夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私なりのメガネの思い・・♪ 

2008-07-21 13:05:14 | 定年後の思い
   前 章 退職後でも少しは

私は年金生活の4年生の63歳の身であり、
近眼で少し老眼が増しているが、顔の1部と思い、少しのこだわりを持っている。

一昨日、現在愛用しているメガネのフレームが痛んでいるのに気付き、
昨日、駅前のメガネ店に行き、新調した。

フレームは、その人なりの顔立ちの表情を表わし、
それなりの個性が感じられるので、
展示品の中から、私が魅了された3種類は数分で決まったが、
最終選定には30分を要したのである。

結果として、程々の品位が感じられるフレームに決定したのである。

店内にあるカタログの一面に於いては、
・・
1991年には新しいローデンストックの哲学、
『眼鏡は人間の個性を強調するものである。
現在のフレームコレクションは斬新かつ軽量、機能的になっている。』
というブランドイメージとブランド思想のもと、“R”マーク付きの新しい
ローデンストックのロゴを採用。
・・
と掲載されていた。

このことと私のこだわりが一致して、
確信を得ながら、決定した要因である。

そして、もう1度、少し照れながら、鏡を手前に引き寄せて、
フレームを掛けたりした・・。



   第一章 初めて近眼と気付いた時

私は中学3年の終りの頃、
私は職員室で担任の先生から呼ばれ、
『XXくん・・あなた眼・・悪いわね・・
0.3って・・』
と先生は、健康診断書を見ながら、
私に云った・・。

『・・どうして・・今まで黙っていたの・・
メガネを掛けないと・・黒板の字も見えないでしょう・・』
と先生は云った。


私は教室の後部に座って、黒板の字もかすれていたが、
皆もこのようにと思い、信じていたのである。
兄達、妹達もメガネをしていないので、それなりに思い込んでいたのである。

帰宅後、亡き父の妹である叔母に、
『・・今日、先生から云われたのだけれど・・
眼が悪いので・・メガネを掛けなさい・・と云われたの・・』
と私は云った。

母は外に働いていたので、
未婚の叔母に私達の兄妹は、料理、洗濯、掃除などで、甘え、育ってきたのである。

結果として、高校の入学から、私は生まれて初めて、
メガネを掛けたのである。

宅地の丘の外れから、遠望の丹沢の山並み、富士山を観た時、
くっきりとした景観が観え、行く先々の情景も余りにも明確に見えて、
私は驚き、ため息をした・・。


中学に入学し、野球部の練習に明け暮れていた。
レフト付近に3人で守備位置に付いて、外野フライのノックを受けていたのであるが、
何かしら私だけが打球の判断がのろいのである。
私は運動神経が悪く、練習すれば、打球の飛んで来る判断も良くなると、
思っていたのである。


高校時代は、授業時間以外は、メガネを掛けるのが恥ずかしく、
通学バックに仕舞い込んでいた。
そして、文学と歴史に興味を持った私は、文庫本などを読み耽り、
映画を観るために盛んに映画館に通いつめたりした。
そして布団の中で、こっそりと好色本も読んだりしたせいか、
近眼の度数が悪化した・・。



   第二章 盲目への恐怖心に慄(おのの)き

私は東京オリンピックの頃、大学を中退し、
アルバイトをしながら、映画・文学青年の真似事をしていた。
この頃は、近眼の度数も一番上の検査表がやっと見える0.1となり、
布団に入る時以外はメガネを付けていた。

