私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
過ぎ去り年の2004年(平成16年)の秋に、中小業の民間会社のサラリーマンを定年退職する6年前の頃、
業界はリストラ烈風となり、定年する5年前に無念ながら『出向』と会社より辞令された。
そしてこの時に、私は家内と改めて定年退職後の人生設計を話し合い、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで老後の歳月を過ごすので、
結果としては残された人生はお互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると判断をしたした。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めたのである。
そして私たち夫婦は、雑木の多い小庭のある中で、古惚けた一軒屋に住み、
お互いに厚生年金、そしてわずかな厚生基金の年金を頂き、生活の基盤とし、
共通趣味の国内旅行、予期していなかった耐久品、或いは冠婚葬祭などは、程々の貯金を取り崩して生活している。
定年退職後の年金生活を始めた直後、私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。
こうした時、銀行の方から、『一時払い終身保険』を勧誘させられたりした。
しかし10年間の運用利回りが良いと言われても、長期に及び資金が固定されてしまうので、
魅力は感じることなく、対象外とした。
この直後、支店長から3分の2はある投資信託で高い金利、
残りの3分の1を安全利回りで運用されれば確実に増えます、
と勧誘するように助言されたりした。
しかし私たちは、もとより金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、
悪化しマイナスになった場合は、残された人生に狂いが生じるので、安全な国債などしたのである。
もとより私は小心者のせいか株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクで、
残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも心身によくないと思ったりした。
そして、貯金関係は殆ど国債の元本保証プラスわずかな金利、そして定期貯金を選定したのである。
国債が絶対的に大丈夫、と問われれば、
『国債が駄目になった時は日本が滅びる時である・・
その時は私たちの生命財産はもとより保障されないので・・』
と私は今でも公言をしている。
こうした中で、保険関係をすべて見直して、
現役時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとした。
やがて私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。
そして2011年(平成23年)10月初旬に、
家内は家内の父の命日に際して、家内の母と妹の三人で、
墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、何かの話題の後に、年金生活の保険金の話題になったらしい。
この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、
『医療保険』などはなくても大丈夫よ、と家内は言われたりした、と家内の帰宅後に私は教えられた。
この後、少しばかりのんびりとした私は、
現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。
或いは遠い親戚の叔父さんが3度ばかり入退院されて、たまたま私は、
《・・70歳未満の場合は、年収が約210万~790万円の一般所得者は、
一か月当たりの自己負担の上限を8万100円・・》
と教えられ、何かと思い込みの激しい私は、そうなんだ、と教示させられたりした。
そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。
そして、私は解約の手続きを開始したのである。
私たち夫婦は、年金生活を7年過ぎた頃であった。
家内は、年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。
『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、
旅行に行けたし・・こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。
そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあればと思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。
その後、私が秘かに季節ごとに逢える恋人のように購読している季刊誌の『文藝春秋SPECIAL』(2012年冬号)を
2012年(平成24年)10月下旬に、駅前の本屋で買い求めたりした。
たまたま《 老後のお金 》の特集であり、
表紙の右上には《 今すくに出来る65歳からの賢いお金の使い方 》と明記されていたので、
何かと小心者の私にとってびったりの内容だ、と思いながら精読し、多々教示された。
そして経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、やはり高齢者にとっては預貯金が肝要である、と思ったりした。
