夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

読売新聞に寄る新たなサイト【新しい大人たち】・・♪

2008-07-16 19:42:20 | 定年後の思い
日中、庭の手入れをしたので、運動不足の私は、
少し身体がだるい中、ネットでニュースを検索していた・・。

私は読売新聞に寄る【YOMIURI ONLINE】をときおり見ているが、
先程、偶然に新たなサイトが増設されていた。


《 大人を変える大人たちへ 》
と云うサブ・タイトルで、

【 新しい大人たち 】(略・・新・大人)と命名されていた。

http://otona.yomiuri.co.jp/index.htm

私はサイトを開き、色々な企画があり微笑んだのである・・。

この中のひとつの企画コーナーとして、
『大人が語る』と題し、
今回は女優・いしだあゆみさんが起用されている。

これから私は精読するが、このお方の映画作品は、
余り観ていないが、私は『駅 STATION』(1981年)が深く心に残っている・・。


この映画は、脚本家・倉本 聰に寄って、
男優・高倉 健の為に書き下ろしたひとつの作品とし知られている。

この中で主演の高倉 健が演じ、妻・いしだあゆみが演じているが、
駅のプラット・フォーム、列車が走り出すまで、別離のシーンであり、
こうした情景の中、表情、しぐさ・・
哀切、哀感、愛惜のすべてを名演した女優として、
忘れられないのである。

もとよりこの映画は、監督・降旗康男と脚本家・倉本 聰の寄る最上作であるが、
これに応(こた)えた男優・女優のそれぞれの名演に寄り、
より一層に結晶された優れた作品、
として私は絶賛している作品でもある。


このような思いも私としてはあるので、
女優・いしだあゆみさんのインタビューをこれまで歩まれた方の人生観として、
精読しょうと思っているのである。

尚、倉本 聰の脚本に寄るテレビ・ドラマ『北の国から』(1981年~ 放映)があるが、
いしだあゆみさんは主人公の妻役として好演しているが、
これは『駅 STATION』(1981年)で女優として自信を深められた演技力の余波、
と私は確信している。


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【新しい大人たち】を拝読・・♪

2008-07-16 18:57:00 | 定年後の思い
日中、庭の手入れをしたので、運動不足の私は、
少し身体がだるい中、ネットでニュースを検索していた・・。

私は読売新聞に寄る【YOMIURI ONLINE】をときおり見ているが、
先程、偶然に新たなサイトが増設されていた。


《 大人を変える大人たちへ 》
と云うサブ・タイトルで、

【 新しい大人たち 】(略・・新・大人)と命名されていた。

http://otona.yomiuri.co.jp/index.htm


私はサイトを開き、色々な企画があり微笑んだのである・・。

この中のひとつの企画コーナーとして、
『大人が語る』と題し、
今回は女優・いしだあゆみさんが起用されている。

これから私は精読するが、このお方の映画作品は、
余り観ていないが、私は『駅 STATION』(1981年)が深く心に残っている・・。


この映画は、脚本家・倉本 聰に寄って、
男優・高倉 健の為に書き下ろしたひとつの作品とし知られている。

この中で主演の高倉 健が演じ、妻・いしだあゆみが演じているが、
駅のプラット・フォーム、列車が走り出すまで、別離のシーンであり、
こうした情景の中、表情、しぐさ・・
哀切、哀感、愛惜のすべてを名演した女優として、
忘れられないのである。

もとよりこの映画は、監督・降旗康男と脚本家・倉本 聰の寄る最上作であるが、
これに応(こた)えた男優・女優のそれぞれの名演に寄り、
より一層に結晶された優れた作品、
として私は絶賛している作品でもある。


このような思いも私としてはあるので、
女優・いしだあゆみさんのインタビューをこれまで歩まれた方の人生観として、
精読しょうと思っているのである。

尚、倉本 聰の脚本に寄るテレビ・ドラマ『北の国から』(1981年~ 放映)があるが、
いしだあゆみさんは主人公の妻役として好演しているが、
これは『駅 STATION』(1981年)で女優として自信を深められた演技力の余波、
と私は確信している。


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ときには、庭の手入れ・・♪

2008-07-16 08:02:20 | 定年後の思い
東京の郊外は、曇り空の朝を迎え、
梅雨明けはしていないが、ここ連日は初夏のような暑さから、
幾分涼しく感じられて、私は微笑んでいる・・。

