私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、小学館が発刊しているシニア向けの教養雑誌『サライ』の公式サイト【serai.jp】を見たりしていた中、
【 50~60代は「実りの20年」70代は「黄金の10年」では80代は? 】と題された記事を見た。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。
そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
このような年金生活を過ごしてきたが、50~60代は「実りの20年」、そして70代は「黄金の10年」、やがて80代は?、
と教示されても、どのようなことなの、と思いながら好奇心に負けて精読してしまった。
この記事は、庄司真紀さんが寄稿された文で、
【serai.jp】に於いて2017年3月15日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・50~60代は「実りの20年」70代は「黄金の10年」では80代は?

シニア夫婦のポートレート
リタイア後に人生を見つめた時に、驚くほど長い時間が残っていることに気づくでしょう。
ひとくくりにシニアと言われても実際、65歳と80歳は大きく違います。
若い時と同じもの、変わっていくもの。
マイナス面だけでなく、知性や幸福度は高まり、人生の実りの時を迎えます。
米国カリフォルニア州立大学・心理学部教授のケネス・S・シュルツ氏監修の
『リアイアの心理学 定年の後をしあわせに生きる』(日経ナショナル ジオグラフィック社)を参考に、
知っておきたい各年代の特徴をまとめてご紹介しましょう。

☆1:50~60代は「実りの20年」
社会学者のデイビッド・ガープは、50代を「折り返しの10年」と呼びましたが、
30〜40代の時より50〜60代のほうが、幸福を強く感じるという調査結果があります。
なぜなら、中年期の前半に抱えていた、さまざまなストレスから解放されるのが、この時期だから。
キャリアの目標を実現した達成感と、子供を独り立ちさせた安堵感があるからです。
カリフォルニア大学バークリー校でロバート・レベンソンらが行った研究では、
50~60代は、知的能力と認知能力にいっそう磨きがかかり、仕事や人間関係で良い結果が得られるといいます。
現役を退くこの時期は、集中力と決断力を発揮して、長年あたためていた後送を、実行に移すときでもあります。

☆2:70代は「黄金の10年」
子育てや親の介護といった困難を乗り越えた安心感もあり、幸福感は70代に入ってからも上昇し続けます。
生活の自由度が増し、夫婦関係も心地よく、良い意味でお互いを頼りにする年代です。
老いを実感する瞬間は、たまにあるかもしれませんが、日常のほとんどのことは支障なくこなしていけます。
その上で「円熟期」に入った手応えがあれば、老化に対する漠然とした不安に悩むことはないでしょう。
祖父母としての務めを果たしたり、ボランティア活動をするなど、目的意識を持つことが、
この世代の幸福感につながります。

☆3:80代は「新たな10年」
豊かな人生経験に裏打ちされたあなたの意見や考えに、多くの人が耳を傾けるでしょう。
あらゆる場面で意見を求められるかもしれません。
その反面、若い時に加齢への偏見が根付いている人は、
自らの偏見が自分へ向かい、老人性うつ病のリスクが高まることもあります。
その他、一般的な幸福度は健康の問題に直結し、健康管理ができる環境や信頼できる医師がいるかどうかで、
生活の満足感が左右されます。
健やかに長生きする秘訣は、自分のライフスタイルに目を配り、見通しを持つことです。
刺激を求めたり、人づきあいや親密な触れあいを持つことで、余生はいっそう楽しいものになります。

以上、『リアイアの心理学 定年の後をしあわせに生きる』から、
リアイア以降の各年代ごとの特徴をご紹介しました。
加齢の研究では、身体能力など能力低下を調べるものが多くなりますが、
数値化しにくい分野、直感力や経験値、幸福度では、また別の見方ができそうです。
前の年代にとらわれず、今の年代にあった生き方を見つめてみませんか。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は読み終わった後、こうした年代別に過ごせるは、欧米社会に見られる高潔な理想社会であり、
日本は殆どの御方は、生臭い軌跡を歩むことが多い、と私は微苦笑させられた。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。
まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。
そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。
年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。
こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。
そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。
やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
このような心情の片隅みに秘めながら、私は60代の年金生活は、つたない我が人生の中で、
最も安楽な日々を過ごして、享受してきた。
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。
私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。
もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。
そして私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。
定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。
この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
この間、私が定年退職後、年金生活を始める直前に、家内の父が病死され、家内の母は独り住まいとなったりした。
この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。
ここ数年は、家内の母の老化と病状で、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となっている。
いつの日にか私たち夫婦は、どちらかが片割れとなり『おひとりさま』となる。
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
私は特別演習だ、と思いながら過ごしている。
このように年金生活を過ごしているが、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。
たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体と信愛して、年金生活を過ごしている。
このように私は過ごし、つたない定年までの半生を過ごした私でも、年金生活は予測した以上に享受している。

こうした中で、昨今、日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。
そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。
こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する期間でもある。
そして私たち夫婦は、いつの日にか、どちらかが介護を受ける身まで、
ささやかながら年金生活の楽しき日々を甘受している。
こうした生活をしている私は、今回の欧米社会に見られる高潔な理想社会のような記事には、
私にとっては体操の段違い平行棒のように格差があるよなぁ、
と微苦笑を重ねたりしている。
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先程、小学館が発刊しているシニア向けの教養雑誌『サライ』の公式サイト【serai.jp】を見たりしていた中、
【 50~60代は「実りの20年」70代は「黄金の10年」では80代は? 】と題された記事を見た。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。
そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
このような年金生活を過ごしてきたが、50~60代は「実りの20年」、そして70代は「黄金の10年」、やがて80代は?、
と教示されても、どのようなことなの、と思いながら好奇心に負けて精読してしまった。
この記事は、庄司真紀さんが寄稿された文で、
【serai.jp】に於いて2017年3月15日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・50~60代は「実りの20年」70代は「黄金の10年」では80代は?

