夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活の私の『バレンタイン・チョコ』は・・♪

2010-02-14 17:00:36 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。

今朝の8時半過ぎに、いつものようにパソコンの置いている私の机の前の椅子に座ったのであるが、
机の上にひとつの包みが置いてあった。

私は開けてみたら、板チョコ3枚と共に、小さな封筒が付いていた。
そして、この中に同封されていたメッセージの便箋には、
《 冬の余寒の時も
    夏の熱い陽射しの時も
       お買物・・ご苦労さまです。

  麗しき保健女医のご指導を忠実に守り
      今年も純米酒よりビールを程ほど呑み、メタボを克服して下さい。 》

このように明記され、私は読みながら、苦笑したのである・・。


私が定年前の現役時代は、程々に高価なハート・マークのような品を頂いたが、
退職後の年金生活になると、板チョコが一枚となったのである。
そして昨年に高齢者入門の65歳となり、このお祝いのせいか、今回は板チョコ3枚に昇格したので、
微苦笑したのであった。

私は板チョコに関しては、幼年期の私の思いで話を幾たびか家内に伝えたりしているので、
年金生活の今は、ふさわしいひとつと思ったりした。

しかし、この板チョコは私は小さなかけらを頂くが、残りのすべてを家内が数日以内に食べてしまうのが、
ここ5年の出来事である。


私の板チョコに関しての深い想いでは、あるサイトに2007年10月10日に、
【 チョコレートの想いで・・♪ 】
と題して、投稿している。

【・・
私は原則として甘い菓子を食べないが、
ときおり、大福とチョコレートを月に一度ぐらい口にしたりしている。
そして、家内と旅行に行った時、地方の銘菓と称されている和菓子を抹茶、煎茶などを頂いて、
家内のお供として、賞味したりしている。

昨日の小雨の降る中、買物を済ませて帰宅し、
家内と遅い昼食を頂だいた後、何時ものように午後の読書をはじめた・・。

この時に来訪のチャイムが鳴り、
家内が玄関に立つと、
『自治会の・・共同募金の集金・・なの・・それが、小学一年生の男の子なの・・』
と家内は私に云った。

そして、台所の小棚に行き、居間に戻ると、家内は一枚の板チョコを私にかざした・・。

私は、いいょ、というしぐさをした。

男の子を見送った家内は、
『チョコレートを上げたら・・最初はびっくりしていたけれど・・
嬉しそうな笑顔・・可愛いわね・・』
と家内は私に云った。

『そりゃ・・良かった・・』
と私は家内に微笑みながら云った。

私は日常の買物を担当しているが、
スーパーの菓子売り場で明治、森永のごく普通の100円程度の板チョコを見かけると、
一ヶ月に一度ぐらい手を伸ばし、購入してしまうのである。


私が1954(昭和29)年の小学3年生になったばかりの時、私を可愛がってくれた祖父が死去した。
前年に父が亡くなり、跡継ぎを失くしたので、祖父は病気の上、
落胆した表情が幼年期の私さえ感じていた。

祖父、父が中心として、程ほどの広さの田畑を耕し、忙しい時期は小作人の助けも借りて農業をしていたが、
大黒柱の2人を失った我が家では、長年の農業の技量の伝承が絶たれてしまったので、没落期となった。

こうした折、祖父の妹に当たる叔母が、
何かと心配し、日常生活で賞味できない菓子とかを持参してくれた。
その上、妹の2人には、お揃いの洒落た下駄などを頂戴した。

私は駅までの15分ぐらいの道程を叔母と共に歩いて、駅で見送った。
この直前、叔母は私に、
『チョコレートでも買ってねぇ・・』
と私にお金を手渡した。

私は小汚い身なりであったが、駅の商店街の菓子屋で、輝かしい一枚の板チョコレートを買えたのである。

私は駅前から急いで帰宅し、妹のふたりと割って食べたのである。
しかし正確に告白するが、私は少し大き目の3分の1であった・・。
あの家も貧乏になった、と幼児の私さえ、近所の噂を聴こえたりしていたが、
この時ばかりは妹2人と食べあった板チョコは、急に裕福に感じたりした。


こうして私なりに、たった一枚の板チョコレートであるが、
昨今のベルギー産の高級品、宇治抹茶生チョコなどのチョコレートより、
遥かに美味しく感じられるのである。
・・】

このように投稿して恥ずかしい限りであるが、私は一枚の板チョコレートでも人生観を変えることがある、
と思ったりしている。


本日、昼過ぎに私はいつものように買物に行き、スーパーの店内に於いて、
チョコの特設の売り場があり、私はさりげなく見た中のひとつとして、
《  いずれのチョコレートも、88円!! 
           たくさん お買い求め下さい 》

と女子高校生の女の子が書いたような可愛らしい文字で、ハートのマークが散りばめられて明記されて折、
この下段には、山積みのように三種類のチョコがあった。


http://www.meiji.co.jp/catalog/sweets/chocolate/mlch58g/index.html
☆ 明治製菓  ミルクチョコレート ☆

http://www.meiji.co.jp/catalog/sweets/chocolate/blackch58g/index.html
☆ 明治製菓  ブラックチョコレート ☆

http://www.meiji.co.jp/catalog/sweets/chocolate/whitech40g/index.html
☆ 明治製菓 ホワイトチョコレート ☆

思わず私は見ながら、家内から今朝頂いたチョコと同じだ、と私は微苦笑させられたのである。


尚、私は親族を含めて、まったく明治製菓には関係のない身である。





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私にとっては、苦手な歌手・北島三郎(きたじま・さぶろう)氏であるが、思わず感銘し・・。

2010-02-14 10:30:20 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝もいつものように読売新聞の朝刊をゆっくりと読んでいた・・。
たまたま日曜日なので、【よみほっと 日曜版 YOMIHOT】が添付され、
この中の『心の風景』を紙面改定の1月以来から、愛読しているひとりである。

この記事は読売新聞の記事紹介の言葉を借りれば、
《 各界の著名人に「自分の人生にとってかけがえのない場所」への思いをつづってもらい、
印象的な風景写真とともに紹介します。》
と明記されている通り、かけがえのない場所の情景が写真家が写しだされ、
何よりご自身の思いをご自身の文章で綴って折、
私はそのお方のこれまでの人生の軌跡を思い馳せながら深く拝読したりしている。

今回は、歌手・北島三郎(きたじま・さぶろう)氏であり、函館のひとつの情景も掲載されていたが、
私は音楽が好きで、ジャズとオペラ以外は聴いたりしているが、何故かしら北島三郎氏の歌は苦手である。

こうした思いもあるが、北島三郎氏のご自身の思いの綴りを拝読したのであるが、
感銘させられたのである・・。

無断であるが、一部を引用させて頂く。

《・・
 (略)
お調子者の僕はどうしても歌手にりたくて、高校を出て、18の春に上京した。
小雪の舞う薄曇りの桟橋でおやじに別れを告げ、
連絡船に乗り込んだ時、ふるさとを捨てたと思った。

捨てなければ今の僕はなかった。
でも、やっぱりあれから一度だってふるさとを忘れたことはない。
函館はいつだって、そしていつまでも、僕の心の原点にある。

                       文・北島三郎
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


多くの人は、ご自身の故郷(ふるさと)は複雑な愛憎を重ねてたりするが、
ある人生のなかばからは愛憎から懐かしさに転じて、心の中で甘受に変貌する。

私は北島三郎氏のこれまでの人生の軌跡については殆ど無知であるが、
上京されて苦節の時期を重ねた上、常に第一線の歌手として、
努力と鍛錬、そして向上心を怠(おこた)ることなく50年近くされている稀(まれ)なお方と思ったりしている。

昨今、偶然にNHKのテレビで、北島三郎氏の表情を見て、
益々良き顔立ちになられたなぁ、と感じたりしたのである。

文はそのお方の人格まで現すという名言があるが、
《・・でも、やっぱりあれから一度だってふるさとを忘れたことはない。》
人生の千金の思いの綴りである。



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