先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot.】を見ている中で、
『 年金生活者にとって受難の時代
物価上昇と年金カットのダブルパンチで 』
と題された見出しを見たりした・・。
「物価は上がっているのに、年金支給額は下がります。
年配の方にはつらく、ものを買わないという選択肢しかない」
こう話すのは経済ジャーナリストの荻原博子さん。
2021年度の公的年金支給額は、前年度に比べ0・1%減った。
2022年度も、同0・4%の減額が決まった。
こうした年金支給額のマイナス改定は、
年金財政を支えている勤労者の賃金が、下がっているため。
年金が減る高齢者にとって、物価上昇のほかにも、負担が増えるものがある。
医療制度で75歳以上の後期高齢者は、
一般的に自己負担額が1割だったが、10月から2割に上がる。
持病を抱える高齢者には、医療費の節約が難しく、
生活がますます厳しくなる時代を迎えると、荻原博子さんはみている。
そもそも、公的年金は、どのような仕組みで変動するのだろうか。
年金の支給額は、物価や現役世代の賃金の変動、
さらにマクロ経済の動向を反映して、見直すことになっている。
たとえば、物価が上昇した年があると、
その翌年4月以降の年金支給額に、物価上昇を反映する。
一方、現役世代の賃金が上がったり、下がったりすると、
過去3年分を平均して、4月以降の年金支給額に反映する。
ややこしいのは「マクロ経済スライド」で、
現役世代の負担が、過重にならないよう調整する仕組み。
具体的には、「年金財政を支える現役世代の人たちの減少」と、
年金受給年数に関係してくる「平均余命の延び」に応じて算出した「スライド調整率」を、
賃金や物価の上昇率から差し引く。
この仕組みは「少子化と長寿化を反映させたもの」
(中嶋邦夫・ニッセイ基礎研究所上席研究員)という。
たとえば物価や賃金が上昇しても、
マクロ経済スライドの調整分だけ、年金支給額を引き下げるが、
支給額の改定率がマイナスになる場合や、物価や賃金が下がる場合は、
マクロ経済スライドの調整をしない。
年金額の改定に反映しきれなかったマクロ経済スライドの調整率は
翌年度以降に繰り越す仕組みも導入された。
物価や賃金が上がっていっても、この繰り越し分を差し引くので、
年金支給額の上昇は、低く抑えられる形になる。
最近の現役世代の平均賃金の動向を見ると、
コロナ禍の2020年度に下がっており、その影響が大きい。
一方、2021年度の平均賃金は、反動で上がっている。
2023年度の公的年金支給額を見るうえで、
過去3年のうちの2020、2021年度とともに、
2022年度の平均賃金が、どうなるのかがポイントになる。
2023年度の年金支給額について、
中嶋邦夫さんは「最終的にちょっとプラスか、ゼロぐらいになるのでは」
とみている。
その理由は、物価や賃金が上昇していく一方で、
スライド調整率の繰り越し分が、マイナス0・3%分もあるため、
それを差し引く必要があるのだ。
つまり、物価が上昇していくなかで、
今年4月以降の年金支給額は、0・4%の減額となることが決まっており、
来年4月以降も、若干のプラスか、現状維持にとどまる見通しという。
現行の年金の仕組みについて、
第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生さんは
「物価上昇が進むタイミングで、何とも酷なことを政府は決めたと感じられる」という。
年金生活者には、物価上昇と年金カットのダブルパンチになるからだ。
昔は、現役世代が支払う保険料率を引き上げて、
年金支給額が下がらないようにしてきた時代もあった。
しかし、それだと現役世代の負担が大きくなってしまう。
「世代間の不公平が起こりやすい」(中嶋邦夫さん)。
このため、年金制度は長年の改定で、
年金財政を支える勤労世代と年金受給者で、
「痛みを分かち合ってもらう」(同)仕組みになった。
一方、年金制度について議論をしたときは、
現在のような経済社会の状況を想定していなかったという。
たとえば、「年金が増えなくても、預金金利がプラスなら、生活の足しになるだろう」(熊野英生さん)
という考え方もあったが、いまはゼロ金利状態で、預金があっても、金利収入がほとんどない人が少なくない。
年金制度を2004年に見直した際に、
「国は100年安心と言っていた」(荻原博子さん)。
