序 章
私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであり、特に雪の舞い降る情景に魅せられて、
この時節になると、雪恋し、心情となり、
一昨年の2011〈平成23〉年12月20日より北海道の十勝平野の中の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして奥地の大雪連峰の東部の糠平〈ぬかびら〉温泉に2泊し訪れ、4泊5日の旅をした。
私たち夫婦は何故かしら北海道の風土に魅せられて、幾たびか訪れてきたが、
無念ながら帯広の地域は、二度ばかりしかない。
最初は周遊観光で晩秋の時に、道東めぐりの2泊3日の最終で十勝地方を観たりし、
その後は、5月の知床半島のクルーズに魅了された後、旅の終わりとして十勝川温泉に宿泊したが、
いずれも雪のない時節であった。
たまたま今回の旅の企画は、ある有力な旅行会社が団体観光滞在プランとして、
11月中旬の頃に新聞に掲載されていた。
家内が見て、十勝川温泉と糠平温泉の特色ある旅程に、
この時節は交通機関のことを配慮すれば、私たち夫婦の個人型の旅としては困難さが予測され、
何よりも旅行会社まかせで、旅費も驚くほどに格安であり、
私たち夫婦は瞬時に魅了されて、この団体観光滞在プランに参加した。
私の心の奥底には、この十勝地方の帯広の冬のイメージは、
郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、蒼穹(そうきゅう)の情景である。
厳冬の晴れ間の中、大地は凛とし、果てしなく青空が観えるのが、蒼穹(そうきゅう)の言葉に何よりも相応しい、
と思ったりしている。
私が今でも敬愛している亡き作家・立原正秋〈たちはら・まさあき〉氏の随筆から、
私が30代のなかばの昭和55年(1980年)10月の初旬に遅ればせながら
蒼穹(そうきゅう)という言葉を学んだ。
この中の随筆のひとつとして、知人が古美術店を開き、命名を頼まれ『蒼穹』と氏は名付けられた。
氏の発想の根源は、もとより氏は朝鮮半島で生を受けられたので、
大陸性の気候の中、冬の晴れ間の凛とした情景を思い浮かべて、
蒼穹(そうきゅう)という言葉を思い重ねただろう、と私なりに解釈した。
そして帯広市は、シンガーソングライターの中島みゆきさんが、
小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされた、
と私は25年前に学んだりした。
私は中島みゆきさんを秘かに女神のように信愛し、
このお方の幾つかの歌に支えられて、この人生の難局を乗り切ってきたひとりである。
このような蒼穹(そうきゅう)の情景、そして中島みゆきさんが一時時期過ごされた地域を
私なりに少しでも学びたい心情があった。
糠平〈ぬかぴら〉地域に関しては、
過ぎ去る2009年2月にNHKテレビの『生活ほっとモーニング』を視聴していたら、
『糠平湖』の冬の情景の数々が映しだされ、
『一度は・・行った観たいわ・・』
と家内が私に言ったりしていた。
このような単純明快な発想で、この時節はマイナス10度前後、
烈風か寒気団が襲来すればマイナス20度前後と予測される地域を体感しながら、
多くの方とふれ逢いながら、旅をしてきた。
第一章 壮大なる十勝平野の中、一部に心を寄せて
今回の旅で十勝平野の中、帯広空港から帯広市の郊外にある十勝川温泉の筒井地域にある観光ホテルの送迎バスの乗り、
宿泊地の筒井地域を散策し、
その後は糠平温泉郷に向い、送迎バスで士幌、上士幌を通り、宿泊地の糠平温泉の観光ホテル周辺を散策した後、
帰路は一路南下して帯広空港のコースであった。
20日より北海道の十勝平野の中の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして奥地の大雪連峰の東部の糠平〈ぬかびら〉温泉に2泊し訪れ、4泊5日の旅をした。
このようにわずかな旅路であったので、もとより壮大な十勝平野の中のほんの一部となる。
2000メートル級の山なみが聳える西方の日高山脈、北方の石狩山地、そして東は白糠丘陵に囲まれ、
平野の中を十勝川を中核とした札内川、戸蔦別川、岩内川、帯広川、売買川、ウツベツ川などの幾重の川が流れ、
中心地にはは帯広駅があり、明治の中期の頃から碁盤目状の大きな区画が四方に広がり、
この間には防風林が設けられている。
こうした壮大な十勝平野は、大豆、小豆、甜菜、じゃがいもなどの畑作を広い耕地、
或いは広大な酪農がされている情景が誰しも感じると思われる。
訪れた今回のこの時節は、この農地や酪農地は30センチ前後の大雪原に変貌し、
快晴の時は、遠方の山なみが雪で光輝き、高い大空は青い空が果てしなき拡がる蒼穹(そうきゅう)となった。
そして大雪原は陽射しを受けて、まばゆい光を帯びていた。
こうした時は、朝の6時はマイナス12度前後、昼下がりはマイナス4度前後、
そして夜の6時はマイナス6度前後となった。
或いは小雪が舞い降ると、天上から地表まで、みゆきの世界に変貌し、
ときおり風が吹けば、吹雪となるが、
寒さはマイナス7度前後で、雪が降る時は暖かく、
私は未知の大陸の北中国、朝鮮半島に近い気候かしら、と微笑んだりした。
尚、『みゆき』という表現は、もとより雪のことであり、
万葉集の頃は美由伎、私の敬愛しているシンガーソングライターの中島みゆきさんの本名は、
美雪だったかしら、と思いながら、私の好きな言葉のひとつである。
第二章 『十勝川 国際ホテル筒井』に再訪、そして郊外を散策すれば
20日の午後3時20分に予定通り『とかち帯広空港』に着陸した私たち一行は、
宿泊先の帯広市の郊外にある十勝川温泉の筒井地域にある観光ホテルの送迎バスの乗り込んだ。
ここで初めて私は、今回の旅を共にする方たちのメンバーを知った。
羽田空港で旅行会社の方に参加最終チエックしたが、お互いにフリーの状況であり、
ただ航空便が指定されただけであったので、参加メンバーは不明であった。
私たちは送迎バスの車内で、60代、70代前半の夫婦が多く、
後で知ったのであるが独りで参加される男性5名、女性1名で、総勢23名であった。
私たち夫婦は、この後の宿泊地の食事処、ロビーなどの館内で、
共に旅する70代前半の3組の方たちを中心に、さりげなく談笑を重ねたりした。
そして現地にお住まいの方たちとも、私は何かと教えを受けながら、
ひとときを言葉を交わし、一期一会を享受した・・。
夕暮れが山なみに染め、そして大地は雪原の広大の情景を観ながら、
一時間ばかり車窓から鑑賞し、宿泊地の『十勝川 国際ホテル筒井』に到着した。
http://www.tutui-h.com/
☆『十勝川 国際ホテル筒井』ホームページ☆
この観光ホテルは、私が定年退職の翌年の2005年5月下旬に、
知床観光船で早朝にウトロから出航し、日の出の頃に洋上から知床岬を観る貸切クルーズに魅了され、
団体観光周遊ツアーに参加した3泊4日の中で、たまたまこの観光ホテルに宿泊した体験があったので、
6年ぶりの再訪となった。
しかしながら、忘却とは忘れる事なり、と名言されたれ菊田一夫〈きくた・かずお〉氏の通り、
《 日本随一 天然植物性 モール温泉 》で、
《 肌にしっとりとなじみ、湯上りに肌がしっとりツルツル効果を実感する美人の湯 》
と明記されたポスターを見た記憶だけが鮮明に残っている。
その当時の私は、入浴後にポスターを見ながら、家内たちの女性なら喜ばしい限りであるが、
年金生活の駆け出し私は、温まればどうでもよいわ、と苦笑したりしていた。

