私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
私の半生は何かと劣等感があり、屈折の多い人生だったので、
敗残者のようなことも幾たびか体験してきた。
そして残された人生は、せめて少しばかり自由な時を・・、と念願しながら定年直後から年金生活をしてきた。
私は今年の9月に誕生日を迎えると60代を卒業して、古希と称される70歳になり、
家内も12月の誕生日を迎えると65歳となる。
私は定年した直後から自主的に平素の買物担当となった私は、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書をすることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、茶坊主ぐらいはしている。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、早や丸9年半が過ぎている。
そして時折、庭の手入れをし、特に雑木が多く、季節の移ろいを的確に表現してくれるので、
時節のうつろいを改めて教示され、深めたりしている。
或いは地元の小・中学時代や都心の高校時代の友人たちと居酒屋など逢ったり、
男性の場合は、お互いに呼び捨てしているが、女性からはXXクンなどと私は呼ばれている。
そして私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若き新婚時代から、数多く旅を重ねたりしているが、
定年後は旅程の制約から解放されて、5泊6日前後で観光ホテルに滞在し、
周辺を歩いたりして遊学している。
このような年金生活を重ねてきたが、ときおり自身の投稿文を読み返し、
あの時はあのようなことを感じて過ごしてきたんだ、と微苦笑したりすることもある。
私は定年退職後の一ヶ月後から投稿文を重ねてきたので、
その時の思いが素直に熱く綴っていて、自分ながら微笑ましく思ったりする時もある。
しかしながら大半は綴りの幼さもあり、ときおり赤面したりしている。
こうして過ぎ去った日々の投稿文を読むと、
自分に優(やさ)しく甘くなれるのに、我ながら驚いたりしている・・。
思い馳せれば年金生活を始めてまもない2004年(平成16年)11月に、
不安を少し秘めながら過ごしていた時、確か総合月刊誌の『文藝春秋』の最新号の中で、
日本酒に詳しい研究家の太田和彦さんの寄稿文が掲載されていた。
《・・人はある年齢になると、新しさより古さを尊ぶようになる。
それは自分が生きてきた人生を肯定したいからだ。・・》
こうした一節を心の片隅に残っていたが、この当時の頃は、そうかしら・・と漠然と感じたりした。
そして9年半過ぎた今は、つたない半生を歩んできた私でも、確かにそうですよねぇ、
と私は微苦笑したりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した後、
私の半生は何かと劣等感があり、屈折の多い人生だったので、
敗残者のようなことも幾たびか体験してきた。
そして残された人生は、せめて少しばかり自由な時を・・、と念願しながら定年直後から年金生活をしてきた。
私は今年の9月に誕生日を迎えると60代を卒業して、古希と称される70歳になり、
家内も12月の誕生日を迎えると65歳となる。
私は定年した直後から自主的に平素の買物担当となった私は、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書をすることが多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、茶坊主ぐらいはしている。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、パソコンの故障とか旅行に行っていない限り、
ブログの投稿文を重ねて、早や丸9年半が過ぎている。
そして時折、庭の手入れをし、特に雑木が多く、季節の移ろいを的確に表現してくれるので、
時節のうつろいを改めて教示され、深めたりしている。
或いは地元の小・中学時代や都心の高校時代の友人たちと居酒屋など逢ったり、
男性の場合は、お互いに呼び捨てしているが、女性からはXXクンなどと私は呼ばれている。
そして私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若き新婚時代から、数多く旅を重ねたりしているが、
定年後は旅程の制約から解放されて、5泊6日前後で観光ホテルに滞在し、
周辺を歩いたりして遊学している。
このような年金生活を重ねてきたが、ときおり自身の投稿文を読み返し、
あの時はあのようなことを感じて過ごしてきたんだ、と微苦笑したりすることもある。
私は定年退職後の一ヶ月後から投稿文を重ねてきたので、
その時の思いが素直に熱く綴っていて、自分ながら微笑ましく思ったりする時もある。
しかしながら大半は綴りの幼さもあり、ときおり赤面したりしている。
こうして過ぎ去った日々の投稿文を読むと、
自分に優(やさ)しく甘くなれるのに、我ながら驚いたりしている・・。
思い馳せれば年金生活を始めてまもない2004年(平成16年)11月に、
不安を少し秘めながら過ごしていた時、確か総合月刊誌の『文藝春秋』の最新号の中で、
日本酒に詳しい研究家の太田和彦さんの寄稿文が掲載されていた。
《・・人はある年齢になると、新しさより古さを尊ぶようになる。
それは自分が生きてきた人生を肯定したいからだ。・・》
こうした一節を心の片隅に残っていたが、この当時の頃は、そうかしら・・と漠然と感じたりした。
そして9年半過ぎた今は、つたない半生を歩んできた私でも、確かにそうですよねぇ、
と私は微苦笑したりしている。
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