夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

粉雪舞う天人峡温泉《3》【2013.12.5.~12.8.】第二章 初冬の中、天人峡を散策すれば

2013-12-09 15:13:25 | 
          第二章 初冬の中、天人峡を散策すれば

初めて天人峡に宿泊した翌日の午前中、私は防寒着で身を固めて、
館内のロビーにある冬用の長靴をお借りして、粉雪舞う中を散策に出かけた・・。

天人峡は大雪山の麓(ふもと)のひとつであり、旭川市の郊外の奥まった地であり、
山裾の森から柱状節理と称される切り立った岩が300メートル前後が聳え立つ、
下方は大雪山の伏流水が忠別川となり、この山峡に温泉が湧く所が天人峡温泉と命名されている。
          

もとよりこの地を世の中に知らしめたのは、
明治、大正時代に各地に足跡を遺された紀行作家の大町桂月(おおまち・けいげつ)氏である。

氏の書物から私は多々教示されているひとりであるが、この地も氏は足跡されている。
大正10(1921)年、氏は大雪山を横断し、8月に層雲峡より大雪山連峰の中の旭岳を縦走し、
松山温泉(現在・天人峡温泉)に下山した、と伝えられている。

この時の氏の散文には、
《・・天人ヶ原峰に登りて見下ろせば 絶壁直立すること千尺(約300m)にも余れり
之を下るかと思えば 心自ら胸騒ぎせしか
熊笹や灌木をつかみて 後ろ向きになれば 下られざるにあらず

半ば頃より左に近く羽衣の滝を見るに下りて 見上ぐれば高い哉80丈と称す
直下せずして曲折するが 日光の華厳の滝より遥かに高き也

この滝の水落ちて間もなく忠別川に入る
川に沿い数町下りて松山温泉に投ず。
忠別峡中の一軒家也・・》
このような美文を遺されている。

このような散文と滞在している観光ホテルから頂いた写真はがきの羽衣の滝の新緑時、紅葉時を眺めたり、
過ぎし年の紅葉時に私が観たことも重ねて、滞在先から羽衣の滝に向かい歩きたした。


そしてこの初冬の時節は、どのような美麗に姿を私に見せてくれるか、
除雪されてない小路で積雪30センチぐらいの中を歩いたりしていたが、
前方に雪の小山のように盛り上げられた直前に、交通止めと明示されて、私は思わず足を止めた。

私は公共の警告を無視したならば、もとより自己責任となり、万一の場合は救助される身となるので、
小心者の私は、やむなく撤退することとした。
そして初冬の羽衣の滝の情景は、まぼろしの状景となってしまい、
やむえず初冬の忠別川沿いから観られる情景を撮ったりした・・。
          
     ☆『涙岩』と命名され、朝食、昼食のレストランから、幾たびも観た情景☆
          

          

          

こうして一時間半ばかり粉雪舞い降りる中、除雪されている20センチ前後の中を散策し、
初冬の天人峡に見惚(みと)れたりした。
                                  《つづく》
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粉雪舞う天人峡温泉《2》【2013.12.5.~12.8.】第一章 粉雪舞う中、天人峡

2013-12-09 10:15:26 | 
          第一章 粉雪(こなゆき)舞う中、天人峡

旭川空港に着陸したのは10分遅れの12時20分であった。
そして私たち夫婦は、旭川空港には何年ぶりかしら、と到着ロビーに向かいながら話したりした。

過ぎ去り年の2006年の初夏の時、家内の母が、家内に
『元気なうちに・・北海道に行って見たいわ・・』
と言ったりしたので、私たち夫婦は家内の母が初めての飛行機、北海道となり、
高齢者の身を案じながら、10月の中旬に道東地方を主点に観光周遊をした。

そして旭川市内のヒジネスホテルに宿泊した後、層雲峡の観光ホテルに宿泊し、そして知床のウトロの観光ホテルに連泊、
その後は阿寒湖の観光ホテルで三連泊した時の旅路であった。

この時に旭川空港から旅の始めとなり、空港から市内に入れと
ナナカマドの樹の葉が落葉している中で、朱紅色に染められた鮮やかな数多くの実を眺めて、
北国に来た、と実感させられたことが、心の片隅に残っている。


今回の天人峡温泉のフリープランは、滞在する観光ホテルの『天人閣』のご厚意で、
送迎バスに乗車した時、私たちと同様なプランに参加されたのは、
私たちのような夫婦連れが9組、単身の方は10名、総勢28名であった。
          
いずれも60代、70代であり、その後の館内のロビー、食事処、大浴場、露天風呂などで、
お互いに談笑して、親睦を深めたりした。
          
そして天人峡温泉の『天人閣』に滞在している間、
スノーパウダーと若き人たちが称している粉雪(こなゆき)舞ったり、ときおり止んだりし、
気温もマイナス5度ぐらいで、ときおり最高気温もプラス数度と思え、
初冬としての墨絵の世界が展開して、私は期待通りと少年のように、心の中で歓声し過ごしたりした。
                                  《つづく》
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粉雪舞う天人峡温泉《1》【2013.12.5.~12.8.】序章 旅の前の天人峡の想いで

