私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日の深夜に映画専門誌のキネマ旬報の『オールタイム・ベスト 映画遺産200』の『日本映画編』と『外国映画編』を読んだりし、
午前の2時過ぎに布団にもぐり前、玄関の軒下で煙草を喫ったりし、
深夜の未明から朝に雪が降ると予報されていたが、暗い空を眺めても雪の気配がなく少しばかり落胆した。
今朝、寝坊して朝の7時過ぎに目覚めて、ぼんやりと洗面所の横の窓ガラスを開けると、
雪が舞い降っていたので、私は驚きながら、急いで着替えした後、玄関の軒下に下り立ったのである。
舞い降り雪の空を眺めたり、わずかに樹木の枝葉、地表に雪化粧した情景を見つめたり、
私は心の中で小躍りしながら見つめていたのである。
そして、積雪は3センチぐらいかしら、と微笑んだりした。
この後、居間に戻り、地元の天気情報を見ると、
朝の6時は0度で雪は10時頃まで5センチばかり降り、この後は急速に回復し、
午後3時頃には冬晴れとなり、5度前後となります、
と報じていた。
私は主庭に舞い降る雪に見惚(みと)れたり、樹木の枝葉にわずかに積もる情景を眺めたり、
ときおり空を見上げたりして、しばらく見つめたりしていたのであった。
こうした雪化粧の情景を眺めたりしていたのであるが、
9時頃に止み、私はテラスに下り立ち、屋根からの雪が落ちるのを注意しながら、
薄化粧したような紅梅の五分咲き薄紅色の花とか枝に心を寄せたりして、
煙草を喫ったりしていた。
まもなく風もない中、陽射しが淡く射し込み庭は明るくなり、
樹木の枝葉の雪は融(と)けだしながら、地上にゆるく音を残しながら落下した。
そして地表の雪も少しつづ融けだして、空が青さを増し、陽射しが燦燦と照らすと、
まもなく主庭、玄関庭も跡形もなく消え去った。
私は春に降る雪のようだったと思いながら、眺めたりしていたのである。
昼下がりのひととき、私は主庭に下り立ち、風もなく暖かな陽射しの中、
群生させた日本水仙の満開の花を観たり、満開となった白梅の純白の花、そして紅梅の五分咲き薄紅色の花を眺め、
定年退職後の5年半の過ぎ去った日々を思い返したりした。
私は独断と偏見、そして思い込みの激しいひとりなので、
サラリーマンの現役時代と同様に齢ばかり重ねた年金生活の今、ときおり後悔して反省をすることもある。
しかし、古来より怪我は治(なお)っても性格は直らない、いう名言の前に苦笑するばかりである。
そして、日常生活は身過ぎ世過ぎの年金生活なので、清濁併せ呑むぐらいは、
サラリーマンの時代から鍛えられているので了解しながら過ごしたりしているが、
少なくとも心の純潔だけは、と思いながら今日に至ったりしている。
このようなことを思いながら、今朝方の舞い降る雪の情景に心を寄せたり、
或いは水仙、白梅、紅梅の花を眺めたりするのは、心の浄化を願っているのかしら、
と微苦笑している。
href="http://www.blogmura.com/">
昨日の深夜に映画専門誌のキネマ旬報の『オールタイム・ベスト 映画遺産200』の『日本映画編』と『外国映画編』を読んだりし、
午前の2時過ぎに布団にもぐり前、玄関の軒下で煙草を喫ったりし、
深夜の未明から朝に雪が降ると予報されていたが、暗い空を眺めても雪の気配がなく少しばかり落胆した。
今朝、寝坊して朝の7時過ぎに目覚めて、ぼんやりと洗面所の横の窓ガラスを開けると、
雪が舞い降っていたので、私は驚きながら、急いで着替えした後、玄関の軒下に下り立ったのである。
舞い降り雪の空を眺めたり、わずかに樹木の枝葉、地表に雪化粧した情景を見つめたり、
私は心の中で小躍りしながら見つめていたのである。
そして、積雪は3センチぐらいかしら、と微笑んだりした。
この後、居間に戻り、地元の天気情報を見ると、
朝の6時は0度で雪は10時頃まで5センチばかり降り、この後は急速に回復し、
午後3時頃には冬晴れとなり、5度前後となります、
と報じていた。
私は主庭に舞い降る雪に見惚(みと)れたり、樹木の枝葉にわずかに積もる情景を眺めたり、
ときおり空を見上げたりして、しばらく見つめたりしていたのであった。
こうした雪化粧の情景を眺めたりしていたのであるが、
9時頃に止み、私はテラスに下り立ち、屋根からの雪が落ちるのを注意しながら、
薄化粧したような紅梅の五分咲き薄紅色の花とか枝に心を寄せたりして、
煙草を喫ったりしていた。
まもなく風もない中、陽射しが淡く射し込み庭は明るくなり、
樹木の枝葉の雪は融(と)けだしながら、地上にゆるく音を残しながら落下した。
そして地表の雪も少しつづ融けだして、空が青さを増し、陽射しが燦燦と照らすと、
まもなく主庭、玄関庭も跡形もなく消え去った。
私は春に降る雪のようだったと思いながら、眺めたりしていたのである。
昼下がりのひととき、私は主庭に下り立ち、風もなく暖かな陽射しの中、
群生させた日本水仙の満開の花を観たり、満開となった白梅の純白の花、そして紅梅の五分咲き薄紅色の花を眺め、
定年退職後の5年半の過ぎ去った日々を思い返したりした。
私は独断と偏見、そして思い込みの激しいひとりなので、
サラリーマンの現役時代と同様に齢ばかり重ねた年金生活の今、ときおり後悔して反省をすることもある。
しかし、古来より怪我は治(なお)っても性格は直らない、いう名言の前に苦笑するばかりである。
そして、日常生活は身過ぎ世過ぎの年金生活なので、清濁併せ呑むぐらいは、
サラリーマンの時代から鍛えられているので了解しながら過ごしたりしているが、
少なくとも心の純潔だけは、と思いながら今日に至ったりしている。
このようなことを思いながら、今朝方の舞い降る雪の情景に心を寄せたり、
或いは水仙、白梅、紅梅の花を眺めたりするのは、心の浄化を願っているのかしら、
と微苦笑している。
href="http://www.blogmura.com/">