再訪した観光ホテルは、リニューアルされて、
《 真心美人のおもてなしの宿 》と称されて仲居さんの30数名を見かけたが、
男性の私としては、ひとりの小柄な黒髪の仲居さんに見惚〈みと〉れただけであるが、
全般としては溌剌と笑顔を浮かべながら、健気に動く感じは好感させられた。
私は早寝早起き元気な児に徹し、入浴後はビールを吞み、
持参した新書本の二冊を布団の中で読んだり、まどろみながら昼寝をしたりした。
そして、この間のひととき、この周辺をマイナス数度ぐらいの中、
5キロぐらいを歩き廻り、帯広の郊外の情景を観て、思索を重ねた・・。
シンガーソングライターの中島みゆきさんが、
小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされた情景に思いを馳せたりした。
或いは亡き作家の福永武彦(ふくなが・たけひこ)の遺〈のこ〉された作品を思い浮かべたりした。
私は若き20代の前半に、文学青年の真似事をしたことがあり、
氏の作品に魅了されたひとりであった。
たまたま『草の花』を読みだして、圧倒的に魅了された後、
『風土』、『夜の時間』、『冥府・深淵』、『愛の試み』、『心の中を流れる河』、『 世界の終り』、
『廃市』、『告別』、『忘却の河』、『海市』、『死の島』などを精読したりした。
氏は敗戦後の1945年、治療と疎開のため北海道帯広市に移り、
3か月ほど滞在したのち一時東京に戻るが、
翌年り1946年に再び帯広に渡り、帯広中学校(現在・柏葉高校)の英語教師として赴任する。
その年に処女作「塔」を発表された後、冬に肋膜炎を再発し、
1947年秋に手術のため上京し、清瀬の東京療養所に1953年まで入院した。
そして後年に、『心の中を流れる河』の作品は帯広を舞台に綴られている。
このようなことを思い馳せながら、
遠方の2000メートル級の山なみが雪で光輝き、高い大空は青い空が果てしなき拡がる蒼穹(そうきゅう)、
そして大雪原は陽射しを受けて、まばゆい光を帯びている中、
歩いたりした。