物価が上がっても、年金支給額が下がれば、
「節約しましょうという大キャンペーンになる。
無駄なものを買わないようにして、どんどん消費が縮んでいく」と荻原博子さんは話す。
基本政策に「成長と分配の好循環」を掲げる岸田文雄首相は、
賃上げを呼びかけている。
たとえ現役世代の賃金が引き上げられても、
個人消費の3~4割を占める65歳以上の高齢者の生活が苦しくなると、
熊野英生さんは「好循環が起こりにくくなる」と懸念している。
年金支給額について
「マクロ経済スライド調整をしていると、どんどん厳しくなる」と熊野さんは指摘する。
受給者の家計は、自衛策を講じるしかなくなる。
年金制度の問題はまだある。
年金の積立金の運用についても
「運用がプラスになっても、収支を見直さないのでいいのか。
変化が収支になかなか反映されない」(熊野英生さん)。
そんななかで、荻原博子さんは、政府が年金支給開始を現行の65歳から、
70歳へ引き上げる布石を打っているとみている。
少子高齢化で年金財政は厳しくなっており、
政府は定年退職年齢を引き上げるよう働きかけている。
「コロナの問題が一段落したら、70歳支給になるだろう」(荻原博子さん)
「見直しは不人気で、後手後手に回ってきた」(中嶋邦夫さん)という年金制度。
物価が上昇する中で、年金支給額が下がる高齢者は受難の時代を迎えた。
年金制度が信頼できる社会保障となるように、
制度設計の見直しが必要なのかもしれない。 (本誌・浅井秀樹)・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は民間会社に35年ばかり勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
この当時は大企業も盛んにリストラが実施されていた・・。
私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに5年間ばかり奮闘して、
体力も気力も使い果たしてしまい、やむなく年金生活を始めた・・。
そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。
こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、
午前中のひととき、自宅の周辺にある公園、遊歩道、住宅街の歩道を歩いたりして、
四季折々のうつろう情景を享受している。
そして無念ながら忘れることもあり、ときおりデジカメで撮ったりして、
記憶のかたみとしている。
こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつの国内旅行を幾たびに重ねてきた・・。
私たち夫婦は年金生活を過ごして、丸17年が過ぎ、早や18年目になっているが、
45年ばかり寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
ここ17年過ぎた年金生活は、定年退職するまで何かと悪銭苦闘が多かった為か、
予測した以上に気ままに過ごせる安楽の日々を過ごしている・・。

しかしながら過ぎし年に、2018年の社会保障給付費は、高齢化率は28・2%の現状の中、
年金は56・7兆円、医療は39・2兆円、介護は10・7兆円、
子供・子育ては7・9兆円、その他6・7兆円・・総計121兆円となり、
国内総生産(GDP)に占める割合として、21・5%と公表されたりした。
やがて2025年には、団塊世代が75歳以上の後期高齢者を迎え、
もとより高齢化率は増加し、社会保障給付費も膨張するので、
無力な77歳の私は、溜息ばかりしている・・。
もとより働いて下さる諸兄諸姉は、新コロナウィルスの烈風に伴い、
それぞれ過酷な勤務実態と学んで、労苦の多い時代となっている。
ここ10年、個人消費が延びない限りは、民間会社は剰余金が豊富でも、設備投資には積極的になれず、
結果として働いて下さる方の給与は、物価を上回る実質賃金の増加は困難となり、益々消費低迷となっている。

そして私は、何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
そして年金も現役世代が払う保険料で、高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。
こうした中で、年金生活をさせて頂いている私としては、
無力な私は、溜息ばかりしている。