このような保険に関しだけは、
一昨日の7日に『年金生活の我が家、保険の見直しをした中、『ちょこっと共済』に微笑み・・。』と題して、
このサイトに投稿した。
昨日、麗(うるわ)しき女性で何よりもお心の清らかな人より、
《・・70歳未満の場合は、年収が約210万~790万円の一般所得者は、
一か月当たりの自己負担の上限を8万100円・・》についてコメントを頂いたりした。
やがて私は、厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を見たり、
この後に、『文藝春秋SPECIAL』(2012年冬号)を再読したりして、
何かと思い込みの激しく、ときおり勘違いの多い私は、違っていたょ・・間違いだったょ、
と赤面したりした・・。
今回、『文藝春秋SPECIAL』(2012年冬号)の特集の《 老後のお金 》の特集の中のひとつ、
《保険編》に付いて、ライフネット生命保険代表取締役副社長・岩瀬大輔(いわせ・だいすけ)氏の寄稿文を
無断ながら要約させて頂く。
《・・現役から退いた高齢者には原則として『生命保険』は必要はない・・
長年加入してきた『生命保険』がある場合は解約して、その資金を老後間の生活費に充当すべきた。
「自分の身に起きる確率の高い事象」については、保険では貯蓄等の資産形成によって準備されるべきものである。
老後の生活費は必ず必要になることが分かっているお金てある。
「偶然の事故に備えて大勢が少しつづお金を出し合う仕組み」である保険には適さない。
老後の生活に入ってからの死亡や病気は「発生確率が低い事象」ではない。
誰しも老いたら体は弱くなり、病気にも罹(かか)りやすくなる。
保険数理的には十分に起こり得る事態なのであるから、
しっかりと現実と向き合って備えるべきの事柄である。
老後の生活において私たちにふりかかる死亡・病気等の事象に対しては、
原則として保険ではなく貯蓄による現貯金で対応すると考えるべきである。
追加の収入がなかなか見込めない老後の生活においては、いかに自由になる資金を確保するかが大切である。
人生の最終ステージに入った後は、もっとも憂慮すべき「万が一」のリスクは、
死亡や病気ではなく、悲しいことだが想定以上に長生きしてしまうこととも言えるかも知れない。
このような観点からも、『生命保険』の入り方はついては慎重に検討されたい。
『生命保険』は「何に備えるか」という観点から、大きく三つに分けることができる。
◎死亡による所得喪失(死亡保障)
◎病気による医療費支出(医療保障)
◎長生きのための費用(生存保障)
死亡による所得喪失に備える保障は、定年退職してからは働いていないわけだから、
失うべき「所得」がそもそも無い。
子供たちはもう独立しているから、経済的に困る家族もいない。
世帯主が亡くなっても、残された配偶者に年金が支給され続ける。
老後の生活は、これまで形成してきた資産と、年金に頼ることになる。
従って、老後の生活において死亡保障は不要と考えるべきだ。
医療保障は貯蓄で対応。
高齢者になれば医療費の自己負担金額はさほど大きくない。
公的医療保険は70歳以上の高齢者であれば、自己負担一割で医療は受けられる。
その上、高額医療費制度によって、高齢者は自己負担額は限定されている。
70歳以上であれば、外来の場合、毎月の上限額は1万2000円となっている。
(現役並みに課税所得がある人は、4万4400円)
このような理由から、「いざという時に医療費に回せる貯蓄が数百万円あれば、
民間医療保険は必要はない」。
このように公的医療保険が手厚い理由は、民間保険と異なる三つの性格を持っている。
◎公的医療保険は持病があるか否やによって保険加入を拒まれることはないし、
保険料が高くなることもない。
健康な人がその分も負担しているので、健康リスクの移転が行われている。
◎社会保険料は所得比例となっているが、給与が高い人が病気になる確率が高い訳ではなく、
所得の再分配も行われている。
◎高齢者の公的保険は、実際には現役世代からの「仕送り」によって、
大半が賄われているので、世代間の所得移転がある。
もとより財政が逼迫する中、医療費の抑制を目的として、今後の高齢者についても
自己負担額の増加が求められる可能性がある。
それでもなお、高齢者の医療と年金をある程度、保障することは現代国家の中核の責務である。
生存保障・介護保険は入るべきか。
老後でもっとも心配なのが、介護の費用・・
「要介護」の手前の「要支援」、或いは重度の「要介護」の実態分布を明確にした後、
その上に民間の『介護保険』が説明されている。
そして老後資金の中から、80歳を超えて長生きした時の介護資金として、
500~1000万円程度は介護資金として織り込んでおくか、
まさにそれぞれの人の「保険観」によって決まることになろう。
もっとも、以上は現状の介護保険制度が前提としている。
財政が逼迫する中、今後は制度が見直しされることも充分ありえる。
その場合は、公的保険も民間保険も共に、給付条件等を見直される可能性がある。
この場合でも確実に頼りになるのは現金だろう。
手元にある程度自由になる現預金を確保しておくことが不可欠だ。・・》
このように私は岩瀬大輔氏の寄稿文から、多々教示を受けて、
程ほどの現預金だけしかない我が家は、公的の国民健康保険、介護保険を頼りに、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約し、現預金の目減りを程ほどに抑えてきたことが、
正解だったかしら、と私は微苦笑している。
