私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
一昨日の日中のひととき、都心の品川の駅前にあるシティホテルの『品川プンリスホテル』で、
小用があり、久々に都心の人出の多い中、往還した。
そして高層ビルの街並み、人出の多い中を行き交うと、
私は疲れは果てしまい、帰宅するとクシャミ5回ばかりした。
私の住む地域は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅であり、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
この京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
そして現役サラリーマン時代の時は、更に利便性の良い『成城学園前』駅を最寄駅と活用し、
年金生活の今でも、都心に買物に行く時、或いは国内旅行に行ったりする時は活用している。
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
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このような地域でも、私の自宅周辺は住宅が密集しているが、数分歩けば、
野川が流れ、この両岸には遊歩道があり、小公園もあり、住宅地としては緑が豊かである。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
このような辺鄙な処に住み、私の生家に近くあり、
この地域に結婚前後の5年を除き、早や63年が過ぎている・・。
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私は農家の児として1944(昭和19)年の秋に生を受けて、
地元の小・中学を卒業するまでの間、何かと都心にあこがれて、ときおり行ったりした。
やがて都心の高校に入学したのは1960(昭和35)年の春であり、
これ以来、青春期、青年期、自己格闘しながら都心から数多く学び、
長きサラリーマンの時代も都心で苦楽を共にして奮戦してきた・・。
そして2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
このような拙(つたな)い歩んできたが、年金生活を丸9年が過ぎている今、
都心に対し齢を重ねるたびに興味がなくなっている。
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こうした根底には、イギリスの時代の風潮のひとつとして表現するならば、
ロンドンの街中で長らく奮戦して、第二の人生を郊外の農村で過ごすのが理想のひとつ、
と20数年前の頃まで、伝説のように書物に記載されている。
私は深く共鳴してきたが、無念ながら資金力と決断力に乏しく現在の所で住んでいる。
しかしながら都心の中で、たったひとつ訪れたい所があった、と思いだした。
恥ずかしながら告白すれば、『皇居・吹上御苑』である。
この思いになったのは、過ぎし2008年5月12日であった。
この日の新聞の切り抜きを私の机の中にある。
《・・皇居・吹上御苑での初の自然観察会が4日、行われ、
3万人以上の中から抽選で選ばれた一般参加者が、都心に残された自然の中を歩いた。
今年創設された『みどりの月間』にちなんで、天皇陛下が『国民と自然を分かち合いたい』と発案。
4日午前は約30人、午後は約70人、5日の『こどもの日』には、小学生ら約100人が参加する。
吹上御苑は、昭和天皇の住まいだった大宮御所の東側約25ヘクタールの森で、
宮内庁職員でも立ち入りが制限されている地区。
元は江戸時代に日本庭園として整備され、その際植えられた木や、
その後自然に生えた植物が混在して独特の森を形成。
昭和天皇の意向で、武蔵野の自然を残す為、約70年間は殆ど手をかけない管理が行われた。
巨木の数は東京全体の2割、昆虫は日本の1割に当たる約3000種類が生息。
アオヤンマなどの東京では、皇居以外でほぼ見られないトンボもいるという。・・》
このように記事は掲載されて、私はいつの日に抽選で選ばれて、訪れたい所である。
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一昨日の日中のひととき、都心の品川の駅前にあるシティホテルの『品川プンリスホテル』で、
小用があり、久々に都心の人出の多い中、往還した。
そして高層ビルの街並み、人出の多い中を行き交うと、
私は疲れは果てしまい、帰宅するとクシャミ5回ばかりした。
私の住む地域は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅であり、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
この京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
そして現役サラリーマン時代の時は、更に利便性の良い『成城学園前』駅を最寄駅と活用し、
年金生活の今でも、都心に買物に行く時、或いは国内旅行に行ったりする時は活用している。
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
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このような地域でも、私の自宅周辺は住宅が密集しているが、数分歩けば、
野川が流れ、この両岸には遊歩道があり、小公園もあり、住宅地としては緑が豊かである。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
このような辺鄙な処に住み、私の生家に近くあり、
この地域に結婚前後の5年を除き、早や63年が過ぎている・・。
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私は農家の児として1944(昭和19)年の秋に生を受けて、
地元の小・中学を卒業するまでの間、何かと都心にあこがれて、ときおり行ったりした。
やがて都心の高校に入学したのは1960(昭和35)年の春であり、
これ以来、青春期、青年期、自己格闘しながら都心から数多く学び、
長きサラリーマンの時代も都心で苦楽を共にして奮戦してきた・・。
そして2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
このような拙(つたな)い歩んできたが、年金生活を丸9年が過ぎている今、
都心に対し齢を重ねるたびに興味がなくなっている。
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こうした根底には、イギリスの時代の風潮のひとつとして表現するならば、
ロンドンの街中で長らく奮戦して、第二の人生を郊外の農村で過ごすのが理想のひとつ、
と20数年前の頃まで、伝説のように書物に記載されている。
私は深く共鳴してきたが、無念ながら資金力と決断力に乏しく現在の所で住んでいる。
しかしながら都心の中で、たったひとつ訪れたい所があった、と思いだした。
恥ずかしながら告白すれば、『皇居・吹上御苑』である。
この思いになったのは、過ぎし2008年5月12日であった。
この日の新聞の切り抜きを私の机の中にある。
《・・皇居・吹上御苑での初の自然観察会が4日、行われ、
3万人以上の中から抽選で選ばれた一般参加者が、都心に残された自然の中を歩いた。
今年創設された『みどりの月間』にちなんで、天皇陛下が『国民と自然を分かち合いたい』と発案。
4日午前は約30人、午後は約70人、5日の『こどもの日』には、小学生ら約100人が参加する。
吹上御苑は、昭和天皇の住まいだった大宮御所の東側約25ヘクタールの森で、
宮内庁職員でも立ち入りが制限されている地区。
元は江戸時代に日本庭園として整備され、その際植えられた木や、
その後自然に生えた植物が混在して独特の森を形成。
昭和天皇の意向で、武蔵野の自然を残す為、約70年間は殆ど手をかけない管理が行われた。
巨木の数は東京全体の2割、昆虫は日本の1割に当たる約3000種類が生息。
アオヤンマなどの東京では、皇居以外でほぼ見られないトンボもいるという。・・》
このように記事は掲載されて、私はいつの日に抽選で選ばれて、訪れたい所である。
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