夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『はかない潔(きよ)さ』の言葉に魅せられて、思わず『くず餅』を見つめて・・。

2010-02-22 17:11:28 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
偶然に読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
ひとつの記事を見たのであるが、思わずタイトルの良さに魅せられ、読んだりしたのである。

フードライターの中島久枝さんが綴られた記事であるが、
私は魅了されてしまい、無断であるが転載させて頂く。

《・・
         くず餅 はかなさ潔い

東京・亀戸に本店のある「船橋屋」は江戸後期の文化2年(1805年)創業。

下総国(千葉県)船橋出身の初代が、古里の小麦でくず餅を作り、亀戸天神のそばで売り出したのが最初と伝えられる。
江戸風は、葛(くず)を使わないので、くず餅、久寿餅などと書くのである。

藤棚をくぐり、店内に入ると、作家・吉川英治の筆による看板があり、昭和の気分に包まれる。

作りたてのくず餅は、ぷりぷりとしてコシがある。
濃厚な黒蜜、よくいったきな粉がよくあう。
素朴だが、滋味深い。
そもそも、小麦を発酵させて菓子にするという発想がすばらしい。
私は寡聞にして類を知らない。

船橋屋では、江戸時代の伝統製法を守っている。
岐阜県内の工場で地下天然水を使い、小麦粉を15か月かけて乳酸発酵させる。
水洗いしてでんぷんだけを取りだし、東京の工場で蒸し、成形する。
完成までに1年以上もかけているが、賞味期限はわずか2日。
保存料も真空パックも使わないからだ。
なんとも、はかない。

「はかなくて良い。その潔さにこそ、価値がある」と、8代目当主の渡辺雅司さん。
「武士道は潔さを尊んだ。そうした日本人の心に合うのが、くず餅なのです」

こうした菓子作りにあやかりたいと、まっすぐな姿勢、一生懸命な気持ちを表すものとして、
手みやげに選ぶビジネスマンが増えているそうだ。
それがうれしい。
「心根は商品に表れる。見えないところも、しっかりと作りこんでいきたい」と渡辺さんは考えている。(フードライター)

 2~3人前 777円

 船橋屋

 (電)0120・8・27848

 〒136・0071 東京都江東区亀戸3の2の14

(2010年2月20日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/kanmi/20100220-OYT8T00572.htm?from=yolsp
☆【YOMIURI ONLINE】 くず餅 はかなさ潔い ☆


私はお酒大好きの呑兵衛のひとりなので、平素は甘い物は苦手で和菓子、洋菓子は余り食べない。

しかし旅行先などで、煎茶、抹茶などを頂きながら、
和菓子を食べさせてくれる処では、家内と共に頂いたりしている。

日常、私が知人宅に訪問する時は、
お子様が高校生ぐらいの場合は、洋菓子を買い求めるが、
これ以上のお歳を召している場合は、和菓子を使っている。

家内は中学生の時から茶事を学んでいるので、
程々に和菓子に関しては詳しく、私は和菓子も無知な方であるが、
季節感がかもし出されていれば、独断と偏見で選定している。

旅先で和菓子の買い求める場合、
その地で長い歴史を育(はぐく)んだ老舗の和菓子店を使う。

私は差し上げたお方から、こうした場合は喜ばれている。

その地に生まれ、長年におよび人々から買い求められ、
味そのもの長年培(つちか)われた和菓子となっているので、
まぎれない和菓子と私は確信している。

和菓子は、その地の風土、文化を代表するひとつと思っている。


このような思いで、ときたま家内と和菓子について話したりすると、
貴方は人前では和菓子について話されないように、
と和菓子の基本も由来も無知な私に家内は苦言する。


私達夫婦の共通趣味は国内旅行であり、
4年前、たまたま私達は北海道の釧路市の街並みを散策し、偶然に駅前の和菓子屋を通り過ぎようとした時、
『あのお店の和菓子・・美味しそう・・』
と私は家内に話しかけた。

店内に入り、数点の和菓子を見ていたら、
私は少しばかり購入しょう、と家内に云ったりした。

結果として、私が決めた和菓子に関しては、
殆ど家内に苦笑されることが多かったが、このお店の和菓子に限り、
思った以上に美味しいわ、と賛意を得たのである。

私達は店を辞した時、『柳月』と看板が観えたのである。

http://www.ryugetsu.co.jp/
☆『柳月』 ホームページ ☆
私がこの中で特に魅せられて、小声で家内に絶賛したのは、下記の百代餅(ももよもち)であった。

http://www.ryugetsu.co.jp/online_shop/detail.php?id=5
☆『柳月』 百代餅(ももよもち) ☆


この後、家内と街並みを散策した時、
『先ほどのお餅・・確かに品位もあり美味しいかったけれど・・
貴方は・・やはり農家の子ね・・』
と家内は微笑しながら、私の幼年期の農家の児だったことを云ったりした。