2013-12-09 08:17:22 | 
          序章 旅の前の天人峡の想いで

今回、私たち夫婦は旭川市の奥地の天人峡温泉に3泊4日で、5日より訪れることとなったが、
旅立つ前に、ささやかながら天人峡を少し観たことの旅路を談笑したりした。

過ぎ去り年の2005年10月19日より4泊5日で、
北海道の錦繍を訪ねた周遊団体旅行に私たち夫婦は参加した・・。

この旅路は東京駅より新潟駅に新幹線で行き、新潟港に移動した後、
この港からフェリー船で小樽港に向かい1泊しながら、翌日の早朝に小樽港に着く。

そして小樽を出た後は、芦別の三段の滝を観て、富良野から美瑛を抜けて、
旭岳の麓(ふもと)の山岳ロッジ風のリゾートホテルに宿泊した。

翌朝、旭岳ロープウェイに乗り、周辺を散策した後、
その後に天人峡の羽衣の滝を観た後、札幌の奥まった定山峡まで移動し宿泊した。

翌日は、豊平峡で電気バスに乗って、ダム周辺を観た後、
小樽市で観光し、札幌駅に向かい、
夕暮れの札幌駅より寝台特急の『北斗星号』を乗車し、夜間に走行し上野駅に到着する。
このような日程であった。


この旅路はある敬愛する著名人の方が、あるエッセイで船便で来道するのが最良です、
といったような綴りを25年前の頃に読んだりしたこともひとつの理由となっていた。

こうしたことに私は共鳴させられた根底には、
私が高校時代の修学旅行で、初めて北海道を訪れたのは1962(昭和37)年の6月だった。
この時に上野駅から夜行列車に乗り、翌朝に青森駅から青函連絡船に乗り継いで、
函館が観えた時の光景は忘れなく、今でも心の片隅に残っている。

そして確か15年前の頃に、雑誌の『サライ』で、国内航路のフェリーの特集記事があった。
この中には、新潟港から小樽港が紹介され、特等A個室でテラス付きの記事が綴られていた。

私の定年退職となる2004〈平成16〉年の秋、
この部屋を取って北海道に行き、適当に周遊した旅をしょう、と私たち夫婦は退職記念旅行と決めたりしていた。

そして私の定年退職の直前に、入退院を繰り返していた家内の父が亡くなり、退職記念旅行は延期とした。

この後、一年を過ぎた頃に、ある旅行会社の小冊誌が郵送され、
この中の企画に団体観光ツアーでこの航路を利用し、
ランクアップすればこの船室が取れる、旅行プランがあったので、私たち夫婦は参加したのであった。


この旅の中で、私たちが乗車したバスは高速道路を北上し、岩見沢を過ぎ、
三笠のインターチェンジで降りると、
やがて里山はナナカマドとカエデ等の朱色、ヤチダモ等の黄色で錦繍(きんしゅう)の世界となったのが、
鮮明に今でも心の片隅に残っている。
          

この時、バスガイドさんの話に寄ると、
道内の紅葉は例年より2週間遅れで今は最盛期、と教えてくれたりした。

そして旭岳の麓(ふもと)の山岳ロッジ風のリゾートホテルに宿泊した翌朝は、
数多くの落葉樹は葉を落とし、エゾマツ、トドマツの濃い緑が周辺を彩(いろど)っていた。

朝陽の差し込んでいるレストランで朝食をした後、
ロープウェイに乗り、旭岳が展望できる高原登山道を散策した。

小さな池は凍り付いて折、道端は霜が陽に当たって溶け出していた・・。
旭岳から下方の旭岳温泉や
遙か彼方の遠方の山なみまで視界の開けた雄大なスロープであった。

その後、旭岳を下った所にある天人峡に行き、羽衣の滝を観に向った。
この時にバスから下車した所が天人峡の温泉街であった。
そして私たち一行は遊歩道を散策したが、朱色、黄色に彩られた錦繍の中を歩き、
午前の柔らかな陽射しの中、ときおり黄色の葉が上空から舞い降りてきた。

こうした光景を観ると、まぎれなく秋を受容した思いが心に沁みてきて、
今後このようなことは、幻想しか実感できないだろう、と思いを深めたりした。


このような天人峡温泉から羽衣の滝までの遊歩道を夢幻のようなひとときを過ごしてきたが、
今回の旅路は、初冬の時節なので、果たしてどのような情景が展開するが、
私たち夫婦は旅路の前に、談笑を重ねたりしていた。
                                  《つづく》
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