夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

この広い空の下で、未知のあなたに微笑みを頂き・・。

2010-02-17 09:39:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
定年退職後のまもない時、ブログの世界を知り、四つばかりのサイトに加入した。

この中で、現在加入し投稿しているのは、
【gooブログ】に於いて、
『年金青年のたわむれ記 ~かりそめ草紙~』とタイトルを掲げ、発信・略名『夢逢人』
としている。

もうひとつはブログに準じた【OCN Cafe】に於いて、
『風、そして光のように』とタイトルを掲げ、発信・略名『風と光』としている。

一昨年の2008年の5月に中断していた【gooブログ】を再開したのであるが、
少しばかり過ぎ去った投稿文に、思いかけずにコメントを頂き、驚いたりすることがある。

たまたま今朝も、コメント欄に記載されたいたのを拝読したりした。

《・・
久々に (ゆう)

2010-02-16 23:25:35

好きだったけど、しばらく聞いていなかった小柳ゆきを久々ききました。
…で、なんとなく検索したらここに。
X(hide)大好きで何度もライブ行きました。
YOSHIKIのよく聞いたという寒水魚で中島みゆきにハマりました。
・・》

私はコメントして下さった方は、どなたかしらと思いながら、【gooブログ】の範囲の中で、
検索したのであるが、不明であった。

そして私は、この広い空の下で、音楽性に共感して下さった未知のあなたに、
感謝しながら微笑みを頂だいたのである。

もとより私は年金生活6年生の65歳の身であるが、
コメントを書かれた方は麗しき30歳前の女性と拝察し、私の愛曲に共感して頂き、
望外の悦びとなり、しばらく空を見つめたりしていたのである。


私が投稿した文は、1月29日に、
【 懐かしき『小柳ゆき』の唄声を聴き、思わず私は・・。 】
と題した投稿文で、大半を再掲載する。

【・・
  (略)

本日は昼下がりに、買物に行ったのである。
我が家の最寄にはスーパーが二軒あり、特売品などの関係で、
殆ど二軒を廻って、買物をしているのが、年金生活から買物担当している私の責務となっている。

一軒の方は、ディスカント風の格安品の多く品ぞろえしているスーパーであり、
店内に音楽が流れていることが多いのである。
私は年金生活を始めた5年前の頃は、
40、50代の女性が若き頃に流行(はや)った1970、1980代の歌が流れていることが多く、
私は殆ど知っているので、微笑んで聴いたりしていた。

ここ数年は若き世代から35歳ぐらいまでが聴く最新の流行音楽が流れることが圧倒的に多く、
私は無念ながら、半分ぐらいしか判らないのである。

このように店内の曲も変貌してきているが、
今日、陳列棚の品物を眺め、確認していると、

♪壊れそうな 明日に向かい
 信じあう 奇跡を

【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

店内から、歌が流れてきたのである。

私は懐かしげの唄声と感じながらも、曲名が思い出せないのであった。

♪傷ついた翼ひろげ
 飛びたつ true heart uh yeah Hey

【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

そして、小柳ゆきちゃんの歌だ・・と思い出せたのである・・。


私は、小柳ゆきに関しては、私なりに深い思いがあるので、
【 2000(平成12)年、小柳ゆきに熱中・・♪ 】
と題して、2007年3月10日にあるサイトに投稿している。

【・・
昼過ぎ、何気なしにX JAPANと小柳ゆきが聴きたくて、
先程までCDを取り変えりながら、ある程度の音量を上げて、聴いていた・・。

私が勤めていた現役時代は、レコード業界のひとつの会社であり、
1998(平成10)年をピークに業界全体が次第に縮小したので、
この前後からそれぞれの会社が再構築がよぎなくされ、リストラなども行われた。

こうした中で、私の勤務した会社も組織の見直しによる人事配置転換の人事異動、出向、
そして早期退職優遇制度による退職、
このような形で同じ時代の空気を共にした上司、同僚、後輩などと別離があり、
中には業界から去った人も数多くあった。

そして、私は本社勤務の管理畑を30年近く勤めていたのであるが、
出向となり、ある物流情報会社に勤めたのは、
1999(平成11)年の春で55歳を迎える年であった。

不馴れな音楽商品のCD、DVD、カセット、ビデオテープ等の商品センターの現場もさることながら、
何で俺が・・、と言う気持ちがあり、数が月は私なりに失墜感があった・・。

都心の本社から、遠方の物流倉庫で周辺も物流倉庫が数多く並んでいる場所であり、
世にいう都落ちの感であった。
何より、出向というのは、本社の戦力からは不必要の烙印であり、私はうつろな心情であった・・。

このような時は、長い通勤の途中、私はビジネスバックに、
親しんできたX JAPANのアルバム5枚前後持ち歩き、CDウォークマンで聴いたりしていた。


9月の初旬、休みの日曜日に偶然にテレビの音楽番組の新人紹介コーナーで、
『あなたのキスを数えましょう ~ You were mine ~』を唄う若い女性歌手を視聴し、
上手すぎる、と正直うろたえたのである。
そして、清潔感はないが、破格の歌唱力で唄う人は、小柳ゆき、
という名を知り、魅了されたのである。

翌年の2000(平成12)年の4月頃になると『愛情』が街に流れ、
そして5月にアルバムが発売になり、『明日に架ける橋』などのカバー集であった。
7月に『be alive』が盛んに街に流れ、
そして8月にオリジナル・アルバムの『EXPANSION』を新譜予約していたので、
発売日の前日に手にし、よく聴いていた・・。

退社直後の8時過ぎ、暗い物流倉庫の立ち並ぶ夜道でバス停まで歩きながら、


♪壊れそうな 明日に向かい
 信じあう 奇跡を
 傷ついた翼ひろげ
 飛びたつ true heart uh yeah Hey

【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】


♪出会った頃と 同じ季節(とき)が来て
 やっと2人で 歩き出したの

【『be alive』  歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

この2曲は好く聴いたり、小声で唄ったりし、或いは心の中で唄ったしていた・・。

小柳ゆきもこのアルバムはミリオンとなり、
各地でライブ公演をして、私はWOWOWで視聴しながら、ビデオに収録したり、
DVDのライブ盤を購入したりした。

私がこの2000(平成12)年で熱中したのは、まぎれもなく小柳ゆきであり、
このお方の曲から私は限りなく励まされた・・。


尚、小柳ゆきの所属するレコード会社は、
無念ながら私の勤務した会社とは関係がなく、他社の専属契約の歌手である。
・・】

このように投稿していたのであるが、
たったひとつの歌によって、その人の人生の苦渋のはざま、励まされ、ときには救われることがある。

私は40代の時は、中島みゆきの歌の数々であり、女神のように深愛したが、
50代の後半の初め、出向となり、うつろな時期、その後も小柳ゆきの歌の数々に救われ、最後の女神かしら、
と微苦笑することが多いのである。


私は買物の帰路、このような心情であったせいか、

♪いつまでも この想いは
 変わらぬまま 必ずここにあるはず
 遠すぎる 見えない答え
 だけど2人 探しつづけた

【『be alive』  歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

心の中で唄っていた。


http://www.youtube.com/watch?v=PS97xL6vATM
【『愛情』 作詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

http://www.youtube.com/watch?v=qYCONPmRjNc
【『be alive』  歌詞・小柳ゆき/樋口 侑、作曲・原 一博、唄・小柳ゆき 】

・・】

このように私なりに深い思いでと共に、これらの名曲が心の片隅に残っているのである。




href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月下旬からの春の便(たよ)りのひとつは、『みちのく 初桜』・・!?