暑さの苦手な私は、ここしばらく庭の手入れをさぼっているので、
樹木の枝葉も伸び、草も生い茂ってきている。


日中は、曇り一時晴れ、最高気温30度前後で、
夕方より雨が予測されているので、
手入れが終れば天上の気候の神々が清めてくれる、
と思ったりしているのである。

体力の衰えた私なりに、ときには庭でたわむれの日中を過ごす予定である。


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改めて、木槿(ムクゲ)の思い・・♪

2008-07-15 19:42:40 | 定年後の思い
午前中のひととき、私は初夏のような陽射しの中、
買物に行った時、住宅街を歩いていると、
あるお宅の庭先で宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が咲きはじめていた・・。


私は宗旦木槿の底紅で白い花で、
心澄んだ気品を秘めたような花と感じながら、15年近くなる。

これまでは公園、ご近所のお宅にも咲いていたと思われるが、
意識させられたのは、一冊の文庫本であった・・。

今は亡き作家・山口 瞳・著の『男性自身 木槿の花』(新潮文庫)を平成6年夏に読み、
亡くなわれた作家・向田邦子・女史への鎮魂曲のような随筆であった。

この随筆を読んでから、白の花の木槿、と綴られていたのであるが、
向田邦子・女史であったなら、宗旦木槿が相応しい、と私は勝手に連想したのである。

この時以来、私は宗旦木槿を見るたびに、山口 瞳の随筆に導かれて、
向田邦子・女史の顔立ちを思い浮かべながら、
数多くの遺(の)こされた作品を甦(よみがえ)ったりしているのである。


いつの日だっか、都立公園で五種類ばかりの色とりどりの木槿を観たが、
どこかのお宅で、さりげなく咲いている宗旦木槿の方に、
遥かに魅了される。


私は初夏に咲く花の中で、宗旦木槿は好きな花のひとつなので、
私なりに数多く、このサイトに綴っている。

例えば、3年前の夏、
【 初夏、木槿(ムクゲ)の咲く頃・・♪】
と題して、投稿している。

【・・
   
茶花として、夏は木槿(むくげ)、冬は椿が代表される
と古来から伝えられている。

初夏のひととき、部屋の中に、宗旦木槿を一輪挿すのも、清々しい・・。

私は、高砂木槿は嫌いである。
宗旦木槿に似た底紅であるが、花びらが白でなく、淡紅色である。

或いは、宗旦木槿は和室に良く、
ホテルのロビーの外れには、高砂木槿は引き立つ。

このようなことを思い立っていたら、
山口瞳・氏の随筆を通して、
向田邦子・女史の顔立ちがほんのりと浮んできた。

初夏の朝のひととき、庭先を見詰め、このようなことを考えていた・・。

・・


このように、少し幼稚な気負いで綴っているが、
我家では残念ながら宗旦木槿を植える機会を逃している。

昨年、旅先で簡易な売店で買い求めた淡紫色した高砂木槿が成長し、
昼下りから咲きはじめ、つたない私は、
主(あるじ)に似て相応しい、と微苦笑している。


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我家は、夏の陽射しに備えて・・♪

2008-07-15 10:20:46 | 定年後の思い
今朝、我家では家内の指導の下で、簾(すだれ)を納戸から、取り出して、
先程まで取り付けていた・・。

毎年、我家の梅雨明けからの夏の陽射しに備えて、
恒例となっている。

この後、私は冷茶を呑みながら、昨年の今頃は・・、
と過ぎ去った日の投稿文を読んだし時、
7月28日に於いて、

【 簾(すだれ)越しに、庭を眺めれば・・♪  】
と題して、私は綴っていた・・。


【・・

東京の郊外は、雲ひとつない快晴の朝を迎えている。

日中は昨日と同様に31度前後の真夏日となる。

この時節、我が家では、簾を各部屋に掛けている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸越しのカーテンを外して、簾とする。
和室も同様に、雨戸、網戸、障子、簾としている。

朝涼(あさすず)が残る9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾にして、風を通したりしている。

