私は東京の調布市に住む年金生活の満77歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
こうした中で、こうした中、私の住む市内にある都立の神代植物公園にも、
毎月2回前後は訪れて、季節のうつろいを享受してきた。
しかしながら、過ぎし一昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、
テレビのニュースなどで、感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
こうした中で、こうした中、私の住む市内にある都立の神代植物公園にも、
毎月2回前後は訪れて、季節のうつろいを享受してきた。
しかしながら、過ぎし一昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、
テレビのニュースなどで、感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしている。
そして新型コロナウイルスの烈風の中、都立の神代植物公園も、幾度も閉園となり、
私は感染が怖くて、人出の少ない処を選定して散策してきた・・。
しかしながら本音としては、閉塞感を感じながら、自粛疲れとなったりしていた・・。
数カ月前、私の住む御近所の私と同世代の男性の御方と私は歓談している中、
調布市の隣接にある府中市の『郷土の森』は、良き処でした、と教えられたりした。
しかしながら私は、尋ねたこともない未知な公園であったので、
まん延防止が全面解除になったら、遅ればせながら初めて訪ねてみよう、
と決意したりした。

そして本日、私は府中市にある『郷土の森』に向かい、
京王線の『分倍河原』で下車した。
私は最初に尋ねる場合は、原則として徒歩30分以内は歩いて、
付近の情景を見る、習性となっているので、
駅前より歩き出した・・。

まもなく『郷土の森』までの大きな案内の掲示板を見たりした。

そして『郷土の森』まで、遊歩道が整備されている、確認したりした。

そしてこの遊歩道は、『歩行者』と『自転車』が、完全に分離されていて、
私は初めて見て、府中市は歩行者にも自転車にも、市民に思いやりがあるよなぁ、
と感心させられたりした。
こうした中、住宅街の歩道を通り抜けると、左手にサントリーのビール工場が見えて、
幾10数年、中央高速からの車窓から、眺めてきたので、
ここにあったのかょ、と微笑んだりした。

こうしてしばらく歩くと、『郷土の森』が見えて、
左側は『郷土の森 公園』の総合体育館、球技場などスポーツができる広大な処、
そして右手には、私が目指した『郷土の森 博物館』であり、
私は大きな案内図を見たりした・・。

まもなく私は目的も定まらず、歩き出した・・。
しかしながら、府中市の公式サイトで、私は少し予習をしてきた・・。
《・・ 郷土の森博物館の敷地には、
かつて市内にあった江戸時代から昭和初期の建物8棟を移築・復元しているほか、
市内の遺跡で発掘された遺構の復元もしています。
これらの建物や遺構の復元にあたっては、
博物館の敷地全体を府中市の縮図としてとらえ、ゾーニングしています。
具体的には、敷地の中央を東西に横切るようにあった多摩川の自然堤防を、
府中市を南北に2分する立川段丘崖(ハケ)に見立てています。
北側のハケ上には、甲州街道やケヤキ並木といった府中の基幹道路や、
その周辺に集まる町場の建築物と畑作農家、雑木林を、
ハケ下には水田や稲作農家、水車小屋などを配置しています・・ 》
このようなことを少し覚え、歩き出したりした・・。



そしてこの遊歩道は、『歩行者』と『自転車』が、完全に分離されていて、
私は初めて見て、府中市は歩行者にも自転車にも、市民に思いやりがあるよなぁ、
と感心させられたりした。
こうした中、住宅街の歩道を通り抜けると、左手にサントリーのビール工場が見えて、
幾10数年、中央高速からの車窓から、眺めてきたので、
ここにあったのかょ、と微笑んだりした。

こうしてしばらく歩くと、『郷土の森』が見えて、
左側は『郷土の森 公園』の総合体育館、球技場などスポーツができる広大な処、
そして右手には、私が目指した『郷土の森 博物館』であり、
私は大きな案内図を見たりした・・。

まもなく私は目的も定まらず、歩き出した・・。
しかしながら、府中市の公式サイトで、私は少し予習をしてきた・・。
《・・ 郷土の森博物館の敷地には、
かつて市内にあった江戸時代から昭和初期の建物8棟を移築・復元しているほか、
市内の遺跡で発掘された遺構の復元もしています。
これらの建物や遺構の復元にあたっては、
博物館の敷地全体を府中市の縮図としてとらえ、ゾーニングしています。
具体的には、敷地の中央を東西に横切るようにあった多摩川の自然堤防を、
府中市を南北に2分する立川段丘崖(ハケ)に見立てています。
北側のハケ上には、甲州街道やケヤキ並木といった府中の基幹道路や、
その周辺に集まる町場の建築物と畑作農家、雑木林を、
ハケ下には水田や稲作農家、水車小屋などを配置しています・・ 》
このようなことを少し覚え、歩き出したりした・・。












こうした処を拝観したりして、私は知恵熱のように少し疲れたりし、
帰路に向かった・・。
私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
今住んでいる近くに私の生家があり、
私は農家の三男坊として、1944年9月に生を受けたりした。
もとより調布市は、府中市と隣接した地域であるが、
文化、風習、土壌など少し似て、少し違うことを感じ深めたので、思案したりした。
いずれにしても、漠然と見て回ったので、最初の下見のような時を過ごした・・
と微苦笑したりした。
そして再び、訪ねて私なりに親近感を深めよう、と微笑んだりした。