夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

川柳から教わること・・。

2005-06-13 07:22:56 | 読書、小説・随筆
たった五、七、五からなる川柳は、
風刺でその時代を切り取った作品が私は好きです。
これは散文の世界では、とても叶わない魅力を秘める。

昨日の読売新聞の朝刊で、
『よみうり時事川柳』の特集記事があるが、
尾藤三柳・氏の選定によると、

   団塊が 去ると日本が 軽くなる
                 作者 蓮田 竹内田三子

秀作に選定していた。

私もこの作者に、時代を上手く切り取っている人、と直感しました。

団塊世代が定年退職を2007年より迎えるが、
この世代の人口の多さ、
年収の多い世代、
技術等の技量の伝承、
等の問題をすべて包括しているので、良質な作品と、感心した。

これだけの短文で、散文の世界では表現が不可能です。

これが川柳だ、と唸らせるひとつ作品です。
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私のインターネット環境・・。 ②最終

2005-06-10 17:09:44 | 定年後の思い
今年の春前後は、このブログの熱中時代となった。

こうした中、総務省かNTTかは忘れたけれど、
光ファイバでブロードバンド・・マスコミも同調した。

ここ数ヶ月、回線事業者のひとつであるNTT東日本から、
『光ブロードバンド《Bフレッツ》とセットでおトク!』
勧誘電話がきた。

結果として、サービスと価格を踏まえた末、
回線事業者はNTT東日本で、
プロバイダはニフティとした。
電話はひかり電話としてが、テレビは従来どおりCATVと決めた。

こうして、いよいよ我が家も、八月頃に光の対応となる。
回線のレスポンス(応答時間)は、どのくらい向上するか楽しみである。

ここ一年、我が家で一番変化したのは、電話である。
黒電話からプッシュホン、そしてひかり電話となった《笑》
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私のインターネット環境・・。 ①

2005-06-10 16:18:48 | 定年後の思い
昨年の今頃、秋に定年退職を迎えるので、インターネットを検討していた。
それまで、パソコンの活用は、自身利用と会社の業務を家で行なう範囲に留めていた。
現役の多忙期では、とても電子メール、ホーム・ページの開設・運営に
心身とも余裕がなかった。

昨年の五月過ぎに、ADSLは管轄の電話局より、私の自宅は遠方に当たるので、
やむ得ず光ファイバを選択し、NTTか東京電力か、悩んでいたが、
この両者ともこの頃は敷設されていなかった《笑》

七月になると、CATVのJ-COMの地元ケーブル局が、
家の近くで光ファイバの工事をするので、知らせを受けた。
テレビのアンテナも不具合があったので心を動かされた。

インターネットの速度は下り30メガで、上り2メガが公称のデータであったので、
家の前まで光ファイバでそこから同軸ケーブルなので、余り劣化しないと判断した。
加入後の下りの速度、21メガ~14メガであった。

こうして、CATVの回線を利用して、8月過ぎにインターネット環境は整った。

早急、メール・アドレス名、考えた末、我ながら、傑作と思えた名称に出来た。

インターネットの検索も凝りだして、魅了されたサイトを《お気に入り》に登録し、
やがてブログり世界も知ることに成った。


《続く》


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第0次世界大戦~日露戦争~  最終

2005-06-08 12:24:34 | 時事【政治・経済】等
欧州の各国の帝国主義は、有色人種に白色人種の高い文明を広める
「白人の責務」を根拠に、世界進出を正当化するものだった。

しかし、日露戦争を通じて、欧州は、そうした帝国主義の公式は
もう妥当性がないと思ったに違いない。
文明の相対主義を受け入れ始めたのだ。

また、戦争は帝国主義とアジアのナショナリズムという二つの政治的潮流を残した。
後者はアジア人が自分自身で統治し、
西欧の干渉を排除して国を統治できるという考えだ。
これがアジア全体に送られたメッセージだった。

日露戦争で日本が勝つと、
近隣アジア諸国を始め、遠くインドやエジプトの植民地の民族主義者も、
「日本人が成し遂げたことをやろう」
と奮い立った。
世界の民族主義運動に日本が大きなエネルギーを
注ぎ込んだことは間違いない。

日本はこうした状況にどう対応するか問われたが、
日本は結局、帝国主義者として歩む悲劇的な道を選んだ。

            (聞き手・国際部 遠藤富美子)

