私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを眺めると、『官公庁の御用納め』と明記されていたので、
多くの民間会社もこれに準拠して『仕事納め』になる、と微笑んだりしたのである。
そして私は、民間の中小業に35年ばかり勤めた体験があったので、
ここ10数年、たえず短期に成果を問われる民間のサラリーマン諸兄諸姉に、
今年も大変な年でしたねぇ、
と働いて下さる諸兄諸姉の健闘に感謝の言葉を心の中で呟(つぶや)いたりしていた・・。
この後、ぼんやりと私の現役時代の『仕事納め』のことを思い浮かべたりしたが、
私の心の片隅に残っていることを思い重ねたりたりした・・。
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私の現役時代の多くの時は、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社の本社に勤めていたが、
この当時は、官公庁の御用納めの翌日か当日に年内最後の業務となり、納会をした。
御用納めの該当日に、私は同僚たちと昼食の為に食事処に行った時、
所在地が六本木の四丁目の交差点に近い場所だったので、
この当時は近くに防衛庁(現在は『東京ミッドタウン』)があり、
この方たちが少し赤い顔して、テープルを一角を占領していた。
『官公庁はいいよなぁ・・午前中で終りかょ・・』
と同僚のひとりが呟(つぶや)いたりして、私たちは苦笑したりしていた。
会社の年内の最終日は、夜の6時に業務完了時なると、
本社で1番大きな会議室で立食のパーティ形式となった・・。
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私が若き27歳の頃は、勤めていた会社がヒット曲に恵まれた『仕事納め』の時は、
やはり大きな会議室で本社一同の社員が結集する中、
総務部の依頼で、餅つきの関係の業者が来社され、『餅つき』大会が開催され、
邦楽の責任者が、杵(きね)を掲げて、そして臼(うす)の蒸されたもち米を搗(つ)いたり、
その後、若手の有志の邦楽の担当者たちが、
杵(きね)を持ち上げて臼(うす)の中のもち米を搗(つ)いたりした。
そして私たちは、日本酒、ビールを呑みながら、それぞれに拍手喝采をしたり、
お互いに健闘を讃えながら高揚感が増して、幸福なひとときを共有したりしていた。
こうした時の私は、日頃に業務に接する人達とは、
歓送迎会、居酒屋での『呑みニケーション』をしているので、
このグループは避けて、他部門の方達と話し合ったりした。
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或いはヒット曲に恵まれない年の『仕事納め』の時は、
早々と立食のパーティを終わり、『来年は頑張ろうねぇ・・』とお互い言い合ったりして、
この後、有志50名ぐらい最寄りの居酒屋で二次会、
その後は勇士20名前後て洋風の居酒屋で三次会を開催し、
遠方のお住まいの方もいるので、終電の一時間前に散会したりした。
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こうした中で、1983年(昭和58年)の時は、私は情報畑で社内のシステム開発に悪戦苦闘し、
日曜日以外は殆ど出勤し、奮闘していた年であった・・。
そして土曜日の休日に会社に独り出勤し、
システム開発・運営までのスケジュール概要の進度状況をチエックしていたりしていた。
ある日、気分転換にひとつとして、自席から離れて会議室に移動して、
前方の首都高速道路で、渋谷から赤坂方面に走り数多くの車を視たり、
遠い彼方に東京タワーを眺めたりしていた。
やがて会議室の片面のステレオケットの横に置いてあったレコートの見本盤をセットし、
自動販売機のコーヒーを飲みながら、聴いたりしていた・・。
そして演歌のような要素を秘めブルースの基調が流れ、
ハスキーな歌声で圧倒的な歌唱力で唄い上げた歌に、私の心は叩きのめされたように、
心の中で膨張するように占領され、世にいわれている鳥肌がたった・・。
そして曲が終ると、ジャケットを見て、内藤やす子の『悲しい色やね』であった。
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この当時、この歌手に一昨年に他社から移籍し、程ほどのヒットを私が勤めていた会社から4枚ぐらいだして、
この見本盤のアルバムは『I Miss You~愛のつづれ織り~』と題され、
この当時としは、世の中でヒットされた原曲を編成され、カバーした稀なカバー・アルバムであり、
この中のひとつ歌が上田正樹さんの原曲の『悲しい色やね』(1982年)であった。
たまたま偶然に聴き、瞬時に圧倒的に惚れた私は、この後、私はこのアルバムを買い求め、
自宅で何百回もこの曲を聴きながら、心身励まされたりした。
そして、この曲を私は、人に会うたびに絶賛し、
『XXさんが・・ブルースが好きだったとは知らなかったょ』
と洋楽の編成の方に言われたりしていた。
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やがて1984年(昭和59年)の半ば、新システムは何とか軌道にのり、
この年の暮れの『仕事納め』の社員の立食のパーティを行っている時、
たまたま内藤やす子さんがマネジャーに付き添われて、参列された。
そして偶然に 内藤やす子さんが私に近づいてきたので、
平素は何かと奥手の癖に、ときおり悪目立ちがり屋の私は、
『貴女の・・『悲しい色やね』に励まされて・・私のシステム開発が・・何とか軌道にのりました・・』
と私はビールを呑みながら、内藤やす子さんに言ったりした。
『嬉しいわ・・』
と内藤やす子さんは驚いた表情を浮かべた後、
周囲の社員の方達に大声で、
『この方が、あたしの『悲しい色やね』のお陰で・・担当されているお仕事・・
上手(うま)く行ったですって・・』
と言ったのであった・・。
この直後、傍にいたマネジャーは、私に握手を求めてきた。
そして、内藤やす子さんも私に握手を求めてきて、
あたり一帯、先輩、同僚、後輩達の拍手で盛り上がった・・。
私は少し高揚しながら恥ずかしげに、内藤やす子さんの手を握った・・。
