定年退職後のまもない時、ブログの世界を知り、四つばかりのサイトに加入した。
この中で、現在加入し投稿しているのは、
【gooブログ】に於いて、
『年金青年のたわむれ記 ~かりそめ草紙~』とタイトルを掲げ、発信・略名『夢逢人』
としている。
もうひとつはブログに準じた【OCN Cafe】に於いて、
『風、そして光のように』とタイトルを掲げ、発信・略名『風と光』としている。
一昨年の2008年の5月に中断していた【gooブログ】を再開したのであるが、
少しばかり過ぎ去った投稿文に、思いかけずにコメントを頂き、驚いたりすることがある。
たまたま今朝も、コメント欄に記載されたいたのを拝読したりした。
《・・
久々に (ゆう)
2010-02-16 23:25:35
好きだったけど、しばらく聞いていなかった小柳ゆきを久々ききました。
…で、なんとなく検索したらここに。
X(hide)大好きで何度もライブ行きました。
YOSHIKIのよく聞いたという寒水魚で中島みゆきにハマりました。
・・》
私はコメントして下さった方は、どなたかしらと思いながら、【gooブログ】の範囲の中で、
検索したのであるが、不明であった。
そして私は、この広い空の下で、音楽性に共感して下さった未知のあなたに、
感謝しながら微笑みを頂だいたのである。
もとより私は年金生活6年生の65歳の身であるが、
コメントを書かれた方は麗しき30歳前の女性と拝察し、私の愛曲に共感して頂き、
望外の悦びとなり、しばらく空を見つめたりしていたのである。
私が投稿した文は、1月29日に、
【 懐かしき『小柳ゆき』の唄声を聴き、思わず私は・・。 】
と題した投稿文で、大半を再掲載する。
【・・
(略)
本日は昼下がりに、買物に行ったのである。
我が家の最寄にはスーパーが二軒あり、特売品などの関係で、
殆ど二軒を廻って、買物をしているのが、年金生活から買物担当している私の責務となっている。
一軒の方は、ディスカント風の格安品の多く品ぞろえしているスーパーであり、
店内に音楽が流れていることが多いのである。
私は年金生活を始めた5年前の頃は、
40、50代の女性が若き頃に流行(はや)った1970、1980代の歌が流れていることが多く、
私は殆ど知っているので、微笑んで聴いたりしていた。
ここ数年は若き世代から35歳ぐらいまでが聴く最新の流行音楽が流れることが圧倒的に多く、
私は無念ながら、半分ぐらいしか判らないのである。
このように店内の曲も変貌してきているが、
今日、陳列棚の品物を眺め、確認していると、
♪壊れそうな 明日に向かい
信じあう 奇跡を
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
店内から、歌が流れてきたのである。
私は懐かしげの唄声と感じながらも、曲名が思い出せないのであった。
♪傷ついた翼ひろげ
飛びたつ true heart uh yeah Hey
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
そして、小柳ゆきちゃんの歌だ・・と思い出せたのである・・。
私は、小柳ゆきに関しては、私なりに深い思いがあるので、
【 2000(平成12)年、小柳ゆきに熱中・・♪ 】
と題して、2007年3月10日にあるサイトに投稿している。
【・・
昼過ぎ、何気なしにX JAPANと小柳ゆきが聴きたくて、
先程までCDを取り変えりながら、ある程度の音量を上げて、聴いていた・・。
私が勤めていた現役時代は、レコード業界のひとつの会社であり、
1998(平成10)年をピークに業界全体が次第に縮小したので、
この前後からそれぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。
こうした中で、私の勤務した会社も組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、
そして早期退職優遇制度による退職、
このような形で同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、
中には業界から去った人も数多くあった。
そして、私は本社勤務の管理畑を30年近く勤めていたのであるが、
出向となり、ある物流情報会社に勤めたのは、
1999(平成11)年の春で55歳を迎える年であった。
不馴れな音楽商品のCD、DVD、カセット、ビデオテープ等の商品センターの現場もさることながら、
何で俺が・・、と言う気持ちがあり、数が月は私なりに失墜感があった・・。
都心の本社から、遠方の物流倉庫で周辺も物流倉庫が数多く並んでいる場所であり、
世にいう都落ちの感であった。
何より、出向というのは、本社の戦力からは不必要の烙印であり、私はうつろな心情であった・・。
このような時は、長い通勤の途中、私はビジネスバックに、
親しんできたX JAPANのアルバム5枚前後持ち歩き、CDウォークマンで聴いたりしていた。
9月の初旬、休みの日曜日に偶然にテレビの音楽番組の新人紹介コーナーで、
『あなたのキスを数えましょう ~ You were mine ~』を唄う若い女性歌手を視聴し、
上手すぎる、と正直うろたえたのである。
そして、清潔感はないが、破格の歌唱力で唄う人は、小柳ゆき、
という名を知り、魅了されたのである。
翌年の2000(平成12)年の4月頃になると『愛情』が街に流れ、
そして5月にアルバムが発売になり、『明日に架ける橋』などのカバー集であった。
7月に『be alive』が盛んに街に流れ、
そして8月にオリジナル・アルバムの『EXPANSION』を新譜予約していたので、
発売日の前日に手にし、よく聴いていた・・。
退社直後の8時過ぎ、暗い物流倉庫の立ち並ぶ夜道でバス停まで歩きながら、
♪壊れそうな 明日に向かい
信じあう 奇跡を
傷ついた翼ひろげ
飛びたつ true heart uh yeah Hey
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
♪出会った頃と 同じ季節(とき)が来て
やっと2人で 歩き出したの
【『be alive』 歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
この2曲は好く聴いたり、小声で唄ったりし、或いは心の中で唄ったしていた・・。
小柳ゆきもこのアルバムはミリオンとなり、
各地でライブ公演をして、私はWOWOWで視聴しながら、ビデオに収録したり、
DVDのライブ盤を購入したりした。
私がこの2000(平成12)年で熱中したのは、まぎれもなく小柳ゆきであり、
このお方の曲から私は限りなく励まされた・・。
尚、小柳ゆきの所属するレコード会社は、
無念ながら私の勤務した会社とは関係がなく、他社の専属契約の歌手である。
・・】
このように投稿していたのであるが、
たったひとつの歌によって、その人の人生の苦渋のはざま、励まされ、ときには救われることがある。
私は40代の時は、中島みゆきの歌の数々であり、女神のように深愛したが、
50代の後半の初め、出向となり、うつろな時期、その後も小柳ゆきの歌の数々に救われ、最後の女神かしら、
と微苦笑することが多いのである。
私は買物の帰路、このような心情であったせいか、
♪いつまでも この想いは
変わらぬまま 必ずここにあるはず
遠すぎる 見えない答え
だけど2人 探しつづけた
【『be alive』 歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
心の中で唄っていた。
http://www.youtube.com/watch?v=PS97xL6vATM
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
http://www.youtube.com/watch?v=qYCONPmRjNc
【『be alive』 歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】
・・】
このように私なりに深い思いでと共に、これらの名曲が心の片隅に残っているのである。
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