以上が記事の全てである。
私は無知なことが多いと、改めて考えさせられた。
特に日露戦争が終った後、エジプトまで影響を及ぼした点は、
考えていなかった。

私の家の近くに墓地があるが、
旧家のお墓に故人、故人に独立したお墓があり、
ひときは大きいのは、この日露戦争で戦死された方のお墓である。
その横にあるのは、ひと回り小さい太平洋戦争で戦死したお墓だった。

国益をかけた外交が最悪になると、
戦争が起きるケースが多いが、やむ得ず戦争になったならば、
どのような形であれ、勝利しなければならない。

どのような国家間の条約でも、戦争という自体のまえには、露草と消えてしまうのだから・・。
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第0次世界大戦~日露戦争~  ②

2005-06-08 11:44:41 | 時事【政治・経済】等
また、日露戦争では、両国とも大量の兵員を動員。
武器や弾薬、そして食糧、制服、軍靴まで、前例にない規模で使用した。
供給路を確保するためには、制海権を獲得する必要があった。

2005年の2月~3月の奉天会戦に勝利した後は、
日本軍はそれ以上、撤退するロシア軍を追撃し、
戦争を続行する国力はなかった。
これも近代産業を背景とした20世紀の総力戦の一面である。

武器などの準備には、資金ん゛必要だった。
ロシアは、フランスやドイツを頼った。
一方、日本は日英同盟にもかかわらず、
ロシア嫌いで日本への財政支援に関心を寄せるアメリカの銀行家を頼った。
戦争の資金をめぐっても、国際性を持つ世界大戦だったといえる。

日露戦争は、植民地戦争として、アメリカとスペイン戦争、
南アフリカのボーア戦争と関連づけられることが多いが、
これらの戦争とは分けて考えたい。
日露戦争には、単なる植民地戦争以上の意味があるからだ。


《続く》
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第0次世界大戦~日露戦争~  ①

2005-06-08 11:05:15 | 時事【政治・経済】等
昨日の読売新聞の朝刊で、タイトルの記事がおどっていた。
歴史学者はこうして展望したのか、と興味をもった。

歴史に興味のある方と私の勉学の為に、転記させて頂きます。

日露戦争100周年を機に国際学術会議「第0次世界大戦」が先月、
東京・三田の慶応大学で開催された。
同会議に参加した歴史学者に、今日から見る日露戦争の意味などについて
インタビューした。

ジョン・スタインバーク氏
   米ジョージア・サザン大 準教授

   米ミズーリ州生まれ。オハイオ州立大博士号。
   専門はロシア軍事史。48歳。

「日露戦争=第0次世界大戦」という考えはまだ新しく、
我々が呼び始めてからまだ数年だ。
私は共同編者の一人として、このテーマで、
新著「グローバルな視点からみた日露戦争 第0次世界大戦」を
まとめた。


なぜ第0次世界大戦なのか。
20世紀は総力戦と地球規模の紛争の世紀であり、
日露戦争は、その最初の戦争と言えるからだ。

日露戦争と、その十年後に起きた第一次世界大戦とは類似点が多い。
類似点とは軍事技術が決定づけた戦場の様式である。

日露戦争の戦いは、
①海戦
②機動力を利用する作戦
③包囲戦
の三つの側面を持つ。
約五ヶ月間続いた旅順攻撃はこのうち、包囲戦に該当する。

この戦いは、第一次世界大戦でのドイツ軍による
フランス軍の防衛拠点ベルダン要塞への攻撃に似ている。
旅順もベルダンも、敵陣営の要塞を破壊するために、
度重なる攻撃を強いられて多くの死傷者を出した。


《続く》
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世界の国々の文化を教えてくれた人・・♪

2005-06-07 19:16:37 | 時事【社会】
今朝の読売新聞で、特集記事のひとつとして、
《時代の証言者》があるが、本日から兼高かおる・女史が
採り上げられていた。

記事の最初として、下記の通り、記載されていた。

日本が高度経済成長の坂を上がり始めたころ、
日曜日の朝のお茶の間に届けられる世界各地のテレビ映像に、
国民はくぎ付けになった。
品のいい語りの主は、兼高かおる。

31年間続いた『世界の旅』の取材で飛んだ距離は、
地球180周分に及ぶ。
さまざまな「世界一」、「日本初」の記録を生んだ旅行家は、
地球という星の変化を見続けてきた。
                   解説部・榊原智子

