私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
歯の治療を10時に駅前の歯科医院に予約していたので、
9時を少し過ぎた頃に出かける前、家内にから、
節分用の『恵方巻』と『豆』を買い求めるように依頼されたのである。
晴れ時々曇りと予測されていたが、私が川べりの遊歩道を歩いた時は、
曇り空で6度前後であったので、少し寒く感じられていたが、
残り雪も見られて、凛とした情景にふさわしい、と私は微笑んだりしていた。
歯の治療を終えた後、駅前のスーパーに行ったのであるが、
店内は『節分の日』にふさわしく、「福 節分豆」はもとより、
「福 恵方巻」が五種類ぐらい、「福 いわし」、「福 節分そば」などもあり、
そして「鬼ごし」の日本酒の銘柄も販売されて、私は苦笑したりした。
節分の豆を買い求める為に、コーナーに寄ったが、少なくとも10種類以上が置いてあり、
私は迷ったりしたのである。
そして右側を何気なしに見ていたら、ひとつの品を手に取り、
《 出羽三山
羽黒山伏祈願
今年も まめで幸せに 》
そして左下には、
《 小袋ごとまいて かたづけ簡単!! 》
と明記されていたので、プラスチックの小袋が数多く入っていて、
それぞれの小袋の中には可愛らしく10何粒が入っている・・。
http://www.denroku.co.jp/trivia/setsu_goods.htm
☆ でん六 節分企画商品 出羽三山 羽黒山伏祈願 ☆
この小袋福豆で我が家の居間の板の間、和室の畳の上などに蒔(ま)いても、
食べる時は小袋を破れば頂けるので、衛生的である。
その上、お手玉代わりに遊べるし、日頃から苦手な方がいたら、鬼はそ~と、と叫びながら、
5袋ぐらいの小袋を投げつければ、それなりの迫力があり、
鬼だって思わず降参となり退散するに違いない、と私は確信し購入したのである。
そして、平素の一合枡に入れた豆まきより、百倍楽しいと思いながら、帰宅したのである。
このように戯(たわむ)れの多い年金生活の私でも、
幼年期、多忙なサラリーマンの時代には、それなりの深い思いである。
農家の三男坊と育った幼年期の頃は、
【 『節分の日』豆まきの想いで・・♪ 】
と題して、2008年2月3日に於いて、あるサイトに投稿している。
【・・
私は昭和19年に東京の郊外で農家の子として生を受けたが、
私の幼年時代の頃は、『節分の日』には最寄の神社の高台で、豆まきをしていた。
神社といっても、村の住民で維持管理されている小さな神社で、
この時節も殆ど人影のないところであった。
それぞれの家長が一升枡の中で半紙敷いて、自宅にある大豆を軽く炒った豆を三割方入れ、
夕暮れになると、大声で、
『ふくわう~ち!!・・おにはそ~と!!・・』
と叫んでいた。
私の住んでいた家から、少なくとも300メートルは離れていたが、
家の中で居ても充分に聴こえたのである。
『お父さん・・あの声・・XXさんの小父さんだね・・』
と私は父に確認したりした。
『だけど・・あの小父さん・・去年より・・豆まきをはじめる時間・・少し早いね・・』
と私は得意げで父に云ったりしていた。
我家でも、祖父が神社に行き、豆まきをして帰宅する頃は戸締りが終わっていた。
夜の7時頃には、雨戸、廊下づたいにある和室の障子などをすべて開け放ち、
『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と父は平素より遥かに大きい声で、外に向かって叫んでいた。
この後は、雨戸、障子などをすべて閉め終わった後、
私は次兄と妹たちとで、部屋の畳の上、縁側の廊下にまかれた豆を拾い集めたりしていた。
そして、五合枡に入れた豆を、
『齢の数だけ・・食べてもいいわよ・・』
と叔母が私達に云った。
私は、7つだけか、と云いながら、
兄達の手には私より多くあったので、
おまけと云いながら、こっそりと二粒ばかり余計にとった。
このような祖父、父達に囲まれて、楽しげな年であったが、
翌年の早春に父、晩春に祖父に死去され、我家は没落をしはじめた・・。
・・】
そして、サラリーマンの現役時代には、
【 真夜中の豆まき・・。 】
と題して、あるサイトに2005年2月3日に於き投稿している。
【・・
今から10数年前の頃であるが、私はサラリーマンで数多く人と同様に多忙な身であり、
帰宅できたのは、夜の11時30分過ぎだった。
洗面所で顔を洗い、パジャマ姿になると、12時近かった。
家内が
『深夜ですので、年の数だけ豆を、頂きましょうね』
と云った。
私ももっともだ、と思ったが、仕事で遅くなったんだから、
と素直に納得出来なかった。
『今からでも、遅くないょ・・』
と私は云いながら雨戸を開けた。
『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と私は真摯に大きな声で庭に向って連呼した。
周りの一軒が台所の窓が開き、
そして、まもなくもう一軒のお宅では、ベランダのガラス戸が開いた。
XXさんの所、今頃何をやっているんだ、いうような仕草が遠くからも解かった。
しかし、良きことの行事に対しては、
ご近所の皆様からは、クレームがなかったと、後日に家内から聞いたりした。
・・】
このような私なりの思いでがあったが、
心の隅に残って折、この時節になると、思い出しながら苦笑したりしている。
尚、上記に添付した『でん六』の会社とは、
我が家の親族、親戚を含めて関係がないが、微笑みを頂いた節分豆なので、あえて掲載した次第である。
