夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外で小雪が舞い降ると、ときには単細胞の私は『なごり雪』の歌を唄い・・。

2014-03-08 13:53:37 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69の身であるが、
昨日、いつものように平素の買物担当者の私は、スーパーに行ったりしたが、
少し寒いじゃないの、と思いながら往還したりした。

何かしら天上の気候の神々の采配に寄り、冬将軍が来週の火曜日まで居座り、
各地では平年より寒く、日本沿いの街は雪と風に遭遇している、
と私はテレビのニュースで視聴したりしてきた。

女の子の祝賀会の『桃の節句』も終えた今、どうしてなのょ、と私は空を見上げたりした。

そして午後の2時過ぎに、私は居間でぼんやりと本を読んでいたら、
『貴方・・雪が降って来たわ』
と家内は私に教えてくれた。

私は窓辺から小庭を見ると、確かに霙(みぞれ)でなく、小雪が舞い降っている。
そして私は、今頃に雪かょ、と思いながら、小庭にあるテラスに下り立った。

白梅、紅梅の満開の中、小雪が降り、数分眺めたりしていると、何かと単細胞の私は
『なごり雪』の歌をかぼそい声で唄ってしまった・・。
          

もとより『なごり雪』の歌は、過ぎ去り年の1974年(昭和49年)の当時、
この前後、時代を旋風させた南こうせつ、伊勢正三、山田パンダの三氏による『かぐや姫』の4枚目のアルバム『三階建の詩』の中で、
『22才の別れ』と共に今日でも名曲として、多くの音楽ファンから親しまれている。

そして『なごり雪』は、伊勢正三氏が作詞・作曲した歌、としても多くの方に知られている。

私はこの当時、たまたま音楽業界のあるレコード会社に勤め、
音楽に直接携わる制作ではなく、裏方の管理畑で奮戦していた。

そして『かぐや姫』、イルカさんの専属契約されたレコード会社とは無縁であるが、
風の噂として、かぐや姫の所属していた『ユイ音楽工房』の中に、
不遇なイルカさんに、この当時の『ユイ音楽工房』の後藤由多加・社長が強力に斡旋して、
やがてイルカさんは、ためらいながら唄いだした、と私は聞いたりしていた。

その後、イルカさんは、歌唱力もある上、説得力や表現力も優(すぐ)れ、
イルカさんの代表曲と知られているのは周知の事実でもある。
http://www.youtube.com/watch?v=4IT_ZHGsQXw
☆Youtube《『なごり雪』 作詞、作曲・伊勢正三、唄・イルカ》☆

私は体力の衰えた男性であるので、もとよりイルカさんのように唄えないが、
作詞・作曲された伊勢正三氏も唄われた、と知っていたので、
せめて真似事のように、かぼそい声ながら唄ったりした。

やがて、私の音痴に近い唄声の為か、小雪が止んだ・・。

その後、午後3時半過ぎに再び小雪が降りだして、
やむなく私は心の中で唄ったりした。

やがて30分過ぎると、小雪は止み、地面には積雪も残らず、春先の名残り雪のひとときであった。
そして天候は急激に回復して、夕暮れ5時には青空となり、
天候のめまぐるしい午後に、私は苦笑したりした。

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