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過ぎ去り年の2004年(平成16年)の秋に、中小業の民間会社のサラリーマンを定年退職する6年前の頃、
業界はリストラ烈風となり、定年する5年前に無念ながら『出向』と会社より辞令された。
そしてこの時に、私は家内と改めて定年退職後の人生設計を話し合い、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで老後の歳月を過ごすので、
結果としては残された人生はお互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると判断をしたした。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めたのである。
そして私たち夫婦は、雑木の多い小庭のある中で、古惚けた一軒屋に住み、
お互いに厚生年金、そしてわずかな厚生基金の年金を頂き、生活の基盤とし、
共通趣味の国内旅行、予期していなかった耐久品、或いは冠婚葬祭などは、程々の貯金を取り崩して生活している。
定年退職後の年金生活を始めた直後、私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。
こうした時、銀行の方から、『一時払い終身保険』を勧誘させられたりした。
しかし10年間の運用利回りが良いと言われても、長期に及び資金が固定されてしまうので、
魅力は感じることなく、対象外とした。
この直後、支店長から3分の2はある投資信託で高い金利、
残りの3分の1を安全利回りで運用されれば確実に増えます、
と勧誘するように助言されたりした。
しかし私たちは、もとより金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、
悪化しマイナスになった場合は、残された人生に狂いが生じるので、安全な国債などしたのである。
もとより私は小心者のせいか株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクで、
残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも心身によくないと思ったりした。
そして、貯金関係は殆ど国債の元本保証プラスわずかな金利、そして定期貯金を選定したのである。
国債が絶対的に大丈夫、と問われれば、
『国債が駄目になった時は日本が滅びる時である・・
その時は私たちの生命財産はもとより保障されないので・・』
と私は今でも公言をしている。
こうした中で、保険関係をすべて見直して、
現役時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとした。
やがて私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。
そして2011年(平成23年)10月初旬に、
家内は家内の父の命日に際して、家内の母と妹の三人で、
墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、何かの話題の後に、年金生活の保険金の話題になったらしい。
この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、
『医療保険』などはなくても大丈夫よ、と家内は言われたりした、と家内の帰宅後に私は教えられた。
この後、少しばかりのんびりとした私は、
現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。
或いは遠い親戚の叔父さんが3度ばかり入退院されて、たまたま私は、
《・・70歳未満の場合は、年収が約210万~790万円の一般所得者は、
一か月当たりの自己負担の上限を8万100円・・》
と教えられ、何かと思い込みの激しい私は、そうなんだ、と教示させられたりした。
そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。
そして、私は解約の手続きを開始したのである。
私たち夫婦は、年金生活を7年過ぎた頃であった。
家内は、年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。
『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、
旅行に行けたし・・こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。
そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあればと思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。
その後、私が秘かに季節ごとに逢える恋人のように購読している季刊誌の『文藝春秋SPECIAL』(2012年冬号)を
2012年(平成24年)10月下旬に、駅前の本屋で買い求めたりした。
たまたま《 老後のお金 》の特集であり、
表紙の右上には《 今すくに出来る65歳からの賢いお金の使い方 》と明記されていたので、
何かと小心者の私にとってびったりの内容だ、と思いながら精読し、多々教示された。
そして経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、やはり高齢者にとっては預貯金が肝要である、と思ったりした。
このような保険に関しだけは、
