夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

なぜ「雨ニモマケズ」は国民的な文学となったのか、遅ればせながら私は、多々教示されて・・。

2017-04-06 15:23:52 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『NHKテキストビュー』を見ていたら、
【なぜ「雨ニモマケズ」は国民的な文学となったのか】と題された見出しを見たりした。

私は過ぎし2006(平成18)年11月3日に於いては、
嵐山光三郎・著の『追悼の達人』(新潮文庫)を読んでいる中に於いて、
特にこの中で教えを受けたのは、宮沢賢治は追悼によって世に出た、と読んだ時は驚いたりした。
             

著作者の嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)氏の格調たかい名文を引用させて頂く。

《・・昭和8年、花巻で無名の詩人が急性肺炎で死んだ。
・・・
(宮沢)賢治の死は、詩人仲間の草野心平の手で友人たちに知らされたのみであった。
・・・
没後、唯一、次郎社より「宮沢賢治追悼」雑誌が出た。
草野心平が逸見猶吉と企画した同人雑誌「次郎」が形を変えて出版された追悼集で・・・
この薄い一冊の追悼文集に寄り、宮沢賢治への評価の起爆剤となった・・》

そして、著作者の嵐山光三郎さんは、いまの日本詩壇に、無名詩人を発掘する第二の草野心平がいるだろうか、
と結びの文として綴っている。

私は宮沢賢治さんに関しては、無知なほうである。
定年退職する数年前、雪の降る時節に、花巻温泉に滞在して、
その折、宮沢賢治記念会館に行き、見学し、多少学んだ程度である。

東北地方の観光面に携わる関係者は、何かと松尾芭蕉、宮沢賢治の両名を活用し、
知名度の向上を果たしたりしているのが、昨今の実態である。

いずれにしろ、無名で亡くなった詩人が、詩人達の好意により薄い追悼文集が起爆剤となり、
詩壇はもとより文化のひとつとして足跡を残させた史実に驚いている。

このように私は宮沢賢治さんには、ささやかな思いを秘めてきたが、
改めて「雨ニモマケズ」を学びたく、【NHKテキストビュー 】4月6日に配信されていて、精読した・・。
             

《・・なぜ「雨ニモマケズ」は国民的な文学となったのか

教職を辞した宮沢賢治は大正15年、農村における芸術の実践という理想を掲げ、
死去した妹トシが療養した実家の別荘を改装して、ひとり暮らしを開始。

畑を耕したり、近くの村へ農業指導や肥料相談に出かけたりする日々をスタートさせます。
そして八月には、羅須地人協会を立ち上げます。

ときには彼を慕ってやってくる者たちと音楽の練習をしたり、レコードコンサートを開いたり、
近所の子どもたちを集めて、自分の童話や外国の童話を語り聞かせたりと、芸術教育の実践も試みていました。

また賢治が講師となり、トルストイやゲーテの芸術の定義や、農民芸術、農民詩について語りあうなど、
大学のゼミナールのようなことも行っていたようです。

しかし、彼の思いは一部を除いて、理解されることはありませんでした。

日本大学芸術学部教授の山下聖美(やました・きよみ)さんは、
賢治が理想と現実の狭間で、自分の生き方を模索し続けた末に書いたのが、「雨ニモマケズ」であったと考察します。
             

賢治は理想に邁進(まいしん)したいと思い、その思いのもとで行動をしつつも、
現実という壁に突き当たって、いつも苦しんでいました。

狭い世間で、名家の当主として世間体を重んじる父。
さらに賢治は、幼い頃から母に「人のために生きるのス」と言われて育ったといいますが、
この言葉も賢治にとっては、呪縛となったでしょう。

なぜなら、母が言う「人」とは、現実に生きている世間の人たちのことだからです。

賢治は「疑獄元兇(げんきょう)」」という短篇梗概(こうがい)に、
「生きた世間といふものは、たゞもう濁った大きな川だ」という言葉も残しています。

心象スケッチという、言ってみれば浮世離れした理想の世界をもっていたからこそ、
世間という「自分が生きていかなければいけない世界」というものも実は非常に意識していた。
それが宮沢賢治という人だったのだと思います。

そんな賢治が、世間で生きていくにはどのようにしなければならないかを書いたのが、
「雨ニモマケズ」だと私は考えています。
             

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

(中略)