2010-02-16 15:43:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝は霧雨の降る寒い朝となり、ここ一週間は余寒めいた日々となっている。

地元の天気情報によれば、
朝の6時は3度の霧雨で、その後はどんよりとした曇り空となり、
昼下がりは6度の寒い日中となり、夜の6時は4度前後で、夜半は霙(みぞれ)か雪が降ると予測されている。

このような寒空の中、私はマフラーを首にかけ、防寒着で身を固めて、
手袋を手に持ちながら、昼前の11時過ぎに買物の担当の私は出かけたのであった。
そして買物の前に郵便局に寄り、公共料金、生命保険の振込みをした。

この時、少しばかり手続き時間が要するので、
私は局内の待合室の長椅子に腰かけて、付近にある展示されたチラシの中から、
一枚の美麗なチラシに瞬時に魅せられて取ったのである・・。

A4サイズの用紙の左の大半は、
薄桃色、桃色の桜花と薄紅色の莟(つぼみ)がほの暗い中に浮かびあがるように活けられて、
私は見ながら、ため息をしながら、しばらく見惚(みと)れていたのである・・。

そしてチラシの右の上段には、
《 みちのく 初桜 》
と大きく明記されて、左の中央あたりには、
《 啓翁桜(けいおうざくら) 
     淡いピンクの花びらが可憐に彩る初桜です。
     お届け時のつぼみの状態から満開となり、
     更に葉桜まで観る人の
     心を楽しませてくれます。》
と香(かぐわ)しく綴られて折、私は思わず微笑んだのである。

そして下段には。
《 発送開始日・・・・平成22年2月25日(水)~
  代金・・・・・・・2,100円(送料と消費税込み)
  商品内容・・・・・約50cm X 10本 》
と明記されて、
化粧された細長い箱に入って郵送されてくることが判った。

しかし、この寒いみちのくの地で、どうして初桜が咲くの、と不思議な気持ちで、
帰宅したのであった。


こうしたことに関しては、私の性格から何よりも最優先するので、
こっそりとネットで検索したのであった。

http://www.furusato-club.jp/sanchi_detail/michinoku/
☆ 全国農協食品 《 みちのく 初桜 》 ☆

このサイトを見て、
《 出荷量日本一! ひと足早い春を運ぶ山形の桜 》
初めて私は知り、学んだのである。

《・・
鑑賞用桜としてしられる「みちのく初桜」こと啓翁桜は、
全国出荷量の80%以上を山形県で生産しています。

促成栽培(ハウス栽培)により、普通の桜より一足早く開花させることに成功。
“真冬でも満開になる桜”として市場に送られた結果、
お正月向けの需要が急増し、今では1シーズンになんと100万本も出荷されるほどの人気です。

秋が早く訪れる山形の気象条件が、桜に春の準備を急がせる。
これが生産量の多い理由かもしれません。


山形に一足早い秋が訪れ、間もなく雪が降り積もります。
桜たちは厳しい寒さに耐えるため眠る準備をはじめます。

眠りに入った桜を1m30cm程度の長さに切り、40度のぬるま湯に一時間浸します。
桜はてっきり春が来たと思い花を咲かせる準備をはじめます。
これを休眠打破といいます。

木全体が花芽で覆われるようになったら温室で加温し、つぼみを膨らませて開花直前に出荷します。
・・》
注)解説の原文にあえて改行を多くした。


このようなことを私は初めて知り、ぼんやりと思いを馳せたのである・・。

中学の時に初めて手を握ったあの女性に・・
我が恩師に何かと人生の助言を頂いたので、遅ればせながら奥方に・・
北の最果ての網走の近くに住まわれる同僚だった友の奥様に・・

ささやかな春の麗(うるわ)しき花と香りをプレゼントできたならば・・
とこのようなことをしばらく夢想したりしたのであった。



href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スキーのジャンプ競技に伴う『テストジャンパー』の人々には、私は無知であった・・。

2010-02-16 08:12:14 | 定年後の思い

この一週間は、NHKのテレビ放送でも、『バンクーバ冬季オリンピック』が盛んに放映されて、
冬季競技に殆ど無知な私も、ときおり視聴したりしている。
私はそれぞれの競技の選手の成績もさることながら、それぞれの選手の秘めたる心の葛藤などの思いを発露されたことに、
興味を持ったりしながら視聴することが多いのである・・。

昨夜たまたま、机の上の本、雑誌を整理しながら、NHKのテレビをつけっばなしにしていたのであるが、
『テスト・ジャンパーの人たちは・・』、
と聴こえたので、思わずテレビ番組を注視したのであった。

この番組は、『スポーツ大陸』の中のひとつで、
『大逆転スペシャル「絆でつかんだ栄冠~長野五輪 ジャンプ団体~」』であることが少し判り、
私は読売新聞の夕刊を読み、テレビ番組に於いては、
《長野ジャンプ団体 大雪・原田失敗・
        中断危機を救ったのは脇役 きずなの金》
と明記されていた。

この後、番組の途中からであったが、テレビを視聴したのであった。

番組の内容については、NHKの番組紹介文を、無断であるが転載させて頂く。
《・・
   逆転スペシャル 絆(きずな)でつかんだ栄冠
               ~長野五輪 ジャンプ団体~

圧倒的に不利と見られた状況から逆転勝利を挙げたアスリートたち。
しかしそれは「奇跡」ではあっても決して「まぐれ」ではなかった…。

会心の勝利に向けた周到な準備や壮絶な精進の日々を描くのが、スポーツ大陸・大逆転スペシャル。

第5回は、長野五輪、テストジャンパーたちの決死の飛行で金メダルを勝ち取ったスキージャンプ団体に光を当てる。

1998年の長野五輪、吹雪の白馬ジャンプ台で歴史に残る大逆転劇が起こった。
日本のスキージャンプ男子ラージヒル団体が金メダルを獲得。
金メダリストとなったのは岡部孝信、船木和喜、原田雅彦、斎藤浩哉の4人だが、
その裏には、表舞台に立てなかったテストジャンパーたちによる乾坤一擲(けんこんいってき)の活躍があった。

長野五輪、日本選手団の中で、金メダルに一番近いといわれていたのがスキージャンプ団体だった。
ところが当日、激しい吹雪に見舞われる。
リレハンメル五輪で苦い経験をし、雪辱を期していた原田のスタート時に急激に天候が悪化し、失速。
日本チームは1本目を終えて4位という予想もしない展開となった。

なかなか天候は回復しない。
競技続行か打ち切りかは、テストジャンプの結果で判断することになった。
もしも競技が打ち切られると、このまま1本目の結果で順位が確定する。
しかも競技再開の判断をする最高責任者4人のうち3人は、
この時点の上位3か国から選出されていた。

テストジャンプで安全に、しかも好記録を出さない限り競技続行、そしてメダルはない…。
日本代表にあこがれ、彼らの逆転を信じるテストジャンパーたちが、
前も見えない恐怖の中を次々に飛び立っていく。
耳が不自由な高橋が、絶不調で代表を外された西方が、決死の大飛行を決めた。

そして競技再開。
2本目には4人の代表選手が他を圧倒する大ジャンプを決めた。

番組では、窮地に陥った日本ジャンプ陣が、
テストジャンパーたちとともに勝ち取った、奇跡の金メダルの物語をつづる。
・・》
注)紹介文の原文にあえて改行を多くした。


私はジャンプ団体の競技で、天候が急速に悪化した中で、
原田選手が失速する前の頃から視聴し、
第1回目を終えて日本は4位と期待はずれの結果となったが、
何よりも悪天候で競技が中断となり、競技が続行できなければ順位が確定する状況となった。

こうした中で、テストジャンプの状況により、競技を続行するかの判断となり、
私は初めてテストジャンパーの人たちの重要な存在を知ったのであった・・。

重い責務をかせられたテストジャンパーたちが、その人なりに思いを語りながら、番組は進行し、
私達が知る華やかな競技の選手に隠れたテストジャンパーの人々が、
こうした心の思いを語るのを視聴すると、私でも心が熱くなるのである・。

競技が再開され、2本目のジャンプに挑む前の原田選手は、
テストジャンパーたちに声を掛けた後、数多くのテストジャンパーから声援され、
期待された以上のジャンプを果たしたのであった。