家内と共に歩いたりした時は、頬が寒いわねぇ、と家内は言ったりしていたが、

凛とした冷気の中、私は微苦笑をしたりした。
夜のひととき、中島みゆきさんの学んだ高校は、時代こそ違うが、
福永武彦さんが一時時期に英語教師をされていた高校と同じと思われ、
中島みゆきさんも『草の花』、『心の中を流れる河』、或いは『告別』を読まれた、
と私は確信を覚えながら、ぼんやりと思ったりした。
《つづく》
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私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつであり、特に雪の舞い降る情景に魅せられて、
この時節になると、雪恋し、心情となり、
一昨年の2011〈平成23〉年12月20日より北海道の十勝平野の中の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして奥地の大雪連峰の東部の糠平〈ぬかびら〉温泉に2泊し訪れ、4泊5日の旅をした。
私たち夫婦は何故かしら北海道の風土に魅せられて、幾たびか訪れてきたが、
無念ながら帯広の地域は、二度ばかりしかない。
最初は周遊観光で晩秋の時に、道東めぐりの2泊3日の最終で十勝地方を観たりし、
その後は、5月の知床半島のクルーズに魅了された後、旅の終わりとして十勝川温泉に宿泊したが、
いずれも雪のない時節であった。
たまたま今回の旅の企画は、ある有力な旅行会社が団体観光滞在プランとして、
11月中旬の頃に新聞に掲載されていた。
家内が見て、十勝川温泉と糠平温泉の特色ある旅程に、
この時節は交通機関のことを配慮すれば、私たち夫婦の個人型の旅としては困難さが予測され、
何よりも旅行会社まかせで、旅費も驚くほどに格安であり、
私たち夫婦は瞬時に魅了されて、この団体観光滞在プランに参加した。
私の心の奥底には、この十勝地方の帯広の冬のイメージは、
郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、蒼穹(そうきゅう)の情景である。
厳冬の晴れ間の中、大地は凛とし、果てしなく青空が観えるのが、蒼穹(そうきゅう)の言葉に何よりも相応しい、
と思ったりしている。

