夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『敬老の日』を迎え、高齢者は何よりも『生きがい』があれば、身も心も溌剌となり・・。

2011-09-19 15:12:25 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過ぎし 9月16日(金)の夜、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、
《 65歳以上、最多の23.3%=80歳以上は866万人―総務省推計 》
と題された記事を精読した。

無断であるが、この記事の内容を転載させて頂く。

《・・
「敬老の日」(19日)を前に総務省が16日発表した高齢者推計人口(9月15日現在)によると、
65歳以上の人口は前年より24万人増え2980万人、
総人口に占める割合は0.2ポイント増の23.3%と、いずれも過去最高を更新した。

80歳以上の人口は前年比38万人増の866万人、
割合も0.3ポイント増の6.8%と、こちらも過去最高。

2010年の国勢調査速報値などを基に推計した。

65歳以上の男性は1273万人で男性人口に占める割合は20.5%、
女性は1707万人で女性人口に占める割合は26.0%。

家計の状況をみると、世帯主が無職高齢者である世帯の月平均実収入は18万8406円、
実支出は22万6533円で3万8127円の赤字。
世帯主が高齢者である2人以上世帯の平均貯蓄額は2275万円と、
株価下落などの影響を受け3年連続で減少した。

世帯主が高齢者の世帯でインターネットを使って購入した商品やサービスの年間支出は2010年が1万7112円。
2002年の5748円から約3倍に増え、ネット利用の進展がうかがえる。 

時事通信 9月16日(金)17時44分配信
・・》
注〉記事の原文にあえて改行を多くした。


私は高齢者2年生の66歳の身ながら、確かに日本は超高齢化の社会になっている、
実感させられたのである。

もとより『敬老の日』は、
《・・
敬老の日は、長い間社会の為に尽くしてきた高齢者を敬い、長寿を祝う日です。
また、それとともに高齢者の福祉について関心を深め、
高齢者の生活向上に努めるよう若い世代に促すという気持ちが込められています。
・・》
と定義されている。

しかしながら、
《高齢者の生活向上に努めるよう若い世代に促す・・という気持ちが込められています》
と読めば、
高齢者の方たちは、働いて下さる若い世代の諸兄諸姉たちから、
果たして敬愛とまなざしか、或いは老害と感じるか、私は複雑な思いでいる。

少なくとも私より10歳以上齢上の後期高齢者の75歳以上の人たちは、
敗戦後の荒廃した日本を、少なくとも世界の中でも有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
日本に住む私達の多くが、こうして世界の人々の中、稀(まれ)な生活を享受しているので、
私は少なからず尊敬の念を抱(いだ)いている。

そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代と称される世代が60歳以上となり、
社会の第一線を退いた方が多く、まぎれなく超高齢社会となっている。


昨今、政治の昏迷、経済の低迷、社会の劣化の今日、
社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、現状のままあると、
少なくとも毎年一兆円の国の負担が増している、と伝えられている。

もとより高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えているのである。

このような現状の上、高齢者の有権者層が急増している今日、
政治家の諸兄諸姉の議員が、高齢者を重視した政策を掲げることが多くなり、
現役世代の若い30、40代の人たちがのささやかな念願よりも、
私のように定年退職し年金受給者の高齢者を優遇せざるを得ない、
危険な政治状況と憂いているひとりである。

このような現状の制度のまま放置すれば、
現役世代の若い30、40代の人たちは、何かと過重負担となり、
耐え切れず反乱されても致しがたいであろう、と思ったりしている。

そして、若い働いて下さる諸兄諸姉の方は、
高齢者の人たちは負担させるばかり人たちと思い、
やがて邪魔な存在と感じながら、粗末にする風潮のなる世界が私には想像できる。


このような思いになると、たとえば福祉などは、
高齢者の方たちは、国が何をしてくれるのは甘えであり、
少なくとも、私は自分が払ってきた厚生年金などを支給を受ければ、
これ以の福祉サービスなどは、国、都道府県、区市町村に過剰に頼るな、と思っている。

平素の日常生活は、貧富の差にかかわらず、歩くことである。
もとより季節のうつろいの情景を享受できるし、何よりも健康に良いし、
高齢者の医療費の激減となる。

そして、それぞれの高齢者は、ご自身に合った趣味を深めれば、
すこやかな『生きがい』となり、身も心も溌剌〈はつらつ〉とした日常生活となる。

その上、高齢者は若い方に比べると多少は身体は弱っているが、
何より生きてきた知恵がある。


若い世代の人は、こうした人生の知恵を学べは良い、と思ったりしている。

私は若い人に期待するのは、言葉づかいと動作の粗雑であることにつきる。
そして、死語となったシルバー・シートの復権を期待するぐらいあり、
心に余裕ある働いて下さる諸兄諸姉の方は、
ご年配者に学び取り、わずかに尊敬の念を感じてくれれば、
これ以上は期待もしていない。


私は買物などで狭い歩道を歩いたり、街中で私よりご高齢者とすれ違う時、
たとえ両手に重い荷物を持とうが、道を開ける。
公園などでポッンとベンチに座っている方を見かけると、
最低限として挨拶程度の言葉をかけるのである。

私がご高齢者で困惑するのは、
公共の場で恥知らずな言動をするグループを見かけると、確かに老害と思っている。
特にご婦人の方に多く、女性にいつまでも憧憬(どうけい)している私としては、
はなはだ残念と思ったりしている。

そして、私はあなた方の持っていた羞恥心という美徳はどうされたのですか、
人前でご迷惑を感じていないのですか、
そして、お孫さんに恥ずかしくないのですか、と私は憂(うれ)い時もある。


とりとめなく綴ってきたが、私たち高齢者は潔き言動こそが敬愛の源泉であり、
粗雑な言動はまぎれなく老害となるので、
ときおり私は自戒を重ねたりしている。


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