シニア夫婦のポートレート
リタイア後に人生を見つめた時に、驚くほど長い時間が残っていることに気づくでしょう。
ひとくくりにシニアと言われても実際、65歳と80歳は大きく違います。
若い時と同じもの、変わっていくもの。
マイナス面だけでなく、知性や幸福度は高まり、人生の実りの時を迎えます。
米国カリフォルニア州立大学・心理学部教授のケネス・S・シュルツ氏監修の
『リアイアの心理学 定年の後をしあわせに生きる』(日経ナショナル ジオグラフィック社)を参考に、
知っておきたい各年代の特徴をまとめてご紹介しましょう。

☆1:50~60代は「実りの20年」
社会学者のデイビッド・ガープは、50代を「折り返しの10年」と呼びましたが、
30〜40代の時より50〜60代のほうが、幸福を強く感じるという調査結果があります。
なぜなら、中年期の前半に抱えていた、さまざまなストレスから解放されるのが、この時期だから。
キャリアの目標を実現した達成感と、子供を独り立ちさせた安堵感があるからです。
カリフォルニア大学バークリー校でロバート・レベンソンらが行った研究では、
50~60代は、知的能力と認知能力にいっそう磨きがかかり、仕事や人間関係で良い結果が得られるといいます。
現役を退くこの時期は、集中力と決断力を発揮して、長年あたためていた後送を、実行に移すときでもあります。

☆2:70代は「黄金の10年」
子育てや親の介護といった困難を乗り越えた安心感もあり、幸福感は70代に入ってからも上昇し続けます。
生活の自由度が増し、夫婦関係も心地よく、良い意味でお互いを頼りにする年代です。
老いを実感する瞬間は、たまにあるかもしれませんが、日常のほとんどのことは支障なくこなしていけます。
その上で「円熟期」に入った手応えがあれば、老化に対する漠然とした不安に悩むことはないでしょう。
祖父母としての務めを果たしたり、ボランティア活動をするなど、目的意識を持つことが、
この世代の幸福感につながります。

☆3:80代は「新たな10年」
豊かな人生経験に裏打ちされたあなたの意見や考えに、多くの人が耳を傾けるでしょう。
あらゆる場面で意見を求められるかもしれません。
その反面、若い時に加齢への偏見が根付いている人は、
自らの偏見が自分へ向かい、老人性うつ病のリスクが高まることもあります。
その他、一般的な幸福度は健康の問題に直結し、健康管理ができる環境や信頼できる医師がいるかどうかで、
生活の満足感が左右されます。
健やかに長生きする秘訣は、自分のライフスタイルに目を配り、見通しを持つことです。
刺激を求めたり、人づきあいや親密な触れあいを持つことで、余生はいっそう楽しいものになります。

以上、『リアイアの心理学 定年の後をしあわせに生きる』から、
リアイア以降の各年代ごとの特徴をご紹介しました。
加齢の研究では、身体能力など能力低下を調べるものが多くなりますが、
数値化しにくい分野、直感力や経験値、幸福度では、また別の見方ができそうです。
前の年代にとらわれず、今の年代にあった生き方を見つめてみませんか。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は読み終わった後、こうした年代別に過ごせるは、欧米社会に見られる高潔な理想社会であり、
日本は殆どの御方は、生臭い軌跡を歩むことが多い、と私は微苦笑させられた。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。
まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。
そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。
年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。
こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。
そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。
やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。

このような心情の片隅みに秘めながら、私は60代の年金生活は、つたない我が人生の中で、
最も安楽な日々を過ごして、享受してきた。
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。
私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。
もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。
そして私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。

定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。
この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。

この間、私が定年退職後、年金生活を始める直前に、家内の父が病死され、家内の母は独り住まいとなったりした。
この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。
ここ数年は、家内の母の老化と病状で、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となっている。
いつの日にか私たち夫婦は、どちらかが片割れとなり『おひとりさま』となる。
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
私は特別演習だ、と思いながら過ごしている。

このように年金生活を過ごしているが、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。
たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体と信愛して、年金生活を過ごしている。
このように私は過ごし、つたない定年までの半生を過ごした私でも、年金生活は予測した以上に享受している。

こうした中で、昨今、日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
おととしの2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。
そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。
こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する期間でもある。
そして私たち夫婦は、いつの日にか、どちらかが介護を受ける身まで、
ささやかながら年金生活の楽しき日々を甘受している。
こうした生活をしている私は、今回の欧米社会に見られる高潔な理想社会のような記事には、
私にとっては体操の段違い平行棒のように格差があるよなぁ、
と微苦笑を重ねたりしている。
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