちは互いに使えないので、この程度ぐらいと思っている。
あとは、非常食として、乾パン6袋、ラスクの缶詰12個を購入した程度が、我が家の現状である。
このように過ごしてきた間に、昨年の2012年1月22日に於いて、
『マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生する』という試算を、
東京大学地震研究所の研究チームがまとめられて、公表された。
私はこの公表されたその内容を新聞などで知り、
優(すぐ)れた英知結晶である東京大地震研究所のグループの方たちの予測を真剣に受け止めた。
しかしながら、巨大地震が発生しても、高齢者の私はその時はその時に対処すればよく、
何よりも肝要の平素の日常生活をたんたんと過ごし、残された人生を過ごせれば、
よいと私たち夫婦は思っている。
昨日の昼下がり、この避難袋のバックを私は久々に点検し、
ペットボトル、タバコを最新の物と取り換えたりした。
この時、板チョコレートを4枚が不明で、家内に訊(き)いたりした。
『XXちゃんさぁ・・この避難袋の中にある板チョコレート・・見つからないょ』
と私は家内に言ったりした。
『そこにある板チョコ・・一週間前の頃、甘い物がなかったから・・食べてしまったわ』
と家内は微笑みながら私に言った。
『非常用なのに・・明日(あした)の買い物の時、買ってくるょ』
と私は苦笑しながら家内に言ったりした。
このように我が家の避難袋の中身は、いい加減となっているので、私は微苦笑したりしている。
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