href="http://www.blogmura.com/">
歯の治療を10時に駅前の歯科医院に予約していたので、
9時を少し過ぎた頃に出かける前、家内にから、
節分用の『恵方巻』と『豆』を買い求めるように依頼されたのである。
晴れ時々曇りと予測されていたが、私が川べりの遊歩道を歩いた時は、
曇り空で6度前後であったので、少し寒く感じられていたが、
残り雪も見られて、凛とした情景にふさわしい、と私は微笑んだりしていた。
歯の治療を終えた後、駅前のスーパーに行ったのであるが、
店内は『節分の日』にふさわしく、「福 節分豆」はもとより、
「福 恵方巻」が五種類ぐらい、「福 いわし」、「福 節分そば」などもあり、
そして「鬼ごし」の日本酒の銘柄も販売されて、私は苦笑したりした。
節分の豆を買い求める為に、コーナーに寄ったが、少なくとも10種類以上が置いてあり、
私は迷ったりしたのである。
そして右側を何気なしに見ていたら、ひとつの品を手に取り、
《 出羽三山
羽黒山伏祈願
今年も まめで幸せに 》
そして左下には、
《 小袋ごとまいて かたづけ簡単!! 》
と明記されていたので、プラスチックの小袋が数多く入っていて、
それぞれの小袋の中には可愛らしく10何粒が入っている・・。
http://www.denroku.co.jp/trivia/setsu_goods.htm
☆ でん六 節分企画商品 出羽三山 羽黒山伏祈願 ☆
この小袋福豆で我が家の居間の板の間、和室の畳の上などに蒔(ま)いても、
食べる時は小袋を破れば頂けるので、衛生的である。
その上、お手玉代わりに遊べるし、日頃から苦手な方がいたら、鬼はそ~と、と叫びながら、
5袋ぐらいの小袋を投げつければ、それなりの迫力があり、
鬼だって思わず降参となり退散するに違いない、と私は確信し購入したのである。
そして、平素の一合枡に入れた豆まきより、百倍楽しいと思いながら、帰宅したのである。
このように戯(たわむ)れの多い年金生活の私でも、
幼年期、多忙なサラリーマンの時代には、それなりの深い思いである。
農家の三男坊と育った幼年期の頃は、
【 『節分の日』豆まきの想いで・・♪ 】
と題して、2008年2月3日に於いて、あるサイトに投稿している。
【・・
私は昭和19年に東京の郊外で農家の子として生を受けたが、
私の幼年時代の頃は、『節分の日』には最寄の神社の高台で、豆まきをしていた。
神社といっても、村の住民で維持管理されている小さな神社で、
この時節も殆ど人影のないところであった。
それぞれの家長が一升枡の中で半紙敷いて、自宅にある大豆を軽く炒った豆を三割方入れ、
夕暮れになると、大声で、
『ふくわう~ち!!・・おにはそ~と!!・・』
と叫んでいた。
私の住んでいた家から、少なくとも300メートルは離れていたが、
家の中で居ても充分に聴こえたのである。
『お父さん・・あの声・・XXさんの小父さんだね・・』
と私は父に確認したりした。
『だけど・・あの小父さん・・去年より・・豆まきをはじめる時間・・少し早いね・・』
と私は得意げで父に云ったりしていた。
我家でも、祖父が神社に行き、豆まきをして帰宅する頃は戸締りが終わっていた。
夜の7時頃には、雨戸、廊下づたいにある和室の障子などをすべて開け放ち、
『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と父は平素より遥かに大きい声で、外に向かって叫んでいた。
この後は、雨戸、障子などをすべて閉め終わった後、
私は次兄と妹たちとで、部屋の畳の上、縁側の廊下にまかれた豆を拾い集めたりしていた。
そして、五合枡に入れた豆を、
『齢の数だけ・・食べてもいいわよ・・』
と叔母が私達に云った。
私は、7つだけか、と云いながら、
兄達の手には私より多くあったので、
おまけと云いながら、こっそりと二粒ばかり余計にとった。
このような祖父、父達に囲まれて、楽しげな年であったが、
翌年の早春に父、晩春に祖父に死去され、我家は没落をしはじめた・・。
・・】
そして、サラリーマンの現役時代には、
【 真夜中の豆まき・・。 】
と題して、あるサイトに2005年2月3日に於き投稿している。
【・・
今から10数年前の頃であるが、私はサラリーマンで数多く人と同様に多忙な身であり、
帰宅できたのは、夜の11時30分過ぎだった。
洗面所で顔を洗い、パジャマ姿になると、12時近かった。
家内が
『深夜ですので、年の数だけ豆を、頂きましょうね』
と云った。
私ももっともだ、と思ったが、仕事で遅くなったんだから、
と素直に納得出来なかった。
『今からでも、遅くないょ・・』
と私は云いながら雨戸を開けた。
『福はう~ち! 鬼はそ~と!』
と私は真摯に大きな声で庭に向って連呼した。
周りの一軒が台所の窓が開き、
そして、まもなくもう一軒のお宅では、ベランダのガラス戸が開いた。
XXさんの所、今頃何をやっているんだ、いうような仕草が遠くからも解かった。
しかし、良きことの行事に対しては、
ご近所の皆様からは、クレームがなかったと、後日に家内から聞いたりした。
・・】
このような私なりの思いでがあったが、
心の隅に残って折、この時節になると、思い出しながら苦笑したりしている。
尚、上記に添付した『でん六』の会社とは、
我が家の親族、親戚を含めて関係がないが、微笑みを頂いた節分豆なので、あえて掲載した次第である。
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