私は居間で机の上に置いているパソコンに向かったり、
ソファーに座り庭を眺めたりする時、ほのかな暗さがあり、
樹木、草花が涼しげに見えるのである。

先程、朝の庭を眺めていた時、ひとつの句が甦(よみがえ)ってきた・・。


世の中を 美しと見し 簾かな

     作者・上野 泰


この句は、長谷川 櫂・氏に導かれて知ったひとつである。

氏の解説に寄れば、下記のように綴られている。

陽はさえぎるが風を通す簾は、蒸し暑い日本の夏には重宝なもの。
王朝の昔、高貴な女性の中には、そのかげで一生を送る人もいた。
簾を透(とお)すと何もかも涼しげに見える。
古き世も人も過ぎ去り、今は簾だけが風に揺れている。


詠(よ)まれた俳人は、大正7年に生を受け、
昭和48年に亡くなわれた人であるが、
私は昭和のよき情感をとおして、
遥か彼方の古人の人たちへの愛惜を感じたりしている。

私は庭の樹木、初夏の草花を眺めながら、
とりとめなく千年前の女人のしぐさに思いを馳(は)せたりしている。


・・


このように私は綴っているが、
一年前の私の思いに懐かしげに読んだりしている・・。
そして、余り変わらない思いでいるので、
進歩なく一年が過ぎてきたのか、と私は独り苦笑している。



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冷茶、そしてアイス・コーヒーは・・♪

2008-07-14 11:58:35 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であり、5月のなかばより、秋のお彼岸まで、
煎茶の冷やしたお茶、そしてアイス・コーヒーを呑んでいる。

冷茶は、年中愛用している狭山茶であり、程々の価格の品であり、
日本酒と同様に多少のこだわりがある。

私の幼年期、祖父と父が健在で農業を営んでいた時代、
茶の樹木を村道と畑の境界に幅は半間(90センチ)、長さは50間(90メートル)前後を植えて折、
お茶の葉を摘む頃から桐の茶箱まで収納したりするまで確かな深い想いがある。
そして家族で年中呑んだり、
来宅の方の1部の方に、祖父はお茶を差上げたりしていた・・。


私達夫婦がここ30年数年近く呑んでいる煎茶は、
身勝手な私はこの煎茶の味に限りなく近いのである。


我家の冷茶は、煎茶用の大き目の急須にお茶を淹れて、
その後は冷蔵庫で冷やすだけである。
私が定年退職後は家に居ることが多いので、
やむえず家内が冷茶用の1リットル前後のポットを買い求め、
煎茶を多めに入れ、水を入れて、冷蔵庫で保管する簡略方法としている。


そして私は、大き目の湯呑で、この時節は七杯前後は呑んだりしているが、
アイス・コーヒーも2杯程度は頂いている。

コーヒーに関しては、手軽なインスタントのゴールド・ブレンドであるが、
アイスに限り、水に溶けやすいエクストラを愛飲しているので、
多少のコーヒーの香りと濃い味でブラックで呑めれば、充分としてしている。


このような安易な方法で、お盆に冷茶とアイス・コーヒーを乗せ、
居間のパソコンのある机の脇、
食卓用の大きなテーブルに置いたりしている。


外出で駅前に出たりする時は、コーヒー・ショップの『ドトール』で、
Lサイズのアイス・コーヒーにガム・シロップをひとつだけ入れて、
呑んだりしている。
そして、遊歩道、公園の散策、国内旅行先に於いては、
伊藤園の『お~いお茶 濃い味』を愛飲している。
自動販売機などで、この『・・濃い味』にめぐり逢えない時、
何故か悲しくなるのである。


家内は中学生の頃から、茶事を学んでいるので、
主(あるじ)の私に向かって、
『やはり・・貴方は農家の児(こ)ね・・』
と結婚して、まもない時に私は云われたりしている。

私は香り、味わいの上質な高価な煎茶より、
百グラム千円前後で、幼少期の味わった煎茶に濃い味で淹れるのが好きであるので、
こればかりは家内に同調できなく、30数年寝食を共にしている。


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齢を重ねた小父さんも、思わず参加・・♪

2008-07-13 18:38:00 | 定年後の思い
夕方のひととき、ネットを検索していたら、
偶然に【画数と良運 赤ちゃんの命名・名付け】のサイトを見て、
私は微笑んだりした・・。


http://mei.longseller.org/o1/


私は人生の半(なか)ばを過ぎた63歳の身であるが、
それなりに姓名を入れて、インプットした・・。


結果として、『総格』の人生全体に影響を及ぼすと称せられているのは、
《吉》現実的、才能、努力

社交家、年長者や成功者に可愛がれ成功。
面倒見がよい。心の裏表なし。
信用絶大。合理精神に富む。
旅行好き金運強・・などの特徴があります。
・・と表示された。


私は農家の三男坊として生を受け、
長兄、次兄に続き生まれ、
祖父、父たちは、三番目の子はせめて女の子、と期待していたらしい。

そして、やむえず命名の際は、祖父の一字を頂いた身である。

こうしたこともあり、果たして画数の運勢は、
と微苦笑したのである。


運勢占いがお好きな方、姓名判断にご興味のある方、
お試ししては・・と余計なことを思っている。
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されどビール、ひとつの文化である・・♪

2008-07-13 10:39:54 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生で63歳の身である・・。
この時節は、純米酒の辛口を冷やして弐合ばかり呑むが、
ときおりビールを呑むこともある。


私は呑兵衛であるので、ビールに関しても、
ひとしお数多くの想い出がある・・。

サラリーマンの現役時代、
30代の頃は、家内とデパートの買物、都心の公園に散策した折、
銀座、新宿のビアー・ホールの『ライオン』に寄ったりしていた。
私はビルの屋上にあるビアー・ガーデンは、
一品料理のつまみの選定が乏しく、日中の暑さの余韻もあるので、
苦手であった。

この点、ビアー・ホールは一年中営業をしているので、
それなりに一品料理に創意工夫され、美味なことが多く、
ドイツの田舎料理も楽しめる時もある。


この時代は、店内にドイツ民謡が流れ、ドイツの衣装を召した女性の店員が多かったのである。
周囲のお客もグループの方が多く、
生ジョキーをかたむけ、談笑に花盛りが多かった・・。

このような爽やかな賑わいの中、
私は壁際に展示されている10種類のジョッキーを見つめていたりしていた。

結果として、私は花瓶のような3リットル入り陶器のジョッキー、
家内は長靴のようなクリスタル・グラスの中ジョッキーを選定して呑んだりした。


私は数多くのサラリーマンと同様に、
多忙な身で休日を迎えると、何よりの開放感の面持ちとなり、
日曜日の昼食の時に、大瓶のビールを5本程度は呑んだりしていた。
その後、眠くなり、昼下りの数時間眠り、睡眠不足を補(おぎな)ったりしていた。


ある日、家内と夕方のひととき帝国劇場の付近にいた時、
小雨が降りだしてきたので、付近のシティ・ホテルに避難するように入った。
幸い地下は、レストランなどの食事処となって折、
手軽なビールで軽食をと思いながら、席に座ったのである。

ビールを呑み、単品の5品を家内と食べ比べをしたりしていた。
この時に、欧州人と思われる60代の男性が、
ヴィオリンを片手に近寄ってきた・・。

そして、何かリクエストの曲はありますか、
と片言の日本語で訊(き)かれ、
私は少しためらいながら、『アマポーラ』か『愛の歓び』のどちらか、
と云ったりしていた。

私は2曲も弾いてくれたので、細身のヴィオリニストに程々のチップを手渡した後、
ビールを追加したりしていた。



定年退職後は、夕食の時に、缶ビールの350miを2本ばかり、
コブレットのグラスで呑んだりしている・・。

『俺も弱くなったよ・・このぐらいで充分だょ・・
齢をとったのかなぁ・・』
と私は家内に云ったりしている。

『貴方の40代まで、黙っていれば大瓶3本ぐらいは呑んでいたじゃ・・ないの・・
もう一生分呑んでしまったのだから・・充分じゃ・・ないの・・』
と家内は笑いながら、私に云ったりしている。


家内と結婚した時、お酒を取り決めていた。
日本酒だったら弐合、ビールの場合は大瓶で2本までと誓言したりしていたが、
現役時代の休日は超えていた、と苦笑しながら思いだしたりしたのである。


最近も月に数回は、主庭のテラスで、
樹木の木陰に寄り、風に吹かれながら、ビールを呑むこともある。

こうした折、若き頃は、キリンのラガー、アサヒはスーパー・ドライ、
サントリーはモルツと一時的にこだわったり、
やはりサッポロのエビスに限るなどと確信したりしていた時もあった。

今の私は、この中でビールであれば、
過ぎ去った日々に思いを馳せることが多いので、
どの銘柄でも、私のかけがいのある友となってくれる。

尚、私は国内旅行の時は、いまだに北海道はビールに関しサッポロ・クラシック、
沖縄の場合は泡盛が呑めない私は、オリオン・ビールとしている。


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東京郊外も真夏日となり・・。

2008-07-12 14:21:44 | 定年後の思い
東京郊外の調布市は、燦燦と照りつける快晴となり、
今年初めての32度前後の真夏日となった・・。

私は年金生活の4年生の身であり、
日常の買物は私の責務となっているが、暑さの苦手な私は2日に1回のペースで、
午前中のひとときが多いのである。

帰宅後、洗面所で顔を洗い、着替えて、
クーラーの冷風に寄り添ったりしているのである。

庭の手入れもあるが、天気予報を眺めて、
曇り日に焦点を合わせて、少しつづしているが、
この所、さぼる気味で草が少し伸びている。

買物で駅前に出た折は、本屋に寄り、
数冊の本を買い求め、遊歩道を散策したりしているが、
これ以外は殆ど家の居間で、
クーラーの冷気の中で過ごすことが多いのである。

そして、愛煙家のひとりの私は、
年金生活後は室内厳禁と自己規制し、
主庭のテラス、樹木の緑陰、玄関庭の軒下などで、
煙草を喫ったりしている。


こうした折は、幼年期の時代が甦(よみが)ってきたりしている・・。

アイス・キャンディーもひとつである。

昭和29年頃、私は小学3年生であったが、
隣の村から田畑の拡がる砂利道の町道の中を、
がっしりした荷台のある自転車で、荷台には青く塗られた大きな木造箱、
そして小旗を風にそよがせて、小鐘を鳴らしながら、
小父さんがやってくる。

私は母にせがんで貰った5円玉を握り締めて、
丘を下り、町道で、
小父さんを待ったりしていた。

汗をたらした小父さんが、自転車を止めて、
青い大きな木造箱を開けて、
何かしら白っぽい冷気の中から、彩り鮮やかなアイス・キャンディを1本取り出し、
私に手渡してくれた。

私は口の中でほおばり、冷たさと甘味、
そしてよだれも交じりながらも、
食べたのである。

このような情景も数年後に消え、
やがて安価なアイス・モナカ、アイス・クリーム時代となり、
街中の食料品店の店頭のボックスで買い求めたのである。


このような思いに馳せたりすると、
あのアイス・キャンディ売りの小父さんは・・
どうされたのだろうか・・
と私は夏のひとときの夢のようだった光景に愛惜を深めたりしている。


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改めて、私の『掲示板』の思い・・♪

2008-07-12 10:29:00 | 定年後の思い
私は民間会社を定年退職した後、ブログの世界を知り、
四つばかりのブログ、ブログに準拠したサイトに加入してきた。

『コメント』欄もあれば、『掲示板』欄、そして『友達』欄のあるサイトもあった。

【goo簡単ホームページ】が閉鎖される昨年の夏まで2年間半ばかり加入し、
『掲示板』などで数多くのお方とめぐり逢え、
小学校の上級生の女の子からご高齢の男女まで、
数多くの方と交流をしてきた。

私は『掲示板』に初めて書き込みのあった方には、
プロフィールを拝見し、日記などの投稿文を精読し、
私なりにイメージが出来た上、書き込みを返信をしていた。

ある程度、交流させて頂いた方には、
書き込みの内容、思いを理解しながら、
そのお方の日記などの投稿文を少なくとも1週間は精読し、
このようなお気持ちであったのかしら、
と思いを馳(は)せて返信をしたりしていた・・。


このようなスタンスでいると、ある日には5通ばかりの返信となり、
午前中の時間をついやすこととなった。

これでは肝要の読書の時間がなくなるので、
今後も継続できそうな人を身勝手に選定し、
心の交流、とし10数名とさせて頂いた。


昨年の夏季、この【OCN Cafe】に加入させて頂いたが、
『友達』欄があり、少し戸惑ったのである。
本音としては、従来の【goo簡単ホームページ】で知り合い、
さりげなく心の交流をさせて頂いている方に【OCN Cafe】で再会できた上、
新たに【OCN Cafe】で知り合えた心の交流が出来そうな10数名、
と思案していたのである。


しかし、私自身の甘い思案は、この『友達』欄に於き、
友達申請が予想外に多く、最初は厳選としていたが、
その後は単なる軽い気持ちで友達の許可してしまったのである。
結果として、ある程度多くのお友達が存在している。

こうした中で、心の節度を失くされ感情的に書き込みをして下さる1部の方がいて、
これでは心の交流が出来そうもない、と私なりに判断したが、
頻繁に書き込みをして下さる方が折、
返信は1度だけとしたのである。

何よりも、私が綴った随筆の日記などの投稿の内容、心情も深く理解されず、
単なるコメントのような内容では、
私の目指してきた《心の交流》とは程遠いのである。


私は最近やむえず、下記のような子供じみた心情を投稿したのである。


7月5日【私のブログ系のサイトの軌跡 最終章】に於いて、
【掲示板】は最小限に、と明記したが、
改めて【掲示板】に寄ることの交流は、
当面、ご遠慮をお願いしたいのである。

【・・

さりげなくお読み頂ければ充分であり、
私は興味のあるサイトには相変わらず愛読者のひとりとして、
拝読する・・
こうしたスタンスが私には良い、
と深く思ったりしているのである。
・・



こうした明示をしたに係わらず、
相変わらず私の『掲示板』に書き込みを昨夜もあり、
私は戸惑い、唖然としたのである。


私は長野県にお住まいの心清き敬愛している女性の日記の投稿文を、
深く思い出している・・。
・・どのお方からの友達申請に際して、
急にお友達と云われても、ある程度『掲示板』で交流した後、
判断させて欲しい・・
このような意味合いを、ある方に向けた心情を書かれたいたことを、
偶然に拝読したことがあった。

私はこのサイトに於いて、至言、と思っているのである。


尚、私はたとえ『私のお友達』欄に掲載されていない方でも、
少なくとも男性50数名、女性10数名のサイトは、
投稿される限り、愛読し、この人生の教科書のように教示されている。

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我家の『国民健康保険料』・・♪

2008-07-11 19:52:02 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活4年生の身であるが、
先程、市役所より『平成20年度 国民健康保険納税通知書』が到着した。

今年の7月から来年の3月まで、
医療、支援、介護分の総計174,000円を支払いなさい、
と通知であった。

私は昨年は、132,600円で、一昨年は、83、400円であった。


ご存知の通り、国民健康保険料は、前年度の収入に基づいて、
家族構成、お住まい地域により差が生じが、
算出されている。

私は昭和16年度の秋にサラリーマンを定年退職し、
翌年も勤めていた企業の所属する健康機関に継続していたが、
支払い請求額の通知を受けて、
少し高いなぁ、とため息をついたのである。

私は定年後に年金生活に入ったが、昭和19年9月生まれであるので、
年金満額支給は62歳になってからであった。
従って、2年間は年金支給額は、ほぼ半額程度であった。

その後、健康保険を企業の所属していた健康機関から国民健康に切り替え、
最初の『国民健康保険料』は夫婦合算で、
たった年間83,400円であり、余りにも低いので、
驚いたのである。


先程も家内と通知書を確認しあったが、
昨年は、132,600円、今年は174,000円か、
と微苦笑したのである。

家内は、年金受給額が変わらないのに少し高いわ、
と云ったりしている。

私は日本は本格的に高齢者社会となり、医療・介護に巨額な経費を国・市町村が、
それなりに負担して頂くのだから、
国民の責務として、ある程度の負担は止む得ない、
と苦笑しながら、家内に云ったりしていた。


尚、私は現役のサラリーマン時代の最後の頃は、
毎月、健康保険と介護保険で総額3万円前後であった。

しかし、この頃は給与より天引きされていたので、
厚生年金、雇用保険と同様に、
勤めていた企業も、それなりに負担して下さった上の私の支払い額であったので、
長年、無頓着であったのである。



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私も人生、『七転八起』・・。

2008-07-11 13:24:50 | 定年後の思い
私は人生の半(な)かばの年金生活の4年生の身であるが、
半生を振り返ってきた時、
あの時に、もしも何かがあったならば、私達の今の生活も大幅に狂っていた、
と思う時がある・・。

私は中小業の民間会社のレコード会社を定年退職後、
ブログの世界を知り、余すことのないように幼年期から現役時代、
そして年金生活の思い等を綴ってきた。

私は綴る際は、自身の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はあうした思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して重要なのである。
従って、数多く綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡、
と云っても差し支えない。


私は幾たびも綴ってきたが、幼年期は農家の三男坊として生を受けたが、
父、祖父が死去された後は、衰退し生活に困窮した時期もあったが、
母の孤軍奮闘に寄り、何とか世間並みの生活が出来るようになった。

私は長兄、次兄の優等生であったので、
何かしらいじけた劣等生で小・中学時代を過ごした。

高校生になると、長兄、次兄の影響のない高校であったので、
自縛から解放されたかのように面持ちとなり、
普通の生徒で、多少個性が強い程度であった。

大学を中退したのは、東京オリンピックの頃で、
アルバイトをしながら映画・文学青年の真似事をし、
新人の小説コンクールの最終予選の寸前で3度ばかり落選したりしていた。

30代に普通の家庭が築けるの、と素朴な叱咤を叔父さんから云われ、
根拠のない自信にばかりの私はうろたえ、はかなくも挫折した。

結果として、安定した人生航路に軌道修正し、企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校に1年ほど学んだりした。
幸いご近所に住まわれている大企業の経営陣のお方の助力もあり、
ある大企業に中途入社できたのは、
昭和45年の春であり、25歳の時であった。

その後、大企業の音楽部門のひとつがレコード会社として独立され、
私は異動させられて、これ以降は定年まで音楽分野に勤めることになった。


この間は家内と結婚したり、1戸建ての家を構え、
住宅ローンが重く苦心惨憺な時期も過ごした。

会社の勤務も数多くのサラリーマンと同様に多忙で、
落伍者になるまいと、それなりに奮闘したのである。

ぎっくり腰で1ヶ月ばかり入院した40代の後半があったり、
レコード会社の合併などで完全外資となり翻弄された時代もあり、
そして業界のピークとなるのは、私が50代のなかばであった。

こうした暗澹たる空気の中、私の勤めていた会社もリストラが行われ、
希望退職優遇制度の名の下で定年前に退職を余儀なくされたり、
人事異動が盛んに行われ、私のように出向となった人もいた。


こうした機会に、私達夫婦はどのような老後の生活をしたいのか、
と真剣に話し合った。
私達夫婦は子供も恵まれなかったので、老後は2人だけの家庭となるので、
残された歳月、片割れになった時を念頭にしたのである。

老後の資金も肝要なので、私は出向先の不馴れな物流情報センターで、
何とか頑張れて、定年退職を迎えることが出来たのである。


そして定年退職後は、予定通り年金生活となり、
程々の貯蓄を取り崩しながら、古びた1戸建てに家内と生活を過ごしている。

ご近所の奥様と立ち話などをした時、
悠々自適な生活で羨ましいわ、と云われたりしているが、
私は官公庁、大企業の首脳部を卒業されたエリートではなく、
数多い中小業に勤めた普通のサラリーマンであったので、
高収入、高額な退職金には無縁で、程遠い生活実態である。


私の日常は小説、随筆などの読書はもとより、
映画を居間で鑑賞したり、
音楽を聴いたりしていることが多いのである。
そして青年時代に文章を綴り家庭生活を過ごすが夢であったので、
体力の衰えた今は小説の習作もままならず、
大幅な変貌してきたが、プログ等で随筆形式を目指して、毎日投稿し、
生きがいとなっているのである。


このように改めて、私の簡略な軌跡を明示してきたが、
この中でひとつでも欠けていたら、
私の今の生活はないのである。

家内から、働かなくても生活できるのだから、
と度々云われたりするたびに、
私は拙(つた)ない自分の半生のひとこまが甦(よみがえ)ったりしている。



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最近の『中央公論』の特集に魅了され・・♪

2008-07-10 23:07:24 | 読書、小説・随筆
日中のひととき、私は予定通り本屋に寄り、
結果として選定した本は、
本日発売の定期購読している総合月刊市雑誌の『文藝春秋』、
特集記事に興味がある場合に購読している総合月刊雑誌の『中央公論』であった。

そして櫻井よしこ・著の『日本人の美徳~誇りある日本人になろう~』(宝島社新書)であった。

購入後、家内との待ち合わせ場所の『ドトール』、
帰宅後、先程まで読んだりしていた。

主に『中央公論』の特集であり、
【高齢者は本当に弱者なのか】に於いて、
山田昌弘・著の《二極化する子どもたちが老後格差を拡大する》を
最優先に読み、改めて社会の実態と推測を教示させられ、
深く重く考えさせられたのである。

そして、次に読んだのは、【鉄道を愉しむ】の中で、
関川夏央・著の《宮脇俊三の紀行文学》を読み、
著作の宮脇文学の正鵠な論評に共感を覚えたりした。

この後は、堺屋太一・著の【日本を襲う歴史的重大危機】を読み、
先月の7月で【日本没落り理由】に於いて深く鋭利な論に感銘させられいた。

今月はペーパー・マネーに寄る世界的な波及に寄る混迷と危機、
そして著者の長年のテーマの官僚界の堕落化に伴う日本の衰退と混迷・・

このように精読すれば、私なりに教示されることが多く、
時間がたちまち過ぎてしまうが、次の特集記事を読んだりするのである。


私にとって、たった一冊の総合月刊雑誌といえども、
テレビ、新聞と違った切り口で、テーマを深く掘り下げ提示してくれる諸記事に、
限りなく魅了させられることが多い。


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ときには、川沿いの遊歩道を・・♪

2008-07-10 21:23:58 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に住む我家は、
小田急線と京王線のほぼ中間点となっている。
どちらの路線の最寄駅もバスを利用し駅前に行くか、
私が殆ど散策代わりに徒歩で、季節のうつろを享受し、
のんびりと歩くこともある。


私はその日に応じて、小学校の時代に通学した路を選んだり、
旧街道を歩いたりしている。
或いは付近の野川の両岸が遊歩道となって折、
上流に向かい歩いたり、下流へ足を向けることもある。


家内が歯科医院に治療を受ける時は、
この川沿いの遊歩道を下流に向けて、駅前に出て、受診している。
この時は、私はボディ・ガートの役目を仰せ付かり、
私達夫婦は遊歩道を歩いたりしている。

ここ3年ばかり、春夏秋冬のひととき川岸の情景、水の流れ、水面の移ろい
そして道端に沿った小公園の樹木、草花で季節を教示されている・・。


そして私は駅前で家内と別れ、
本屋に寄り、興味のある本を選別し、数冊購入した後、
コーヒー・ショップの『ドトール』で家内を待っているのが、
圧倒的に多いのである。

ご存知のように歯の治療は、その時の治療に応じて、
時間は30分の時もあれば、1時間半の時もあるが、
私は煙草を喫いながら、コーヒーを飲み、
何よりも好きな本があれば、数時間は大丈夫なタイプである。


このようなパターンは月に2度ばかりあり、
本日も川沿いの遊歩道を歩いた後、
本屋の書棚で興味の惹かれる本にぐり逢えるかしら、
と少年のように心を躍らせている。


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私は、年金青年ネット偏愛人・・!?

2008-07-09 20:27:12 | 時事【社会】
夕方のひととき、私はネットのニュースを検索していたら、
ひとつのニュースに注視したのである。

【 PCからのネット利用時間、初めて減少 博報堂DY調査 】

という見出しであり、
私は興味を持ち、精読したのである。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/09/news058.html

私は定年後の年金生活の4年生であるので、
男性の60代を見た。

       平均公表時間(分)  準拠させた私
テレビ・・・・・・・  195.2    120.0
ラジオ・・・・・・    59.8      0
新 聞・・・・・・    68.2     60.0
雑 誌・・・・・・    23.8    300.0
インターネット(PC)・・ 46.6    240.0 
インターネット(携帯電話)・・3.8      0
トータル・・・・・・   397.4     540.0


このような時間利用となって、私は微苦笑したのである。

私は読書を最優先とする趣味で、小説、随筆はもとより、
『文藝春秋』などの月刊誌を数多く愛読している。

そして、ブログ系に毎日投稿したり、
ネットの興味のある分野を見たりしているのである。

テレビはNHKの朝のニュース、夜の『ニュースウオッチ9』が殆どで、
ときおりドキュメンタリーの番組を視聴している。

そして、恥ずかしながら、
携帯電話は使えない遅れた私である。

ラジオは、月に思い立った時に、数時間聴く程度である。


私は通常の60代の男性より、改めてパソコン利用が多く、
偏屈な年金青年と感じたりしている。
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