「バラ色の70代」は50代60代の“健康・カネ・夫婦関係”が左右する 』、
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市に住む年金生活の77歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。
『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

私は民間会社に35年ばかり勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
この当時は大企業も盛んにリストラが実施されていた・・。
私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに5年間ばかり奮闘して、
体力も気力も使い果たしてしまい、やむなく年金生活を始めた・・。
そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。
こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、
午前中のひととき、自宅の周辺にある公園、遊歩道、住宅街の歩道を歩いたりして、
四季折々のうつろう情景を享受している。
そして無念ながら忘れることもあり、ときおりデジカメで撮ったりして、
記憶のかたみとしている。
こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつの国内旅行を幾たびに重ねてきた・・。

私たち夫婦は、過ぎし年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきたが、
やがて2019年は予告もなく私は、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。
やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。
更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。
この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。
やがて私の住む地域の都立の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。
そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。
もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。
そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。
やがて手術後、半年の検査で転移がなく、
少しは安堵を私はしたが、やはり5年過ぎるまで、どのような病状が変貌するか、
判らない・・。
このように私は、入院生活を2回も体験し、
そして家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑をしたりした・・。
こうした中、家内の母のお世話は、長女の家内と近くにいる家内の妹で交互にしてきたが、
家内が退院してまもなく、家内の母は『要介護・3』となり、やむなく介護施設に入所し、
月に数日だけ、家内の母は自宅に帰還し、家内の妹がお世話しているのが、
実態なっている。
このようなに体験を私たち夫婦をしながら、
一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
今回の《・・「バラ色の70代」は、50代60代の“健康・カネ・夫婦関係”が左右する・・》って、
遅ればせながら77歳の私は学びたく、記事を読んでしまった・・。

この記事は、【 日刊ゲンダイDIGITAL 】の『ライフ』に於いて、
3月4日に配信され、無断であるが、記事の殆ど転載させて頂く。
《・・人生七十古来稀なりと表現したのは、唐の詩人、杜甫だ。
それから1300年余りが過ぎ、70代は元気に人生を謳歌する。
そんな中、女優の松坂慶子は、古希を迎えるにあたり、
「準備が整いました」と心境を語っている。
今の時代、70代は、まだまだやりたいことができるが、
それが可能かどうかは50代、60代の生き方にかかっているだろう。
最新の「高齢者白書」(2021年版)によると、
年代別の就業率は、60代前半が71・0%、60代後半が49・6%と半数近い。
70代前半でも、32・5%と3人に1人が働いている。
年を取って元気に働くことは、必ずしも悪いことではない。
人生100年時代だけに、松坂慶子の言葉が意味を持つはずだ。
その松坂慶子が語っているのは、「婦人公論」2022年3月号。
「2022年は、転機の年になる予感がしています」として、
これまでの人生を振り返りながら、70歳への思いを込める。
撮影のたびに、その作品に没頭した20代。
37歳で結婚すると、家庭と仕事を両立しながら、2人の娘に寄り添った。
60代は、同居する母を介護しながら昨年、その母を看取ったという。
子育ても介護も終えると、残されるのは夫婦2人。
まとまった時間ができることで、夫婦水入らずの時間を持ちつつ、
仕事に専念したいのだろう。
そんな気持ちを「今年70歳になりますが、ようやく『準備が整いました!』という心境です」
と表現している。
今回の撮影のために始めた茶道や三味線、京舞の習い事は、
撮影終了後も続けるそうだ。
「(撮影後も習い事を続けるのは)独身時代以来」と喜んでいる。
女性の平均寿命は約88歳。
20代前半で第1子を産んだとすると、その子が母を看取るのは60代半ばか。
なるほど、70歳くらいは、多くの人にとって「準備が整う」タイミングになる。
☆認知症予防の7要素

