夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
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今では「失礼」になってしまった昭和の「マナー」、76歳の私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2021-08-23 15:06:23 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】見ている中で、
『 今では「失礼」になってしまった昭和の「マナー」
            心を入れ替えるためのチェックリスト 』、
と題された見出しを見たりした。

私は1944年(昭和19年)の9月に農家の三男坊として生を受けて、
やがて1970年(昭和45年)の4月、
この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。



こうした中、まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、
外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられたりした。

そして制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、
経理畑、営業畑などで奮戦した。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年から各社はリストラ烈風となり、早期退職優遇制度の名目で、
先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、組織の統廃合により人事異動、出向となったりし、
烈風の社内状況となったりした。

やがて私も、1999年(平成11年)の2月、あえなく出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。



このような私は、何かと昭和の時代は、
遅ればせながら社会人のサラリーマンになったのは、
昭和45年の4月であり、私なりに奮戦したりしてきた・・。

この後、私は結婚して、家を新築したり、住宅ローンで困苦したり、
やがて昭和天皇がお亡くなりになったのは、周知の通り昭和64年1月であり、
私にとっては44歳であり、何かと昭和の時代は、愛惜感があり、
今となっては想いでいっぱいの歳月となっている。

こうした深情を秘めた私は、
《・・今では「失礼」になってしまった昭和の「マナー」・・》、
改めて学びたく、こっそりと読んでしまった・・。

この記事は、【 NEWSポストセブン 】に於いて、
2021年7月4日に配信され、無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・
常識は、変遷するもの。
環境に適応することが、生物にとって最も必要な要件だ。
大人力について日々研究を重ねるコラムニストの石原壮一郎氏がレポートする。


 
「失礼」に、正解はありません。
時代や地域によっても変化するし、何を「失礼」と感じるかは、人によってバラバラ。

その人だけが持っている「失礼の地雷」を踏んで、ややこしい事態になるケースも多々あります。

おっさん世代として、とくに意識したいのは「時代による失礼の変化」。
たとえば、上司や部下の自宅宛に年賀状を出すことは、
昭和の時代は「礼儀正しくて望ましいマナー」でした。

しかし、今は「失礼な行為」と受け取られかねません。

よかれと思って、うっかり「失礼」を働いて、後ろ指を指されないように、
「昭和の時代は、当たり前のマナーとされていたけど、
令和の今は『失礼』と感じさせそうな行為」をチェックしてみましょう。



◆【ビジネス編】
   今では「失礼」になってしまった昭和の「マナー」10選

・取引先に迷惑をかけたら、取るものも取り合えず駆けつけて謝る
    (いきなり押し掛けるのは、単なる自己満足。相手にとっては迷惑です)

・仕事関係で初めて連絡を取る相手には、まず電話をする
    (まずはメールで、コンタクトを取るのが、丁寧なやり方です)

・仕事で知り合った人には、プライベートな話題を振って距離を縮める
    (かつてはそれが大切な「コミュニケーション力」でした)

・上司や先輩が引っ越しをするときに「手伝いに行きます」と申し出る
    (引っ越しの手伝いは、部下や後輩にとって、ある意味「義務」でした)

・おニューの服を着てきた女性には「似合うね」などとホメ言葉を贈る
    (何も触れないと「気の利かないヤツ」と心の中で非難される可能性も)

・独身の女性部下に「いいお嫁さんになれるよ」というホメ言葉を贈る
    (女性に対する万能のホメ言葉でしたが、今やリスクしかありません)

・海外出張に行く人に餞別をわたしたり、空港まで見送りに行ったりする
    (そして見送られた人は、大量のお土産を買ってくるのがマナーでした)

・会議や打ち合わせは、当初の約束を少しオーバーするまで続ける
    (早めに終わるのは、ヤル気や熱意に欠ける「失礼」な行為でした)

・目上の人にお酒を注いだときは、盃を受け取ってお流れを頂戴する
    (コロナ禍とは関係なく、もはやほぼ絶滅したゴマのすり方です)

・宴席でビールの減りが遅い人がいたら「飲んで飲んで」と勧める
    (勧められた側は、グラスのビールを飲み干すのがマナーでした)



◆【日常生活編】
   今では「失礼」になってしまった昭和の「マナー」10選

・お店や駅のトイレで、個室に入るときにノックをする
    (今はよっぽどの非常事態でない限り、ノックする人はいません)