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ
             

「マケズ」ということが重要です。
勝つのではなく、負けない。

世の中では「勝ち組」「負け組」などと言われたりしますが、賢治はこのように区分しません。
負けない者こそが、一番強いのです。

また、世間はとても嫉妬(しっと)深いところでもあります。
勝ってしまえば、足をひっぱられ、引きずりおろされます。

出る杭(くい)は打たれるのです。
ですから、とりあえず負けないことが重要になります。

また、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」というのは、
個をあまり出さないということにつながります。

個を出して何かを主張しすぎたりすると、世間からは叩かれる。
ですから、自分の意見は勘定に入れず、常に人の顔色をうかがい、
世間の目を気にして、生きていくことが必要になるのです。

そして最後、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と記します。
私はそういうものだ、ではなく、そうなりたい、という願いの中に、
逆に現実にはそうなれない賢治自身の切ない思いが感じられます。

賢治の死後に発見された「雨ニモマケズ」は、
戦争に向かう時局と相まって、さまざまな機会においてスローガンのように使われるようになりました。

日本人の美徳を表す代表的なテキストのように読めるため、ちょうどよかったのでしょう。
             

「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」というところが、
戦後すぐの時代、中学校の国語教科書に掲載されるにあたり、
玄米四合は食料が不足していた当時の実感とかけはなれているとして、三合に変えられたという逸話もあります。

発表する意図のなかった「雨ニモマケズ」が、ここまで国民のあいだに広がったことは、
心象スケッチこそが、自分の芸術だと考えていた賢治の立場からすると、不思議なことであったと言えるかもしれません。

一方で、見方を変えると、宮沢賢治のテキストそのものが、不思議であるとも言えます。
戦時中のスローガンなどに利用したつもりでいて、実はテキストの生命力に、我々の方が利用されていたのではないでしょうか。

戦中に大政翼賛会が発行する雑誌にまで掲載された「雨ニモマケズ」は、
戦前・戦中の価値観が否定された戦後にも、教科書に載って生き続けたのです。

戦争には勝てませんでしたが、「マケズ」というところがまた日本人の心理にフィットし、
戦後の人々の心の支えになっていたのかもしれません。
「雨ニモマケズ」は、テキスト自身が時を超え、時代を貪欲(どんよく)に食って生き残ってきたとも言えるのです。

■『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』より・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

宮沢賢治さんは、現世では伝説の人となっている。

1924年(大正13年)4月、『心象スケッチ 春と修羅』刊行。
花巻の吉田印刷所に持ち込み1000部を自費出版、定価2円40銭。
発行所の名義は東京の関根書店になっている。

東京での配本を関根喜太郎という人物に頼み500部委託したが、
関根はゾッキ本として流してしまい、古本屋で50銭で売られたという。

本は売れず、賢治もほとんど寄贈してしまったが、
7月にダダイストの辻潤が、読売新聞に連載していたエッセイで紹介。

詩人の佐藤惣之助も雑誌『日本詩人』12号で、若い詩人に「宮沢君のようなオリジナリティーを持つよう」と例にあげた。

中原中也は夜店で5銭で売っていた『春と修羅』のゾッキ本を買い集め、知人に配っている。

同年12月、『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』刊行。
定価1円60銭。
盛高の後輩で農薬のパンフレットを作っていた近森善一と及川四郎が、
賢治の原稿を見て刊行を計画、出版費用の工面に苦労しながら東京で印刷製本、
出版社「光源社」の名義で1000部作ったが全く売れず、賢治は父親から300円借りて200部買い取った。

本の挿絵を担当した菊池武雄は『赤い鳥』主催の鈴木三重吉に
『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』を送ったが「あんな原稿はロシアにでも持っていくんだな」と返された。
             

しかし翌年1月、『赤い鳥』に『注文の多い料理店』の一頁広告が掲載される。
三重吉の厚意で無料だった。

7月、詩人の草野心平の同人誌「銅鑼」に参加する。

1930年(昭和5年)、体調が回復に向かい、文語詩の制作をはじめる。
やがて病臥生活となる中、手帳に『雨ニモマケズ』を書く。

このような宮沢賢治さんは、殆どは無名のまま亡くなり、私は深く思いを重ねたりした・・。

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