私は日中のひととき新聞記事などを切り抜いたA4のケース箱を脇机から取り出して、
古き記事は破棄しょう、と見ていた時、
読売新聞の2008年10月15日に於いて、『文芸』欄で掲載された『ネットと文学』の記事を
読み返し、しばらく考えさせられたのである。
この記事は、金巻有美・記者により記載された記事であり、無断ながら引用させて頂く。
《・・
日中韓の3国の作家や詩人、文芸評論家らが集い、語り合う「第1回 東アジア文学フォーラム」が、
先月29日から10月2日までの4日間にわたって、韓国・ソウルで行われた。
3国の作家らは、ネット社会における文学の役割といった共通の問題意識を持ちながら
活発に議論を交わした。
・・》
という序章であった。
《・・
いずれの国の作家も言及したのが、
1990年代以降のインターネットの普及とネット文学についてだった。
日本では10代の女性を中心携帯電話のサイト上で
小説を発表する「ケータイ小説」が人気を集め、書籍化されたものはミリオンセラーとなっている。
中韓でも、「ケータイ小説」はまだないものの、
インターネット上で小説を発表し、そこからデビューする作家が出ている。
〈略〉
こうした状況の中、「作家が特殊な職業や体験を取材して書いても、
そのリアリティーは当事者がブログに書き込む証言にあっさり乗り越えられてしまう。
何が現代の、未来の小説の肝となるべきか考えなければならない」
とネット時代を生きる作家の悩みを素直に語ったのは、
近著の『決壊』でネット社会への問題意識を題材に作品を執筆したばかり平野氏(啓一郎)。
誰でもが書き手となることができるネット社会で、
「趣味が多様化し、社会が機能的に分化する中で、
どのような社会的な合意、共通性を確保していくのかというところに、
文学がかかわる余地があるのではないか」
と述べた。
これに対し、韓国の(若手作家のリーダー的存在と知られている女性作家)殷氏は、
「ブログは生々しく、特異なことが書かれているが、『観点』が欠けている。
作家は人間と世の中を解釈し、観点を示すのが小説の役割。
その意味で作家の仕事は多くなった」
という考えを示した。
「ネットは文学にとって危機なのか、チャンスなのか」
という問いを立てた中国の許龍錫氏は、
「平等で自由なネット空間の文学を通じて、
逆に文学の大衆化が達成され、文学領域を広げる機会になる」
とネット文学が現在の文学に新風を吹き込むことへの期待を語った。
さらに、ネットでひともうけをたくらむ子供たちを描いた『インストール』で、
高校時代にデビューした綿矢(りさら)氏は、
過去の名作や投稿サイトをネットで読んできた体験から、
「インターネットはその特性にあった独自の形式を見つけ、
ネット文学と従来の文学は、住み分けを図っていくのかもしれない」
と展望。
長編『犬身』をネット上の連載という形で発表していた松浦(理英子)氏も、
「安易な読み物がはんらんする不安がある一方で、
小説の自由度が増したことを喜んでいる作家も少なくない」
と述べ、
各国の作家からは現状を肯定的にとらえる意見も相次いだ。
一方で、
「私はインターネットもメールもやらないし、
紙に書く文学が廃れるとも思わない」
と語ったのは中国の雷抒雁氏のような詩人もおり
・・》
以上、長々と引用させて頂いたが、要旨は上記の通りである。
注)金巻有美・記者の書かれた原文に、あえて改行を多くした。
私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、シナリオや小説の習作をしていた時期もあった。
映画のシナリオライターになりたくて、ある芸能専門養成所の演出科コースに入所し、
講師の計らいで、児童劇の映画に出演したり、
総合月刊雑誌の連載記事の下書きのアルバイトをしている時、
ある新劇の方より、映画の世界で飯を食べて行くのは益々大変なので、
創作の世界だったら、小説を書かれたら、と暖かいアドバイスを頂いた。
その後、私は契約社員で警備員などをし、小説の習作し、
純文学、中間小説の新人賞の応募を重ねたが、結果として最終の当選作には至らなかった。
確固たる根拠もなく、ただ自身の感性と感覚を頼りに創作の習作を重ねたが、
果たして、30代で妻子を養う家庭生活を想像した時、
整然とした人並みの生活を営む自信がなく、やむなく24歳で断念した。
そしてサラリーマンで中途入社する為に、コンピュータの専門学校に一年ばかり学び、
ある大手企業に何とか中途入社できたのは、1970〈昭和45〉年の春であった。
その後、この会社の事業本部のひとつに、音楽事業本部があり、
この中のひとつが外資レコード会社として、新たに設立されて、私も異動させられて、
35年近く勤めて定年退職を迎えた拙(つたな)い身である。
この間、数多くのサラリーマンと同様に多忙な期間に於いて、
純文学、中間小説を読む機会が激減し、勤務分野に係わるビジネス専門書、雑誌が多かったのである。
そして、ときおり小説、随筆、現代史、歴史書を読む程度だったので、
1975〈昭和50〉年以降の小説の数多くのは、殆ど未知である。
私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活に入ったのは、
せめて死ぬまでには何とか随筆形式で、
数百年過ぎたのちの文学の愛好家からも、確かな珠玉の散文を遺(のこ)された人、
と慕われるくらい、たったひとつの散文を綴りたい、と思ったからである。
夢ばかり大きく、40年近く創作の感覚から離れていたが、思いばかりつのったのである。
そして、まもなくブログの世界を知り、
私は文章の特訓に幸いとばかり、日記、随筆形式で、殆ど毎日数通は投稿してきた。
石の上にも3年、と古人からの伝えがあるが、
無念ながら特訓期間は、既に丸6年は過ぎ、今日に至っている。
このように努力もなく、才能に乏しい私であるが、
たまたま『ネットと文学』の上記の新聞記事が読み、思考させられたのである。
私は原稿用紙等に書かれても、或いはインターネットでも公表されようが、
結果として書物とされるか、ネット上で掲載され留まるか、重視するタイプである。
私は若き方から見れば、齢ばかり重ねた66歳の身なので、
本屋、古本屋で魅了された書物を選定し、活字で読むひとりである。
3年前頃に偶然に、ネットの『青空文庫』のサイトを見ていた時、
何となく違和感を感じ、途中で止めたりしたのである。
私は綿矢りさら・女史の小説は、読んだことはないが、今後は女史の発言通り、
ネット文学と従来の文学は、住み分けを図っていく、
と感じ深めている。
しかしながら、誌上の世界は有料、ネットの世界は無料が圧倒的に多いのが実情である。
誌上は単行本、新書本、文庫本、文藝雑誌などは、
もとより編集者の怜悧な視線、出版社の意向で、
創作者も鍛えられ、一部の方は成長して作家として生計は成り立つ。
ネットの世界は、安易に発表の可能な世界なので、
ともすれば独りよがりの作品に陥りやすいのである。
ときたま私は精読する限り、この中の一部には心の深淵まで描いた作品も有り、私は動顚させられ、
プロの作家並みとして驚くことがあるが、果たして持続した作品を公表できるかは、疑問である。
このような心情を深めているので、作家として生計を求めない人は、
ネットで寡作の作品を公表する方は、ネットは有力な発表機会となる。
このようなことを3年前に記事を読み返しながら、ぼんやりと考えたりしている。
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古き記事は破棄しょう、と見ていた時、
読売新聞の2008年10月15日に於いて、『文芸』欄で掲載された『ネットと文学』の記事を
読み返し、しばらく考えさせられたのである。
この記事は、金巻有美・記者により記載された記事であり、無断ながら引用させて頂く。
《・・
日中韓の3国の作家や詩人、文芸評論家らが集い、語り合う「第1回 東アジア文学フォーラム」が、
先月29日から10月2日までの4日間にわたって、韓国・ソウルで行われた。
3国の作家らは、ネット社会における文学の役割といった共通の問題意識を持ちながら
活発に議論を交わした。
・・》
という序章であった。
《・・
いずれの国の作家も言及したのが、
1990年代以降のインターネットの普及とネット文学についてだった。
日本では10代の女性を中心携帯電話のサイト上で
小説を発表する「ケータイ小説」が人気を集め、書籍化されたものはミリオンセラーとなっている。
中韓でも、「ケータイ小説」はまだないものの、
インターネット上で小説を発表し、そこからデビューする作家が出ている。
〈略〉
こうした状況の中、「作家が特殊な職業や体験を取材して書いても、
そのリアリティーは当事者がブログに書き込む証言にあっさり乗り越えられてしまう。
何が現代の、未来の小説の肝となるべきか考えなければならない」
とネット時代を生きる作家の悩みを素直に語ったのは、
近著の『決壊』でネット社会への問題意識を題材に作品を執筆したばかり平野氏(啓一郎)。
誰でもが書き手となることができるネット社会で、
「趣味が多様化し、社会が機能的に分化する中で、
どのような社会的な合意、共通性を確保していくのかというところに、
文学がかかわる余地があるのではないか」
と述べた。
これに対し、韓国の(若手作家のリーダー的存在と知られている女性作家)殷氏は、
「ブログは生々しく、特異なことが書かれているが、『観点』が欠けている。
作家は人間と世の中を解釈し、観点を示すのが小説の役割。
その意味で作家の仕事は多くなった」
という考えを示した。
「ネットは文学にとって危機なのか、チャンスなのか」
という問いを立てた中国の許龍錫氏は、
「平等で自由なネット空間の文学を通じて、
逆に文学の大衆化が達成され、文学領域を広げる機会になる」
とネット文学が現在の文学に新風を吹き込むことへの期待を語った。
さらに、ネットでひともうけをたくらむ子供たちを描いた『インストール』で、
高校時代にデビューした綿矢(りさら)氏は、
過去の名作や投稿サイトをネットで読んできた体験から、
「インターネットはその特性にあった独自の形式を見つけ、
ネット文学と従来の文学は、住み分けを図っていくのかもしれない」
と展望。
長編『犬身』をネット上の連載という形で発表していた松浦(理英子)氏も、
「安易な読み物がはんらんする不安がある一方で、
小説の自由度が増したことを喜んでいる作家も少なくない」
と述べ、
各国の作家からは現状を肯定的にとらえる意見も相次いだ。
一方で、
「私はインターネットもメールもやらないし、
紙に書く文学が廃れるとも思わない」
と語ったのは中国の雷抒雁氏のような詩人もおり
・・》
以上、長々と引用させて頂いたが、要旨は上記の通りである。
注)金巻有美・記者の書かれた原文に、あえて改行を多くした。
私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、シナリオや小説の習作をしていた時期もあった。
映画のシナリオライターになりたくて、ある芸能専門養成所の演出科コースに入所し、
講師の計らいで、児童劇の映画に出演したり、
総合月刊雑誌の連載記事の下書きのアルバイトをしている時、
ある新劇の方より、映画の世界で飯を食べて行くのは益々大変なので、
創作の世界だったら、小説を書かれたら、と暖かいアドバイスを頂いた。
その後、私は契約社員で警備員などをし、小説の習作し、
純文学、中間小説の新人賞の応募を重ねたが、結果として最終の当選作には至らなかった。
確固たる根拠もなく、ただ自身の感性と感覚を頼りに創作の習作を重ねたが、
果たして、30代で妻子を養う家庭生活を想像した時、
整然とした人並みの生活を営む自信がなく、やむなく24歳で断念した。
そしてサラリーマンで中途入社する為に、コンピュータの専門学校に一年ばかり学び、
ある大手企業に何とか中途入社できたのは、1970〈昭和45〉年の春であった。
その後、この会社の事業本部のひとつに、音楽事業本部があり、
この中のひとつが外資レコード会社として、新たに設立されて、私も異動させられて、
35年近く勤めて定年退職を迎えた拙(つたな)い身である。
この間、数多くのサラリーマンと同様に多忙な期間に於いて、
純文学、中間小説を読む機会が激減し、勤務分野に係わるビジネス専門書、雑誌が多かったのである。
そして、ときおり小説、随筆、現代史、歴史書を読む程度だったので、
1975〈昭和50〉年以降の小説の数多くのは、殆ど未知である。
私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活に入ったのは、
せめて死ぬまでには何とか随筆形式で、
数百年過ぎたのちの文学の愛好家からも、確かな珠玉の散文を遺(のこ)された人、
と慕われるくらい、たったひとつの散文を綴りたい、と思ったからである。
夢ばかり大きく、40年近く創作の感覚から離れていたが、思いばかりつのったのである。
そして、まもなくブログの世界を知り、
私は文章の特訓に幸いとばかり、日記、随筆形式で、殆ど毎日数通は投稿してきた。
石の上にも3年、と古人からの伝えがあるが、
無念ながら特訓期間は、既に丸6年は過ぎ、今日に至っている。
このように努力もなく、才能に乏しい私であるが、
たまたま『ネットと文学』の上記の新聞記事が読み、思考させられたのである。
私は原稿用紙等に書かれても、或いはインターネットでも公表されようが、
結果として書物とされるか、ネット上で掲載され留まるか、重視するタイプである。
私は若き方から見れば、齢ばかり重ねた66歳の身なので、
本屋、古本屋で魅了された書物を選定し、活字で読むひとりである。
3年前頃に偶然に、ネットの『青空文庫』のサイトを見ていた時、
何となく違和感を感じ、途中で止めたりしたのである。
私は綿矢りさら・女史の小説は、読んだことはないが、今後は女史の発言通り、
ネット文学と従来の文学は、住み分けを図っていく、
と感じ深めている。
しかしながら、誌上の世界は有料、ネットの世界は無料が圧倒的に多いのが実情である。
誌上は単行本、新書本、文庫本、文藝雑誌などは、
もとより編集者の怜悧な視線、出版社の意向で、
創作者も鍛えられ、一部の方は成長して作家として生計は成り立つ。
ネットの世界は、安易に発表の可能な世界なので、
ともすれば独りよがりの作品に陥りやすいのである。
ときたま私は精読する限り、この中の一部には心の深淵まで描いた作品も有り、私は動顚させられ、
プロの作家並みとして驚くことがあるが、果たして持続した作品を公表できるかは、疑問である。
このような心情を深めているので、作家として生計を求めない人は、
ネットで寡作の作品を公表する方は、ネットは有力な発表機会となる。
このようなことを3年前に記事を読み返しながら、ぼんやりと考えたりしている。
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