私が今でも敬愛している亡き作家・立原正秋〈たちはら・まさあき〉氏の随筆から、
私が30代のなかばの昭和55年(1980年)10月の初旬に遅ればせながら
蒼穹(そうきゅう)という言葉を学んだ。
この中の随筆のひとつとして、知人が古美術店を開き、命名を頼まれ『蒼穹』と氏は名付けられた。
氏の発想の根源は、もとより氏は朝鮮半島で生を受けられたので、
大陸性の気候の中、冬の晴れ間の凛とした情景を思い浮かべて、
蒼穹(そうきゅう)という言葉を思い重ねただろう、と私なりに解釈した。
そして帯広市は、シンガーソングライターの中島みゆきさんが、
小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされた、
と私は25年前に学んだりした。
私は中島みゆきさんを秘かに女神のように信愛し、
このお方の幾つかの歌に支えられて、この人生の難局を乗り切ってきたひとりである。
このような蒼穹(そうきゅう)の情景、そして中島みゆきさんが一時時期過ごされた地域を
私なりに少しでも学びたい心情があった。
糠平〈ぬかぴら〉地域に関しては、
過ぎ去る2009年2月にNHKテレビの『生活ほっとモーニング』を視聴していたら、
『糠平湖』の冬の情景の数々が映しだされ、
『一度は・・行った観たいわ・・』
と家内が私に言ったりしていた。
このような単純明快な発想で、この時節はマイナス10度前後、
烈風か寒気団が襲来すればマイナス20度前後と予測される地域を体感しながら、
多くの方とふれ逢いながら、旅をしてきた。
第一章 壮大なる十勝平野の中、一部に心を寄せて
今回の旅で十勝平野の中、帯広空港から帯広市の郊外にある十勝川温泉の筒井地域にある観光ホテルの送迎バスの乗り、
宿泊地の筒井地域を散策し、
その後は糠平温泉郷に向い、送迎バスで士幌、上士幌を通り、宿泊地の糠平温泉の観光ホテル周辺を散策した後、
帰路は一路南下して帯広空港のコースであった。
20日より北海道の十勝平野の中の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして奥地の大雪連峰の東部の糠平〈ぬかびら〉温泉に2泊し訪れ、4泊5日の旅をした。
このようにわずかな旅路であったので、もとより壮大な十勝平野の中のほんの一部となる。
2000メートル級の山なみが聳える西方の日高山脈、北方の石狩山地、そして東は白糠丘陵に囲まれ、
平野の中を十勝川を中核とした札内川、戸蔦別川、岩内川、帯広川、売買川、ウツベツ川などの幾重の川が流れ、
中心地にはは帯広駅があり、明治の中期の頃から碁盤目状の大きな区画が四方に広がり、
この間には防風林が設けられている。
こうした壮大な十勝平野は、大豆、小豆、甜菜、じゃがいもなどの畑作を広い耕地、
或いは広大な酪農がされている情景が誰しも感じると思われる。
訪れた今回のこの時節は、この農地や酪農地は30センチ前後の大雪原に変貌し、
快晴の時は、遠方の山なみが雪で光輝き、高い大空は青い空が果てしなき拡がる蒼穹(そうきゅう)となった。
そして大雪原は陽射しを受けて、まばゆい光を帯びていた。
こうした時は、朝の6時はマイナス12度前後、昼下がりはマイナス4度前後、
そして夜の6時はマイナス6度前後となった。
或いは小雪が舞い降ると、天上から地表まで、みゆきの世界に変貌し、
ときおり風が吹けば、吹雪となるが、
寒さはマイナス7度前後で、雪が降る時は暖かく、
私は未知の大陸の北中国、朝鮮半島に近い気候かしら、と微笑んだりした。
尚、『みゆき』という表現は、もとより雪のことであり、
万葉集の頃は美由伎、私の敬愛しているシンガーソングライターの中島みゆきさんの本名は、
美雪だったかしら、と思いながら、私の好きな言葉のひとつである。
第二章 『十勝川 国際ホテル筒井』に再訪、そして郊外を散策すれば
20日の午後3時20分に予定通り『とかち帯広空港』に着陸した私たち一行は、
宿泊先の帯広市の郊外にある十勝川温泉の筒井地域にある観光ホテルの送迎バスの乗り込んだ。
ここで初めて私は、今回の旅を共にする方たちのメンバーを知った。
羽田空港で旅行会社の方に参加最終チエックしたが、お互いにフリーの状況であり、
ただ航空便が指定されただけであったので、参加メンバーは不明であった。
私たちは送迎バスの車内で、60代、70代前半の夫婦が多く、
後で知ったのであるが独りで参加される男性5名、女性1名で、総勢23名であった。
私たち夫婦は、この後の宿泊地の食事処、ロビーなどの館内で、
共に旅する70代前半の3組の方たちを中心に、さりげなく談笑を重ねたりした。
そして現地にお住まいの方たちとも、私は何かと教えを受けながら、
ひとときを言葉を交わし、一期一会を享受した・・。
夕暮れが山なみに染め、そして大地は雪原の広大の情景を観ながら、
一時間ばかり車窓から鑑賞し、宿泊地の『十勝川 国際ホテル筒井』に到着した。
http://www.tutui-h.com/
☆『十勝川 国際ホテル筒井』ホームページ☆
この観光ホテルは、私が定年退職の翌年の2005年5月下旬に、
知床観光船で早朝にウトロから出航し、日の出の頃に洋上から知床岬を観る貸切クルーズに魅了され、
団体観光周遊ツアーに参加した3泊4日の中で、たまたまこの観光ホテルに宿泊した体験があったので、
6年ぶりの再訪となった。