こんなある日、自動車の普通車免許があれば、
何かと便利、将来に食べられなくなった時は、
タクシーの運転手になればよい、
と安易な思いで、教習所に通ったりした。

教習所の教習課程を終え、試験所で本免許の受験する為に、
教習所のマイクロバスで私達受験生10名は送って貰ったのである。

ご存知のように、普通免許の場合は、
視力は0.7以上は必要であったが、
私はメガネを掛けた上でも、視力試験で落ちたのである。

そして私だけが、とぼとぼと試験場から去ったのである。


後日、1.0が確実に視(み)得るメガネを新調したが、
レンズは厚くなり、それなりに私は気になったのである。

この後、試験場で合格し、
次兄や友人に助手席に座って貰い、指導を受けした後、
私なりに一人前のドライバーとなった。

しかし、心の奥底から、この先は一体どこまで近眼が進むのかと、
恐怖に慄いたのである。

後年、作家の曽野綾子・女史が随筆で、
盲目になりかけ、何とか手術で救われた、と読んことがあるが、
私は深く共感できたのである。



   最終章 私の現役時代の時は

私は25歳で、遅ればせながら企業に中途入会し、
年収より背伸びし、メガネだけは程々高価な品を買い続けた・・。

近眼が酷く、レンズも厚いので、
なるべく厚さの目立たない加工したレンズ、
そして厚さをカバーするフレームを限定して、
選定してきたのである。


通勤用は0.7程度で、運転用には1.0前後の2つを所有していたが、
幸いに視力の低下は、20代の終りの頃、
0.07程度で横ばいとなり、安堵したりした。

そして50代のなかば頃からは、少し老眼を感じたが、
20代の近眼進度の悪化した時の思いを考えれば、
それなりに受け入れ微笑さえできたのである。


家内は結婚当初、視力は2.0と抜群に良かったが、
50代の初めに老眼となり、メガネに馴れていないので、
落ち着かないようすがしばしばである。
そして、ときおり老眼鏡を掛け、
新聞、旅行雑誌などを読んだりしている。

この後、どこかに置き忘れて、探す時もあり、
私は微笑みながら、共に探したしている。


私は近眼には、それなりに苦労し、
メガネの選定に多少のこだわりの半生でもあった。

そして、昨日のフレーム選定の時、
数多くの国産、海外品を愛用してきたが、
再びローデンストックかしら、と微苦笑したのである。


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私なりのメガネの思い・・♪ 最終

2008-07-21 12:54:00 | 定年後の思い
   最終章 私の現役時代の時は


私は25歳で、遅?E个擦覆♢藉?E箸肪翕啼颪掘?br />年収よ?E愎④咾掘▲瓮♠佑世韻歪更皺舛壁覆鯒磴ぢ海韻拭ΑΑ?br />
近眼が酷く、?E鵐困盡?Eい里如?br />な?E戮?E気量槊④燭覆げ湛④靴織?E鵐此?br />そして?E気鬟㎤弌爾垢?E侫?E璽爐鮓堕蠅靴董?br />選定してきたのであ?E?br />

通勤用は0.7程度で、運転用には1.0前後の2つを?E④靴討い燭♤?br />幸いに?E呂猟祺爾蓮■横安紊僚Ⅳ蠅虜◆?br />0.07程度で横ばいとなり、安堵したりした。

そして50代のなかば頃からは、少し老眼を感じたが、
20代の近眼進度の悪化した時の思いを考え?E弌?br />そ?E覆蠅房影?E个気┐任④燭里任△?E?br />

家内は?E蕁∋?E呂錬押ィ阿犯慣欧卜匹㎠辰燭♤?br />50代の初めに老眼となり、メガネに?E?E討い覆い里如?br />李請着かないようすがしばしばであ?E?br />そして、ときお?E郡禧世魍櫃院?br />新聞、旅行雑?E覆匹鯑匹鵑世蠅靴討い?E?br />
この後、どこかに置き忘?E董気校發△蝓?br />私は微笑みながら、共に探したしてい?E?br />

私は近眼には、そ?E覆蠅剖?E㎠掘?br />メガネの選定に多少のこだ?E蠅糧樟犬任發△辰拭?br />
そして、昨?E離侫?E璽狒蠅了?br />数多くの国産、海外品を愛用してきたが、
再び充デンストックかしら、と微?E个靴燭里任△?E?br />
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私なりのメガネの思い・・♪ ③

