夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『敬老の日』に伴い、お祝い金を頂き、私は照れ笑いをして・・。

2021-08-26 15:34:29 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
こうした中で、一昨日、我が家に自治会の担当委員が来宅して、
我が家は留守であったので、案内通知などを置いて行かれた・・。

やがて私は案内通知などを見ると、
何かしら来る9月20日の『敬老の日』に伴い、本年に於いて、
77歳、88歳、100歳を迎えられた御方は、
別紙に氏名、生年月日、住所をご記入して下さい。

後日、お祝い金として5000円、そして記念品を贈呈致します。

このようなことを記載されていた。
そして別紙には、ご近所の私と同級生の女性が明記され、
何かと無知な私は、思案したりした・・。


 
やがて数え年77歳(満76歳)は、喜寿(きじゅ)、
或いは数え年88歳(満87歳)は、米寿(べいじゅ)、
そして数え年100歳(満99歳)は、百寿(ももじゅ)、
このようなことなのかしら、と思い馳せたりした・・。

たまたま私は1944(昭和19年)の9月に農家の三男坊として生を受けて、
今年は数え年77歳となり、9月の誕生日を迎えると満77歳となるので、
『敬老の日』に伴い、生まれて初めてお祝い金を頂くことになり、
私は照れ笑いをしてしまった。

私の住む地域も少子高齢化の実態で、60歳以上の御方が、
三割近くいる。

こうした関係で、本来ならば多くの御方に長寿の祝いを実施したいが、
各所帯よりの自治会の年会費も少ないので、
運営がままならず、やむなく上記の長寿のみが対象となっている、
と私は後日教えられたりした。



そして私は、数え年88歳(満87歳)の『米寿(べいじゅ)』には、
あと10年かょ・・と漠然と思い馳せたりした・・。

こうした中で、日常生活を自立した言動で迎える健康寿命には、
余りにも高望みと思ったりした。

益々体力の衰えも実感して、生かされても要支援で過ごせれば、
幸いだよなぁ・・と微苦笑したりしている。

しかしながらこればかりは、自身の自助努力も大切であるが、
神様か仏様が采配される世界だよなぁ・・と苦笑したりしている。
コメント
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