しかしながら、忘却とは忘れる事なり、と名言されたれ菊田一夫〈きくた・かずお〉氏の通り、
《 日本随一 天然植物性 モール温泉 》で、
《 肌にしっとりとなじみ、湯上りに肌がしっとりツルツル効果を実感する美人の湯 》
と明記されたポスターを見た記憶だけが鮮明に残っている。
その当時の私は、入浴後にポスターを見ながら、家内たちの女性なら喜ばしい限りであるが、
年金生活の駆け出し私は、温まればどうでもよいわ、と苦笑したりしていた。

再訪した観光ホテルは、リニューアルされて、
《 真心美人のおもてなしの宿 》と称されて仲居さんの30数名を見かけたが、
男性の私としては、ひとりの小柄な黒髪の仲居さんに見惚〈みと〉れただけであるが、
全般としては溌剌と笑顔を浮かべながら、健気に動く感じは好感させられた。
私は早寝早起き元気な児に徹し、入浴後はビールを吞み、
持参した新書本の二冊を布団の中で読んだり、まどろみながら昼寝をしたりした。
そして、この間のひととき、この周辺をマイナス数度ぐらいの中、
5キロぐらいを歩き廻り、帯広の郊外の情景を観て、思索を重ねた・・。
シンガーソングライターの中島みゆきさんが、
小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされた情景に思いを馳せたりした。
或いは亡き作家の福永武彦(ふくなが・たけひこ)の遺〈のこ〉された作品を思い浮かべたりした。
私は若き20代の前半に、文学青年の真似事をしたことがあり、
氏の作品に魅了されたひとりであった。
たまたま『草の花』を読みだして、圧倒的に魅了された後、
『風土』、『夜の時間』、『冥府・深淵』、『愛の試み』、『心の中を流れる河』、『 世界の終り』、
『廃市』、『告別』、『忘却の河』、『海市』、『死の島』などを精読したりした。
氏は敗戦後の1945年、治療と疎開のため北海道帯広市に移り、
3か月ほど滞在したのち一時東京に戻るが、
翌年り1946年に再び帯広に渡り、帯広中学校(現在・柏葉高校)の英語教師として赴任する。
その年に処女作「塔」を発表された後、冬に肋膜炎を再発し、
1947年秋に手術のため上京し、清瀬の東京療養所に1953年まで入院した。
そして後年に、『心の中を流れる河』の作品は帯広を舞台に綴られている。
このようなことを思い馳せながら、
遠方の2000メートル級の山なみが雪で光輝き、高い大空は青い空が果てしなき拡がる蒼穹(そうきゅう)、
そして大雪原は陽射しを受けて、まばゆい光を帯びている中、
歩いたりした。

家内と共に歩いたりした時は、頬が寒いわねぇ、と家内は言ったりしていたが、

凛とした冷気の中、私は微苦笑をしたりした。

夜のひととき、中島みゆきさんの学んだ高校は、時代こそ違うが、
福永武彦さんが一時時期に英語教師をされていた高校と同じと思われ、
中島みゆきさんも『草の花』、『心の中を流れる河』、或いは『告別』を読まれた、
と私は確信を覚えながら、ぼんやりと思ったりした。
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