夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京から南下し、遥か彼方に無垢なる小笠原諸島があり・・。

2010-02-21 17:23:34 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨年の9月が終る頃、家内が海上で遊泳している鯨(クジラ)を観てみたいわ、と私に云った。

そして私は、鯨(クジラ)かょ、と云いながら、ネットで検索したり、
駅前の観光案内所に置いてある旅行会社のパンフレットを頂き、見たりした。

私達夫婦は国内旅行は共通の趣味であるが、海外旅行は苦手であるので、小笠原諸島にしょうとした上で、
鯨を最も観られる確立の高い2月前後が良いかしら、と思案したのである。

そしてこの間に私は、小笠原諸島の父島などについて、
【YAHOO! JAPAN】の『地図』情報に於いて、検索したのであるが、
東京から南下し、遥か彼方の1000キロぐらいの時点に、父島があることがわかったのである。

この遥か西方には、同じような緯度で沖縄本島にあり、少しばかり驚いたりした。
そして、小笠原諸島は父島のある父島列島、母島のある母島列島をはじめ、
東方には日本の最東端の南鳥島、南下にはかの戦争で過酷な激戦地となった硫黄島のある硫黄列島、
西南方には日本の最南端として有名な沖ノ島が海上にある。

もとより小笠原諸島の父島は、同じような緯度にある沖縄本島とは、
人口、面積、そして託されている肝要の状況も全く違い、人口の最も多い父島さえ、
東京都小笠原村と明示されている。
このような状況下などで、交通の利便性は、
沖縄本島の那覇空港には羽田空港からは頻繁に3時間ばかりの航空路であるが、
父島は東京の竹芝桟橋から週に2回だけ客船で25時間半で、何とか接岸するのである。

私は後日、小笠原村の産業観光課が考案された『小笠原』の観光パフレットを頂き、
表紙には、鯨の遊泳と美麗な島の光景を背景とした写真の中に、
《 無垢なる海洋島 》と明記されていたので、思わず微笑させられ、
今回の私の表題に《無垢な》という言葉をお借りしたのである。


この間、私達夫婦はネットで小笠原諸島の父島を中核に調べたりした。

http://www.ogasawaramura.com/
☆ 小笠原村観光協会 ホームページ ☆


そして私は小笠原村の歴史、現状などを学びたくて、
http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/
☆ 小笠原村ホームページ ☆

見たり読んだりして、多々教示されたのである。


結果として、定期船の程ほどのクラスの船室で往復して、
ホテルのように宿泊設備のある場所に一週間滞在するプランを作成したのである。
具体的には船中泊は往復路で2泊となり、リゾートホテルで9泊となる。
そして現地の島で、家内はもとより『ホエール・ウォッチング』を必須として、『森・山歩き』などを思案してるが、
私は秘かに南洋から観た満天の星空を何よりに期待しているのである。


今回の旅行は24日~3月7日までとなり、私達夫婦としては一番長い旅となり、
年金生活の我が家としては少し贅沢な旅でもある。

家内は当初の予算から大幅に増加して、ためらった表情をした時、
『貯金も確かに大事だけど・・今・・お互いに元気な時に旅行などで使っても良いと思うょ・・
70代になって身体が衰えて・・あの時あそこに行けばよかった、と思ってもねぇ・・』
と私は微笑みながら家内に云ったりしたのである。



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齢を重ねた私でも、行って見たかった『シールド・トンネル歩き』・・。

2010-02-21 09:08:59 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
まばゆい朝の陽射しを受けながら、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたのであるが、
ひとつの記事に思わず微笑みながら、精読した・・。

33面の『地域』の中で、
   《 トンネル歩き 2600人
             京王腺 国領~調布間で見学会 》
と見出しされた記事である。


私は1944(昭和19)年の秋に、東京郊外の調布市のはずれで農家の三男坊として生を受けたが、
公共の交通機関としては私鉄の京王腺が最も近く、何かと幼年期から馴染んできた電車の路線であった。

東京オリピックが開催された1964(昭和39)年の8年前の頃から、
京王腺と道路の交差する数多くの踏切が自動車で渋滞し、この渋滞難題を解消するために、
『国領駅』の少し上り野川の陸橋付近から『調布駅』から少し下った処まで、
地下トンネルにすると私が知ったのは、5年前頃であった。

そして一昨年の2008年6月より地下トンネルの工事がはじまり、
ここに2月前に、我が調布市の市報に於いて、シールドマシンによる地下トンネル堀削工事が完了して、
貫通したトンネルを歩く見学会の募集があることを知ったのである。

私は齢を重ね体力も衰えた身であるが、シールドマシンで削られた地下トンネルを見てみたい、
と思ったりし、ためらったりしながら、日々が過ぎ去っていたのである。

このような思いがあり、この貫通したトンネルを歩く見学会の新聞記事であった。


この新聞記事の内容については、簡略化された記事が読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されているので、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
     京王線国領~調布間で現場見学会
                   トンネル歩き2600人

シールドトンネル内を見学する沿線住民ら 調布市や京王電鉄、都が進めている調布駅付近の連続立体交差事業で、
一昨年6月からのシールドマシンによる地下トンネル掘削工事が完了し、
20日、貫通した京王線国領―調布駅間の下り線側トンネル内を沿線住民らが歩く現場見学会が行われた。

早朝から長蛇の列をつくった参加者は計約2600人に上り、整理券が配られた。
周辺の交通渋滞解消の切り札となる地下化工事への関心の高さがうかがえ、
午後3時の終了予定時間も夕方に延長される大盛況となった。


国領駅北口から徒歩2分の「国領立坑」に集まった家族連れなど市民らは、
安全ヘルメットと軍手を身につけた25人ずつが一組となって5分間隔で工事関係者の説明を受けながら移動。

深さ約15メートルの地下2階部分まで狭い階段を下りた後、
直径6・1メートルのシールドトンネル内に組まれた通路を「調布東立坑」まで、861メートル歩いた。
途中、その地点がどこなのかがわかるように、踏切がある場所や「布田駅地上」といったトンネル外の写真が脇に掲示されていた。

また、事業の紹介や工事写真の展示、工事進捗(しんちょく)のわかるビデオ上映もシールドマシンの発着基地である立坑で行われた。


将来は電車の運転士になりたいという狛江市岩戸南の保育園児菅原桐哉(とうや)君(6)は両親と一緒に参加。
「階段がちょっと怖かったけれど、入ったことのないトンネルを初めて歩けてとても楽しかった」と話していた。

地下化工事は、渋滞解消などを目的に2004年9月に着工。
13年春からトンネル内を実際の電車が走る予定という。

(2010年2月21日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20100221-OYT8T00120.htm?from=navr
☆【YOMIURI ONLINE】 京王線国領~調布間で現場見学会 トンネル歩き2600人 ☆


私はこの新聞記事を読んだり、シールドトンネル内を歩く見学者の写真を見ながら、
いいよなぁ、と思いながら、
私の若き頃の『見る前に跳べ』という名言な果敢な言動の精神が失くしたのかしら、
と少しばかり嘆いたりしたのであった。



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