このように記事が書かれていた。

私は1959年(昭和34年)に放映された頃から、
観ていた。
世界各国の状況を中学二年の多感な時から、
その国々の文化を教えてくれた。

あの時代に私共は、この人の番組を通して、
色々なかたちの文化を知ったと思う。

よく著名人の一部に対して、貢献した人々に、
文化勲章を政府は差し出しているが、
この人こそ、真の意味で、授賞されるべきの人である。

政府のどなたかが選定されるのは解らないが、
鈍感さにあきれている。

余りにも遅いと思われるが、今からでも
授賞していただく方法に急ぐべきである。


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紫露草の想いで・・。

2005-06-07 09:44:00 | 定年後の思い
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あやめの想いで・・♪

2005-06-06 12:12:44 | 定年後の思い
あやめの紫色の花には、気に入って花壇のはずれに植えたことがあった。

十数年前頃、会社の仕事が忙しく、花壇の草むしりをほおっていたら、
翌年から消えてしまった苦い思いがある。

あやめについて、書物で調べていたら、知らなかったことが多すぎた。

その中で、このような感じで書かれていた。

源三位頼政が宮中で、あやめという美女を恋しましたので、
帝は頼政に彼女を賜ろうとしました。
しかし、数多い宮中の女官たちがいるので、
ちょっと見ただけでは頼政も見分けがつかなかった。

やも得ず頼政は、一句を詠んだ。

五月雨に 沢辺のまこも 水越て
  いずれあやめと 引きぞわづらふ

詠み終えた後、周囲を見渡したところ、
さあっと顔を赤らめた美女がしたので、
あやめと解った。

『太平記』の一部に綴られている。

こうした事を読みのも、私の趣味のひとつである。
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華やかな60歳代・・ゴルーデェン・イヤーズ

2005-06-02 12:19:28 | 時事【団塊の世代】
過日、北海道に観光団体ツアーに行ってきたが、
中々教えられることが多かった。

参加メンバーが私共を含めて、ご夫婦が13組で、
女性同士が1組であった。
ご夫婦達は、それぞれの人生をあゆまれ、
生活を営まれてきている。
主人は60歳代、70歳代の前半のお人だった。

今回の旅行の日程は、ハード・スケジュールで
あったが、健気にもにこやかに時を過されていた。

私はバスの座席は、後部の一角で窓枠が広い所で、
車窓から流れる風景を観るのが好きである。
家内の方は、その日に指定された席に座っている。

『XXちゃん、デジカメのキャップ渡すから、しまっておいてね』
と家内に声をかけた。
車内の一部から、くすくすと笑い声が聴こえた。

観光地に着くと、バスから降りると、
家内と歩きながら話していた。
後ろのグループの人が、
『XXさん・・』と私の名前を呼び、囃(はや)し立てた。

家内が私をさすとき、『あなた』、『XXさん』と言うのを
聴いていたのを、真似して言ったのだった。

ある夫婦の奥様から言われた。
『あなた方、いつもそのように、呼び合っているの・・
 仲が良くて、羨ましいわ・・』

私は言われてみたけれど、別段、普通の夫婦の会話だと思っている。


ある奥様が可愛いので、私は話かけた。
話が弾み、そばにいるご主人が笑っていた。
しばらくすると、ご主人が言った。

『ゴルーデェン・イヤーズだなぁ・・
僕は74歳だが、60歳代の時は仕事から解放されて、
体力もあったし、結構、家内と海外も含めて、旅行に行ったょ・・
心身とも充実するのが60歳代の時だったょ』

私からご主人を見ても、がっしりとした身体で、
前向きなお心をお持ちの人、と感じている。

私達は、このご夫婦から旅先の間に可愛がれた。


旅の終りの羽田空港で別れる時、
『僕達、十日後はチェコに行くょ・・』
とご主人は言った。

私は台湾、香港、ハワイの観光地には、
びっくりしないけれど、東欧の国に想像外であった。

『貴方、言葉の心配などないわょ・・
 笑顔で最低限の言葉で大丈夫なの・・
 どの国に行っても、英語で二言、三言ですの・・』
と可愛い奥様は、笑顔をたやさず私に言った。

今回の旅の最大収穫は、こうした健全なご夫婦にお逢い出来、
私共のこれからの目的のひとつと成りえた事であった。
コメント (2)
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