一昨日の7日に『年金生活の我が家、保険の見直しをした中、『ちょこっと共済』に微笑み・・。』と題して、
このサイトに投稿した。
昨日、麗(うるわ)しき女性で何よりもお心の清らかな人より、
《・・70歳未満の場合は、年収が約210万~790万円の一般所得者は、
一か月当たりの自己負担の上限を8万100円・・》についてコメントを頂いたりした。
やがて私は、厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を見たり、
この後に、『文藝春秋SPECIAL』(2012年冬号)を再読したりして、
何かと思い込みの激しく、ときおり勘違いの多い私は、違っていたょ・・間違いだったょ、
と赤面したりした・・。
今回、『文藝春秋SPECIAL』(2012年冬号)の特集の《 老後のお金 》の特集の中のひとつ、
《保険編》に付いて、ライフネット生命保険代表取締役副社長・岩瀬大輔(いわせ・だいすけ)氏の寄稿文を
無断ながら要約させて頂く。
《・・現役から退いた高齢者には原則として『生命保険』は必要はない・・
長年加入してきた『生命保険』がある場合は解約して、その資金を老後間の生活費に充当すべきた。
「自分の身に起きる確率の高い事象」については、保険では貯蓄等の資産形成によって準備されるべきものである。
老後の生活費は必ず必要になることが分かっているお金てある。
「偶然の事故に備えて大勢が少しつづお金を出し合う仕組み」である保険には適さない。
老後の生活に入ってからの死亡や病気は「発生確率が低い事象」ではない。
誰しも老いたら体は弱くなり、病気にも罹(かか)りやすくなる。
保険数理的には十分に起こり得る事態なのであるから、
しっかりと現実と向き合って備えるべきの事柄である。
老後の生活において私たちにふりかかる死亡・病気等の事象に対しては、
原則として保険ではなく貯蓄による現貯金で対応すると考えるべきである。
追加の収入がなかなか見込めない老後の生活においては、いかに自由になる資金を確保するかが大切である。
人生の最終ステージに入った後は、もっとも憂慮すべき「万が一」のリスクは、
死亡や病気ではなく、悲しいことだが想定以上に長生きしてしまうこととも言えるかも知れない。
このような観点からも、『生命保険』の入り方はついては慎重に検討されたい。
『生命保険』は「何に備えるか」という観点から、大きく三つに分けることができる。
◎死亡による所得喪失(死亡保障)
◎病気による医療費支出(医療保障)
◎長生きのための費用(生存保障)
死亡による所得喪失に備える保障は、定年退職してからは働いていないわけだから、
失うべき「所得」がそもそも無い。
子供たちはもう独立しているから、経済的に困る家族もいない。
世帯主が亡くなっても、残された配偶者に年金が支給され続ける。
老後の生活は、これまで形成してきた資産と、年金に頼ることになる。
従って、老後の生活において死亡保障は不要と考えるべきだ。
医療保障は貯蓄で対応。
高齢者になれば医療費の自己負担金額はさほど大きくない。
公的医療保険は70歳以上の高齢者であれば、自己負担一割で医療は受けられる。
その上、高額医療費制度によって、高齢者は自己負担額は限定されている。
70歳以上であれば、外来の場合、毎月の上限額は1万2000円となっている。
(現役並みに課税所得がある人は、4万4400円)
このような理由から、「いざという時に医療費に回せる貯蓄が数百万円あれば、
民間医療保険は必要はない」。
このように公的医療保険が手厚い理由は、民間保険と異なる三つの性格を持っている。
◎公的医療保険は持病があるか否やによって保険加入を拒まれることはないし、
保険料が高くなることもない。
健康な人がその分も負担しているので、健康リスクの移転が行われている。
◎社会保険料は所得比例となっているが、給与が高い人が病気になる確率が高い訳ではなく、
所得の再分配も行われている。
◎高齢者の公的保険は、実際には現役世代からの「仕送り」によって、
大半が賄われているので、世代間の所得移転がある。
もとより財政が逼迫する中、医療費の抑制を目的として、今後の高齢者についても
自己負担額の増加が求められる可能性がある。
それでもなお、高齢者の医療と年金をある程度、保障することは現代国家の中核の責務である。
生存保障・介護保険は入るべきか。
老後でもっとも心配なのが、介護の費用・・
「要介護」の手前の「要支援」、或いは重度の「要介護」の実態分布を明確にした後、
その上に民間の『介護保険』が説明されている。
そして老後資金の中から、80歳を超えて長生きした時の介護資金として、
500~1000万円程度は介護資金として織り込んでおくか、
まさにそれぞれの人の「保険観」によって決まることになろう。
もっとも、以上は現状の介護保険制度が前提としている。
財政が逼迫する中、今後は制度が見直しされることも充分ありえる。
その場合は、公的保険も民間保険も共に、給付条件等を見直される可能性がある。
この場合でも確実に頼りになるのは現金だろう。
手元にある程度自由になる現預金を確保しておくことが不可欠だ。・・》
このように私は岩瀬大輔氏の寄稿文から、多々教示を受けて、
程ほどの現預金だけしかない我が家は、公的の国民健康保険、介護保険を頼りに、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約し、現預金の目減りを程ほどに抑えてきたことが、
正解だったかしら、と私は微苦笑している。
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