そんなライフサイクルを想定すると、70歳前後から人生を楽しむ時間になるのだが、
無条件で松坂慶子のように、バラ色の70代を迎えられるかというとそうでもない。
いくつか条件がある。そこを探ってみよう。
ひとつは、言うまでもなく、健康だ。
前出の「高齢者白書」では、要介護の認定状況を調査。
<表>のように74歳までは、要支援と要介護を合わせて4・3%。
自立して生活を楽しんでいる人が、ほとんどだが、
75歳以上は、31・8%に増える。
80代以上も含まれるが、元気な人とそうでない人との分岐点が、70代ともいえる。
介護を必要とする原因のトップが認知症(18・1%)で、
脳卒中(15・0%)、衰弱(13・3%)、骨折・転倒(13・0%)と続く。
認知症については、7つの要素が強く影響することが分かっていて、
医学誌「ランセット」に掲載されたのは
①糖尿病
②高血圧
③うつ病
④たばこ
⑤運動
⑥教育
⑦肥満だ。
ひとつでも多く改善すれば、認知症の予防になる。
この7つは、脳卒中や衰弱などにも関係するから、広く要介護状態を予防する点で重要だ。
たばこは、「禁煙で発がんリスクが、たばこを吸わない人並みに下がるのは、
男性で21年、女性で11年かかるとされます」(東大医学部・中川恵一特任教授)というから、
スモーカーも、50歳から禁煙を含む脱7要素を始めれば、元気な70代に間に合う計算だ。
日本生産性本部余暇総研が12年に、
60代以上の男女を対象に余暇の活動ぶりを調査したところ、
最も活動的なのは、70代男性だった。
女性に世代間の差はなかったが、
男性は年代が上がるほど、余暇の参加種目が増えた。
元気な70代は、余暇を楽しめる可能性が高い。
■賃貸派も65歳までに分譲を
2番目は、経済力か。
厚労省の「国民生活基礎調査」(2019年)によると、
65歳以上の高齢者世帯の平均所得は312万円で、現役世代の半分以下。
しかし、可処分所得は219万円で、現役世代の半額にならず、
95万円減にとどまる。
子供の手が離れ、住宅ローンがなければ、やっていけない金額ではない。
総務省の「家計調査」(2019年)も、その傾向を示す。
50代で652万円だった負債は、70代で70万円に減少。
一方、貯蓄は、1704万から2253万円に増え、70代の持ち家率は92%だ。
年金暮らしの70代に、家賃負担は重い。
50代の賃貸派も“残りの8%”を避けるべく、
65歳定年までに完済できるようなマンションなどをチェックしておくべきか。
バラ色の70代に向け、元気とカネのほかに重要なのが、
夫婦関係だ。
男女問題研究家の山崎世美子氏が言う。
「子育てに参加する男性が増えたとはいえ、
女性に偏っている家庭が、ほとんどです。
家事や育児の負担割合は、『夫1:妻9』、『夫2:妻8』で半数を超えています
(内閣府『インターネット等による少子化施策の点検・評価のための利用者意向調査』2009年)。
『妻10割』も1割です。
最近のネット調査も、あまり変わっておらず、
そこに不満を持っている女性が、とても多い。
ところが男性は、気づいていないことがほとんどで、
子育てや介護の負担がなくなったときに、
女性が不満を爆発させることが珍しくないのです」
山崎世美子氏に相談した60代の女性は、夫の親の介護を終えたのを機に、
離婚したという。
「その女性の夫は、とにかく妻へのねぎらいが、ありませんでした。
揚げ句『パートは楽だ』、『この料理は○○だ』などとマウントをとろうとします。
それでも文句を言わないのは、介護などで忙しいときに、夫に対応するのが面倒なだけで、
決して受け入れているわけではなかった。
で、親の介護が終わると、遺産相続になります。
もちろん妻の相続分はありませんが、それでも夫が自分の遺産から30万円でも、
『苦労かけたな』と妻に渡すようだと、妻の不満も収まるのですが、
その女性は『おまえの介護がひどいから、親が早くに亡くなった』
とひどい言葉をかけられました。
その一言で、離婚を決意したのです」
☆妻の負担には金銭援助

夫のモラハラに加え、浮気や不倫の過去があれば、なおさらだ。
逆もしかりだが、得てしてモラハラ側ほど、自分の失態に気づかない。
相談者の夫は、理路整然とこれまでの文句を連ねる妻の言葉にひるみ、
「オマエ文句言わなかったじゃないか。幸せだったろ?」
と返すことしかできず、押印済みの離婚届を出され、
「サインしてください」に泣き崩れたそうだ。
「『ありがとう』も言わない、手伝いもしないなら、
妻の負担をおカネで、サポートするしかありません。
妻が料理に困っていれば、総菜を買ったり、
育児が負担なら、保育サービスの料金を払ったり。
介護も同じで、介護を終えたら、自分が受け取った遺産から
少額でも感謝の気持ちを渡すことです。
50代、60代のうちに、そんな対応を身につければ、
妻の留飲も下がって、70代の夫婦関係は、ソフトランディングします」(山崎世美子氏)
そして70代の夫婦は、相手に合わせない方が、うまくいくという。
「結婚して子供ができると、常に夫婦一緒を意識するから、重荷になるのです。
70代はその縛りを外して、お互い自由でいい。
それぞれが趣味で外出すれば、勝手にやる。
妻も夫の食事の準備を気にせず、楽しめばいい。
そんなほどよい距離感が大切です」
松坂慶子が、夫との時間とは別に、仕事に励むのもそういうことだろう。
さて、あなたの準備は? ・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

記事を読み終わった後、私は微苦笑を重ねたりした・・。
家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、血液型A型となっている。
そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、
ボタンの掛け違いのように差異が発生し、険悪になることもある。
やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、
私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。
このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。

こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
しかしながら日常生活の実情は、
私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多く、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
やがて2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ・・』と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、『ボケチィンねぇ・・』とか、
ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

私たち夫婦は年金生活を過ごして、丸17年が過ぎ、早や18年目になっているが、
45年ばかり寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
ここ17年過ぎた年金生活は、定年退職するまで何かと悪銭苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽の日々を過ごしている・・。