夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

何かと気弱な癖に、自己顕示欲が強い私は、ときおり微苦笑をして・・。

2013-12-04 12:32:53 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く勤めて、2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
その直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしているひとりである。

今朝、洗面した後、いつものように、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。

本日もいつものように向っていると、
          
そして深く心の中で読んだりした後、
何かと気弱な癖に、自己顕示欲が強い私は、苦笑させられてしまった・・。
       

私は東京オリンピツクが開催された1964(昭和39)年に大学を中退し、
アルバイトをしながら映画・文学青年の真似事をしたが、
30代の頃に妻子を養なって家庭生活を思い浮かべると、とても過ごせる自信もなく、あえなく挫折した。

やむえず人生軌道を修正し、民間会社は新卒が最優先の時代であったので、
中途入社するひとつの手段としてコンピュータの専門学校に一年間学び、
ある大手の音響・映像メーカー会社に何とか中途入社ができたのは、
1970(昭和45)年の春で25歳の時であった。

そして、この会社の中のレコード事業本部に配属させられ、
この当時のレコード業界の中で圧倒的に首位を独走していたが、
この中のひとつの一部門が外資の要請で新たなるレコード会社として新設されることなった。

そして私も新設レコード会社に転籍させられ、商品の現場を学んだ後、
本社のコンピュータ専任者に配属させられたのは1971(昭和46)年の新春であった。

私は大学中退の上に中途入社の身であったが、大学を新卒されて入社した人の同年齢の方に、
多少の卑屈と劣等感がありながらも、給与など含めた待遇に早く追いつきたく、
ときには悪目立ちする時もあったりした。

たとえはアイドルスターの全盛期の1980(昭和55)年の当時、
ある会社では松田聖子をデビューさせ、ある会社でも河合奈保子をデビューして、
私が勤めていた会社も、ある新人をアイドルスターを抜擢した。

そしてデビュー曲の数が月前に、社内の大きな会議室で、このスターを囲み、
本社の社員の殆どが記念写真を撮ったりした。

この時、このスターと社長は最前列の中央に座ったが、四列ぐらいある中、
私たち平社員は片隅でもじもどと躊躇ったりしていた・。

こうした時、社長が私たち平社員に向って、前に来て早く座れなさい、と小声で言った。
そして私は最前列の社長の横に座っている邦楽制作本部長の横に座ったりした・・。

このようなふるまいを35年近く勤める間、年に一度ぐらい私はしたりし、
後日に何かと気弱な私は自己嫌悪をしたりした。
          

2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、まもなくブログの世界を知り、
パソコンの故障、国内旅行をしている以外は、毎日投稿している。

こうした中、私が加入している【gooブログ】のサイトは、
2008(平成20)年の頃は、確か加入数150万人ぐらいで、
この当時の私は写真を添付する技量もなく、ひたすら散文らしき文を綴り投稿文としていた。

そして私のサイトは訪問者数は長らく日々300人前後が多く、
【gooブログ】の総加入数の中に於いては、
多くある広大な砂糖黍(さとうきび)畑の中のたった一本の砂糖黍(さとうきび)のような存在であった。

このように私は、やがて埋もれてしまい、誰からも読まれなく無視されることが想像されて、
つたない私でも、余りにも悲しきことで愕然とするので、ひとつの対策をした。
       

こうした思いからひとつの方法として、
やはりブログのランキングに加入して、程ほどに上位にランキングされれば、
少しでも多くの方に読んで頂けると、つたない投稿文ながら自己顕示欲が増して、加入することとした。

          
そしてブログのランキングのサイトも幾つか彷徨(さまよ)うように加入したが、
『人気ブログランキング』の『随筆・エッセイ』に加入し、今日に至っている。

その後、2010〈平成22〉年の秋に、やはりブログのランキングの『にほんブログ村』に再加入した。

私は2008〈平成20〉年の頃に『にほんブログ村』に漠然と加入し、
何かしら他のブログのランキングに魅了され放置していたが、
投稿文ごとの具体的なランキングに気付かされて、ふたたび本加入させて頂いた。

そして現在は、『人気ブログランキング』に於いては、『随筆・エッセイ』に所属し、
『にほんブログ村』に関しては、加入時は『随筆・エッセイ』系に重点していたが、
一昨年の秋の頃から、世代のよしみに甘えてシニア日記系『60歳代』に移行している。
          

こうした中で、つたない私の投稿文に於いて、気楽に綴ったのが上位になると戸惑い、
真剣勝負のように綴ったのが評価されず下位となり落胆したりする時もあったりしている。

しかしながらブログの世界は、諸兄諸姉のサイトを読ませて頂き、多々教示されながら、
何よりも感じ深めていることは、この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、
めぐり逢えたこと、秘かに感謝したりしている。
          

私は世の中で著名な『相田みつを』氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999〈平成11〉年の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親と、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
               
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。

そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこのお方の名は知っていたのであるが、遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。
               
この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
               
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、
私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあり、
私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な書体で書かれ、
この日以来、私はこのお方を秘かに慈父のように人生の師と掲げたのである。

その後、私は氏の遺(のこ)されたされた『じぶんの花を』、
『いのちいっぱい』、『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』などの作品を拝読し、
ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。

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コメント (6)
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