古来より味覚は幼年期で決まる、と名言があるが、
私は和菓子も無知なひとりであるが、まぎれく確かな味の白みそ、柚子などの『百代餅 』だった、
と心の中で呟(つぶや)いていた。


このようなつたない思いの私は、
くず餅に関して、《はかなさ潔い》と銘々したフードライターの中島久枝さんの感性に惹(ひ)かれ、
記事を精読した後、『はかない潔さ』と飛躍させた言葉に置き換えて、微笑んだりしたのである。

私も幾たびか『くず餅』を家内のお供の身として、賞味したことがあるが、
今後は、『はかない潔さ』と秘かに思いながら、頂きたいと思ったりしている。



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改めて、ブロクの投稿文、そして著名人の随筆は・・。

2010-02-22 12:01:15 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとブログの投稿文を何を綴ろうか、と苦悶したりした。

長崎知事選に於いて、政治とカネの問題で、民主党が支援した立候補者の敗退のことか、
或いは新聞に掲載されている週刊誌の広告に於いて、見出し記事に微苦笑させられたことか、
または過ぎ去るこの一週間の私自身の心情の発露か、
たまたま平成22年2月22日なので、この不思議な数並びをユーモワをまじえながら年金生活の苦楽のこと、
このようなことを思い浮かべ思案したりしていた。

私はせっかく投稿した文は、なるべく多くの方に最後まで読んで頂きたく、
それなりの構成を配慮して投稿文を綴るので、ひとつテーマさえ決まらなくこともある。

そして、少しばかり悩みながら、秘かに【gooブログ】で投稿してきた自身の文を読み返したりしている。

このような時、私が一昨年の2008年7月8日に投稿していた、
【 ブロク投稿文、そして著名人の随筆は・・。 】
と題した投稿文を読み返し、微苦笑させられたのである。

【・・
私は民間会社を定年退職した後、偶然にブログの世界を知り、
その日に感じたり、思考していることを心の発露として、毎日数通投稿し、3年半ばかり過ぎている・・。

同じ綴るのであれば、散文で随筆形式と思いながら、
投稿しているが、つたない脳裏なりに独創と個性を頼りに綴っている。

しかし、その時の思いを瞬時に綴るので、
余りにも不出来が多く、愕然することがしばしば感じているのである。

私は日に数通は自身に課しているので、テーマが即時に決まることもあれば、
中々決まらなく苦悶することも多いのが本音である。


ここ数10年の著名人の綴る週刊誌、月刊誌など随筆は、
原稿用紙に於いて、5枚前後の長さが多く、
テーマの発想、構成、綴りの文調、そして校正などある程度は時間あるので、
それなりに魅了ある余韻、余情のある随筆となっていることが多いのである。

そしてこの数年の社会風潮として、雑誌の随筆などは、
なるべく短くし、2枚程度の800文字以内が、読者の方たちから評判が良い、
と何かの随筆で読んだりしたことがあった。


ブログの投稿文も著名人の政治、経済、社会などの専門分野を明示するのは例外であるが、
大方の投稿文を見ると、驚くほど短い文章で綴られ、投稿されているのが現実である。

こうしたことは、最近の社会の急激な移ろいに、
何事も短じかな時間で理解しょう、とした現象なのかしら、と思ったりしている。

こうした中で私も1200文字前後で、
私なりの個性で確固たる随筆を目指しているが、
その時の心情などで、つたない投稿文が多く、恥じながら、習作の期間かしら、と苦笑している。

そして瞬時にテーマと構成をまとめる文章修行に励む事が前提であるが、
何より心の磨(と)ぎ澄(す)ます心得が不足していると、
齢を重ねた63歳の私は、嘆くことも多いのである。
・・】

このように少し気負いながら投稿していたのであるが、
先程、パソコンの前に座っている私に家内が近づいてきて、
テレビが故障したのかしら、画面が映らないわ、
と私に云ったりしている。

私はテレビかょと思いながらテレビの置いてある部屋に行きながら、
何とかテーマの構成も定まり、あとは投稿文に関しては、
つたないなりに脳裏からの言霊に導かれながら綴ればよかったのにと思い、
テレビのスイッチなどを点検をしたりしている。

そして、脳裏からの浮かび上がった綴りも忘れ去り、映像回路が駄目になったのかしら、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。



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