そして、金メダル獲得の受賞インタビューで、原田選手にだけに特にスポットが当てられたので、
『・・俺じゃない・・みんなの・・』
と涙ぐみがら、ふるえるように云ったように私には聴こえ、
私は殆ど無知な原田選手のこれまでの軌跡を重ねた上、テストジャンパーたちの思いも重ね、
こうした発露の言葉に感動させられたのである。

私はスポーツ競技は判らなくとも、こうした心情には感銘さえ受けるのである。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
散文 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社民党の普天間移設に伴う、『期限付き九州北部案』、私は何よりも怖かった・・。

2010-02-15 00:29:32 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、ブログに準じたサイトのひとつの【OCN Cafe】の知人の投稿文に於いて、
このことを初めて知った。
そして詳細内容が知りたくて、たまたま時事通信社の基幹ネットの【時事ドツトコム】に掲載されていたので、精読したのである。

無断であるが、転載させて頂く、

《・・
    社民、期限付き九州北部案で調整=国民新にシュワブ陸上案-普天間移設

社民党は14日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の新たな移設案として、
従来の米領グアムへの移設案に加え、
九州北部に5~10年の期限付きで移転する案を17日の沖縄基地問題検討委員会に提示する方向で調整に入った。

一方、国民新党は米軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)への統合案に加え、
米軍キャンプ・シュワブ陸上部(同県名護市)への移設案を提起する方針を固めた。

両党関係者がそれぞれ明らかにした。
ただ、社民党内では、国内の地名を挙げれば支持者の離反を招きかねないとの懸念も根強い。
同党は国内への移設案を提示する場合、検討委員の「私案」と位置付ける方針だ。 

社民党は九州北部について、米海兵隊が遠征時に使う強襲揚陸艦の母港(米海軍佐世保基地)があり、
米側の理解も得やすいと判断。

具体的には海上自衛隊大村航空基地(長崎県大村市)や佐賀空港(佐賀市)などの活用を想定している。

ただ、同党はグアムや米自治領北マリアナ諸島のサイパン、テニアン両島への国外移設を最優先で要求。
九州に移す場合でも期限を設け、最終的にはグアムなどへの移設を目指す方針だ。

一方、国民新党が提示する嘉手納統合案とシュワブ陸上案には、地元の強い反対が予想される。
このため、同党は大村基地や陸上自衛隊東富士演習場(静岡県御殿場市など)、サイパン、テニアン両島などへの訓練移転も合わせて提案する。
(2010/02/14-15:10)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2010021400108
☆【時事ドツトコム】 社民、期限付き九州北部案で調整=国民新にシュワブ陸上案-普天間移設 ☆


私は政治分野も疎(うと)い身であるが、今回の社民党の普天間基地移設に伴う『期限付き九州北部案』、
たとえ期限付きとはいえ、余りにも国民性の配慮に欠けた横暴な案に、
このような立案の発想が私には何よりも怖かったのである。

社民党の諸兄姉の議員は、日本の防衛の中の沖縄、そして普天間基地の移転問題を、
感情論でなく、国際の主要国のそれぞれの怜悧な国益を配慮した上で、
日本における国益とは何かを思考し、立案して頂きたいのである。


この後の私は、昨年の12月中旬から読んでいた読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を思い出し、
改めて深く読んだりしたのであった。

そして普天間移設に伴う問題だけでも大人になりきれない鳩山首相を思い浮かべ、
もとより沖縄県民はじめ、日本の国民を思いながら、涙をぬぐったのである。


http://www.yomiuri.co.jp/feature/20091215-481540/news/20091216-OYT1T00537.htm
☆ 【YOMIURI ONLINE】 問題こじらせた首相…検証 特集 普天間 ☆





href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年金生活の私の『バレンタイン・チョコ』は・・♪

2010-02-14 17:00:36 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。

今朝の8時半過ぎに、いつものようにパソコンの置いている私の机の前の椅子に座ったのであるが、
机の上にひとつの包みが置いてあった。

私は開けてみたら、板チョコ3枚と共に、小さな封筒が付いていた。
そして、この中に同封されていたメッセージの便箋には、
《 冬の余寒の時も
    夏の熱い陽射しの時も
       お買物・・ご苦労さまです。

  麗しき保健女医のご指導を忠実に守り
      今年も純米酒よりビールを程ほど呑み、メタボを克服して下さい。 》

このように明記され、私は読みながら、苦笑したのである・・。


私が定年前の現役時代は、程々に高価なハート・マークのような品を頂いたが、
退職後の年金生活になると、板チョコが一枚となったのである。
そして昨年に高齢者入門の65歳となり、このお祝いのせいか、今回は板チョコ3枚に昇格したので、
微苦笑したのであった。

私は板チョコに関しては、幼年期の私の思いで話を幾たびか家内に伝えたりしているので、
年金生活の今は、ふさわしいひとつと思ったりした。

しかし、この板チョコは私は小さなかけらを頂くが、残りのすべてを家内が数日以内に食べてしまうのが、
ここ5年の出来事である。


私の板チョコに関しての深い想いでは、あるサイトに2007年10月10日に、
【 チョコレートの想いで・・♪ 】
と題して、投稿している。

【・・
私は原則として甘い菓子を食べないが、
ときおり、大福とチョコレートを月に一度ぐらい口にしたりしている。
そして、家内と旅行に行った時、地方の銘菓と称されている和菓子を抹茶、煎茶などを頂いて、
家内のお供として、賞味したりしている。

昨日の小雨の降る中、買物を済ませて帰宅し、
家内と遅い昼食を頂だいた後、何時ものように午後の読書をはじめた・・。

この時に来訪のチャイムが鳴り、
家内が玄関に立つと、
『自治会の・・共同募金の集金・・なの・・それが、小学一年生の男の子なの・・』
と家内は私に云った。

そして、台所の小棚に行き、居間に戻ると、家内は一枚の板チョコを私にかざした・・。

私は、いいょ、というしぐさをした。

男の子を見送った家内は、
『チョコレートを上げたら・・最初はびっくりしていたけれど・・
嬉しそうな笑顔・・可愛いわね・・』
と家内は私に云った。

『そりゃ・・良かった・・』
と私は家内に微笑みながら云った。

私は日常の買物を担当しているが、
スーパーの菓子売り場で明治、森永のごく普通の100円程度の板チョコを見かけると、
一ヶ月に一度ぐらい手を伸ばし、購入してしまうのである。


私が1954(昭和29)年の小学3年生になったばかりの時、私を可愛がってくれた祖父が死去した。
前年に父が亡くなり、跡継ぎを失くしたので、祖父は病気の上、
落胆した表情が幼年期の私さえ感じていた。

祖父、父が中心として、程ほどの広さの田畑を耕し、忙しい時期は小作人の助けも借りて農業をしていたが、
大黒柱の2人を失った我が家では、長年の農業の技量の伝承が絶たれてしまったので、没落期となった。

こうした折、祖父の妹に当たる叔母が、
何かと心配し、日常生活で賞味できない菓子とかを持参してくれた。
その上、妹の2人には、お揃いの洒落た下駄などを頂戴した。

私は駅までの15分ぐらいの道程を叔母と共に歩いて、駅で見送った。
この直前、叔母は私に、
『チョコレートでも買ってねぇ・・』
と私にお金を手渡した。

私は小汚い身なりであったが、駅の商店街の菓子屋で、輝かしい一枚の板チョコレートを買えたのである。

私は駅前から急いで帰宅し、妹のふたりと割って食べたのである。
しかし正確に告白するが、私は少し大き目の3分の1であった・・。
あの家も貧乏になった、と幼児の私さえ、近所の噂を聴こえたりしていたが、
この時ばかりは妹2人と食べあった板チョコは、急に裕福に感じたりした。


こうして私なりに、たった一枚の板チョコレートであるが、
昨今のベルギー産の高級品、宇治抹茶生チョコなどのチョコレートより、
遥かに美味しく感じられるのである。
・・】

このように投稿して恥ずかしい限りであるが、私は一枚の板チョコレートでも人生観を変えることがある、
と思ったりしている。


本日、昼過ぎに私はいつものように買物に行き、スーパーの店内に於いて、
チョコの特設の売り場があり、私はさりげなく見た中のひとつとして、
《  いずれのチョコレートも、88円!! 
           たくさん お買い求め下さい 》

と女子高校生の女の子が書いたような可愛らしい文字で、ハートのマークが散りばめられて明記されて折、
この下段には、山積みのように三種類のチョコがあった。


http://www.meiji.co.jp/catalog/sweets/chocolate/mlch58g/index.html
☆ 明治製菓  ミルクチョコレート ☆

http://www.meiji.co.jp/catalog/sweets/chocolate/blackch58g/index.html
☆ 明治製菓  ブラックチョコレート ☆

http://www.meiji.co.jp/catalog/sweets/chocolate/whitech40g/index.html
☆ 明治製菓 ホワイトチョコレート ☆

思わず私は見ながら、家内から今朝頂いたチョコと同じだ、と私は微苦笑させられたのである。


尚、私は親族を含めて、まったく明治製菓には関係のない身である。





href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私にとっては、苦手な歌手・北島三郎(きたじま・さぶろう)氏であるが、思わず感銘し・・。

2010-02-14 10:30:20 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝もいつものように読売新聞の朝刊をゆっくりと読んでいた・・。
たまたま日曜日なので、【よみほっと 日曜版 YOMIHOT】が添付され、
この中の『心の風景』を紙面改定の1月以来から、愛読しているひとりである。

この記事は読売新聞の記事紹介の言葉を借りれば、
《 各界の著名人に「自分の人生にとってかけがえのない場所」への思いをつづってもらい、
印象的な風景写真とともに紹介します。》
と明記されている通り、かけがえのない場所の情景が写真家が写しだされ、
何よりご自身の思いをご自身の文章で綴って折、
私はそのお方のこれまでの人生の軌跡を思い馳せながら深く拝読したりしている。

今回は、歌手・北島三郎(きたじま・さぶろう)氏であり、函館のひとつの情景も掲載されていたが、
私は音楽が好きで、ジャズとオペラ以外は聴いたりしているが、何故かしら北島三郎氏の歌は苦手である。

こうした思いもあるが、北島三郎氏のご自身の思いの綴りを拝読したのであるが、
感銘させられたのである・・。

無断であるが、一部を引用させて頂く。

《・・
 (略)
お調子者の僕はどうしても歌手にりたくて、高校を出て、18の春に上京した。
小雪の舞う薄曇りの桟橋でおやじに別れを告げ、
連絡船に乗り込んだ時、ふるさとを捨てたと思った。

捨てなければ今の僕はなかった。
でも、やっぱりあれから一度だってふるさとを忘れたことはない。
函館はいつだって、そしていつまでも、僕の心の原点にある。

                       文・北島三郎
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


多くの人は、ご自身の故郷(ふるさと)は複雑な愛憎を重ねてたりするが、
ある人生のなかばからは愛憎から懐かしさに転じて、心の中で甘受に変貌する。

私は北島三郎氏のこれまでの人生の軌跡については殆ど無知であるが、
上京されて苦節の時期を重ねた上、常に第一線の歌手として、
努力と鍛錬、そして向上心を怠(おこた)ることなく50年近くされている稀(まれ)なお方と思ったりしている。

昨今、偶然にNHKのテレビで、北島三郎氏の表情を見て、
益々良き顔立ちになられたなぁ、と感じたりしたのである。

文はそのお方の人格まで現すという名言があるが、
《・・でも、やっぱりあれから一度だってふるさとを忘れたことはない。》
人生の千金の思いの綴りである。



href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界一住みやすい国はフランスに、私は思わず微苦笑し・・。

2010-02-13 14:29:48 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先程、ぼんやりとネットでニュース検索をしていた。
私のネットのトップページは、【YAHOO! JAPAN】であるが、ニュースを検索していたら、
ひとつの記事のタイトルに興味を持ち、記事を読みながら微苦笑させられたのである。

《 世界一住みやすい国は? 米誌ランキング発表 》

と題された、CNNが配信された記事であり、無断であるが転載させて頂く。

《・・
2月12日11時30分配信 CNN.co.jp ロンドン(CNN)

米旅行情報誌が毎年実施している「住みやすい国ランキング」の2010年版が発表され、
5年連続でフランスがトップに選ばれた。

このランキングは月刊誌インターナショナル・リビングがまとめたもので、
政府や国際機関の統計などをもとに、
世界194カ国について生活費、経済、インフラ、治安などのインデックスを作成して生活の質を比較した。

フランスは、医療制度の充実ぶりや休暇の取りやすさなどが評価されて首位をキープ。
次いでオーストラリア、スイス、ドイツ、ニュージーランド、ルクセンブルク、米国、ベルギー、カナダ、イタリアが上位10カ国に入った。

米国の読者主体の情報誌ということもあり、ランキング上位はほとんど欧米諸国が独占。
日本は「生活費」「経済」などの項目で評価が低く、36位どまりだった。

米国は金融危機の影響で昨年の3位から7位に、英国は20位から25位にそれぞれ後退している。
最終更新:2月12日11時30分
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100212-00000002-cnn-int
☆CNN 世界一住みやすい国は? 米誌ランキング発表 ☆


私は定年退職後の年金生活でも国内旅行が家内との共通趣味であり、ときおり旅行をしている。
海外には在職中に会社の大半の経費で、台湾とハワイしか訪れていないが、
海外の主要国のドキュメンタリー番組をテレビなどで視聴したりしている。
そして、映画の洋画も少なくとも6000作品を観たりしてきているし、
音楽も好きなのでときおり洋楽も聴いたりしている。

或いは現代史、歴史書の読書も好きなので、わずかながら海外の主要国の国民性なども学んだりしてきている。

このような海外の国に旅行、滞在生活をしていないうわべのつたない思考であるが、
フランスかょ、と苦笑したのである。


私の住んできた日本は、もとより敗戦後の1945(昭和20)年の夏以降は、
政治、外交、防衛などの国として基盤は、与えられた民主主義のもとで、
アメリカの属国のような面が多々あり、大人でない半人前の国であるが、
経済面は突出し、世界の主要国と比較しても表面上は豊かな大国となっている。

このように怜悧な国益の国家戦略もあやふやな日本であるが、
1944(昭和19)年の秋に東京郊外の農家の児として生を受け、
高校生から都心で学び、民間会社でサラリーマンを勤めたりした身となれば、
やはり自国の日本が住みやすいのである。

ときおりカナダ、ニュージーランドなどに旅行することを夢にみたりするが、
何よりも日本の四季折々の限りなく美しい風土、文化などの情景に心を寄せているひとりなので、
私が死去するまでの残された時間を考慮すると、日本だけも精一杯で、
とても海外までの範囲を広げることは出来ないのである。

そして住むとは、旅行などの滞在の身と違い、もとより日常生活を過ごすことであり、
たとえ私は海外の国に住んだとしても、一ヶ月も過ぎないうちに退散し、
帰国の日本の空港で、ほっと安堵すると思ったりしている。

でこぼこのような道が多いような日本であるが、
私はこの世と別れを告げるまで、日本の片隅に住み、ため息を重ねたりして過ごすだろう。




href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の郊外も、霧雨、霙(みぞれ)、そして雪が舞い降る朝を迎え・・。

2010-02-13 08:28:06 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、玄関庭の郵便受け入れ箱から読売新聞の朝刊を取り込んだ時は、霧雨が降り、少し寒いかしら、
と感じながら満開の白梅を眺めたりした。

その後、読売新聞の朝刊を読んでいた時、
あれぇ、霙になったのかしら、と主庭を眺めたりした。
8時の少し前になると、雪になったわょ、と家内が私に云ったりした。

私は地元の天気情報をネットで検索済みで、
朝の6時は2度、昼下がりは5度前後、夜の6時は4度前後が予測され、
小雨から曇り空で、午後3時過ぎから回復して晴れ、
と報じていたので、苦笑したのであった。


昨日の朝は明け方も雪にならず雨上がり朝を迎え、白梅と紅梅を誉めたりした後、
ときおり小雨が降ったり止んだりし、10時半過ぎに雪が舞い降り、
私は見惚(みと)れたりしたが、15分ぐらいで止んだりした。
昼下がりは8度ぐらいのどんよりとした曇り空で、ぼんやりと過ごしたのである。


私は主庭の雪が舞い降る情景を眺めたりしていたが、
海の彼方のバンクーバーの地で、冬季オリンピックが開催されたことを祝い、
少しばかり祝砲代わりに、東京郊外でも昨日と同様に、雪がひととき降っているのかしら、
と少しボケた私は解釈したのである。


href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京郊外の田舎者、ただいま冬眠中・・。

2010-02-13 08:03:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日の10日は曇り空で、日中のひとときは家内が美容院に行き、帰路に買物を済ませて帰宅したので、
買物担当の私は、外出することなく、めずらしく留守番の役目であった。
家内に依頼していた総合雑誌の『文藝春秋』の3月特別号を私は受け取ったりした。

そして家内が洗面所の鏡の前で、
短かめになったヘフー・スタイルを気にして折、
『いいじゃないの・・それくらいのが素敵だょ・・』
と私は誉めたりしていた。

この後、私は月刊誌は何かと賞味期限の多い記事があるので、早速、読めはじめたりした。

一昨日の11日は『建国記念日』の祭日であったが、
限りなく日本の四季折々の美しい情景に心を寄せているひとりであり、
祖国を敬愛する心は大切にしているつもりであるが、
ご免なさい、と居間のソファーでくつろいでいた。

午後より霧雨が降りだし、昼下がりの時でも5度ばかりの寒い日中となり、
買物、散策を取りやめて、『文藝春秋』を読んだりしていたのである。

昨日の朝は明け方も雪にならず雨上がり朝を迎え、白梅と紅梅を誉めたりした後、
ときおり小雨が降ったり止んだりし、10時半過ぎに雪が舞い降り、
私は見惚(みと)れたりしたが、15分ぐらいで止んだりした。
昼下がりは8度ぐらいのどんよりとした曇り空で、ぼんやりと過ごしたのである。

この3日間は、いつものように買物と散策に行かず、冬眠のような時を過ごしたのである・・。


この間、『文藝春秋』のある広告の横に掲載されている俳人の黛まどか(まゆずみ・まどか)さんの随筆を精読し、
このお方の志(こころざし)と信念に秘かに敬意を重ねてきているので、
やはり清冽な思いの綴りをされる方だなぁ、と深く精読をしたりした。

この後、薩摩焼酎の『白波』、全量芋焼酎の『一刻者』の広告記事を読むと、
何かしら焼酎が苦手な私でも、呑んでみたくなるから不思議である。

もとより私は日本酒をこよなく愛飲して30年近くになる呑兵衛のひとりであった。

たまたま昨年の今頃に、市のメタボの研修を受け、
若き保健医の女医さんと、平素は缶ビール350mlを2本までね、指きりげんまをしたので、
これ以来は旅行と懇親会、そして冠婚葬祭以外は、純米酒の辛口に別れを告げている。

そして、夕食の前の頃になると、いくつかの弐合徳利、ぐい杯(のみ)は、さみしそうにして折、
その上、亡き女優・大原麗子さんが30代の頃に洋酒の広告に於いて、
『すこし愛して・・ながく愛して・・』
と呟(つぶや)くように云われた言葉が蘇(よみがえ)ったりすることもあるが、
私は若き保健医の女医さんと、指きりげんまのぬくもりを大切にし、
今日に至って少しばかり減量となったのである。

しかし、薩摩焼酎の『白波』の広告文、
《 ここに、日本人のスピリットがある。》

全量芋焼酎の『一刻者』の広告文、
《 芋100%の頑固な味わい 》

このようにスピリット・・頑固・・このような言葉に私は弱いので、
呑んでみたなるから、不思議である。

このようなことをとりとめなく思ったりして、冬眠中を過ごしたりしている。


href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨上がりの朝、恥じらいながら白梅、紅梅は咲きはじめて・・。

2010-02-12 09:17:19 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日の午後より霧雨が降りはじめ、夜の午後7時過ぎから小雨となり、
霙(みぞれ)か雪になるかしら、と思いながら玄関の軒下で煙草を喫ったりしていた。

我が家の玄関庭にある白梅は満開であり、ここ3週間ばかり私は心を寄せたりしていた。
そして主庭の白梅、紅梅は隣接にマンションがあり、陽当たりが悪く、固い莟(つぼみ)であった。

過日の9日は、予感もなく4月中旬のような陽気の中でとなり、戸惑ったのであるが、
夕刻の頃に、恥らうように数輪が咲きはじめたのである。
私は主庭のテラスに下り立ち、ここ一週間ぐらい待ち焦(こ)がれていたので、
ときおり見つめていたので、遅れてご免なさい、と云うように数輪と大きく膨らんだ莟(つぼみ)の情景であった。


今朝、玄関の軒下で、樹木を眺めたり地面の黒土を見た後、夜半は霙や雪が降った気配はなく、
雨が降り続いたことに判ったのである。
そして、私は玄関庭に下り立つと、ときおりメガネが濡れる程度にポッリと降るぐらいで雨上がりの朝であった。

そして私は白梅の満開を眺めていたのであるが、しっとりとなった黒土の上には、
早くも白い花びらが散乱していたので、散りはじめか、と微苦笑したりした。

この後、主庭のテラスに下り立ち、雨上がりの静寂の庭は、白梅、紅梅はそれぞれ10数輪の花となり、
私はぼんやりと眺めていたのである。

遅咲きとなった純白の花、薄紅色を見つめながら、
読書の魅力に気付かされたのも高校生から、民間会社の中途入社できたのも25歳、
そして結婚したのも31歳であり、何かとこの人生の歩みが遅いせいか、
この遅咲きの花が愛(いと)おしく感じるのである。

そして私はどんよりとした曇り空を見たり、たわわな雨粒をたたえた樹木の枝葉を眺めたり、
そして遅咲きの花色を観たり、居間に戻ったのは7時少し前であった。



href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつである・・!?

2010-02-11 16:24:17 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
午前のひとときに、このサイトに於いて、
【 私が微苦笑させられた『第23回 サラリーマン川柳』の入選作品は・・。 】
と題して投稿した後、
私は『サラリーマン川柳』に関しては、このサイトに数多く投稿した文を読み返したりした・・。


たとえば、昨年の2009年5月23日に於いては、
【 私が選んだ『第22回 サラリーマン川柳』・・♪ 】と題して投稿していたが、この一部を再掲載をする。


【・・
  (略)
私は『サラリーマン川柳コンクール』に関しては、人生の哲学書のひとつとして、愛読している。

私は農家の三男坊として生を受け、大学を中退後、映画・文学青年の真似事をし、
民間会社に中途入社し、35年ばかり勤め、定年退職をした。
最後の5年は出向となったりしたこともあるので、
それなりに苦楽の多いサラリーマンの時代でもあった。

つたない私の半生からして、『サラリーマン川柳コンクール』は、
まぎれない人生の哀歓がある、と思いながら微苦笑しながら、それぞれの投稿されたお方の作品を拝読している。

今回のベスト10位に選定された作品は、確かに一句と思いながら、
私は第11~100位を読みながらも、
この人生は、と思わず感嘆させられた句を私なりに選定した。
【社会全般】、【サラリーマン哀歓】、そして【家庭】の三大区分とした。


【社会全般】
子どもより 大人に足りぬ 羞恥心
                   作・たゆ

【サラリーマン哀歓】、
良い上司 見ざる言わざる 褒め上手
                    作・部下の気持ち

【家庭】
叱っても 「ママがいいって 言ってたよ」
                     作・ヒヤヒヤ父さん

私は二時間ばかり百句を拝読したのであるが、
この三句としたが、私は何度も読んでも、作者の感性に敬服している。


私は、『サラリーマン川柳コンクール』に関しては、幾度も投稿しているが、
昨年の2008年2月5日に於いても、
第21回の『サラリーマン川柳コンクール』の100選が公表された折、
【 『サラ川』、この人生に微笑みを・・♪ 】
と題して、投稿しているのが、再掲載をする。

【・・
    第一章

昨夜、第一生命が主催されている第21回の『サラリーマン川柳コンクール』で、100選が公表された。

私はネットで知り、読みながら、微苦笑をしていたのである。

私はサラリーマンを35年間過ごし、定年退職後の年金生活4年生の身であるが、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を四冊を所有している。

私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときには本を開いたりしている。

今回の投稿された100選を拝読し、
笑い、悲哀、社会に憤(いきどお)りを感じたりしている・・。

この中で、独断と偏見の多い私は、私の偏屈な心に残った作品を幾つかの作品を転記させて頂く。


現役世代であったならば、

喫煙所 皆が何故か 情報通
                   雅号・紫煙ファンテーター


この作品を感銘したのは、昨今の禁煙ブームで、
肩身の狭い喫煙者は喫煙所で煙草を喫いながら、お互いにさりげない話をしている・・。

私は9年前に中小業の本社に勤めていて体験したことであるが、
他部署の同期の方と煙草を喫いながら、
『また・・早期退職優遇制度・・始めるらしい・・
昨夜、後輩の人事部にいる奴から・・こっそり聞いてしまったの・・
今度は・・30名前後が秘かな目標らしい・・明日あたり公表されるから・・
ここだけの話にしてね・・』
と同期の輩(やから)は私に教えてくれた。

このような話は、サラリーマンを長年勤めれば、限りなくある、と今の私は微苦笑したのである。


   第二章              

次の一句は、私なりに苦慮される名句である。

定年の 延長決まり 妻元気
                   雅号・うつ蝉

主人は会社人間で朝は早く、帰宅は遅い生活を40年間前後されて、
子供の養育をすべて妻にまかせ、定年の時を迎えた。

こうした途上で、子供たちは巣立ちして、それぞれが独立した家庭を過ごされている。

妻は妻なりの日常生活のリズムが出来て折、
主人が定年退職後、妻としてはなるべく今までの生活ペースを変えたくないのである。

料理、掃除、買物、そしてささやかな自由時間を活用されて、ご自分の趣味の時間で過ごす・・。

こうした今までの生活ペースを、
主人が家に居て、昼食などの用意をしたり、何かと束縛されるようで、
ささやかな自由時間が楽しめないのであり、妻としては次第に鬱積がたまる・・

このような情景を私は思い浮かべたりしている。


私達の場合は、子供に恵まれなかったせいもあるが、
定年退職の5年前に、定年後の生活設計を老後の資金も含めて、お互いに話し合った。

退職後からはどのように過ごしたいか、
この命題に基づいて、家内と徹底的に話し合ったのである。

私は退職後は自分の趣味で過ごしたく、定年後は働かない。
そして、多少の家の手伝いをする。

お互いの趣味は尊重して、干渉はしない。
いずれはどちらかが先にたたれるので、趣味を強く持てれば、片割れとなった時にも立ち直りも早く、
その後の歳月も充実した日々を過ごせるだろう、と思ったからである。

但し、共通の趣味はひとつだけ共有しようとして、家内とは国内旅行と決めたのである。


このように話し合い、
私は何よりも読書が好きなので、小説、随筆、歴史書、現代史などの本を読んだり、
文章を綴ることも好きなのであり、このサイトに綴り、投稿している。
ときには、居間のソファで映画のビデオ、DVDを観たり、
音楽をカセット・CD・DVDなどで聴いたりしている。

そして、ときたま庭の手入れをし、家内と国内旅行に行ったりしている。

日常の肝要なこととして、私は買物を担当し、
ささやかに家内の煎茶、コーヒーの茶坊主に徹している。

年金生活の4年生となっている今、
お互いの思いやり、労(いた)わり合いを言動で表現することは、いうまでもないことである。


しかし、寝食を30数年共にした家内でも、
ときおり日常に於いて、ボタンの掛け違いが発生するのである。

こうした折は、私は素直に、
『XXちゃん・・そう解釈していたとは・・判からなかったょ・・
俺が悪かった・・』
と家内に謝(あやま)ったりしている。

私は秘かに、負けるが勝ち、そして何より早期解決の道はこれだ、と思ったりしている。

ただし、この方法は何回もすれば薬と同様に効果は薄れるので、
年に一回ぐらいは、
家内の前で土下座して、謝(あやま)ったりしている。

これは殆どの家庭内の難題でも、解決の効果があり、後日、私は独りで微笑んでいるのである。


   最終章

私は年金生活の4年生の身であり、家内と2人住まいであるが、
ここ10年でまたたくまに普及した携帯電話が使えなく、お互いに持っていないのである。


無料でも 家族間での 通話なし
                  雅号・栗ポン

私は携帯電話会社の過熱競争で、電話会社のサービスの一環として、
同じ電話会社同士であれば、家族間で無料制度と解釈している。

私は子供に恵まれなかったが、家内とはお互いに会話を続けて、30数年過ごしている。

私は現役時代を含めて、晩酌をしながら夕食を頂く時、
かって『夕刊フジ』のように夕刊専用紙があったように、日中の出来事をお互いに話したりしている。

お互いに心に思っていること、感じたことなどを互いに発露し、
たとえ現役時代に深夜に私が帰宅し、睡眠時間が削られても、何より重要なことを思って、
寝食を共にした結婚以来、私達夫婦は続けている。

この句は、父親と母親の会話の少なさ、
そして父親と息子、娘の会話の少なさの家庭と想像されるが、
私から見れば、余りにも淋しい父親の姿を感じ取ってしまうのである。

現代、一部の家庭で見られる状況を切取った一句と思われ、
会話の機具である携帯電話などで、たとえ無料でも親子の会話が乏しいのは、余りに皮肉で哀しいことである・・。

今回の『サラ川』としては、古来からの川柳の意義からすれば、としては最優秀作品と感じている。
・・】

このように投稿していたが、今こうして再読しても、
私は微苦笑しながら読み、この人生に限りない微笑み、と祈念したりしている。
・・】



そして私は定年退職した翌年2005年8月10日に於いては、
『サラリーマン川柳』に思いを託しながら、
【 サラリーマンの哀歓・・♪ 】と題して投稿していたが、懐かしく読んだりしていたのである・・。

【・・
バブル崩壊後、日本経済の足かせになってきた企業の「雇用・設備・債務」の三大過剰問題に対し、
経営改革が行なわれてきた。

民間企業は、血のにじむようなリストラとして、
(事業の再編成)、人員の削減、銀行の不良債権処理が過酷な程に行なわれ、自助努力の名の基で達成してきた。

この間、殆どのサラリーマンは、翻弄されてきた。
この心情を表現するのに、小説、随筆、論評は、数多くあるが、川柳は直感的に表現できる強みがある。


私もサラリーマンの一人であったので、長年苦楽を共にした身として、
『「サラ川」傑作選』を読んだりし、自分が置かれたい位置、会社の大幅な改革、
急速に移り変わる社会に対して、照らし合わせ、なぐさめや励ましを得た。

誰しも直接か間接で、特に2002年の初めの景気回復が始まるまで、
それぞれの方が、苦い体験をしていると思われるのである。

昨日、本屋で山田昌弘・氏の『希望格差社会』を購入した際、
『「サラ川」傑作選』シリーズで、私が保有していないのがあったので購入した。

『平成サラリーマン川柳傑作選 ⑤』で、
1999年・2000年の傑作選から再編集された文庫本である。

あの過酷な時代を写す鏡であるので、
私なりに感動したり、哀歓、そして悲哀を深めたり、
涙を浮べて、うなずいた作品も多くあり、いずれも共感できた作品を無断であるが、転記させて頂く。

《・・
        『平成サラリーマン川柳』より、私なりの選定

《九回裏》1999年より

退(や)めよかな つぶやきなのに 送別会 
                        作・ダフリン

この広い 世界にボクの 職がない
                        作・泉正太郎

コストダウン さけぶあんたが コスト高
                        作・四万十川信彦

仕事しろ 残業するな 成果出せ
                        作・頭古風男 

家族愛 体こわして わかるもの
                        作・清秋

率直で 公平無私で 出世せず
                        作・寒月

リストラが あんないい人 連れて行く
                        作・詠み人知らず

リストラ案 出して誉められ 「君からだ」
                        作・年中夢中

ちょっとした 意識を持つと 左遷され
                        作・あのね

反省会 反省はなく 盛り上がり
                        作・熟女

出向者 後方からの 支援なし
                        作・流人

決裁は 上司の機嫌に 左右され
                        作・起案者

合併で 昨日の敵は 今日も敵
                        作・石川暁

再異動 避けた上司に また出会い
                        作・四苦八句

・・(略)・・


これ以外に、今までの『サラリーマン川柳』の中で、心に残り、不滅の傑作と感じた作品がある。

破れてる ジーパン繕い 怒られた
                  作・優しいばあちゃん

うちのパパ おとなのくせに ママとねる 
                    作・めだかの学校のせんせい

この2人の作者には、私は小説、随筆を濫読してきた身であるが、
短かな言葉で人生の機敏を表現する川柳の世界に於いて、このお2人の文才に思わず脱帽したのである。
・・】


このように投稿していたのであり、『サラ川』は時代の映す鑑(かがみ)と深く感じたりし、
私は愛読して20年近くが過ぎている。



href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が微苦笑させられた『第23回 サラリーマン川柳』の入選作品は・・。

2010-02-11 10:54:44 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
いつものように読売新聞の朝刊を読んで、何よりも興味を持ち熱心に読んだのは、
第31面に掲載されている第一生命の恒例となった『サラリーマン川柳』であった。

今回は『第23回 サラリーマン川柳』の入選作100作品のニュースで、

《 仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い 》

《 二人の子 婚活、就活 親カツカツ 》

と見出しされた句が掲載されて、私は微苦笑させられたのである。


この記事に関しては、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いても、
ほぼ同一の記事が掲載されていたので、無断であるが転載させて頂く。

《・・
第一生命保険は10日、恒例のサラリーマン川柳の入選作100作品を発表した。
家族をテーマに、政治や経済を交えて世相を反映した秀作が多くそろった。

歳出削減で鳩山新政権が取り入れた事業仕分けは、家庭内でも浸透。
「仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い」
「逆らえず ウチのこづかい 仕分け人」
「仕分け人 口調が妻と そっくりだ!」
などの嘆きの句が多く寄せられた。

不況は就職戦線などにも影響し、
「二人の子 婚活、就活 親カツカツ」
と憂うものもあった。

婚活ブームを題材にした作品も多く、
「コンカツは ロースか?フィレ?かと 父は聞き」
と親の戸惑いを描いた句のほか、
「婚活で 肉食女 草原へ」
など女性の力強さを表現した作品も多かった。

応募総数は2万9215句。
100作品は3月12日までホームページなどで公表、投票を募り、5月中旬にベスト10を決める。

(2010年2月10日23時17分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100210-OYT1T01041.htm
☆【YOMIURI ONLINE】 「仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い」川柳入選作 ☆


この後、私は『第23回 サラリーマン川柳』の入選100作品を知りたくて、
第一生命保険のホームページを検索して、この入選100作品を読んだのである・・。

http://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/best100.html
☆ 第一生命保険 『第23回 サラリーマン川柳』の入選100作品
   私が選ぶサラ川ベスト10 ☆

そして私は、この入選100作品をA4の紙に4枚ばかり印刷して、
主庭のテラスに下り立ち、煙草を喫ったりしながら、一時間ぐらい精読したのである。

苦笑させられたり、ある時は微笑んだりしたのであるが、
私は思わず、降参します、と詠まれた方の才気を感じた句を掲載する。

《・・

☆ 仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い   
                      詠み人・北の揺人


☆ 定年後 肩書き外れ 人離れ  
                   詠み人・天童ラフランス


☆ 70歳 オラの村では 青年部  
                    詠み人・長老A


☆ ママドラマ パパ現実に 泪ぐむ
                     詠み人・蚊注射


☆ 老夫婦 会話はずむが… かみ合わず
                       詠み人・読み人知らず


☆ ほめ上手 君なら他社で がんばれる
                        詠み人・紙風船


☆ 妙案は 会議室より 喫煙所  
                    詠み人・読み人知らず


☆ 不景気で 就活あきらめ 婚活へ  
                     詠み人・新卒女性


☆ 母の耳 内容次第で 遠くなり   
                     詠み人・介護予備軍


☆ おかえりと 笑顔で言われ 身構える
                      詠み人・窮鼠

・・》


私は民間の中小業のサラリーマンを35年ばかり勤め、
結婚生活も34年が過ぎ、つたないなりに人生の大波小波を体験し、
人生の哀歓も少しは知っているので、こよなく『サラリーマン川柳』に心を寄せることがある。

私は無念ながら川柳を詠む素養はないが、詠まれた方の句を拝読するのが好きで、
特に上記の句には、底知れる人生のひとこまを詠む文才のある方たちであり、
齢ばかり重ねた私は、降参します、と絶賛を深めたりしている。



href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の郊外は、きまぐれな三寒四温(さんかんしおん)を迎え・・!?

2010-02-10 17:36:30 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日は朝の6時は3度の暖かな朝を迎え、昼下がりは19度の4月中旬のような陽気となり、
私は買物、散策をしていると冬のスポーツシャツにスリーシーズンのフィールド・ジャケットを着ていたら、
熱く感じて、思わずフィールド・ジャケットを脱いだりした。
そして夜の6時でも15度で、夜半の雨も降らず、朝のひとときだけ暖房する稀(まれ)な一日となった。

そして、今朝の6時も10度ばかりあり、暖かく戸惑ったりした。
しかし、曇り空で昼下がりは9度ばかり、夜の6時過ぎには7度前後が予測され、
おかしな一日となる。

明日の11日は朝の6時過ぎは3度前後で午前中は曇り空となり、
昼下がりは4度前後、夜の6時は5度前後が予測され、
午後より小雨が降りはじめて、翌日の午前中まで降る、と報じられている。

何より驚いたのは、翌日の12日の午前中の小雨であるが、処によりと雪が降る、
と雪だるまのマークが微笑んでいるのである・・。

古来より、この時節は三寒四温と称して、寒い日が三日ほど続くと、
その後は四日ほど温暖な日が続き、また寒くなる7日周期で寒暖が繰り返されるが、
私の住む地域は、天上の気候の神々はこの鉄則を無視して、
きまぐれな采配をされる、と私は急激な天候にため息をしている。

やむえず私は、程々になだらかに三寒四温の時節を過ごせますように、
と私は空を見つめながら祈願している。



href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふたたび、私なりの歴代の洋画のベストテンは・・。

2010-02-10 12:53:10 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
一昨日の8日に、W.ワイラーの『ローマの休日』をテレビで視聴したのであるが、
この映画に喚起させられ、
昨日に【恥ずかしながら、初めてW.ワイラーの『ローマの休日』を視聴し・・。】、
その後【W.ワイラーの『ローマの休日』、なぜ日本では評価が高いのか・・!?】をこのサイトに於いて、投稿してきた・・。

そして、この中の一部として、
【・・
私は小学生の頃から映画が好きで、洋画だけでも少なくとも6000作品は鑑賞しているが、
あえて、『ローマの休日』は避けていたのである・・。
・・(略)・・
しかし映画の作品の評価としては、私の今まで観た洋画の中では、
1000位にもならない作品である。
・・】

このように広言したのであるが、それだったならば私の洋画を観賞した中で、
最良の作品はどうなのよ、と問われる前に、
私なりの歴代のベストテンを公開する義務があるので、あるサイトに掲載したことがあるが、
あえて再掲載をする。

【 私なりの歴代の洋画のベストテンは・・。 】

映画専門雑誌の『キネマ旬報』による映画人が選んだオールタイム・ベスト100の外国映画編に対応し、
私なりに選定した。

『キネマ旬報』のベストテン《参考》1999年10上旬特別号

①『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)

②『2001年宇宙の旅』スタンリー・キューブリック 監督(1968年)

③『ローマの休日』ウィリアム・ワイラー監督 (1953年)

④『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)

⑤『風と共に去りぬ』ヴィクター・フレミング監督(1939年)

⑥『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)

⑦『駅馬車』ジョン・フォード監督(1939年)

⑦『禁じられた遊び』ルネ・クレマン監督(1952年)

⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)

⑦『道』フェデリコ・フェリーニ監督(1954年)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』セルジオ・レオーネ監督(1984年)

②『ディア・ハンター』マイケル・チミノ監督(1979年)

③『イングリュシュ・ペイシェント』アンソニー・ミンゲラ監督(1979年)

④『ピアノ・レッスン』ジェーン・カンピオン監督(1993年)

⑤『かくも長き不在』アンリ・コルピ監督(1961年)

⑥『街の灯』チャールズ・チャップリン監督(1931年)

⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)

⑧『自転車泥棒』ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1948年)

⑨『ジョニーは戦場へ行った』ドルトン・トランボ監督(1973年)

⑩『逢びき』 デイヴィッド・リーン監督(1945年)

数多(あまた)の感動をもたらしてくれた作品の中より選定するのが、酷な作業でした・・。

『時』が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

尚、選定の際に於いて、
『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)、
『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)、
『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)、
『許されざる』クリント・イーストウッド監督(1992年)
『カサブランカ』マイケル・カーチス監督(1943年)等は最後まで検討した作品です。

《1999年9月29日、私の日記より》

小説、映画、音楽などの選定の結果、その人の性格、人格、思想までを表わす、
と改めて思った次第です。


このように投稿しているが、ここ10年の公開された作品は殆ど観賞しておらず、
1999年9月29日に書き込んだ上記のベストテンの改定はなく、
その人の情念、深淵まで描いた作品が好みかしら、と私は微苦笑している。


尚、私が中学を卒業する1960(昭和35)年の3月までには、
『大いなる西部』ウィリアム・ワイラー監督 (1958年)に感動しながらも、
ジーン・シモンズに魅了され、こうした女(ひと)と結婚できたらと夢を見た純粋無垢な少年であったことを付記しておく。



href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

W.ワイラーの『ローマの休日』、なぜ日本では評価が高いのか・・!?

2010-02-10 00:09:03 | 映画・テレビ
私は遅ればせなから、W.ワイラーの『ローマの休日』の映画を観た、
と前記のこのサイトで【恥ずかしながら、初めてW.ワイラーの『ローマの休日』を視聴し・・。】と題して投稿した。

この中に於いて、
【・・
日本の映画好きな著名人の歴代洋画作品に於いて、
ベストテンの上位に『ローマの休日』が選定されることが多く、
私はおとぎ話のような作品が選ばれるのは、程度の低い人たちと思っていたのである。
・・】
このように私は広言したが、私は映画をテレビで観終わった後、考え込んだのである。


この映画が日本で公開されたのは1954(昭和29)年であり、
この当時の日本の多くの人は、娯楽はテレビはもとよりなく、ラジオ、映画などが主役であった。
大手の新聞の映画の広告欄は現代より多く、上映されている作品が映画館別の一覧表も常設され、
映画の作品批評、紹介欄もあったのである。

映画専門の評論家、そして新聞社の芸能全般の記者も折、
各映画会社は試写会などでこのような専門家を招き、少しでも良い批評、紹介を書いて頂くのもひとつの宣伝の業務であった、
と感じたりしている。

そして、この『ローマの休日』の場合は、もとよりある王女と新聞記者のコメディ・ラブロマスであり、
特に新聞社の記者たちは何らかの親近感があったろうし、
この映画を観た結果、記者になりたて新聞社に入社を志望された方もいる、
と私は何かの雑誌で読んだ記憶がある。

このような上映公開前の好評も得た上、日本の興行も大成功であった。
この年の興行の外国映画の上位には、
①『ローマの休日』     配給 2億8404万円
②『砂漠は生きている』  配給 2億2107万円
③『グレン・ミラー物語』  配給 1億8202万円
であった。
②の『砂漠は生きている』は、私は小学生で学校として3年生以上ほぼ全員が映画館に行って観たので、
個人の動員数の視点から、『ローマの休日』は突出した首位とでいえよう。

もとより上映されてから、オードリー・ヘップバーンの魅力とローマの情景に話題を重ねた結果が主因と想像する。

その後のオードリー・ヘップバーンも映画主演のたびに、
これまでのアメリカ女優にないファニー・フェイスとして、確固たる存在感を示した上、
衣服などを含めたトータル・ファションまで数多くの人たちに魅了させ、影響をもたらした稀な女優となった。


そして幾10数年過ぎた時、歴代の洋画作品を選定する時、
それぞれの観客者はオードリーの原点である鮮烈な『ローマの休日』に思い浮かべ、
自身の過ぎ去った軌跡に思いを重ねて、この作品を選ばれたのだろう。


このようなことを私は深夜に深く思ったりしたのである。

そして、偶然であるが、猪木武徳・著の『戦後世界経済史 ~自由と平等の視点から~』(中公新書) を読んでいた時、
この『ローマの休日』の作品の製作資金などのことを教示されたのである。

戦後、アメリカは疲弊した西ヨーロッパの諸国を救済するひとつとしてマーシャル・プランは多くの方に知られた通りであるが、
《・・
マーシャル・プランはこの他にも、「技術援助プログラム」としてヨーロッパの技師や経営者を米国に招き、
米国の産業事情を直接観察してもらうというプロジェクトを実施した。

また、米国の映画産業に関しても興味深いエピソードがある。
マーシャル・プラン以前は、米国政府の政治的な力で、
経済的な援助の代わりに(フランスの映画産業には迷惑なことだが)アメリカ映画を上映するというよう政策を採っていた。

しかし、マーシャル・プラン以降50年代に入ると、
米国の映画産業は国内ではテレビの普及に押されて、次第に興行成績が低下し始める。

テレビに対抗するために大型スクリーンが導入され、独立プロの時代に入った。
独立プロの映画製作資金は、メジャー各社が海外に持つ「凍結ドル」であった。

これはマーシャル・プランによって米国では使えないドルである。
名画『ローマの休日』はパラマントがこの「凍結ドル」を利用して作った映画なのである。
オープニングの字幕に、
「この映画はすべてイタリア・ローマで撮影され、録音された」
と大きく出てくるのはそのことを示すためである。
・・》
引用:68ページ
注)原文にあえて改行をした。

このような製作資金の秘話があるが、こうした制約の基で、
W.ワイラーは製作と監督の立場で、名作『ローマの休日』を完成させ、
多くの功績を残したことには、作品の優劣に関わらず、私は思わず脱帽したのである。




href="http://www.blogmura.com/">ブログランキング・にほんブログ村へ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする