私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
この2月の時節、自宅の周辺のコース、
または市内にある都立の『神代植物公園』のコースを、
歩き回ったりしている。
こうした中で、たまには変わったコースも認知症の予防には大切・・、
と学んできたので、京王沿線にある『百草園』を訪れたり、
或いは最寄り駅のひとつの成城学園前の郊外にある都立の『砧公園』を訪れたりしてきた。
過ぎし5年前の頃に、野川のあるレクセンターに於いて、
世田谷『国分寺崖線 散策マップ』と題された散策ルートを見かけて、
これ以降、私のガイドブックとなり、周辺を遊学してきた。
そして3週間前に都立の『砧公園』を訪れた後、
近くにある世田谷区立の『岡本公園』を知り、
いつの日に訪ねてみたいひとつとなっていた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説によれば、
《・・岡本公園は、東京都世田谷区岡本にある区立の都市公園である。
1977年に開園した公園で、メインは江戸時代に建てられた建物を展示した民家園である。
園内は、かつて世田谷区内で見られた農村生活を身近に見られるように
世田谷区の有形文化財第一号に指定された旧長崎家住宅主屋と旧浦野家土蔵、
旧横尾家住宅椀木(うでぎ)門を復元し、
世田谷周辺で江戸時代後期の典型的な農家の家屋敷を再現している。
その他園内には、遊具整えられていたり隣接して次大夫堀(丸子川)が流れていたり、
また近隣には岡本静嘉堂緑地があったり、緑豊かな地域になっている。・・(略)・・》
このように解説され、私は世田谷区に隣接した調布市で、
1944年(昭和19年)の秋に生を受けて、
祖父と父が亡くなる小学3年まで、農家の児として育てられたりした。
このような関係で、世田谷区内にある『次太夫堀公園』にある民家園を、
ここ10年、自宅の付近に流れているの野川の遊歩道を下流に向かい歩き、
幾たびも訪ねて、心のふるさとを改めて心に深めたりしてきた。
本日の午前中のひととき、『岡本公園』にある『民家園』を訪ねた。
そして『岡本公園』に隣接した処に広大な『岡本嘉堂緑地』があり、
もとより三菱財閥の総帥の岩崎家の偉業の足跡であるので、
敬意を示したく、『静嘉堂文庫美術館』の正門より、私は訪れた・・。
こうした正門よりは歩き始めたが、まもなく案内図があり、
長らく見たりした・・。
そして『静嘉堂文庫美術館』までのゆるい坂道を歩いたが、
想定したよりアプローチは長く、
ここが広大な『岡本嘉堂緑地』の一部と思ったりした・・。
やがて初めて知る『静嘉堂文庫美術館』に到着したが、
この日は閉館日のようで、人影もなかった・・。
やがて私は、岡本八幡神社を通り、目的の民家園に向かった・・。
やがて国分寺崖の階段を下りた後、まもなく民家園が見えたりした。
こうした素朴な庭を拝見した後、家の中に案内人の御了解を得て、
写真を撮らせて頂いた・・。
やがて座敷には、まもなく『桃の御節句』を迎えるので、
大正時代、そして昭和時代のひな壇飾りが並べたりしていた・・。
そして家の周辺には、納戸、農機具など、そして薪が積み上げられていた・・。
こうした中で、かぐわしい芳香が漂ったので、私は眺めて微笑んだりした。
こうした間のひととき、案内の男性、女性と、
私が小学一年生の昭和26年当時のことを思い馳せながら、懐かし気に、
茅の屋根の修復、神棚に榊(さかき)の枝をささげる状態など・・
懐かし気に、私たちは話し合ったりした・・。
やがて私は民家園を辞して、久々に、失われた時を求めて、
心のふるさと・・接して、やすらぎのひととき・・過ごしたりした。
そして私は農家の児として育ったので、生い立ちは隠せないよなぁ・・、
と苦笑したりした。