2008-07-21 11:56:00 | 定年後の思い
   第二章 盲目への恐怖心に慄(おのの)き

私は?EⅤ?E鵐團奪虜◆膤悗鮹翅爐掘?br />ア?E丱ぅ箸鬚靴覆♢蕁撚茵κ験慇椎凌浸鬚靴討い拭?br />この頃は、近眼の度数も?E崗紊慮〆塞修♢笋辰噺㎠┐?E亜ィ韻箸覆蝓?br />布団に入?E奮阿魯瓮♠佑鯢佞韻討い拭?br />
こんなあ?E?E⊆絢屬良當娘嵬筏♢△?E弌?br />何かと便利、将来に食べら?E覆覆辰浸蓮?br />タクシーの運転手にな?E个茲ぁ?br />と安易な思いで、教習所に通ったりした。

教習所の教習課程を終え、寺坡所で本免許の受験す?E戮法?br />教習所のマイク双スで私達受験生10名は送って貰ったのであ?E?br />
ご存知のように、普通免許の?E腓蓮?br />?E呂錬亜ィ薫幣紊鷲⇆廚任△辰燭♤?br />私はメガネを掛けた上でも、?E六海罵舛燭里任△?E?br />
そして私だけが、とぼとぼと寺坡?E㎠薺辰燭里任△?E?br />

後?E■院ィ阿亮造忙?Eみ)得?E瓮♠佑鮨慶瓦靴燭♤?br />?E鵐困聾?E覆蝓△修?E覆蠅忙笋狼い砲覆辰燭里任△?E?br />
この後、寺坡?E嚢膤覆掘?br />次兄や友人に助?E覆忘造辰凸磴ぁ∋愼海鮗韻靴晋紂?br />私なりに?E輿阿離疋薀ぅ弌爾箸覆辰拭?br />
しかし、心の?E?E㎠蕁△海寮茲楼?E里匹海泙廼甦磴覆爐里㎠函?br />恐怖に慄いたのであ?E?br />
後年、笹糧の曽愉冥子・女史が?E㌔如?br />盲目になりかけ、何とか?E僂乃澆?E?E拭△汎匹鵑海箸♢△?E♤?br />私は深く共感できたのであ?E?br />

            《続く》
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私なりのメガネの思い・・♪ ②

2008-07-21 10:53:00 | 定年後の思い
。。。。。。ツ隹・マ。。ス鬢皃ニカ盒网ネオ、ノユ、、、ソサ?

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アヌイ隍?ム、・ソ、皃ヒタケ、?ヒアヌイ雍ロ、ヒトフ、、、ト、皃ソ、熙キ、ソ。」
、ス、キ、ニノロテト、ホテ讀ヌ。「、ウ、テ、ス、熙ネケ・ソァヒワ、簇ノ、?タ、熙キ、ソ、サ、、、ォ。「
カ盒网ホナルソ?ャーュイス、キ、ソ。ヲ。ヲ。」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ヤツウ、ッ。ユ
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私なりのメガネの思い・・♪ ①

2008-07-21 09:23:00 | 定年後の思い
        前章

私は年金生活の4年生の63歳の身であり、
近眼で少し老眼が増してい?E♤蕕裡栄瑤隼廚ぁ⊂靴里海世?E蠅鮖辰討い?E?br />
?E鯑?E什澎ν僂靴討い?E瓮♠佑離侫?E璽爐砲鵑任い?E里傍ど佞①?br />昨?E愾阿離瓮♠妖垢帽圓①⊃慶瓦靴拭?br />
フ?E璽爐蓮△修凌佑覆蠅隆蚓④舛良従陲鯢修?E掘?br />そ?E覆蠅慮沈④兇犬蕕?E?E里如?br />展示品の中から、私が魅了さ?E殖骸?E爐録♢之茲泙辰燭♤?br />最終選定には30分を要したのであ?E?br />
?E未箸靴董垢良憤未兇犬蕕?E?E侫?E璽爐坊萃蠅靴燭里任△?E?br />
店内にあ?E㎤織阿琉?E未鳳い討蓮?br />・・
1991年には新しい充デンストックの哲学、
『眼鏡は人間の個性を強調す?E發里任△?E?br /> 現在のフ?E璽爛灰?E轡腑鵑六多靴㎠跳變漫’重Ⅳ砲覆辰討い?E?br />というブランドイメージとブランド思想のもと、“R”マーク付きの新しい
充デンストックの全を採用。
・・
このことと私のこだ?E蠅?E廚靴董?br />確信を得ながら、決定した要因であ?E?br />
そして、もう1度、少し照?E覆♢蕁世鮗?E阿飽⑳鵑擦董?br />フ?E璽爐魍櫃韻燭蠅靴拭ΑΑ?br />

             《続く》

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遅寝、早起き、そして昼寝の元気な児・・♪

2008-07-21 07:41:30 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であるが、
深夜まで本を読みながら寝付き、
目覚めたら本などを2時間ばかり読み、そして起床することが、
この1週間の悪い習慣となっている。

午前中のひととき、買物と散策を終えて、
午後は居間のクーラーの冷気につつまれて、
ソファーに座ったり、簡易ベットに横たわり本を読むことが多く、
1時間前後の昼寝をしたりしている。

私は高校生以来、読書が最良の友としているので、
こればかりは人生の終る時まで変わることがないと思われ、
私が先立つ場合は、火葬される時に5冊ばかりの本を選定している。


今朝も4時に目覚め、本を読み、6時半過ぎに草花に散水し、
こうしてぼんやりと綴っている。


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真夏のひととき、本屋に寄れば・・♪

2008-07-20 20:13:26 | 読書、小説・随筆
私は、10時半過ぎに駅前に行き、メガネを新調する為に選定した後、
本屋に寄った。

これといって欲しい本がなく、中々定まらず、
結果としては、2冊の本を購入した。

海江田万里・著の『団塊漂流~団塊世代は逃げ切ったか~』(角川ONEテーマ21)、
臼井幸彦・著の『映画の中で出逢う「駅」』(集英社新書)であった。

前書に関しては、私よりひとつ下の世代であり、
私は25歳の時に、ある企業に中途入社したので、
彼等と入社まもなくして机を並べた関係で、
私としては友人が多いのである。
副題の《団塊世代は逃げ切ったか~》に関心があったので、
購入したのである。

後書は、映画の作品の中で、ドラマとして「駅」をとりまくシーンも、
人生のひとこまとして欠かせない情景と確信しているので、
買い求めたのである。


このような形となったが、
真夏の日中、居間のクーラーの冷気につつまれた中、
ソファに座ったり、簡易ベットに横たわって読んだりしているが、
私の心身は、これ以上の贅沢のひとときはない、
と感じて過ごしている。


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朝涼(あさすず)のひととき・・。

2008-07-20 18:06:31 | 定年後の思い
東京郊外は、曇り空の朝を迎え、涼しげな空気につつまれている。

私は玄関庭の外れにある淡紫色の高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)の花を眺めたり、
塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。

そして、居間に戻り、テラスに下り立ち、
煙草を喫いながら、淡紅色と白色の大輪のアメリカ芙蓉(フヨウ)を眺めているが、
朝のひととき、陽射しを受けていないので、
ひっそりと花を閉じている・・。

ここ数日の私の早朝のひとときであるが、
このような情景に心を寄せたりしていると、
社会の喧騒は遠い世界の出来事のように思えたり、
まるで隠居した淡々とした心情になれるから、
独り微苦笑している。

私は年金生活の63歳の身であるが、
まだまだ数多くの欲望も野望も秘めた拙(つたな)いひとりであり、
朝涼のひとときの情景にわずかに心を染められたかしら、
と感じたのである。