・目上の人と温泉や銭湯に行ったときには、相手の背中を流す
    (「お背中、流させてください」と言わないのは、失礼なことでした)

・新婚カップルに「次はかわいい赤ちゃんだね」と激励の言葉を贈る
    (結婚を祝福することと、二世の誕生を期待することは、セットでした)

・独身の男性に「早くいい人を見つけなきゃね」と激励の言葉を贈る
    (悪気はありませんが、穏やかに聞き流してもらえるとは限りません)

・女の子の赤ちゃんを見たら「将来は女優かアイドルだね」とホメる
    (かといって「博士か大臣か」と言えばいいわけではありません)

・大学に入学した親戚の子が家に来たら、ビールなどを勧める
    (多くの場合は未成年ですけど、大人扱いするのがマナーでした)

・新婚旅行に出かけるカップルを、駅のホームで大勢で見送る
    (結婚式からそのまま新婚旅行に行くこと自体、ほぼ絶滅しました)

・タバコの吸い殻は、植え込みや線路など邪魔にならない場所に捨てる
    (排水溝に突っ込むのも同様。それが「ちゃんとした行為」でした)

・飲み会などで大皿から料理を取るときには、「逆さ箸」にする
    (気持ちはわかりますが、取り分けるための箸をもらいましょう)

・兄の配偶者が、自分より年下でも「おねえさん」と呼ぶ
    (間違ってはいませんが「○○さん」と名前で呼ぶのが無難です)



ビジネス編と日常生活編、それぞれ10の項目のうち、
自分がやっていそうなもの、なぜこれが「失礼」なのかピンとこないものは、
いくつありましたか?

どちらかが6項目以上、もしくはふたつ合わせて10項目以上あった場合は、
かなり深刻な「昭和マナー脳」です。

間違いなく、周囲(とくに若者)にヒンシュクを買っているでしょう。
悪いことは言いません、今すぐ心を入れ替えることをお勧めします。

いっぽうで、他人の「失礼」に激しく目くじらを立てるのも、
それはそれで「失礼」というか、人生を無駄に不愉快にしている態度です。

「失礼」の基準なんて、しょせん時代の空気や相手との関係で、移り変わる程度のもの。
「正義」の威を借りて、非難する快感に溺れるより、鼻で笑い飛ばしましょう。

ここにあげた項目に対して「自分の感覚と違う」と感じても、
同様に「ま、これはこれでよし」と広い心で、流していただけたら幸いです。

ネット界隈には、マナーの話になると、反射的にいきり立つ人が、少なくありませんよね。
おっと、失礼いたしました。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 
今回、『大人力』について日々研究を重ねるコラムニストの石原壮一郎さんより、
懐かしき昭和の「マナー」を教示させられ、 微苦笑を重ねてしまった・・。

1970年(昭和45年)の春、何とか民間会社に中途入社し、遅ればせながら社会人となった。
この頃の勤務形態は、隔週の土曜日が午前中勤務となっていた。

その後、何時ごろか完全5日制となって、金曜日の勤務が終わると、何かしらほっとした・・。

どなたが名付けたのかは知らないけれど、
連休前の金曜日を花の金曜日と称して、『花金』と省略し、
社内で花金だから・・と歓送迎会や懇親会を開催されたり、仲良しグループで呑みに通ったりしていた。

                    

私が社内で業務が立て込んで夜の9時過ぎに自席にいると、
『忙しいのだったら・・明日の土曜日に会社に来て、じっくりと仕事をすればよいじゃない・・
ともかく・・いつものメンバーで待っているょ・・』
と気のおけない友人が電話を掛けたりしてきたので、
私は仕事を切り上げて、その場所に駆けつけたりした・・。

どなたも同じと思われるが人事異動のたびに、
歓送迎会が部課間で盛んに行われ、私も異動のたびに、開催してくれた。

このように昭和の時代は、社内の仲良しグループ、ときには部課間、
居酒屋などで料理を頂きながら、お酒を呑み、
お互いに最近の出来事を公私含めて他愛なく、話し合ったりしてきた。      

    
          

今回、《・・兄の配偶者が、自分より年下でも「おねえさん」と呼ぶ、
(間違ってはいませんが「○○さん」と名前で呼ぶのが無難です)・・ 》について、
私の兄のお嫁さんに対して、私より2歳若いが、私は兄が結婚した当初より、お義姉(ネエ)さん、
と呼びながら、今日まで継続している。

コメント (4)
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