第二章 初冬の中、天人峡を散策すれば
初めて天人峡に宿泊した翌日の午前中、私は防寒着で身を固めて、
館内のロビーにある冬用の長靴をお借りして、粉雪舞う中を散策に出かけた・・。
天人峡は大雪山の麓(ふもと)のひとつであり、旭川市の郊外の奥まった地であり、
山裾の森から柱状節理と称される切り立った岩が300メートル前後が聳え立つ、
下方は大雪山の伏流水が忠別川となり、この山峡に温泉が湧く所が天人峡温泉と命名されている。

もとよりこの地を世の中に知らしめたのは、
明治、大正時代に各地に足跡を遺された紀行作家の大町桂月(おおまち・けいげつ)氏である。
氏の書物から私は多々教示されているひとりであるが、この地も氏は足跡されている。
大正10(1921)年、氏は大雪山を横断し、8月に層雲峡より大雪山連峰の中の旭岳を縦走し、
松山温泉(現在・天人峡温泉)に下山した、と伝えられている。
この時の氏の散文には、
《・・天人ヶ原峰に登りて見下ろせば 絶壁直立すること千尺(約300m)にも余れり
之を下るかと思えば 心自ら胸騒ぎせしか
熊笹や灌木をつかみて 後ろ向きになれば 下られざるにあらず
半ば頃より左に近く羽衣の滝を見るに下りて 見上ぐれば高い哉80丈と称す
直下せずして曲折するが 日光の華厳の滝より遥かに高き也
この滝の水落ちて間もなく忠別川に入る
川に沿い数町下りて松山温泉に投ず。
忠別峡中の一軒家也・・》
このような美文を遺されている。
このような散文と滞在している観光ホテルから頂いた写真はがきの羽衣の滝の新緑時、紅葉時を眺めたり、
過ぎし年の紅葉時に私が観たことも重ねて、滞在先から羽衣の滝に向かい歩きたした。

そしてこの初冬の時節は、どのような美麗に姿を私に見せてくれるか、
除雪されてない小路で積雪30センチぐらいの中を歩いたりしていたが、
前方に雪の小山のように盛り上げられた直前に、交通止めと明示されて、私は思わず足を止めた。
私は公共の警告を無視したならば、もとより自己責任となり、万一の場合は救助される身となるので、
小心者の私は、やむなく撤退することとした。
そして初冬の羽衣の滝の情景は、まぼろしの状景となってしまい、
やむえず初冬の忠別川沿いから観られる情景を撮ったりした・・。

☆『涙岩』と命名され、朝食、昼食のレストランから、幾たびも観た情景☆



こうして一時間半ばかり粉雪舞い降りる中、除雪されている20センチ前後の中を散策し、
初冬の天人峡に見惚(みと)れたりした。
《つづく》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪strong>
にほんブログ村

初めて天人峡に宿泊した翌日の午前中、私は防寒着で身を固めて、
館内のロビーにある冬用の長靴をお借りして、粉雪舞う中を散策に出かけた・・。
天人峡は大雪山の麓(ふもと)のひとつであり、旭川市の郊外の奥まった地であり、
山裾の森から柱状節理と称される切り立った岩が300メートル前後が聳え立つ、
下方は大雪山の伏流水が忠別川となり、この山峡に温泉が湧く所が天人峡温泉と命名されている。

もとよりこの地を世の中に知らしめたのは、
明治、大正時代に各地に足跡を遺された紀行作家の大町桂月(おおまち・けいげつ)氏である。
氏の書物から私は多々教示されているひとりであるが、この地も氏は足跡されている。
大正10(1921)年、氏は大雪山を横断し、8月に層雲峡より大雪山連峰の中の旭岳を縦走し、
松山温泉(現在・天人峡温泉)に下山した、と伝えられている。
この時の氏の散文には、
《・・天人ヶ原峰に登りて見下ろせば 絶壁直立すること千尺(約300m)にも余れり
之を下るかと思えば 心自ら胸騒ぎせしか
熊笹や灌木をつかみて 後ろ向きになれば 下られざるにあらず
半ば頃より左に近く羽衣の滝を見るに下りて 見上ぐれば高い哉80丈と称す
直下せずして曲折するが 日光の華厳の滝より遥かに高き也
この滝の水落ちて間もなく忠別川に入る
川に沿い数町下りて松山温泉に投ず。
忠別峡中の一軒家也・・》
このような美文を遺されている。
このような散文と滞在している観光ホテルから頂いた写真はがきの羽衣の滝の新緑時、紅葉時を眺めたり、
過ぎし年の紅葉時に私が観たことも重ねて、滞在先から羽衣の滝に向かい歩きたした。

そしてこの初冬の時節は、どのような美麗に姿を私に見せてくれるか、
除雪されてない小路で積雪30センチぐらいの中を歩いたりしていたが、
前方に雪の小山のように盛り上げられた直前に、交通止めと明示されて、私は思わず足を止めた。
私は公共の警告を無視したならば、もとより自己責任となり、万一の場合は救助される身となるので、
小心者の私は、やむなく撤退することとした。
そして初冬の羽衣の滝の情景は、まぼろしの状景となってしまい、
やむえず初冬の忠別川沿いから観られる情景を撮ったりした・・。

☆『涙岩』と命名され、朝食、昼食のレストランから、幾たびも観た情景☆



こうして一時間半ばかり粉雪舞い降りる中、除雪されている20センチ前後の中を散策し、
初冬の天人峡に見惚(みと)れたりした。
《つづく》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪strong>