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東京郊外も、夏本番を迎え・・♪

2008-07-19 17:13:38 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に住む私は、
梅雨明け、と昼のニュースで視聴した。

私の地域では、毎年、小学生の学童が夏休みの入る頃、
梅雨明け宣言がされている。

ここ数週間は不安定な天気の梅雨の時節であったので、
何かしら安堵しながら、陽射しが燦燦と照り続ける庭を眺めたりした。


我家の草花の半夏生(ハンゲショウ)は、
平年どおり梅雨の時節、上部の葉が白く染められたり、
唐糸草(カライトソウ)の可憐なピンクの花が、
彩(いろど)ってくれたが、
夏本番となれば、お別れとなる。


数日前から、淡紅色と白色の大輪のアメリカ芙蓉(フヨウ)、
淡紫色の高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)が咲きはじめ、
そして紫露草(ムラサキ・ツユクサ)の群蒼色の花が彩ってくれている。


これから1週間も過ぎれば、
日中は蝉(セミ)が鳴きだし、そして夕方から深夜にかけて、
蟋蟀(コウロギ)と鈴虫の2部合唱となる。

我家の蟋蟀は、鈴虫の盛大な鳴き声に圧倒されているのか、
或いは主(あるじ)の私に似て、気弱で遠慮しながら鳴いているようで、
それなりに私は愛(いと)おしく、夜のひととき聴いたりしている。

こうした中、群生したタマスダレの白い花が彩どりはじめると、
盛夏の季節となる。


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私が最も聴いた名曲は・・♪

2008-07-19 11:31:16 | 音 楽
私は東京オリンピックの時、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をした後、
ある大企業に中途入社できたのは、昭和45年の春であった・・。

満25歳であり、社会人としては大変遅れた青年だった。

大企業の一部門がレコード会社として独立し、
私は異動させられて、
定年退職するまで音楽関係の会社に勤めたのである。

音楽に直接に係わる制作畑でなく、
管理畑であったが、それなりに音楽の曲には、
素養はないが、強い思いを抱いて聴いたりしていた・・。

魅了された曲は、300前後はあるが、
惚れこんだ曲は少なくとも百回以上は聴いたりしていた。

こうした中で、音譜も読めなく、
楽器もいじれない音楽の素養のまったくない私は、
私なりの個性と感性を頼りに聴いてきたが、
定年退職の御礼の挨拶状に、さりげなく付記したりした。


通常の御礼の後に、

退職日に際し、在職中において、
私の人生に影響を与えてくれたあまたの曲の中で、
あえてベスト3を選定しました。
ご笑話ください。

  中島みゆき『HALF』

  長渕 剛  『昭 和』

  X JAPAN『Rusty Nall』

 別格 モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番』

と記載したのである。


もとより、本、映画にしろ、3作品を選定すれば、
その人なりの思想、心情、強き嗜好の度合いが、
かい間みられる・・。

私はサラリーマン生活を卒業した機会に、
それなりにメッセージを残したかったのである。


定年退職後の年金生活に於いて、
ときおり、過ぎ去った50年代から80年代の曲を聴くことが多いのである。

そして年金2年生の時、
絢香ちゃんの『三日月』を偶然に聴き、惚れこんだりしていた・・。

今年の5月に、いきものがかりの『帰りたくなったよ』の吉岡聖恵ちゃんの歌声に魅了させられ、
私も年齢を重ねたと微苦笑している。


尚、私が最初に聴いた曲で心の片隅に残っているのは、
昭和25年の小学校に入学する前の幼年期、
ラジオから流れてきた『長崎の鐘』(作詞・サトウハチロー)であった。
藤山一郎さんの歌声に、何故か悲しみを覚え、
少し涙ぐんだりした6歳の児であった。

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モーツァルト『ピアノ協奏曲 第20番』・・♪

2008-07-19 08:02:12 | 音 楽
私はここ数週間、深夜まで起きて折、
読書をしたり、音楽を聴いたりしている。

昨夜も本を読んだりしていたが、
偶然にNHK総合で【とくせん】という番組で、
『名曲探偵 モーツァルトの謎追う』と題され、
今回は、《ピアノ協奏曲 第20番》が取り上げられ、
私は視聴したのである・・。

私はクラシックには素養はないが、東京オリンピックの頃、
偶然にFM放送で聴き、秘かな愛聴している作品でもある。

この5年後、たまたまレコード会社に勤めはじめたので、
数多くのクラシックの名曲を識ることになる・・。

独断と偏見が許されるならば、これまでクラシックの作品を聴いた中で、
私としては最上級の作品として、
モーツァルトを賞賛しているのである。

つたない感性から判断したのであるが、
具体的に何が良いのか、と問われれば、
ご自分の愛している女性のどこが良いのか、
と同様な質問と思われるので、明記しょうがないのである。

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私の『心のふるさと』は・・♪

2008-07-18 19:40:35 | 幼年・少年時代の想いで
私は齢を重ねた63歳の年金生活の身であるが、
過ぎた日々の半生を振り返えり、私の心の源泉は、
と問い続けたりすることがある。

そして、どなたも同様と思われるが、
やはり私は幼年期、少年期にときおり思い寄せたりしている・・。

幼年期、少年期に関しては、このサイト、別サイトで数多く投稿して折、
このブログの【年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~】に於いて、
カテゴリ『幼年・少年期の想いで』と称して、
52編ばかり残している。


私は東京郊外の調布市で農家の三男坊として、昭和19年の秋に生を受け、
祖父、父、母、そして父の妹の叔母2人、
長兄、次兄に囲まれて、乳児の時を過ごした・・。

祖父と父が中心となり、小作人の手を借り、
程々の広さの田畑を耕し、宅地の周辺には竹林、雑木林があった。

敗戦後、まもなくして農地改革で田畑は減少したが、
幼児の私には、それなりの田畑、湧き水、小川、蓮(ハス)専用の田んぼ、
池、防空壕などの数多くの情景が、
今でも鮮明に残っている・・。


長兄、次兄に続いて私は生を受けたが、跡取り候補の男の子は2人いたので、
祖父、父らは3番目は女の子を期待していたらしく、
私の後に生まれた妹の2人を溺愛していたかのように、
私は感じ取り、いじけた可愛げのない幼年期を過ごした。

そして、祖父と父は大学に学ぶことが出来なかったので、
跡取りの長兄に期待をかけ、小学5年生の頃から、家庭教師を付けたりした。

長兄は当時通っていた村立小学校の創設60年の卒業生の中で、
初めて国立の中学校に入学できて、
周囲の期待に応(こた)えたのである。

次兄は活発な伸び伸びとして育成されたが、
それなりに学校の成績は、クラスで一番と称せられていた。


このした中で、私は小学校に入学しても、
通信簿は『2』と『3』ばかりの劣等性であった。
父が小学2年3学期、祖父がまもなくした小学3年の一学期に死去し、
大黒柱をなくした農家の我家は没落しはじめたのである・・。

私はお兄さんは出来たのに、と担任の先生のため息もさることながら、
相変わらずの劣等性でいじけた影の子であった・・。


後年、都心の私立の高校に通った頃から、
地元から離れ、都心の空気と兄達の影響のない高校であったので、
私なりに伸び伸びとして育ち、
文学、歴史などに深く興味を持つ普通の子となったのである。

これ以降は、大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした後、
何とか大企業の中途入社でき、サラリーマンを35年ばかりし、
定年退職を迎えたのである。


私は20代のなかばの頃まで、
地元を振りかえることをなるべく避けていた・・。

中学生の頃までに、急激に住宅街への変貌する情景に、
心身の波長が耐え切れなかった面があったが、
何よりも劣等性だった小・中学時代を思い出すのも、
負い目もあり、つらく、ふるさとなんかは、と思い続けていた。

30代のなかば、地元で家を構えた時、
家内と散策するたびに、小・中学校に通った路とか、
かっての情景を語ったりしたのである。

そして定年退職後、私は肩書きの失くした名刺になったので、
調布の里っ子、と明示しながら、
友人らに恥ずかしげに手渡したりしている。


尚、ここ30数年に於いて、
心のふるさと・・しばしば各界で使われているが、
この言葉を最初に使われたのは、私のつたない読書歴のメモに記載している。

旅行雑誌の『旅』の編集長をしていた紀行作家・岡田喜秋が、
作家・立原正秋に紀行文の連載を依頼した時、
『心のふるさとをゆく』とタイトルを命名されたのである。
昭和43年の新年号から1年間連載されていた。

私は紀行文をそれなりに乱読してきたが、
今は亡き立原正秋・著の『心のふるさとをゆく』には、
私なりの自己形成のひとつの基幹となしたことを付記する。


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改めて、『野に咲く花のように』・・♪    

2008-07-18 08:56:28 | 定年後の思い
昭和57年頃の夏、私は会社の業務が多忙で夏季休暇も半分程しか取れなかったので、
近場の熱海の外れにある赤根崎のリゾート・ホテルに2泊3日で宿泊した。

家内は茶事を中学生の頃から習っていたので、
私は結婚してから色々と和事に関しては、家内から影響を受けたりしていた。
茶花、花入、茶碗、掛け軸などを知り、四季の移ろいも改めて知りはじめた・・。

結婚して、3年後に家を建てた時、
多額な借入となったが、若さの心の勢いとして、茶室まで設けた。

私は茶事に関しては無知であったが、
免許状の昇進と礼金の仕切りのような暗黙の約束事を知った時は、
不思議な世界と思ったりしていた。


リゾート滞在の折、休暇前は睡眠不足であったので、よく寝ていた。
昼下りのひととき、庭園にある茶室で茶事があるので、
支配人から家内が誘われ、私も末席としてお供した。

掛け軸、花入、茶花も簡素で、
素朴な茶碗で抹茶を頂いたりした。

茶室から庭園に出で、家内と散策した時、
『野に咲く花のような茶事であったね・・』
と私は家内に云った。

家内は微笑んでいた・・。

庭園は夏の光を受けていたが、
外れにある松林の中に入ると、
海上からの風が吹き、肌には心地よかった。


古人の利休が、花は野にあるように、という明言は私なりに知っていたが、
私はこの時以来、人生信条として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしている。


年金生活の4年生の今、ここ数年の年賀状には、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度の目標です、
などと付記したりしている。



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『ワダツミの木』の歌が街に流れていた頃・・♪

2008-07-17 17:04:44 | 音 楽
昨夜、NHK総合テレビで夜11時から、
『SONGS』という音楽番組を視聴した・・。

先週は絢香ちゃんで、『三日月』の歌がラジオから流れていた頃、
私は年金生活の2年生であったが、魅了されて3か月程毎日聴いたりしていた。

今回は、元 ちとせの出演で、久々に彼女の歌声を聴き、
『ワダツミの木』が街に流れた2002年の早春の頃、
私は・・と過ぎ去った日々を思いだされた・・。


私は現役時代で、あるレコード会社の本社勤務より、
出向となり、不馴れな遠方にある物流情報センターに勤めだし、
3年目の頃であった。

朝は4時45分に起床し、帰宅は早くても夜の9時のサイクルを過ごしていたが、
最初の頃の私なりの失墜感は消えうせて、
順応し、それなりの苦楽を第三者の視線で眺められる時でもあった。

物流情報センターの倉庫を7時過ぎに退社し、
ある駅前までバスを利用した後、
バス・ターミナルから小田急線の改札口までの繁華街を歩いていた時、


♪星もない暗闇で
 さまよう2人がうたう歌

【 『ワダツミの木』 作詞・作曲・上田 現  歌・元 ちとせ 】


歌が聴こえ、私は不思議な哀切感ある歌声に、
何かしら慰めを頂いたような心情となったのである。

そして私はまもなくして、このお方のプロフィールを知り、
奄美大島出身で島唄を取得されていたと知ったり、
社会の片隅に於いては、村起こしのような島ブームのような空気に変わった、
と私は感じられたのである。


その年の初夏の頃に、
このお方のファースト・アルバムの『ハイヌミカゼ』と題されたCDが発売された。
私はある駅前の大型CD販売店で新譜予約し、
発売日の前夜に入手して、CDウォークマンで通勤中の電車の中などで、
盛んに聴いたりしていた・・。


♪ここにいるよ あなたが迷わぬように
 ここにいるよ あなたが探さぬように

【 『ワダツミの木』 作詞・作曲・上田 現  歌・元 ちとせ 】


私はその後、かっての本社のメンバーと都心で懇親会のひととき、
『元 ちとせに魅了されているが・・
うちの会社では・・発掘し発売するまでの長い期間は・・
とても無理だよね・・』
と私は彼女の歌声の個性を絶賛した後、制作畑の友人に云ったりしていた。


私はその後、2年が過ぎ、定年退職を迎えて、
そして年金生活となり、日々を過ごしている。


昨夜、番組を視聴している時、
歌の合い間に彼女自身が語られた言葉として、
自身は結婚し、3歳の娘と過ごしいる、
と話されたり、
大変にお世話になった作詞・作曲された上田 現が亡くなわれた、
と語られたりしていた・・。


余りにも過ぎ去った日々は、早く感じられるが、
あの頃に夢中に聴いたアルバムを久々に、
私は深夜に聴いたりした。


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改めて、いしだあゆみ・女史から学び・・♪

2008-07-17 10:06:35 | 定年後の思い
私は昨夕、【YOMIURI ONLINE】に於いて、
新たなるサイト【 新しい大人たち 】(が増設されたと綴ったが、
私の誤りで、既に2月29日より開設されて折、
お読み頂いた方に、深くお詫びいたします。

私はときおり読売新聞に寄る【YOMIURI ONLINE】を見ているが、
バナー広告のように、【 新しい大人たち 】のサイトが表示されていたので、
新しいサイトが設けられた、
と思い込んでしまったのである・・。

私は齢を重ねても、単細胞のような思い込みがあり、
恥じているのが今朝の心情である。


さて、ひとつの企画コーナーとして、
『大人が語る』と題し、
今回は女優・いしだあゆみさんが起用されているが、
深夜に私は精読し、ひとりの女性としても、いしだあゆみ・女史から、
学んだのである・・。

http://otona.yomiuri.co.jp/culture/interview/

もとよりインタビューの記事であり、
無断であるが、1部を引用させて頂きます。


いしださんは、人間がお好きなんですね・・
とインタビューの問いに、

大好き! おもしろいもん、人間って。
10人いたら10人、価値観が違うし。

と応(こた)えている。



私はそれぞれの相手方の価値観を認めれば、
極端なことを云えば、政治・外交、宗教・民族に差異による戦争などは起こらない、
と微苦笑しながら思ったりしたのである・・。

しかし、この後のインタビューで、
いしだあゆみ・女史は、人生の哲学のように、
明言している。


【・・
でも、それで衝突したりすることは、ないんですか?
と問いに、

ないです。
「あ~おもしろいな~」と思うだけ。
だから、人間関係でストレスってないですね。
自分と合わない人は最初からわかるから、逃げます。
だって、無理に合わせることないもの。
・・

と応じている



私は深夜のひととき、いしだあゆみ・女史のこれまで歩まれてきた人生に思いを馳せ、
混迷している昨今の社会状況を重ねたりし、
この明言もまぎれなくひとつの秘訣かしら、
教示されたのである。



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