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このようなささやかな『仕事納め』の時を思いだしながら、
あの時はあんなことがあったよねぇ、と私は微苦笑を重ねたりしている。
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今朝、ぼんやりとカレンダーを眺めると、『官公庁の御用納め』と明記されていたので、
多くの民間会社もこれに準拠して『仕事納め』になる、と微笑んだりしたのである。
そして私は、民間の中小業に35年ばかり勤めた体験があったので、
ここ10数年、たえず短期に成果を問われる民間のサラリーマン諸兄諸姉に、
今年も大変な年でしたねぇ、
と働いて下さる諸兄諸姉の健闘に感謝の言葉を心の中で呟(つぶや)いたりしていた・・。
この後、ぼんやりと私の現役時代の『仕事納め』のことを思い浮かべたりしたが、
私の心の片隅に残っていることを思い重ねたりたりした・・。
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私の現役時代の多くの時は、中小業の多い音楽業界のあるレコード会社の本社に勤めていたが、
この当時は、官公庁の御用納めの翌日か当日に年内最後の業務となり、納会をした。
御用納めの該当日に、私は同僚たちと昼食の為に食事処に行った時、
所在地が六本木の四丁目の交差点に近い場所だったので、
この当時は近くに防衛庁(現在は『東京ミッドタウン』)があり、
この方たちが少し赤い顔して、テープルを一角を占領していた。
『官公庁はいいよなぁ・・午前中で終りかょ・・』
と同僚のひとりが呟(つぶや)いたりして、私たちは苦笑したりしていた。
会社の年内の最終日は、夜の6時に業務完了時なると、
本社で1番大きな会議室で立食のパーティ形式となった・・。
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私が若き27歳の頃は、勤めていた会社がヒット曲に恵まれた『仕事納め』の時は、
やはり大きな会議室で本社一同の社員が結集する中、
総務部の依頼で、餅つきの関係の業者が来社され、『餅つき』大会が開催され、
邦楽の責任者が、杵(きね)を掲げて、そして臼(うす)の蒸されたもち米を搗(つ)いたり、
その後、若手の有志の邦楽の担当者たちが、
杵(きね)を持ち上げて臼(うす)の中のもち米を搗(つ)いたりした。
そして私たちは、日本酒、ビールを呑みながら、それぞれに拍手喝采をしたり、
お互いに健闘を讃えながら高揚感が増して、幸福なひとときを共有したりしていた。
こうした時の私は、日頃に業務に接する人達とは、
歓送迎会、居酒屋での『呑みニケーション』をしているので、
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早々と立食のパーティを終わり、『来年は頑張ろうねぇ・・』とお互い言い合ったりして、
この後、有志50名ぐらい最寄りの居酒屋で二次会、
その後は勇士20名前後て洋風の居酒屋で三次会を開催し、
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日曜日以外は殆ど出勤し、奮闘していた年であった・・。
そして土曜日の休日に会社に独り出勤し、
システム開発・運営までのスケジュール概要の進度状況をチエックしていたりしていた。
ある日、気分転換にひとつとして、自席から離れて会議室に移動して、
前方の首都高速道路で、渋谷から赤坂方面に走り数多くの車を視たり、
遠い彼方に東京タワーを眺めたりしていた。
やがて会議室の片面のステレオケットの横に置いてあったレコートの見本盤をセットし、
自動販売機のコーヒーを飲みながら、聴いたりしていた・・。
そして演歌のような要素を秘めブルースの基調が流れ、
ハスキーな歌声で圧倒的な歌唱力で唄い上げた歌に、私の心は叩きのめされたように、
心の中で膨張するように占領され、世にいわれている鳥肌がたった・・。
そして曲が終ると、ジャケットを見て、内藤やす子の『悲しい色やね』であった。
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この当時、この歌手に一昨年に他社から移籍し、程ほどのヒットを私が勤めていた会社から4枚ぐらいだして、
この見本盤のアルバムは『I Miss You~愛のつづれ織り~』と題され、
この当時としは、世の中でヒットされた原曲を編成され、カバーした稀なカバー・アルバムであり、
この中のひとつ歌が上田正樹さんの原曲の『悲しい色やね』(1982年)であった。
たまたま偶然に聴き、瞬時に圧倒的に惚れた私は、この後、私はこのアルバムを買い求め、
自宅で何百回もこの曲を聴きながら、心身励まされたりした。
そして、この曲を私は、人に会うたびに絶賛し、
『XXさんが・・ブルースが好きだったとは知らなかったょ』
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やがて1984年(昭和59年)の半ば、新システムは何とか軌道にのり、
この年の暮れの『仕事納め』の社員の立食のパーティを行っている時、
たまたま内藤やす子さんがマネジャーに付き添われて、参列された。
そして偶然に 内藤やす子さんが私に近づいてきたので、
平素は何かと奥手の癖に、ときおり悪目立ちがり屋の私は、
『貴女の・・『悲しい色やね』に励まされて・・私のシステム開発が・・何とか軌道にのりました・・』
と私はビールを呑みながら、内藤やす子さんに言ったりした。
『嬉しいわ・・』
と内藤やす子さんは驚いた表情を浮かべた後、
周囲の社員の方達に大声で、
『この方が、あたしの『悲しい色やね』のお陰で・・担当されているお仕事・・
上手(うま)く行ったですって・・』
と言ったのであった・・。
この直後、傍にいたマネジャーは、私に握手を求めてきた。
そして、内藤やす子さんも私に握手を求めてきて、
あたり一帯、先輩、同僚、後輩達の拍手で盛り上がった・・。
私は少し高揚しながら恥ずかしげに、内藤やす子さんの手を握った・・。
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このようなささやかな『仕事納め』の時を思いだしながら、
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